巨大なタルト、そして市販されている一般的な大きさのタルト。それを四人と一匹の手で複数個作り上げた。仕上げの粉砂糖をふりかけ完成した頃になって厨房に新たな顔が増える。勝手知ったる振る舞いで入ってきたのはケイト。
今更なにをしにきた、と憤然と声を上げたのはエースだった。今朝の出来事のせいであまり良い印象を抱いていないらしい。慣れない菓子作りでかなり疲労を感じている筈なのに随分と威勢がいい。
その様子が猫か何かの威嚇に見えてくるのだから、もしかしたらデュースも少し疲れているのかもしれない。
ケイト本人は後輩の様子を見に来た、と言っている。だがデュースの頭には穿った考えが浮かんだ。様子見というのはマジカメ映えを求めてタルトを取りに来た、もしくは出来たてタルトを食べに来たついでなのではないだろうか。真意のほどは分からないが。
時折視線を厨房内に巡らせながらデュースは一つ息をついた。壁に生えた耳が時折移動しているのが気になっていたのだ。耳単体で移動できるものなのか。つくづく常世を生きる物の常識から外れた存在だ。
切り分けられたタルトの一切れを受け取りデュースは目を細める。小さくいただきますと呟きタルトの先をパクリと食べた。甘すぎない、栗本来の風味を邪魔しない絶妙な味だった。ほろりと口の中でほどけるようにマロンクリームと生クリームが混ざり合う。甘さもクリームもしつこくない。咀嚼すればサクッとタルト生地が軽快な音を立てて崩れていく。店頭に並べられている売り物だ、と言われても驚かない。それほどまでに美味しく出来上がっていた。
主だって動いていたトレイの力が大きいのだろうな。二口目をかじりながらデュースは頭の隅で考えた。
わいわいと広い厨房に大勢で作業し、出来たてを食すというのは前々世以降初めてのことだった。デュースは柔らかに目元を緩めた。懐かしいな。そう思うのは今日だけで何度目だろうか。
出来上がったばかりのマロンタルト。確かに出来たては格別な美味さだ。半分程まで食べたそれを片手に、材料集めから出来上がるまでを思い出したデュースは一人遠い目をしていた。どうしようもなく審神者時代を思い起こす光景に、目頭がちょっとだけ熱くなったのは秘密である。
デュースが過去生に思いを馳せている間に、周囲の話題はトレイのユニーク魔法に移っていた。
「それじゃあ、いくぞ。……『
外見が特に変わった様子は無い。意味ありげに笑ったトレイに促されるまま再度タルトを口にした。そしてデュースは、一口分を口に含んだまま咀嚼することも出来ずその場で目を瞬かせる。落ち着き無く視線が泳いだ。
食感はタルトのままだ。しかし味が違う。いつ、どこで味わったものだ。そう考え、どうしようもない懐古の念に襲われる。
ああそうか、出汁の風味とふわりと仄かに残る卵の味。だし巻きだ。よく厨房に立つ刀剣が作ってくれたおかずの一つ。――随分と懐かしい味だな。二度と味わうことの出来ないと思っていたというのに。
瞬間的に目頭が熱くなる。あ、と思ったときにはもう遅かった。視界が急速に滲んだと思ったら涙が溢れていた。涙腺が馬鹿になったんじゃ無いかと思うほど自分の意志とは全く関係なく。瞬きすらしていないのに、ボロボロと大粒の涙が頬を滑り落ちていく。
(いや、何で今泣いた?)
まさか自分がそんな泣き方をするとは思ってもいなかったデュースは目を見開いてその場で固まった。内心で自身にツッコミを入れているので、ある意味余裕はある。
だが周囲はそうもいかない。
「えっ」
「デュ、デュースくん……?」
「ン!?」
「どっどうしたのデュースちゃん!?」
ぼろぼろと無表情で泣くデュースに困惑したのはその場に居た全員だ。それもそうだろう。面白いだろう、とユニーク魔法を披露したらボロ泣きされると誰が予想する。
一様に手を止めてどうしたら良いのかと様子を窺っていた。いの一番にからかいそうなエースでさえも奇妙に顔を歪ませたまま目を泳がせている。
誰も言葉を発せずにいる中、気遣わしげに口を開いたのはユニーク魔法を使った本人であるトレイだった。
「……大丈夫か?」
「あ、はい。ちょっとその、二度と食べられないと思っていた味になったもので、驚いてしまいました」
「そ、うだったのか」
サラッと言われたがその重さにトレイは一瞬言葉に詰まる。デュースの目からは未だ涙がこぼれ続けているというのに表情は至って通常と変わらずケロッとしていた。そのちぐはぐさが却って異様さを助長させている。
デュースの涙と言葉によってトレイ含めこの場のほぼ全員が「タルトが今は亡き人物との思い出の味に変わった」のだと認識した。唯一の例外はグリムである。そこまで人間の感情の機微に聡くはないのだと反応からはっきりと分かる。
「親しい人だったんだな」
「……ハイ、そんな感じです」
こんな所でも微妙な勘違いが勃発したがデュースは特に気にせずそれに乗っかることにした。ある意味間違いではないため嘘ではないのだ。身内は皆存命である。蒸発した血縁上の父親はどうか知らないが。
