ハーツラビュル寮

16

空が明るくなり始めた頃、カーテンの隙間から室内に差し込む朝日の光が徐々に強まっていく。
デュースは目元を刺激され眩しさに瞼を震わせた。カラカラに渇いた喉が張り付く。薄らと目を開けスマホで時間を確認すると、顔を枕に押しつけた。五時半。まだ寝ていたい時刻である。この時間帯に目が覚めるのも久々だな、とまだ動きの鈍い頭の隅で考える。疲れが取れた気がしない。就寝中に何度か意識が浮上したのはおそらく人の気配と黒い靄のせいだ。現に今も黒い靄は部屋の隅に薄らと漂いつつある。恨み言すら聞こえてきそうな空気。
窓からなるべく顔を遠ざけてデュースは目頭を押さえた。再度開いた起き抜けの目は据わっている。眠いのだ。だがしかし、今から済ませなければならない事項が数多くある。同室の二人が起きる前に部屋にまじない関係の細かい物の設置。昨日のうちに出来なかった談話室を含めた寮内の靄発生状況の確認。オンボロ寮に向かいエースの回収。それを滞りなく行い登校する、となると現時点で動かなければなるまい。
深く息をつきデュースは緩慢な動きで上体を起こした。瞼が重い。

(結局、浅い眠りで終わったな。変な夢も見るし。というか似たような夢を昨日も見た気がするぞ……?)

ぐぐぐ、と両手を上に突き上げ伸びをして身体を覚醒させていく。音を立てないよう注意しながらベッドから出る。荷物の中からポーチを取り出した。
乾燥のせいでガラガラの喉を鳴らす。んん゙、とおっさんのような呻き声が出て少しだけ気落ちした。妙な気怠さを感じる頭を緩く振って向かうは洗面台。冷たい水で顔を洗って、さっさと脳を覚醒させなければ。

(猫と鼠の追いかけっこ……何か今日は数が増えてたな。連日で見るって事はもしかして何か意味があるのか……?)

冷水で顔を洗うにつれ思考がはっきりとしてくる。脳裏に浮かんだのは浅い眠りの中で見た夢の内容だった。
もしかすると今日も何かしらを追い、追われるような出来事が待ち受けているのかもしれない。いや、流石に昨日のような騒動は起こらないだろう。そうで無ければ困る。濡れた顔面をタオルで拭きながら自身の机へと向かう。洗顔前とは打って変わり、背筋が伸び確りとした足取りだった。

メイク用品を入れているポーチを机に置き、その中から鏡を取り出す。
ハーツラビュル寮の生徒はトランプの絵柄のいずれかを選びフェイスペイントをしなければならないらしい。たまにしていない生徒も見かけるけれども。
昨日デュースは迷い無くスペードを選び自身の右目に被せるように描いた。だが正直面倒なのだ。主にマークの形状が。その内何か手早く済ませられる方法を考えよう。はあ、と肩を落としデュースは未だしょぼしょぼする目を瞑り決意した。スタンプ的な物を作れば良いだろうか、それとも魔法でパッと描けるようになるべきか。悩みどころである。
フェイスペイントを施すようになって二日目にして早々の敗北。朝の身支度は短時間で済ませたい派のデュースにとっては尤もな選択であった。

(……あ、歪んだ。まあいいか)

多少ペイントが歪んだが特別気にすることでも無い。パッと見て違和感が無ければ良いのだ。内心で言い訳をして道具を全て片付ける。
次いで別のポーチから巾着のような形状の小物を取り出し、カーテンレールの横に吊り下げた。小さな匂い袋をぶら下げただけの簡易的な魔除け道具。匂い袋の中には破邪の香木の欠片を入れている。中身は違えど西洋で言うポプリのようなものだ。ちなみに自作である。思考を逡巡させたデュースはドア横に設置してある小さなテーブルに小さな水晶のクラスターを置いた。
そのまま身なりを整えるとデュースは寮内の探索に取りかかることにした。顔のペイントは少し歪んだままだが、直すこともなくそのままである。

五時半という早朝に制服姿で寮内をうろついている人間はデュース以外に居なかった。既に起床して行動している者もチラホラ見かけるが、その多くは運動着やピンクの服を身に纏っている。制服姿のデュースは逆に悪目立ちしていた。決まってギョッと二度見されたことから本人も何となく察している。
無難に「まだ規律が分からないので制服を着て行動しています」と言い訳をすれば納得されるのだから、この寮の特徴や在り方が分かるというものだ。

大きく湾曲した階段。上に下に移動しながらデュースは視線をあちこちに飛ばす。形状が少し歪なのはデザインなのだろう。よく崩れないな、魔法で補助などが施されているのだろうか。そんなことを考えながら寮内を淡々と巡る。
――粗方寮内をぐるりと歩き回ったデュースの感想としては、思ったよりも状況が良くないな、という一点に尽きた。
至る所に漂っている黒い靄。より体感的に近づきたくないと思ったのは動物の飼育スペース、庭園、他数カ所。空気が淀んでいた。その他にも吹き溜まりのように一箇所に集まっていることもある。こうして黒い靄が滞り澱むとなると、それにつられた別の良くないモノを引き寄せることになるのだ。まあアレ等にとって負の感情から噴出したものは良い餌なのだろう。
現にその傾向がチラホラ見うけられる。人が多く活気のある場所には明らかに入り込めないようなモノを何度か目にしたのだ。
ふと何かを蹴飛ばしてしまい足を止める。感覚から考えると消しゴムだろうか。そう視線を動かし確認すれば床をコロコロと転がる白。ぴたりと止まった瞬間、ぐるん、と。突如として方向転換したそれと視線がかち合った・・・・・・・・。今しがたデュースが蹴飛ばしたのは眼球だったのだ。
表情一つ変えず、無言で携帯用の霧吹きを内ポケットから取り出すとシュッと一吹き。するとソレは逃げるように転げ回って廊下の向こうへと消えていった。

