衝突
エルヴィンが王都から帰還した夜、クララとエルヴィンは抱き合ってベッドに寝そべっていた。
随分と疲れていたエルヴィンは、抱き締めるクララの胸の中に自身の身体を預けて、スヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
クララにとって、ここ最近は生きた心地がしなかった。
ようやく感じ取れる目の前の息遣いに、クララはきゅうっと胸が締め付けられ、目の奥が熱くなる。
眠っているエルヴィンのさらさらした髪を撫でる。
手から伝わる体温、匂い、その全てが愛おしく、それが今生きている実感を与えていた。
「お願い・・・
もう、無茶なことはしないで・・・」
一人小さく呟き、涙が溢れる。
そして、腕の中の存在を確かめるように優しく抱き締めて、その額にキスを落とした。
エルヴィンは夢を見ていた。
それは幼い頃のこと。
父が教師を務める教室で、歴史の勉強をしていた。
学んでいたのは、人類がこの壁に追い詰められていく経緯について。
誰もが教わること。
そこで沸き起こる疑問・・・
“駄目だ、それを口にしてはいけない・・・”
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「!」
額に汗をにじませ、息を切らしながらエルヴィンは目を覚ます。
ふと隣の存在に目をやると、クララが自分の髪を撫でながら、今にも泣きそうな顔で自分を見つめていた。
「大丈夫?酷くうなされていた・・・」
「あぁ・・・」
クララから目を逸らし、額の汗を手の甲で拭っては天井を見上げる。
腕を失ってからというものの、近頃同じ夢ばかりを見る。
そしてそれは、いつも決まったところで目が醒める。
今回と同じく、それは悪夢のようで・・・
ねぇ、エルヴィン・・・
何にそんなに追われているの?
何にそんなに責められているの?
クララはエルヴィンの心中を案ずるが、その胸の内は解らない。
そんな心配をよそに、エルヴィンはクララを見つめて優しく微笑み、そして髪を撫でるだけ。
その背中に背負っているもの・・・
決して軽くはないだろうその責任。
私にも少し手伝わせて欲しい。
だけど、それはきっと許してはくれない。
どうしてそんなに孤独の影を漂わせているの?
私はここにいるよ?
少しくらい、頼ってよ。
ねぇ、そんなに私は頼りない?
ねぇ、エルヴィン・・・
クララの胸の内は、常に胸騒ぎが絶えない。
だけど、今日もまた彼の胸に身体を預け、抱き締められる体温に彼の息遣いを感じる以外に、その胸騒ぎを落ち着かせる術がなかった。
ある日のティータイム。
ハンジが食堂にやってきては、クララに鼻息荒く語りかけていた。
「クララ!
ウォールマリア奪還まであと一歩だ!
くぅ〜っ!
いよいよ人類が巨人に勝つ日が近付いて来てるんだ!」
目を輝かせながらハンジは言う。
しかし、喜ぶべき吉報だけど、クララは素直に喜べず、浮かない顔をしてハンジの話を聞いていた。
ウォール・マリア・・・
それは自分が生まれ育った場所。
恋しくないと言えば嘘だけど、でも、もうそこはきっと自分の知っている場所ではない。
帰ることより、今を生きたい。
そう思うことは許されないだろうか。
先日からの調査兵団の兵士たちのおびただしい数の犠牲。
とてもじゃないが、クララは未だに受け入れられずにいた。
ウォール・マリアの奪還ともなれば、さらにそれ以上の犠牲を伴うだろう。
もう何も犠牲にして欲しくない。
でもそれは、人類の未来を諦めることになる。
私は自分勝手なんだろうか・・・
えぇ、そうみたい。
だって、心から皆にもう壁外に出て行って欲しくないと思ってる。
私には、もう大義名分なんてどうでもいい。
今が幸せじゃダメなの?
人類が滅びる運命だと言うのなら、もう一緒に運命を共にしたっていいじゃない?
そう思ったところで、クララは涙が溢れる。
じゃあ・・・
今まで犠牲になってきた人々の意思を、無駄にしろってこと?
