相談役
クララが調査兵団にやってきて、約三ヶ月が経とうとしていた。
毎朝早くから沢山のふわふわのパンを焼き、まだ表情は固いものの、クララは時折笑顔を見せながら、兵士たちの食事に小さな幸せを運んでいた。
また、クララは意外にも新兵たちとの距離が近くなっていた。
調理人の少ない調査兵団では、皿洗いは新兵たちの仕事だった。
そのため、毎食後誰かしら調理場にやってきては皿洗いをする。
普段は立派な兵士なのに、ジェームズに怒鳴られながら、仲間同士でひたむきに皿を洗う様子は、クララにはなんだか可笑しかった。
日が経つにつれ、一回り以上歳の離れた若い兵士たちに親近感を覚えていた。
そして、夕方クララの仕事が終わる頃には、ハンナがクララに話しかけたのをきっかけに、新兵を中心にクララへ相談を持ちかける者も少なくなかった。
過去の悲しみ、現在の訓練の悩み、未来への不安、そして時には恋愛の相談など、クララは若い兵士たちの姉や母代わりになり、相談を受けていた。
若くして兵士になった彼らには、多くのことを共感して受け止めてくれるクララは、いつしか心の拠り所となっていた。
新兵のディルクも例外ではなかった。
人懐っこい子犬のように、ディルクはよくクララに話しかけていた。
色々な話をしていたが、その中でも多いのが、同期のハンナのことだ。
どうやらディルクはハンナに恋をしているようだった。
「ハンナったらさ、また訓練中に泣きやがってよ。
話を聞いてやる俺の身にもなれってもんさ。
でも他の奴らがやってきたら、急に泣くのを止めるんだぜ。
参っちまうよ。」
とある日の夜、いつもの中庭での会話。
言葉ではぶっきらぼうに言いながらも、ディルクは嬉しそうにしていた。
二人とも、クララから見れば多分相思相愛なんだと思う。
でもなかなか素直になれない二人は、訓練兵時代からこの調子だと、他の新兵から聞いたことがある。
「はいはい、そうね。」
クララは目を細めながら、ディルクの話を微笑ましく聞いていた。
「あー!いた、ディルク!!」
慌ただしい声が聞こえる。
声の主はハンナだった。
「ちょっと、ディルク!
こんな所で何サボってるのよ!
夕飯後、新兵達で今日の訓練のレポート書くように言われてたでしょ!?
クララさんとお喋りしてる場合じゃないわよ。」
少し怒り気味で話すハンナに、ヤベェという顔で対応するディルク。
「わりぃ、わりぃ。
すっかり忘れてた!
今日はクララさん空いてるな〜と思ったら、そう言うことか!」
ニカッと笑うディルクに、怒った顔をしつつも、ほんのり赤ら顔のハンナ。
“ほんと、可愛い二人”
クララも心が温かくなっていた。
「クララさん、ディルクが呼び出しておいて申し訳ないのですが、レポートがあって・・・」
「いいのいいの。行ってちょうだい。
私も今日は休むから。」
申し訳なさそうに言葉につまるハンナを遮って、クララは笑顔で答える。
答えながら、自然に笑える自分が嬉しかった。
三ヶ月前には人とまともに会話することさえ考えられない自分だったのに、こんなにも穏やかな気持ちでいられる。
「ディルク、またゆっくりお喋りしましょ。
あまりハンナに世話かけちゃダメよ。」
ふふっと優しい笑みを浮かべ、クララはディルクをからかってみせた。
「べ・・・別に世話になんかなってねぇし!!」
「いやいや、お世話ばっかりよ!」
慌てるディルクに、横で聞いてたハンナが反論する。
「ほら、急いで。
早くしないと、消灯時間になっちゃうわよ。」
夫婦漫才さながらの会話が続きそうだったので、クララは会話を遮り、二人に早く行くよう促す。
「ごめんなさい、クララさん。