おそらく常人には明るく綺麗な寮に見えるのだろう。だが、より意識して視ようとしたデュースの眼には、所々に黒い埃を被った煤けた建物が映っている。
デュースは軽い気持ちで探索と見廻りに繰り出したことを早くも後悔しはじめていた。手元に携帯用の小さな道具が一つしか無い事に不安を覚える。
談話室に足を踏み入れれば視界の端に黒が入り込んだ。黒く細い鎖が天井近くから不自然に垂れているのを視線だけを動かして確認。深く息をつくと手元の霧吹きを振り中の水晶をカラカラと鳴らした。
精製水ではなく清水を入手できれば良いのになぁ、と考え眉を寄せる。世界観的に聖水もあるかもしれない。どちらにせよただの水では少々心もとないのだ。黒い靄にシュッと吹きかけて談話室を後にする。
人体や生活そのものに悪影響を及ぼす前に霧散させていかなければならないのだ。自身の生活もかかっているためデュースは積極的に動いていた。
動き回れば動き回るほど目につく人ならざるモノ。足首を掴み転ばせようとしてきた半透明の手をグリグリと踏みつけて、デュースは何度目かになるか分からない溜息をつく。前途多難である。

時刻は既に六時半にせまろうとしていた。そろそろ寮の規定にある飼育当番の起床時間が近い。デュースはそのまま寮の外装を眺めながら散歩をしているフリをして歩き回る。外回りや庭の位置確認が主な目的だった。
エントランスに向かう途中、寮長であるリドルの後ろ姿を見止めてデュースは足を止める。――と同時にリドルの叱責が響きわたった。

「当番にも関わらず起床時間を守らないとは何事だい!? 首をはねろオフ・ウィズ・ユアヘッド!」
「すみません寮長っ! うわっ!」
(朝から過激な光景を見てしまったな。……ん? エースがはめられていた首輪と一緒だ)

目の前で首輪が飛び寮生の首に嵌まる瞬間をバッチリ見てしまった。デュースの表情がスンと抜け落ちる。
しかし、黒と赤、ハートに近い形状の首輪、それに見覚えを感じて目を瞬かせた。記憶を辿れば昨晩出て行ったエースの首元を彩っていた物と同一であることに気付く。

「まったく気が緩みすぎだよ。……おや、君は」

憤りを顕わに踵を返したリドルと向き合うような形でデュースは彼と対峙することとなった。昨晩のことはリドルも覚えていたのかつり上がっていた眦が僅かに緩む。

「おはようございます寮長」
「ああおはよう」
「あの、今のは」
「……怠惰な寮生が居たからね、首をはねただけさ」

挨拶を交わしたリドルはサラリと言うが、その内容は物騒である。彼の険しい表情ばかりを頻繁に見ている気がしてデュースはどうにも気持ちが落ち着かなかった。情緒の不安定さすら感じる。
前触れもなくギギギと金属の擦れる不快な音が聴こえてデュースは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。他人の手前、拳を握りしめることで耐えたが。
一瞬表情が歪んだデュースの様子に気付くことも無く、リドルは口を開く。

「そういえば君と同室の問題児にもこの首輪をはめた記憶がある。タルトの盗み食いは重罪だからね。今日一日は魔法封じの首輪をはめて過ごすと良い、そう伝えておいておくれ」
「はい、寮長」
(……あれはそういうことだったのか……)

一つ謎が解けた。デュースは僅かに肩を落とす。
シャンデリア破壊の次は他人の食べ物を盗み食い。罪に罪を重ねている。そりゃ魔法封じの首輪をはめられるわけだ。単なる想像に過ぎないが、エースのあの性格では素直に謝ることもしていないのでは無いだろうか。デュースは何とも言い難い感情に苛まれ眉を下げた。
エース・トラッポラ、末恐ろしい奴である。何が恐ろしいと言うと、これ等が入学して二日と経たないうちにエースが引き起こしている出来事だ、ということだ。とんでもないトラブルメーカーなのかもしれない。
望む通りの返答をしたデュースに満足したのかリドルはそのまま立ち去っていく。同時にデュースの耳をつく鎖の擦れる音。身の毛がよだつ耳障りな音が絶え間なく鳴っていた。両目を薄らと細め、視線だけを地面に落とす。つい先ほどまでリドルが立っていた場所に確認できるのは点々と滲む黒いシミ。それも瞬く間に消えていく。いつの間にかデュースの両腕には鳥肌が立っていた。そっと腕を組み収まるのを待つ。
リドルが立ち去ったことで緊張感から解放されたらしい寮生達がホッと息をつき、竦ませていた肩を落とした。次いで彼らの口々からどんどんこぼれ落ちていく言葉。あまり良くない空気だった。

「はーマジ怖ぇ」
「ってか今日機嫌悪くないか?」
「……昨日シャンデリア壊した奴退学免れたんだってさ」
「は? あれ十億近いヤツだろ、どうやって免れたんだか」
「あ、そいつ寮長のタルトを盗み食いしたんだってよ」
「マジかよ。やべー奴入ってきたな」
「寮長の機嫌悪いのって絶対そのせいもあるだろ……」

そんな寮生達のざわめきを遠くに聞きデュースは頭を抱えたくなる。もしかしなくとも自分も同じように、似たようなことを言われているのだろう。
衆目が集まるのも避けたいところだ。早々に寮を離れてしまおう。そう決意し足早に鏡舎に繋がる鏡へと向かうのだった。


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2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載

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