幸せな日常




ある午後の昼下がり。

クララはエルヴィンから預かった鍵を握りしめては、一人悩んでいた。

身体中に付いていたキスマークは消えた。

恥ずかしかったその跡だが、消えてしまうとなんだか無性に寂しくもなる。

そして、シャワーを借りに行く必要もなくなると、預かった鍵を返すべきなのか?という疑問もクララの中に生まれていた。

エルヴィンに確認すれば良いことなのだが、何となく恥ずかしくて聞けずにいた。

あの幸せな夜から数日経つが、あれから二人きりでは会っていない。

でも、時々食堂で目が合うと、また以前のように微笑んでくれるようになった。

その度に胸がキュンと高鳴る。

ただ以前と違うのは、彼の温もりを知ってしまったこと・・・

胸が高鳴る度に、あの日の夜を思い出してしまい、また彼に触れたくなってしまう。





会いたい・・・





“見つめるだけでいい”

“微笑み返してくれるだけでいい”

そう思っていた頃より、遥かに欲深くなっている自分。





どうしよう・・・

エルヴィンの部屋に行く?

でも、自分とは時間が合わないせいで、あれからシャワーを借りていた時に部屋で出くわしたことはなかった。



それなら、話をするのに団長室へ行く?

うーん・・・

それもなんだか違う気がする。



そうだ、明日の朝、久しぶりにパンの試食を作ってみようかな。

そう思い、クララは調理場で何を作ろうか考えを巡らせていた。






次の日の早朝。

クララはパンの試作品の入った籠を抱えて、訓練場に出向いていた。

トレーニングするエルヴィンが遠くに見える。

久しぶりの感覚に、なんだか心が躍る。

いつぶりだっけ?

記憶の中で色褪せかけていた楽しかった日々が、一気に蘇ってくる。





程なくして、エルヴィンがクララに気付き駆け寄ってくる。


「おはよう、クララ。
ここに来るなんて久しぶりだな。」

「うん、パンを持ってきたよ。
一緒にどうかしら?」


ちょっと照れ臭くて目を逸らしてしまう。


「喜んで。」


エルヴィンもまた、優しい微笑みをクララへ向けて返事した。






中庭のベンチに、クララとエルヴィンは二人腰掛けていた。

随分と久しぶりなのと、以前とは違う二人の距離に、照れ臭さが漂う。

だけどクララは精一杯の見栄を張って、以前と変わらない態度でエルヴィンにパンを差し出す。

それに気付きながらも、エルヴィンはぎこちなくクララからパンを受け取り、それを頬張る。

ふと目が会うと、なんだか可笑しくてぷっと笑いが込み上げてくる。


「やだわ、照れちゃう・・・」

「君が意識し過ぎるからだろう。」

「意識しないなんて無理よ。」

「はは、確かにな。」


心地良い会話に、二人はほっこりとなる。

長い間まともに会話さえしていなかったことが、まるで嘘のようだ。


「ねぇ、鍵どうすればいい?」

「ん?もう必要なくなったか?」


エルヴィンから預かっている合鍵をポケットから大事そうに取り出しては、それを見つめながら口籠る。


「必要なくなったというか・・・」

「・・・そうか、もう全部消えてしまったか。」


言葉の続きを言い当てられ、赤面するクララ。

確かに自分の言おうとした事はそれなんだけど、口に出されると顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。


「別に、俺はシャワーのためだけに君に鍵を預けた訳でもないんだがな。
でも必要ないなら受け取るが・・・」


ちょっと残念そうに話すエルヴィンに、クララは嬉しくなる。


「遊びに行ってても構わない?」

「あぁ、もちろん。」

「寝ちゃってても構わない?」

「あぁ、もちろん。
でも起こさない保証は無いがな。」


悪戯にエルヴィンは笑う。

そんなエルヴィンにまた一つ胸を締め付けられる。


「じゃあ、もう少し預かっていようかな。」

「あぁ。」


そう笑い合って、二人は見つめ合う。





そして以前のように、そっと触れるだけのキスをした。






それからクララは、定期的にエルヴィンの部屋を訪れていた。

訪れると言っても、エルヴィンは寝るとき以外は部屋には居なかったし、クララの寝る時間も仕事によって早かったり遅かったりするので、部屋で二人が出会う事はほとんどなかった。

エルヴィンの居ない部屋では、最初のうちはパンの差し入れを置いてみたり、外で摘んできたお花を飾ってみたり、些細な差し入れを楽しんでいたが、それに慣れてくると、ちょっとした悪戯を施してみたりしていた。

