そして翌日、『何でもない日』おめでとうのパーティーを迎えた。
どの項目かは分からないが「パーティーの準備は全員でする」という法律に則って寮外に居たデュース達も準備に参加する。昨日の朝と同じように薔薇を赤く塗ったのだった。
ケイトがオンボロ寮外泊組二人の装いを制服から寮の正装である寮服へと魔法で早着替えさせた。便利な魔法である。――なお、新入生に寮服が支給されたのはちょうど昨日であり、実質の外泊状態だった二人の分はトレイが預かっていたのだ。その救済措置。
(……様々な柄が喧嘩してないってすごいな。あ、トランプがスペードの2だ)
デュースは左の脇腹付近にトランプの装飾があしらわれているのを見て目を瞬かせる。自身の名と同じマーク。ケイトの計らいだろうか。
寮生の数は軽く百人は超している。そうなるとこのデザインと同じものを着用する生徒がデュースの他にも二人、もしくは三人程は居るのかもしれない。まさか自分のために仕立てたわけではないだろうし。などと、はしゃぐエースとグリムの声を後に聞きながらそんなことを考えた。
ふと視界に黒が掠める。トランプの装飾よりも下、足もと付近に黒い靄が縒り集まって形となったと思われる芋虫状のナニかを見止めて顔を上げる。無言で踏みつぶした。
デュースがちょっとした細工を施しているローファーの前に、それほど力を持たないモノは太刀打ちできない。芋虫の
準備は滞りなく整いパーティー会場へと向かう。そして、トレイ監修の元で作られたマロンタルトがエースの手によって寮長の元へと披露された。――のだが。
「マロンタルトだって!? 信じられない!」
「えぇっ?」
旬の食材を使用して作り上げた心遣いが裏目に出た。まさかの法律違反にあたるとは。ハートの女王の法律・第562条に定められているのだという。上級生のトレイ、ケイトが提案した案だったためデュースは特に疑問に思うことも無く、不安も抱いていなかった。だがそうか、駄目だったのか。やっちまったな、というのが正直な感想だった。
事態を飲み込みきれず目を見開いたエースと、激昂するリドルを見守りながらデュースは後ろ頭を掻いた。困ったなぁと眉が下がる。だが緊張感は無かった。他者から見れば何と呑気に構えているのだ、と思われるだろう程に。……それも長くは持たなかったのだが。
タルトを破棄しろ! そう大声で叱責したリドル。そんな彼に身をすくめて監督生はそっと視線をずらした。そして、そろりと窺うようにデュースを見上げてキュッと唇を引き結ぶ。無言で目を逸らした。
監督生は昨日の出来事を鮮明に覚えていた。デュースと不良のやり取りの内容を、彼の食に対する姿勢を、憤りを、その剣幕を。食材を台無しにされ、蔑ろにされ、怒りを顕わにした。――そんなデュースが、手を着けられていないタルトを破棄するよう言いつけるリドルを前に何を思うのか。どう行動するのか。あまり考えたくなかった。どうあるにせよ部外者たる監督生にはこの場の流れに身を任せることしか出来ない。余計なことを言ってしまいそうなグリムをその腕に捕まえ、彼女は一歩下がった。
ほぼ同時にデュースが一歩、前に出る。状況にそぐわぬ静かな声がその口から紡がれた。
「寮長、このタルト貰って良いですか?」
怒鳴る寸前だったエースが言葉の行き先を無くして口をパクパクと開閉させる。監督生の腕から逃れようとしたグリムは動きを止めて目を輝かせた。いいゾそのままタルトを全部貰うんだゾ! そんな言葉が聞こえてきそうだ。
しかしデュースの問いにリドルは更に激憤する。怒髪天を衝くと言わんばかりの形相。騒ぎの渦中であるエース、そして今リドルと正面切って立ち合うデュース、それ以外の見守っていた寮生たちの顔が強ばった。遠くで傍観している者も居るには居るが本当に少数だ。
「何だって!? 今すぐに廃棄しろと言ったばかりじゃ無いか!!」
「この場に無ければ良いんですよね、じゃあ良いじゃないですか」
言葉の応酬は平行線になりそうだった。
