おじゃま虫たちA
〜ミケの場合〜
爽やかな朝だった。
寒さも和らぎ、少し太陽の匂いが混じった心地よい初夏の風が、ミケの部屋を撫でていた。
風と共に、どこからともなく漂う外に咲き乱れる花の香りが、眠っていたミケの鼻をくすぐる。
とても甘い香りだった。
まだ夜が明けてすぐの薄明るい中、香りの元を辿っていくと、そこにはミケの背丈ほどの樹木に、可愛らしい純白の花が無数に咲き乱れていた。
それは安らぎを与えてくれる香りで、ミケはその樹木の近くに腰を下ろしては、まだ残る眠気とともに、瞼を閉じて気持ちの良い香りを堪能していた。
ここは訓練場のすぐ横の場所にある。
いつもこの季節に咲き乱れる白い花。
毎年この美しい香りに包まれることが、ミケの密かな楽しみであり、そして一年無事に生きながらえたことへの感謝を表すものだった。
そして、また来年もここへ来れることが、何よりの願いである。
ミケはゴロンと大の字になり、深呼吸して幸せを噛みしめていた。
ふとその時、男女の楽しそうな声が聞こえてきた。
こんな早朝に誰だと耳を澄ませてみると、それはとても身近で聞き覚えのある声だった。
エルヴィンだ。
確かエルヴィンは、自分の訓練の時間が取れないからと、毎日早朝に立体起動のトレーニングをしていたはずだ。
だからエルヴィンがここに居るのは納得出来る。
じゃあ女の方は誰だ?
もう一度耳を澄ませてみると、それは調理人のクララの声だと気付く。
と同時に、どんどんその声は近付いてきていることにも気付く。
ミケは慌てて、何となくここは自分が二人の間を邪魔してはいけないような気がして、咄嗟に身を隠す。
が、その体格の良い身体はすぐに隠れられるほど小さくなく、カサカサという草の音と共に呆気なく見つかってしまうのだった。
「あら、おはようございます、ミケ分隊長。
こんなところで何してらっしゃるの?」
クララが無邪気に近寄ってくる。
すると、すぐに近くの純白の花の樹に気付き、わあっと目を輝かせながら花の香りを楽しみ始めた。
「これ、クチナシの花じゃない!
こんなところに咲いてるなんて知らなかった。
こんなに沢山・・・素敵。」
うっとりと香りに包まれていた。
そんな様子をエルヴィンは愛おしそうに見つめている。
普段見たことのないエルヴィンの表情を垣間見て驚いていると、クララがミケに声をかける。
「今から、エルヴィン団長とパンの試食会をするのだけど、ミケ分隊長もご一緒にいかがかしら?」
エルヴィンの方を向くと、心なしか残念な顔をしている。
ああ、そういうことか。
ミケは何時ぞやのエルヴィンの様子を思い出していた。
ある日の早朝のこと。
ミケはエルヴィンに相談したいことがあり、団長室を訪ねていた。
いつも早朝はトレーニングに出ているはずだから、少しは時間があるだろうと踏んで、団長室に足を運んでいた。
予想通り、立体起動装置とブレードを装着したエルヴィンがそこに居た。
「エルヴィン、朝からすまない。
ちょっと聞いて欲しい事があるんだが・・・」
「なんだ、ミケ。朝早くから。
ちょうど今から一汗流しに行くところだ。
悪いが帰ってきてからにしてくれないか?」
話の内容も聞く事なく、エルヴィンはそそくさと訓練場へ出向いて行った。
その時は、皆が起きてからだと自分が訓練場を使う事が出来ないから、この時間帯は自分のトレーニングに集中したいのだろうと勝手に思っていたので、話も後にしようと思った。
だから、話はトレーニングから帰ってきてからにしていた。
しかし違和感を感じたのはその後だ。
朝食の時間になっていたので、食堂に行こうとしたら、エルヴィンは自分は朝食はいいと言う。
トレーニングもした後だからお腹も空いているはずなのに、なぜ?
そう思ったのは今でも覚えている。
さては、そういう事か。
訓練の合間に彼女と朝食を共にしていたわけだ。
鼻で二人の雰囲気を嗅ぎながら、密かに笑う。
それならば、ここに自分がいる理由はないと思い、ミケは立ち上がってクララに言う。
「申し訳ないが、またの機会にするよ。」
「どうして?
朝食のついでだと思って食べてみてよ。
ミケ分隊長のご意見も聞きたいわ。」
笑顔でそう言われるととても断りきれない。
エルヴィンに申し訳なく思いながらも、嬉しそうに前を歩くクララについて行くのだった。
中庭のベンチに、ミケ、エルヴィン、クララの順に腰をかけていた。
「今日のパンはね、りんごのパンだよ。」
クララは、籠の中からずっしりと重みのあるパンを横に座る二人に差し出す。
一口頬張ってみると、中に甘く煮詰めたりんごがゴロゴロと入っている。
果物として食べるりんごと違い、またパンも食事のパンと違い、甘いデザートを食べているようなパンだった。
「今日のは前回より甘さ控え目なんだな。」
「そうなの!
エルヴィン団長、よくわかったわね!
こないだのりんごのパンは、甘すぎちゃったかなと思っててね。
だからちょっとお砂糖の分量を控え目にしたの。」
「私はこっちの方が好みだ。」
「うふふ、それは良かった!
じゃあ今度りんごが沢山手に入ったら、夕飯のデザートパンで作っちゃおっかな。」
「あぁ、それは楽しみだ。」
クララとエルヴィンは微笑み合いながら、それはそれは小慣れた試食会が始まっていた。
とてもミケが入れる余地はなかったが、二人の仲睦まじい様子は見ていてほっこりとした気分にさせられていた。
「ねぇ、ミケ分隊長はどう?