浅ましい自分の考えに嫌気がさす。
どうしてこんな生き辛い世の中なんだろう。
どうしてこんな残酷な世の中なんだろう。
どうして・・・
「・・・クララ、泣いてるの、かい?」
ハンジが心配した面持ちで顔を覗き込んでくる。
あぁ、ごめんなさい。
今、私一人じゃなかった。
ハンジと話してたんだった。
何か言わなきゃ・・・
でも、話す言葉を探そうとすると、また自然と涙が溢れてくる。
とても言葉にならない。
「・・・ごめん、ハンジ。」
精一杯それだけ言うと、クララはハンジの肩に顔を埋めた。
ハンジは何も言わず、肩を震わせながら声を殺して泣くクララの背中を、只々撫でていた。
いつも調査兵団の帰りを待ち続けているクララ。
そう、もう何ヶ月も。
いや、もう何年も・・・
帰還の度に受ける犠牲への衝撃は、クララが受け取り切れる限界をもうとうの昔に超えていた。
自分を慕ってくれていた新兵たち。
そう言えば、リヴァイ班の皆ももう見掛けない。
エルヴィンと距離ができ、哀しく物思いにふけっていたときに慰めてくれたミケはどこ?
その他にも、会いたいメンバーは沢山いる。
みんなに、みんなに、会いたい・・・
今目の前にいるハンジだって、いつ突然帰らなくなるか解らない。
そして・・・
エルヴィン。
彼だってそう。
もう自分の一部だと言っても過言ではない彼も、突然会えなくなる日が来るかもしれない。
クララは、只々不安で仕方なかった。
でもそれを口には出来ない現実に、涙を流す以外の不安の発散方法は、決して見つかりっこなかった。
ある日。
無性にエルヴィンに会いたくて、クララは団長室の近くまで足を運んでいた。
先日エルヴィンが王都から帰還した日、公衆の面前で抱き合ったあの日から、クララはタガが外れたようにエルヴィンに依存していた。
今まで気丈に振る舞って仕事をしていたクララからは想像の出来ないことだったが、それは拭いきれない不安からくる行動だった。
そして、毎晩エルヴィンの部屋を訪れては、彼の胸の中で眠るのが日課となっていた。
何度か自分の部屋で一人で寝ようと努力してみたこともあったが、不安が押し寄せてとても眠れなかった。
会議が終わったのか、ぞろぞろと分隊長たちが団長室から出てくる。
出てきたメンバーの中にはハンジもいて、クララに気付き声を掛ける。
「ほんと、クララはエルヴィンが大好きだなぁ!」
茶化すようにハンジが声を掛けるが、クララは気に掛けようともしない。
「もう会議終わった?」
「あぁ、終わったよ。
2日後にウォール・マリア奪還作戦が決まった!」
凛とした態度で答えるハンジ。
クララはその様子に狼狽える。
ハンジにつられて、他の分隊長たちもクララに意気揚々と話し掛ける。
「クララさん!
景気付けに肉をわんさか調達してくるから、飛びっきりの料理を頼むよ!」
皆、鼻息荒くして騒いでいる。
その瞳は希望に満ち溢れていて、とても美しい輝きを放っていた。
クララの大好きな調査兵団の兵士たちの希望の眼差し。
いつも敬意を持って見つめているその眼差し。
だけど、今日はその瞳を直視できない・・・
「うん、後で食堂で待ってるわ。
どう調理して欲しいか、希望も聞くわね。」
クララは力なく答える。
ハンジを始め他の分隊長たちは、そんなクララの様子には気にも留めず、わいわいと“何処から肉を調達してくる?”などと楽しそうに話しながら、その場を去って行った。
団長室の前にやってくる。
ノックをしようとしたその時・・・
「オイオイオイオイ
これ以上俺に建前を使うなら、お前の両脚の骨を折る。」
リヴァイの荒ぶる声が僅かに聞こえてきた。
クララはノックするのを止め、その声を立ち聞きしていた。
「ちゃんと後で繋がりやすいようにしてみせる。
だがウォール・マリア奪還作戦は、確実にお留守番しねぇとな。
しばらくは便所にいくのも苦労するぜ?」
「ハハ・・・
それは困るな・・・」
リヴァイに答えるのは良く知った愛おしい声で、話の相手はエルヴィンのようだ。
「確かにお前の言う通り・・・
手負いの兵士は現場を退く頃かもしれない」
「・・・・・・でもな」
少し間をおいて、エルヴィンは言う。
「この世の真実が明らかになる瞬間には、私が立ち会わなくてはならない。」
それは、聞いたことない位の力強い声だった。
クララは足がすくんだ。
「それが・・・
そんなに大事か?