気を遣ってかトレイも深く聞いては来ない。眦に残った涙を拭ってデュースはへらりと笑った。
再度タルトを口に含めば今度はタルト本来の味がする。魔法は解かれたようだ。
(……懐かしいから、ちょっと気が緩んだだけだろう。多分)
少しだけ静かになった厨房でチラチラと視線を感じながら、デュースはもう一口タルトをかじった。
過去生を思い出してから、和食を恋しがらなかったと言えば嘘になる。しかし、自分で再現してみようと思ってもまず材料の入手が困難。たとえ極東の食材を見る機会があったとしても、学生であるデュースが手を出せないようなとんでもない値段で売り出されている。そうなると自然に諦めるほか無くなった。
(さっきは口に優しいザ・和食って感じの味に変わったけど、実際はクリームたっぷりのタルトなんだよなぁ。魔法って不思議だ。……先輩のユニーク魔法の効果は無くなったし、全部食べ終わったら多分胃もたれする……最悪の場合は胸焼けもしそうだ。この一個だけでやめておこう)
もそもそと口を動かしながらデュースはぐるぐるとんなことを考えていた。瞳から光が失せる。割と死活問題なのだ。
過去生の記憶を取り戻して早くも半年と少しという月日が経とうとしている。いくら過去生の自分の記憶とはいえ、血生臭い何やかんやを含んだ記憶を自分のものとして受け入れ消化できるまで時間が掛かった。何しろデュースは若干十六歳である。そこに培ってきた常識とは別に心霊現象に関わる知識もプラスされてキャパオーバーで精神が壊れなかったのは僥倖とも言えよう。
常に気を張り、警戒し、常人の日常とほぼ違わぬよう擬態して過ごした。時に人ならざる物と対峙して、命の危機に曝されて。更に必要な知識ばかりがどんどん増えていく。そんな生活を繰り返して正常で入れるだろうか。デュースは無理だった。――結果、胃が犠牲になったのだ。ストレスのせいでもある。
「もう良いのか?」
「はい。一切れで充分です。本当はもっと食べたいんですけど、ちょっと今は……」
「そうか。なら明日のパーティーで食べると良い。いや、マロンタルトの他にも色んなケーキを作って用意しているから好きな物を食べてくれな」
「ありがとうございます」
やはり気を遣われている。それを肌で感じてデュースは居心地の悪さを覚えた。嘘はついていないとはいえ騙しているような気分になったのだ。
「なにお前、甘いの苦手なの?」
「いや好きだけど?」
「……先輩の魔法終わったんだから食えば良いのに」
エースの問いにデュースは首をかしげた。そうか、他人からはそう見えるのか。
これ以上気を遣わせるのも誤魔化しを重ねるのも気が引ける。少しだけ考えて素直に答えることにした。
「最近、胃もたれするんだよな。あと量が食べられなくなってきた」
「ジジイかよ」
「ぴちぴちの十六だが? ちょっとこってり系が苦手になってきただけで……」
「ジジイじゃん」
ニヤニヤと笑うエースに煽られながら、デュースはため息をつく。馬鹿正直に言わなければ良かっただろうか。しばらくこのネタで揶揄われそうである。
「笑い事じゃあないんだよ、こっちは」
「ほぉん?」
だが本当に、デュースにとっては笑い事では無い。この半年で体重は四キロ落ちていた。成長期であることを考えるとあまり良くない傾向だ。元々それなりに身体を鍛えていた方だったため落ちる脂肪はあまりないはず。むしろ刀を扱うために鍛錬を少しずつ日常に取り入れた結果、そのための筋肉がついた。筋肉は脂肪よりも重い。つまり体重は増えて良いはずなのだ。だというのに逆に減っている。
原因は明らかであるため色々対策はしているものの、最終的に野菜中心の食事になってしまっていた。こってりした食事を避けるとなると自然とそうなるのだ。もう少し別に何か考えるべきか。
(明日はケーキをちょっとつまんで、あとはお茶だけを飲むことになりそうだな)
そんなことを考えながら調理器具や調理台の片付けのために手を動かした。
――解散の寸前に規律違反のせいでエースが寮に戻れないことを思い出した一同は厨房の入り口で立ち止まった。
野宿しなきゃならないのか? と頭を抱えたエースの肩をポンと叩いて、デュースはこれ以上無いくらい優しい笑みでこう告げる。
「大丈夫だぞエース、キャンプ用品ならきっと購買部にある」
「先輩説得してくれるのかも、っていう一瞬の期待を返して?」
どこか人を安心させるような微笑だった事も相俟って上げて落とされた感覚が凄まじい。エースは込み上げてきた幾つもの感情を持て余して顔を歪めた。何とも形容しがたい表情になっている。
そんな一年二人のコントのようなやり取りに少しだけ笑ったケイトはスマホを持った手を顎に当て、打開策をピックアップし始めた。
お誂え向きのようにほぼ無人のオンボロ寮の住人が居るのだ。事情を知らないトレイとケイトの目が監督生に向くのは自然の流れだった。