また時間がある時に!」
ディルクがバツが悪そうに言っては、ハンナと二人兵舎の方へ走って行った。
クララはそんな二人を手を振って見送り、自分が穏やかな心を取り戻せたのも、ハンナやディルク、そしてここにいる他の兵士たちのおかげなんだと、心から感謝していた。
とある日の夜が明ける頃、クララはいつものようにパンの仕上げに取り掛かっていた。
コンコン・・・
調理場の入り口で、一人の人影がカウンターをノックしている。
金色の整えられた髪にブルーの瞳の体格の良い男性が、優しい笑顔を作りながらそこに立っていた。
「エルヴィン団長!!」
「忙しいところすまないな。
今、少し話しても大丈夫かな?」
「ええ、大丈夫ですよ。
ちょうど焼き上がりを待つところでしたから。」
そう言っては、クララはキョロキョロと周りを見渡し、エルヴィンが立体機動装置を持っていないことに疑問を感じる。
「それより、エルヴィン団長こそ今日のトレーニングは良いのですか?」
クララは知っていた。
エルヴィンは、夜が明けまだ薄暗い時間帯、毎日人知れず立体起動装置のトレーニングをしていることを。
食堂の奥の席の窓からは、訓練場が僅かに見える位置にある。
夜の明ける前からパンの準備をするクララは、いつもその窓からエルヴィンがトレーニングするのを見かけていた。
それを聞いてエルヴィンは戸惑ったように答える。
「知っていたのか。
団長になってからは、なかなかトレーニングする時間が取れなくてな。
かと言って何もしないようでは、体が鈍ってしまう。
早朝のトレーニングは苦肉の索だよ。」
「ふふ。団長さんも大変ですね。」
困った顔をして答えるエルヴィンに、クララはつい笑みを零しては答える。
エルヴィンは、クララの笑顔に安心したように、目を細めていた。
「しかし、君こそ毎日忙しいようだな。
兵士たちの相談役にいつも駆り出されているじゃないか。
私も、君がここに来てからの様子を伺おうかと、何度か夕方に訪ねたんだが、いつも先約ありでな。
だからこうして早朝に話を聞いてみようと思ってね。」
やれやれ参った、と言わんばかりに言葉を漏らす。
「そうだったんですか。
それは申し訳ありません。」
「だが・・・」
エルヴィンは続ける。
「ここに来た頃の君の様子と、今の君の様子とでは、随分感じが変わったな。
もちろん、良い意味でだ。
君が初めてここに来た時は、悲しみを抱えて、表情一つ変えずに淡々と物事をこなしていたように見えたが、今じゃ楽しそうに兵士たちと話してる。
物事を吹っ切れる何かがあったのかな。」
クララは、エルヴィンが自分のことを気にかけてくれていたことに驚きながら、そんなにも以前の自分は沈んでいたものかと居たたまれなくなった。
「そうですね・・・
家族や友人がいなくなってから、もう生きる意味なんてないんだと思っていたのですが、私よりもずっと歳下の兵士たちと話しているうちに、なんだか吹っ切れました。
私と同じような境遇の兵士たちも沢山いるのに、彼らは決して希望を忘れていない。
私が相談役だなんて、とんでもないですよ。
私こそ、彼らに勇気付けられています。」
エルヴィンは、真っ直ぐな瞳を向けてクララの話を聞いていた。
「それに・・・」
クララは少し考えたのちに言う。
「私は、特に新兵の子たちにとっては、私の歳は彼らのお母さんの方が近くなる年齢だし、話しやすいおばさんみたいな感じなんですよ。」
クララはペロッと舌を出しておどけて見せた。
それを見てエルヴィンは思わず言う。
「それは心外だな。
君がおばさんなら、私はおじさんか。
君の経歴も報告書で見せてもらったが、君は私と同じ歳だ。」
「え!?