理由を付けてタルトを引き取ろうとする姿勢は崩れない。それを法律違反者の肩を持っていると感じたのかリドルの苛立ちと鬱憤がさらに増す。
「この場に持ち込んではならなかった、ということは分かりました。この寮の決まりだからこそ遵守しなければならない、ということも」
「そうかい、なら――」
「ですが「破棄する」というのは過ぎた行為だと思うので、今は僕に引き取らせてください。後々に食べて処理します」
「まだそんなことを言うのか……!」
昨日「胃もたれが……」なんて言っていた人間の発言ではない。だが食べたいが為に引き取るわけではないのだと、昨日厨房に居た者は察している。
デュースが冷静に言いつのる様子を監督生が強ばった表情で見つめる。グリムを捕らえた腕の拘束が緩む。やいのやいの言い始めそうなグリムを抑えきれなくなった彼女は手を離してしまった。グリムが地面に降り立つ。
「このタルトを作った側だから敢えて言わせて頂きます。もったいない。労力も時間も割いて作った一品を粗末に扱われるのは我慢なりません。「持ち込みが認められていない」だけでしょうし、その後どのように扱うか明記されていませんよね」
だから、と続けてデュースはリドルを見下ろした。その視線はどこか冷えている。
「僕がもらい受けます。冷凍すれば日持ちもしますしね。それでは失礼します」
そう言い切るとデュースはタルトを持ち上げた。踵を返しさっさとパーティー会場を後にする。立ち去る後ろ姿を見て両手で口元を覆った監督生は、狼狽えた後にその背を追った。
パーティー会場を出て少し歩けばバラの迷路の外壁が見えてくる。デュースはふと足を止め、その場でラップを召喚した。昨日購買部で購入したもの。宙に出現したそれを慌ててキャッチして監督生は思わず二度見した。
「このまま持ち歩きたくないから、とりあえずラップかけてくれないか?」
「あ、うん」
両手に持ったタルトをデュースは監督生の方へと差し出した。彼女が動きやすいように少しだけタルトを持つ手の位置を低くする。監督生は促されるままタルトの形が崩れないよう気を付けて表面を保護していく。
デュースは至って普通通りだった。先ほど硬い表情でリドルと言葉の応酬をしていたとは思えないほどに。少し身構えていた監督生は人知れず息をつく。肩の強ばりが解けていくのを自覚した。
しばらくして、一足先にパーティー会場を後にしたデュースと監督生の後を追うようにエースとグリムが転がり込んできた。
「ほんっっと信じらんねぇ! 先輩たちも、他の寮生も!」
「オレ様も首輪はめられちまったんだゾ! ふなぁあっ! 取れねぇんだゾ!」
「グリムも寮長さんにやられたんだ……」
「うわぁ、首輪持ちが増えてら」
「デュースお前ハクジョーなんだゾ!?」
目を瞬かせた監督生の横でデュースがちょっと引いた。割と素だった。その様子にグリムがくってかかる。ハイハイ、と軽く流してデュースは彼らの話を聞くことにした。
エースがリドルに啖呵を切ったこと。グリムも首輪をはめられたこと。最終的にトレイとケイトにパーティー会場からつまみ出されたこと。鼻息荒くエースは不平不満を吐き出すようにまくし立てる。余程腹立たしかったのだろう。
ある程度エースの気が収まったところで場所の移動を促す。このままではタルトのクリームが溶けてしまう。
くるりと身体の向きを変え、デュースは鏡舎へと繋がる場所へと歩を進めた。監督生が首を赤と黒の首輪を一瞥する。複雑そうに顔を歪ませると何かを振り払うように足を踏み出した。未だにぶつくさと小言を呟いているエースとグリムがその後を追う。
その道すがら生首が出現した。
明らかに生者の首だったためデュースは一瞬理解が遅れる。思わず反射でタルトをパイ投げの要領でぶん投げるところだった。危ない危ない。
少しだけ重心のずれたタルトを持ち直しデュースは相手をまじまじと見る。猫の獣人だった。名前が長くて全ては覚えていないが、チェーニャという愛称らしい彼からアドバイスのような言葉を投げかけられる。