りんごのパン、お気に召したかしら?」
クララとエルヴィンの様子をぼんやりと眺めていたミケは、突然自分に話を振られて少し強張る。
「ああ、とても美味しい。
前回というのが俺にはわからないが、こんな特別なパンが夕飯に出てきたら、兵士たち皆喜ぶと思うよ。」
「うふふ、ありがとう。
今度張り切って作るわね。」
ミケは今までクララとじっくり向き合ったことはなかったが、こんな優しい表情をするんだなとクララのことをじっと観察していた。
そして、クララはどんな匂いがするのか興味を唆られるが、エルヴィンの手前それを実行していいものか少し考える。
「ところでね、さっきのクチナシの花、後で花を少し摘んでもいいかしら?
お酒に漬けてリキュールにするの。
きっと良い香りに仕上がるわよ。」
「そんな楽しみ方もあるのか。」
「あら、ご存じなかった?
後、秋になって実が出来たら、お茶にもなるよ。
今度淹れて差し上げるわね。」
にこやかに話すクララは、無邪気でいて、でも子供のそれとは違い落ち着きも備わっていて、見ている方も安心感を与えられるような気がした。
きっとエルヴィンは、この安心感を求めてここに居るのかもしれない。
いつもエルヴィンは、団長として背負うものばかりだ。
彼が安らげる場所を見つけられたことに羨ましく思いながらも、いつも張り詰めて仕事をしているエルヴィンを癒す存在に、ミケは小さく感謝していた。
他愛も無い会話を交わしながら、清々しい早朝の試食会は終わりを迎えていた。
そろそろ食堂が忙しくなる時間だ。
クララは立ち上がり、二人にお礼を言う。
「ミケ分隊長、今日は突然だったのに、ありがとう。
また機会があればお願いね。
エルヴィン団長も、ありがとう。
今日も頑張ってね。」
優しい笑顔のクララには、エルヴィンでなくてもトキメキを覚えるかもしれない。
ミケは鼻をスンと鳴らしながらそう思っては、反射的にクララに近付きうなじの辺りの匂いを嗅ぐ。
甘いパンの香りが心地良い。
「えっ!?何!?」
不意に急接近してきたミケに驚くクララ。
と同時にエルヴィンに肩を掴まれ、クララから離される。
「ミケ、その癖何とかならないのか・・・」
今まで自分のこの癖に苦言を呈した事など一度もなかったのに、珍しく困惑した面持ちで自分を阻止する姿に、少しエルヴィンをからかってみたい気持ちが湧き上がる。
「こんな極上のひとときをエルヴィンが独り占めしてたとはな。
こちらこそ、また機会があればよろしく頼むよ。
次はエルヴィンなしでな。」
横でエルヴィンが苦笑いしている。
心配しなくても、もう邪魔はしないさ・・・
ミケは心の中ではそう思いながら、また鼻をスンと鳴らした。
「もう、何言ってるのかしら。
じゃあ、朝食はもう要らないだろうから、昼食で・・・かしら?
またね。」
クララはニコリと手を振っては、ミケとエルヴィンとは反対方向の、食堂の方へ向かって歩き出した。
ミケとエルヴィンもまた、クララと反対方向へ肩を並べて歩いていた。
「・・・ミケ。
悪いが先に戻っててくれ。」
少し歩いたところでエルヴィンは立ち止まる。
早朝のパンの試食会は、ジェームズが団長室へクララと共に昼食を寄こして以来、時折クララの気まぐれで開催されていた。
それは、エルヴィンにとって特別なものだった。
唯一、クララと二人きりで話せる時間だったからだ。
自分が淡い恋心を抱いているという答えには相変わらず目を背けていたが、この特別な時間だけは、自分に少しばかり素直になれる気がしていた。
時折訓練場に現れるクララを見つけた時は、いつも心が踊るように嬉しくなる。
早朝のトレーニングは、今までは眠気もあり憂鬱でしかなかったが、それ以来毎朝その時間が訪れることを密かに楽しみにしていた。
それなのに、今日はミケに邪魔をされる。
来週には壁外調査も控えているから、ゆっくりと話をしておきたいと思っていたのに。
しかも、ミケとクララが仲良く話している姿を見るのは、正直良い気はしなかった。
悶々とした気持ちが渦を巻きながら、試食会は終わってしまった。
次はいつ会えるだろう。
そう思うと、自然と足がクララの方へ向かっていた。
不意に先に帰るよう促されたミケは、鼻をスンと鳴らしほくそ笑む。
後ろへ小走りで戻っていくエルヴィンを振り返らずに、ミケはその場を後にした。
「クララ・・・」
後ろから突然声を掛けられたクララは驚いていた。
よく知ったその低い声の主は、今しがた別れたばかりのエルヴィン。
だが、その声で自分の名前を呼ばれるのは初めてだった。
振り向き、その愛おしい声の主を確認しようとした時、クララはエルヴィンに唇を奪われていた。
ほのかにりんごの甘い香りがする。
「いつかのお返しだ。」
ふわりと唇が離れると、エルヴィンは極上の笑顔でクララに話しかける。
「ごちそうさま。
次も楽しみにしている。」
そう告げると、クララの髪をくしゃっと撫で、ミケの後を追うようにまた小走りで戻っていった。
クララは、呆然とその後ろ姿を見つめていた。
その顔はりんごの様に真っ赤だった。
花季 -hanagoyomi-