エルヴィン団長って、私と同じ歳なんですか!」
「ああ。それはどちらの意味の驚きだ。」
意地悪に問いただすエルヴィンに、クララは余裕たっぷりの笑顔で答える。
「さあ、どうでしょうね。ふふ。
けど何だか急に親近感が湧いてきました。」
「それはどう言う意味だい。
私はいつも、特に兵士以外の初対面の人には、警戒心を持たれないよう、常に穏やかに対応しているつもりだが、私の努力は無駄だったかな?」
「いいえ、そんなことはないと思います。
私も調理場からしか存じ上げていませんが、いつも真摯な“スミスさん”だと思いますよ。
でもやっぱり肩書きが団長さんですもの。
気負いしない方がおかしいかと。」
急に親しみを込めて“スミスさん”なんて言われ、エルヴィンもぷっと吹き出す。
二人はおかしくなって、ただクスクスと笑っていた。
話が途切れ少しの沈黙の後、エルヴィンが口を開いた。
「ここから先は、同じ歳の同級生の話だと思って耳に入れておいてくれ。」
そう言うと、先ほどの柔らかい表情とはうって変わって、真面目な顔でエルヴィンは続ける。
「私は、兵士に志願した時から、人類の未来のためにと、調査兵団に入団することだけを考え、過ごしてきた。
そして実際に調査兵団に入ったが、現実には巨人と人間の力の差は想像していたよりも大きく、その結果多くの仲間を失い、数多くの絶望や悲しみを体験してきた。
自分の選択で、仲間を死なせてしまったという後悔に襲われたこともあった。
だが、自分自身を責めても、後悔は次の選択を迫られた時に判断を鈍らせるだけだと、ある時気がついてね。
選択の結果なんて、誰にも解らない。
だからそれからは、自分の選択はその時最善のものだったのだと、思い込むようにしている。」
クララは、エルヴィンがなぜ調理人の自分にこんな話をするのかはいまいちピンとこなかったが、エルヴィンの話はクララの心に響いていた。
「そして・・・
君も調理人とはいえ、ここにいる限りは調査兵団の一員だ。
これから、数多くの仲間の命に接していくだろう。
だが、ここに来たことを後悔はしないで欲しい。
そして、君と出会った兵士たちもまた、君に出会えたことを後悔しない。
今日は、それだけを伝えたかったんだ。」
エルヴィンは、ようやく家族との別れから立ち直りつつあるクララを心配していた。
クララはまだ、壁外調査から帰ってくる兵士たちの失意のほどを、目の当たりにしたことがないからだ。
「・・・・・・」
クララは、エルヴィンの話を聞いて何か反応したかったが、何を言っていいのかわからず、ただその場で黙り込んでしまっていた。
エルヴィンも、クララに返事を求めているわけでもなく、ただゆったりと流れる時間に身を任せていた。
クララが考え込んでいるうちに、ガヤガヤと入口の方から声が聞こえてきた。
「クララさーん!おはよう!」
「今日も焼き上がりを狙って早起きしてきたよー!」
新兵たちの声だ。
ふと、クララのカウンター越しにエルヴィンの姿が見えると、新兵たちはハッとし、急に襟を正して敬礼する。
「エ・・・エルヴィン団長!
おはようございます!」
「ああ、おはよう。
朝からそんなに堅苦しくしなくてもいい。」
エルヴィンは穏やかな顔で言うと、にこやかに質問する。
「君たちは毎朝一番に朝食を食べに来るのかね?」
「は、はい。
クララさんのパンが、自分たちにとっては毎日の楽しみで・・・」
「それは良いことだ。」
エルヴィンは微笑んで返事する。
新兵たちは、団長のこんなにも柔らかな表情を、おそらく初めてみたのだろう。
驚いたような顔で友と目配せをする。
と同時に、一人の新兵が尋ねた。
「団長は、クララさんにご用だったのでしょうか。
それでしたら、自分たちはお話が終わるまで外で待機しています。」
「いや、もう用は済んだ。
私も君たちと同様焼きたてのパンを頂いて戻るとしよう。」
そう言ってクララにパンを一つ催促すると、ハンカチに包んでありがとうと言う。
「エルヴィン団長はここでお食べにならないのですか?」
新兵が問う。
「君たちの楽しみの時間に、上官がいては楽しくないだろう。
それに・・・」
エルヴィンはクララの方を見てふっと笑う。
「世間話をするには、おじさんでは役不足だろう。」
そう言うと、クララがぷっと吹き出したのを横目で確認した後、新兵たちに今日も訓練頑張るようにと声をかけ、団長室へと戻って行った。
花季 -hanagoyomi-