てめぇの脚より?」
「あぁ」
「人類の勝利より?」
「あぁ」
リヴァイの問いに淡々と答えるエルヴィン。
あぁ、やっぱり・・・
どう足掻いたって、私とあなたの間には埋められないものがある。
全幅の信頼を寄せている片腕のリヴァイ兵長にだって、あなたの固い意志は変えられない。
ねぇ、遠くに行かないで・・・
「そうか・・・」
リヴァイの何処か諦めたような、溜め息混じりの声が聞こえてきた。
「エルヴィン・・・
お前の判断を信じよう。」
そして、リヴァイはそう呟いた。
程なくして、リヴァイが団長室から出てくる。
クララがドアの前に立っていることに気付き、リヴァイは一瞬驚くが、クララの肩をポンとだけ叩き、そのまま去っていた。
クララは先ほどの話がぐるぐると頭の中を巡り、ただ立ちすくんで俯いていた。
「クララ・・・聞いていたのか」
中からエルヴィンがやってきてクララを中に招き入れる。
クララはエルヴィンの誘導する通り部屋に入るが、心は浮かない。
どうして、そんなに反対を押し切ってまで・・・
そんな思いだけがぐるぐると頭をよぎる。
「ねぇ・・・」
クララは重い口を開く。
「リヴァイ兵長の言う通りよ。
そんな身体で行くべきではない・・・」
やっと出た言葉はその一言。
エルヴィンは困った顔をして答える。
「何度も言わせないでくれ。」
小さな溜め息を吐き、クララから目を逸らす。
そんなエルヴィンに、クララはつい強い口調で問い掛ける。
「どうしてそこまでして行かなくてはならないの?」
「・・・・・・」
沈黙。
どうして?
どうして?
どうして・・・
口に出してしまったら、今まで我慢していた分、色々な想いが止めどなく溢れてくる。
沈黙を破るかのようにクララは小さく呟く。
「・・・それに、」
そして、溢れ出る感情のままに声を張り上げていた。
「少しくらい、私の気持ちも考えて!」
クララの一言を受け、エルヴィンはクララに向き合い、そしてその悲しく懇願するような表情を見て、眉をしかめる。
クララはハッとする。
私、今なんて・・・
「・・・いいえ、なんでもないっ」
後退りしながらそう言って、そっと涙を拭いながら小走りで団長室を後にした。
その後ろでは、エルヴィンは拳を握り締めたまま去っていくクララを見つめ、その存在を追うことはなかった。
少し走り去ったところで、クララは立ち止まる。
そして、恐る恐る後ろを振り返る。
しかし、そこにエルヴィンの姿はない。
追いかけてきてはくれないのね・・・
そう心の隅をかすめ、絶望の風が心を撫でる。
私は、一体エルヴィンのなんなのだろう・・・
エルヴィンにとって、私なんて・・・
良からぬ考えが頭をよぎろうとした瞬間、クララはブンブンと頭を振り考えるのを止める。
違う、違う。
私、決して彼の邪魔をしたいわけじゃない。
ただ少し・・・少しでいいから、あなたの背負ってる重責を分かち合いたいと思っているだけ。
でも、それは・・・
ただの自分の独りよがり。
それを知ったところで、私に何か出来るわけじゃない。
逆に、今よりもっとこの場に留まるよう引き止めるかもしれない。
ねぇ、エルヴィン・・・
私、どうしたらいい?
あなたの一番の理解者になりたい。
でも、きっとそれは許されない。
こんなにもあなたを想っているのに。
ねぇ、エルヴィン。
私、今、凄く惨めだよ・・・
花季 -hanagoyomi-