彼の言うことを要約すると「リドルのことを知りたいのなら、眼鏡に――トレイ・クローバーにリドルの過去を聞くと良いにゃあ」ということだった。
首から下が薄らと透明になって消えていき、次に頭が消えた。フンフン〜と声だけが残る。彼が消えた場所を見つめて狐につままれたような顔でエースは目を瞬かせていた。実際目の前に居たのは猫だが。
「…………それで、どうするんだ?」
掌に感じる皿の温度が徐々にぬるくなっていることを感じながらデュースはエースに問いかけた。間髪入れずに言葉が返ってくる。彼の唇はどこか拗ねたようにむすりと尖っていた。
「クローバー先輩を待ち伏せする」
「ちなみにどこで?」
「図書館。……タルトのレシピ、確か図書館で借りたって言ってたからさ。多分戻しに来るんじゃないかなーって」
「成る程ね、ちゃんと会えると良いな。……とりあえずタルトを冷蔵庫に入れさせてくれ」
自分から話題を振っておいてデュースの意識はタルトに向いていた。何せジリジリと掌の温度で皿が温められていくのだ。タルトを乗せた皿に触れる面積、それをなるべく減らすように指先に力を入れて持っていたのだがそろそろ限界が近い。
「他人事だと思ってお前えぇ!」
「実際他人事だな」
「オレとタルト、どっちが大事なのよー!?」
「今はタルトだ」
「そこはノレよ」
ジトリと恨めしげな目でデュースを睨んだエースは裏声で叫んだ。素気なく返してデュースは歩き出す。ちょっとだけ耳がキンキンしていた。
先ほどまで怒り心頭だったエースも男子高校生らしいおふざけが出せるくらいには落ち着いたらしい。チェーニャとの邂逅はある意味でガス抜きになった様だ。重畳である。
未だ埃っぽいオンボロ寮に戻る頃にはタルトのクリームがちょっとだけ溶けてしまっていた。ラップでしっかりとコーティングしているためそのまま冷蔵庫に突っ込む。冷蔵庫はしっかりと機能していたのだ。生活に必要な家電は問題無く動くらしい。
オンボロ寮のキッチンに調理器具はほとんど揃っていない。いや、あるにはあるが劣化が激しい物しか無いのだ。確か、監督生は小さな包丁とまな板を近々買う予定だと言っていた。
「……ってか、タルト突き返されたんだけど、もしかしてオレって今日も寮に戻れない感じだったりする……?」
「「「あっ」」」
デュースがぱたりと冷蔵庫の戸を閉めると同時に、エースが口をへの字に曲げて呟く。それにハッとなったのはその場の全員だ。目を見開きそれぞれが視線を交わす。だが誰も言葉を発せなかった。
うっかりしていた。どうなんだろうか。各々の脳内に推測が浮かんでは消える。
沈黙を破り口火を切ったのはデュースだった。
「図書館で先輩を待ち伏せるんだろ? その時に聞けば良いじゃないか。……まあ、いつパーティーが終わるか分からないし今日返しに行くのかも分からないけど」
「そこなんだよなぁ」
エースが片手で顔を覆う。そもそもトレイが図書館に来るというのは予測であり確証は無い。副寮長という立場もある以上、パーティーが終わってもあまり自由に動けないのでは無いだろうか。
二進も三進もいかない現状にエースはソファーに突っ伏している。チーン、何て音でも聞こえてきそうな程だ。それを横目で見やってデュースは溜息をついた。自然と肩が落ちる。
「………………俺が、寮に戻って聞いてくる。エースが寮に戻れないんだったら必然的に外泊許可貰わなきゃならないしな。その間に図書室で待ち伏せていれば良いだろう?」
打開策として別行動を提案する。
トレイとケイトの連絡先をデュースは知らない。そもそも学園生活が始まってからエース以外の誰とも連絡先を交換していなかった。そのため手っ取り早く寮に戻って聞いた方が良いと判断したのだ。デュースとしては自室に戻る用事もあるため、ついでだと思うことにしよう。
「そうするわ。悪ぃ」
「おう」
「閉め出されたら昨日に引き続き監督生の手伝いでもして
「うへぇ」
ソファーに座り天井を見上げたエースは自分が先輩二人の連絡先を知っていることを黙っていることにした。理由は単純。あれだけ騒いで追い出された後にそんな連絡をするなんて格好悪い。そんな思考からだった。中々に自分勝手である。