あ、この流れは。デュースは笑みを引っ込めると監督生に一度視線を向ける。次いでエースを見れば彼もまた思うことがあったらしく視線がぶつかった。どうする。どうするよ。また泊まるのか。
目と目で通じ合うことは無いが、チラリと互いに目配せして最善を探す。――が、結局エースはオンボロ寮に泊まることになったのだった。デュースを伴って。
副寮長であるトレイが外泊許可を出したため、断るに断れなくなったのだ。エースのお目付役として任命されたデュースは手の甲を額にあてて深く息をつく。ある意味で今朝のフラグを回収完了である。全くもってめでたくないが。
セキュリティへの疑問すら浮かぶ廃墟同然の寮に女性一人を置くことにならずに済んだ、という点についてはまだ良かったかもしれない。昨日とは違い事情を知るエースも有事の際はそれなりの行動をするだろう。
だが、監督生に対してどのように接していくか、悩んでいたデュースにとってはあまり喜ばしい状況では無い。少し長い夜になりそうだ。
幾つかの注意事項を三年の二人から告げられて、翌日の『何でもない日』のパーティーに備えて解散となった。
◇
オンボロ寮に戻ってきた三人と一匹が夕食の前にまず着手したのは談話室の掃除。皆、食事をするにも埃だらけの場所は避けたかったのだ。
エースの魔法も戻っていないこともあり、魔法を連続して使用した後のデュース一人ではやれることに限度がある。それでも出来る限りのことをしていく。蜘蛛の巣を取り払い、積もった埃を外に吹き出す。ついでにちょっかいを出してこようとしている人ならざるモノも外へ放り出した。マジカルペンを振るのはデュースただ一人。細かい作業に関してグリムは元から戦力外判定を下している。
……ちなみに夕食のパンや総菜は購買部で購入してきたものである。
その後は彼女の部屋を確認し、少しだけ埃とカビを取り除くだけに終わった。流石に学園長もベッドは清潔な状態の物を用意したらしい。いやもしかしたら元々あった物に修復と清浄の魔法を使用したのかもしれない。まあ、どちらにせよ寝具に関しては問題無かった。
「ありがとう二人とも」
「いいって。気にすんなよ監督生。おやすみー」
「エースの言う通りあまり気にしないでくれ。じゃあまた明日。おやすみ」
「おやすみなさい」
トントンと階段を上がっていく監督生を見送り、その姿が見えなくなってからエースは肺が空になるほど息を吐いた。その横でデュースはソファーに洗浄魔法をかけて埃とカビっぽさを限界まで消していく。ポフポフと感触を確かめ、そのまま腰を下ろした。クッション材は摩耗したのか弾力がほとんど無かった。
「座れば?」
「おー」
のそのそと歩いてデュースの隣に座ったエースは脱力して背もたれにしなだれかかる。へにゃりと眉が下がっていた。
「……朝、冗談で言った「泊めて」発言がまさかフラグになるとはなー」
「首輪をとって貰えたら、お前、倍働けよ」
「ええー? 良いじゃん今も魔法使えないなりに頑張ってんだから」
脱力して口を尖らせたエースには、どことなくデュースに対しての甘えが見える。
弟が居たらこんな感じなのだろうか。そう一瞬だけ考えたがその思考を打ち消す。こんなトラブルを持って飛び込んでくる弟はちょっと遠慮したい。どちらかというと親戚のやんちゃ小僧、と言った方が近いかもしれない。
マジカルペンを再度握りしめ直し、デュースは目の前の肩を小突いた。
「あっちのソファーも今綺麗にするから、あっちで寝な」
「えぇええ、もう動きたくねーよー」
「わがまま言わない」
「んんんん……」
眠さでぐずる子どもか。思わず内心でツッコミを入れ、デュースは困ったように息をついた。
まあ、仕方がないか。突然魔法を封じられての生活を強いられて本人が思っている以上に疲労が色濃いのだろう。無言でマジカルペンを一振りし毛布を二枚召喚する。それをエースに押しやり、デュースは立ち上がった。
マジカルペンを振るい、自身の就寝場所となるソファーも綺麗にし終える。いつの間にかソファーに寝転がるエースが抱えた毛布の一枚を持ち上げてそのまま寝る準備に入った。
弾力のほとんど無いソファーに横たわったデュースは瞼を閉じ、耳を澄ませ、感覚を研ぎ澄ました。――オンボロ寮の空気はあまり良くない。物理的にもそうだが、デュースが主に対応せざるを得ない「そちら側」の面でも。現に今でも地下に蠢く何かしらを感じて落ち着かない。
まともに寝られるとは思っていないがとりあえず目を瞑り、身体だけでも休めることにした。気配を感じて時折意識を浮上させることになったが、特に大きな出来事も無く朝を迎えるのだった。
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2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載