例えば、シャワー室に入ろうとしたら、上からタオルが落ちてくる仕掛け。

布団の中に忍ばせた
『おやすみなさい。いい夢を見てね。』
とサプライズの手紙。

時には差し入れのパンの中にトウガラシを入れた悪戯のパン。

次は何をしてやろうとクララは楽しんでいた。





帰る足音が聞こえてきた日には、ドアの前で「わぁっ!」と脅かしてみたりもした。

そして、偶然部屋で出くわした夜には、求め合いながら、二人肌を重ねて朝を迎えたりしていた。





いずれにせよ、エルヴィンにはそんなクララの行動が全て愛おしく、毎日仕事の合間に今日はクララは部屋で何をしているだろうかと想像を巡らせては、部屋に帰って悪戯を見つけた時は、この上ない喜びでいっぱいになっていた。

普段、険しい顔で団長職を全うしているエルヴィンだが、部屋に帰ったその一時だけは、個のエルヴィン・スミスとしての時間を過ごしている気がしていた。






この日も、クララはエルヴィンの部屋で何をしようか悪戯を考えていた。

まだ夜の早い時間。

エルヴィンはきっとまだまだ帰っては来ないだろう。

また近いうちに壁外調査が計画されていると聞く。

その準備に追われているようで、最近はエルヴィンに会えずにいた。

それに今日はクララも疲れていたし、用が済んだら自分の部屋に帰ろうと思っていた。

ここで寝ても良いんだろうが、どうしても一人で寝て待っているのは気が引けて、いつもそれは出来ずにいた。





さて、今日はどうしようか・・・


そう思っていると、外から足音が聞こえてくる。


あれ?もう帰ってくるのかな?

それなら、ベッドの物陰に隠れて、近付いて来た時に脅かそう!


そう思い、ウキウキしながらクララはベッドの物陰にしゃがみ込んで身を潜めた。

ところが一向にドアの開く気配は無い。


あれ?おかしいな?


そう思いながらも、静かに身を潜めていると、瞼が重くなってくる。

そして、会いたい気持ちも募っていく。





早く帰って来たらいいのにな・・・






すっかり遅くなった兵舎の廊下を、エルヴィンは疲れた様子で自分の部屋に向かって歩いていた。

毎日忙しいのは仕方がない。

だがこうもクララに会えない日が続くと、仕事を投げ出したい気持ちにさえなってくる。

ドアを開け、部屋を見渡す。

が、特に何も変わった様子はない。


“あぁ、今日は来ていないのか・・・”


そう思った時、ベッドの物陰からクララの足がチラリと見える。


“脅かすつもりで隠れているな”


エルヴィンは頰が緩む。

そおっと近付いて、逆に脅かしてやろう・・・

そう思い、忍び足で近寄る。


「こんなところで、何してる・・・」


瞬時に物陰を覗き込み言葉を発した瞬間、エルヴィンは目を見開き驚く。

脅かすために隠れていると思ったら、クララはしゃがみこんだまま、寝息を立ててすっかり眠ってしまっていた。

しかも一見、具合が悪くて倒れているのかと思ったものだから、慌てて側に寄りその頬を触る。

熱もなく、規則正しい呼吸に安堵するエルヴィン。

と同時に、何故こんなところで寝ている?と溜め息混じりの笑みが零れる。


「クララ。ここはリヴァイの部屋ではない。
そんな所にいれば、たちまち埃まみれだ。」






「・・・ん・・・、ん??

あれっ・・・
私いつの間にか眠っちゃってた!?」


眠っているところに声を掛けられ、目を擦りながら慌てふためくクララ。

そんなクララがまた可愛らしい。


「いつからここにいるんだ?」

「いつから・・・だっけ?
あなたの足音が聞こえた気がしたから、ここに隠れて脅かそうと思ったんだけど・・・
寝ちゃったみたいね・・・」


茶目っ気たっぷりにクララは笑う。


「子供か」


エルヴィンはクララのおでこを小突いてそう言いながらも、クララの無邪気さに愛おしさが募り、そして会いたいと想いを募らせていた存在が目の前にいる事に、嬉しさが滲み出ていた。