結果から言うとエースのお泊まり期間が延びた。リドル本人に聞いたのだから間違いない。寮に戻り姿を現したデュースを見るなり彼は不機嫌を顕わに顔を歪めていたが。
「まったく。入学早々連日の外泊なんてキミたちが初めてだよ。――もちろん悪い意味でね」
「すみません」
組んだ腕の上で指先が苛立たしげにリズムを刻んでいる。
その拍子に揺れる、視える者にしか視えない彼の手首を縛る鎖。動きに合わせてジャラリと音を立てた。鈍色のソレに視線を落としてデュースは僅かに眉を寄せる。一昨日の夜、昨日の朝、こんな色をしていただろうか。
そんなデュースの思考を遮るかのようにリドルが口を開いた。
「……先ほどのキミの提案、確かに法律違反にはならない。容認しよう」
「ありがとうございます」
「持ち帰られた以上、容認するほか無かった、というだけだよ。次は無い」
「はい、肝に銘じます」
ある意味でデュースもいつ魔法封じの首輪をはめられても可笑しくない立場である。若干ひやひやしていたものの、リドルは特に癇癪を起こすわけでもなく対応した。法律違反さえしなければ寮長は怖くないのだ、と言うケイトの言葉をなぜかその時思い出した。
彼に外泊申請をして許可を貰ったデュースはそのまま自室に足を運んだ。鞄に入れておいたままの道具を幾つか確認しながら取り出す。浄化道具とお守り代わりのブレスレット。ポーチに入れた状態のソレを片手に自室を出た。
身分のある生徒が在籍していることを考えると刀は持ち歩けない。斬れない刀とは言え、要らぬ警戒や敵愾心を煽るのは避けたい。自分のためにも。だが、そんな状況にデュースは多少辟易していた。もう野球バットでも購入して、刀の鞘に施しているのと同じ退魔術をかけて常備すべきだろうか。ちょうど野球バットを収納するケースもあることだし。そんなことを考えながらエントランスを通り抜ける。
寮から出る際に偶然ケイトとすれ違ったのだが、不思議そうに首を傾げられた。
「わざわざ来なくてもエースちゃんはオレとトレイくんの連絡先知ってるんだから、メールくれたら良かったのに」
「…………ほう、ふぅん、成る程? 分かりましたエースに伝えておきます」
デュースはニコリと朗らかに笑ってケイトに答えたが、その目は笑っていなかった。エースには昨日の倍働いて貰うとしよう。いくら何でも一言くらい言え。許さん。オンボロ寮に向かう途中で殺虫剤を購入し、エースに虫退治の仕事を押しつける決意をするのだった。
スマホを操作して結果を簡潔にまとめて送信する。数分後に返信を受信。トレイは図書室に現れなかったらしい。確かに寮生の様子を見限り、パーティーの後に校舎の方へと足を運ぶ余裕はなさそうだった。それはトレイも同様なのだろう。
エース達はまた明日、朝や昼休みの時間などをギリギリまで使って張り込むとのことだった。それに対する励ましのメッセージを送るとスマホをスラックスのポケットにねじ込む。
――デュースは結局この日、エースをオンボロ寮に残して寮へ帰ることにした。帰るついでに購買部に寄り野球バット一本を購入する。念のためだ。
振り回されて疲れているはずの監督生に少し気遣ったのもそうだが、距離を置こうと考えたのだ。主に、デュースにしか視えない蝶のような存在を傍に飛ばしている彼女と。
『何でもない日』のパーティーが終わる頃からまたしても変化があったのだ。墨汁を垂らしたようなシミが濃くなっていた。薄い灰色だったはずの翅もどこか黒ずんできている。良くない傾向だった。
(……近くに居て悪化した例が多かったことだし、今回も一度距離を置けば少しは収まるだろう)
この時はまだ楽観視していられた。それが覆されるのは早くも数日後であるのだが、現時点で気付けはしなかった。
────────
2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載