手を引きクララを起き上がらせると、ギュッと抱き締める。


「捕まえた」

「捕まっちゃったね」


エルヴィンの言葉に少し照れながらクララは答える。



「今日は帰さない」


エルヴィンはそう言って、クララを抱えたままベッドに横になった。






キスする。





ゆっくり、

優しく、

丁寧に。





そして、触れるだけのキスから、

段々と荒々しく・・・





ベッドに二人横たわりながら、クララはエルヴィンの愛情を惜しみなく受けていた。

絶え間ないエルヴィンのキスに、クララは息苦しくなって、両手で彼の頬を撫でては、少し唇と唇の距離を取る。

エルヴィンは不思議に思って、瞑っていた目を開くと、肩で息をしながら優しく微笑むクララと目が合う。


「エルヴィンって、キスが好きだよね。」


そうクララが問うので、そうだったかな?とエルヴィンは考えを巡らせるが、確かにいつも情事に至る前のキスが、随分と長いものだという事に気付かされる。


「嫌か?」

「いいえ、私もあなたのキスが好き・・・」


照れたようにクララは一言こぼすと、頬に当てていた両手を首に回し、またキスを求めた。






おもむろにクララとキスをしながら、エルヴィンは考えていた。

エルヴィンもこんなにキスが満たされるものだなんてのは、実は今まで感じた事もなかった。





正直なところ、これまで女性に不自由することなく生活してきた。

調査兵団に入団した時は、女性先輩に気に入られ関係を持った事もある。

後輩が出来て、言い寄ってくる女の子もいた。

団長になってからは、兵士に手を出したりすることはなかったが、仕事で王都に行った機会に、気に入られた貴族のお嬢さんの誘いにそのまま流されることも少なくなかった。





だがいつも頭の中にあるのは、自分は調査兵団の兵士であること。

身体の関係は持てても、心まで奪われることはなかった。

いつまでも側にいられるわけでもない・・・

そう考えるエルヴィンにとっては、関係を持とうがいつも淡白なものだった。





女性に本気になったのは、あの訓練兵時代のあの時だけ。

だけどその時は自分も若かった。

求めるだけ求めて、相手の事を考える余裕など、今考えるとあったかどうか・・・

そして、自分の勝手で一方的な考えのために、その関係は終わってしまった。

きっと随分と傷付けてしまったに違いない。

だが、後悔はない。

そのお陰で今の自分があることは自負している。





クララは・・・

確かに自分の置かれている環境を考えると、深入りすべきではないのかもしれない。

だけど、恋い焦がれる期間が長かったせいか、もう二度と手放したくない気持ちが強く生まれる。

キスをする度感じるこの満たされた感情は、クララとは身体だけの関係でないことを身に染みて思い知らされる。

クララといると、いつもこの上ない幸福感で満たされる。

そして、自分への力になっていることも確かだ。

自分勝手な想いなのかもしれない・・・

そう思うことは多々ある。

だがやはり、今の自分には必要な存在であり、それを諦めることは到底できそうにもない。






「・・・エルヴィン?」


クララは物思いにふけっているように見えるエルヴィンを不思議に思い、キスを止め声を掛ける。





この瞳だ・・・

この真っ直ぐ自分を見つめる瞳。

この瞳に俺は毒されている。

初めてキスしたあの星空の下の時もそうだった。

あの時から、俺はクララの虜だったんだ。





目の前の存在をギュッと抱き締める。

全部、全部、俺のものにしてしまいたい・・・





湧き上がる独占欲をおもむろに現しながら、エルヴィンはクララの首筋にキスする。

そして、そのキスは段々と濃厚さが増してくる。





「・・・んっ」


情事の度にキスマークをつけるエルヴィン。

クララは嬉しく思いながらも、それがいつも恥ずかしく感じていた。


「エル、ヴィン・・・、今日は・・・」

「解ってる。見えないところにつけるから。」


クララが息も絶え絶えに懇願して言おうとすることを、エルヴィンはすかさず遮る。

そして、シャツのボタンに手をかけ軽くはだけさせては、胸元にキスをし吸い付く。


「・・・もうっ」


観念したかのようにクララは呟く。

でもその瞳は、とても愛おしそうにエルヴィンを見つめていた。





そんな風に戯れ合いながら、この日の夜もまた静かに更けていった。







朝。

クララはシャワーを浴びながら、エルヴィンに刻まれた彼の跡を眺めていた。

いつもこの時間は、顔から湯気が出そうな程恥ずかしくなる。

だけど・・・

言葉では愛を囁かないエルヴィン。

言葉では確かめられないけど、エルヴィンのキスは自分への情愛を物語っているような気がして、クララはいつもその跡を見る度、幸せな気持ちで満たされていた。





そんな些細な日常を、二人は毎日ゆったりと過ごしていた。





そして、また年は明け、壁外調査で傷付きながらも、こんな毎日が永遠に続けばいいのにと、淡い願いを祈らずにはいられなかった。




花季 -hanagoyomi-