――夢を見た。
過去生の中において、このツイステッドワンダーランドに生を受けた時の生。その記憶の一つをなぞるような夢だった。
『どうか、政策を改めくだされ……! 不作が続く今、これまで行ってきた政治の在り方のままでは民は皆飢え死にを免れないでしょう、どうぞお考え直しください……! この国を、民や弱き者を虐げることの無い国へと!』
地に伏して進言した。
『今の政策では、法では、民はいずれ皆息絶えるでしょう!』
額を地面にこすりつけて何度も何度も願った。
『私は、私は! 飢えの末に子どもを死なせたのだと、その両親を罰さなければならないのです……!』
血を吐くような思いで声を上げた。
『どれだけ食事を子どもに分け与えようと、子どもは大人よりも脆く弱い。栄養が足りねばすぐに死に到る。親は殆ど飲まず食わずの状態なのです、それでも己が子を生かそうと優先して食物を取らせた。けれど、幼子は栄養が足りず死亡しました。これのどこに、親の過失を問えましょうか。こんな目も当てられぬ惨状がこの国の至る所で起きています。だというのに今の法では「子どもを殺した親は重罪を犯した罪人である」のだと罰せねばならない! どうか、政策と法を、お考え直しくださいませ……!』
ああそうだ。かつていずれかの過去生で、このツイステッドワンダーランドの歴史に埋もれた某国で、デュースは統治者である王に懇願をしたのだった。そして――
『もうよい、飽いた。あれの首を刎ねよ』
どうでも良いと言わんばかりの温度の無い声を最後に、その場で首をはねられたのだ。
――ピチチ、鳥の鳴く声が近くに聞こえた。カツカツと爪が窓の屋根を引っ掻く音に不快感を覚えてデュースはゆるりと瞼を開く。
ああ、最悪だ。最悪な目覚めだ。
全身が嫌な汗をかいていた。寝間着がわりのジャージとTシャツがピタリと肌に張り付く感覚が、酷く気持ち悪い。
デュースは鈍い痛みを訴えるこめかみに右手を当て呻いた。左手で首を確認する。大丈夫だ、ちゃんとくっついている、落ちてない。
いくら夢とは言えど非常に生々しい感覚だった。剣で首を断たれる瞬間のほぼ追体験のようなもの。デュース自身が思っている以上にダメージを受けていた。どこも傷ついていないはずの首が鈍く痛む。幻痛だ。分かっている。うぐ、と喉が潰れたような呻き声を上げて枕に顔を埋めた。
過去生を思い出す、もしくは鮮明な夢に視た際に時折襲われる現象だった。特に、夢視。五分五分の確立で起床後も夢での感覚が纏わり付く。
(……審神者時代も、夢関連は似たような事が多かったし。いやでもそうなると過去生は心霊関係の案件に近いのか?)
精彩を欠いた思考でぼんやりと考える。当たらずとも遠からず。ある意味でそれよりも厄介な状況なのだが、幸か不幸かデュースはまだそのことに気付いていなかった。
気晴らしになるかは分からないが少し外に出て朝日を浴びるべきか。そう考えるも起きることすら億劫に感じる。
普段の起床時とは違い光が差し込んでいない。雨か曇りだろうか。そう思い少しべたつくカーテンの隙間から外を見れば、薄らと空の端が明るくなり始めたばかりだった。時間を確認して手の甲を額にあてる。四時半。見た夢のせいで疲弊していたがもう一眠りするには時間が足りない。いや、規定の時間にきちんと起きられる自信が無い。
ズキズキと痛む頭が重石を乗せられたかのように重い怠い。デュースはしばらく上体も起こすこともできずベッドに伏し寝そべったままだった。一瞬だけ体調不良を理由に休むことも考えたが、寝不足での不調だけで休むのはどうにも抵抗がある。
数時間後、起床したルームメイトから「顔色が白くないか?」と問われたが誤魔化すように笑ってはぐらかした。
◇
昼休み、昼食を終えたデュースはリドルを探していた。重く怠い頭を緩く振り廊下を歩く。余程凶悪な面構えになっていたのかすれ違った青いベストの生徒にズササッと距離を取られた。ちょっとばかり顔が険しくなっている自覚はあったため無言で顔を背ける。すまないな、機嫌が悪いんじゃ無いんだ、などと内心で呟きながら向かう先は中庭だ。
エースや監督生たちとは別行動である。二人と一匹は図書室へ向かい、トレイを待ち伏せるのだと言っていた。デュースとしてはリドルの過去を無闇矢鱈と詮索するつもりは無い。同行を丁重に断った。
何せデュースは視える分、他の人よりも分かってしまうことが多いもので。何となくではあるがリドルを取り巻く環境を察せてしまっていた。
断ったら断ったでまたもや監督生から奇異を見るような視線を向けられる。だがそれに対して特に反応するでもなく彼らと別れたのである。何が彼女の琴線に触れたのか、デュースには分からなかった。
足早に中庭に出るなり人目につかない木陰に向かう。
(教室を片っ端から見ていくんじゃ日が暮れてしまうから……あれを使おう)
ちょっとだけズルをすることにしたのだ。使用するのは人捜しの術。術式を書き込んだ紙、それを折り紙の要領で鳥の形を模った物を取り出した。ボソボソと囁くように呪文を唱える。するとソレは小鳥に変化すると術者から一定の距離を保ち対象に向かって飛び始めた。
念のためマジカルペンを取り出して飛ばしているフリをする。端から見れば魔法の練習でもしているように見えるだろう。だがしかし、魔法で飛ばしているわけではなく霊力で動かしているだけだ。カモフラージュは大事である。
ふらり、ぱたぱた、ゆらり、宙を漂う紙の小鳥。視界の隅に花頭の異形が通り過ぎていくのを収めて目を細める。視線をそちらに向けるでも無く、前だけを見据えて歩を進めた。
しばらくして一階のとある教室に辿り着く。
ドアからヒョイッと中を覗き込めば見える、談笑する生徒や自習に励む生徒の姿。その中にデュースの探し人であるリドルの姿もあった。教科書や問題集と思われる冊子を持ち誰かと話し込んでいる様子を確認できる。――相手の姿が色々なモノに囲まれてあまり良く見えなかったが。
ゾッと嫌な感覚に襲われる。正直あまり近寄りたくは無い。だがそうも言っていられないのだ。
右手を掬い上げるように差し出し、折り紙の鳥を掌に停まらせる。左手で蓋をして術を終わらせた。くしゃり。僅かに音が鳴る。
意識して息を深く吸い込み口を開いた。
「寮長、質問があって参りました」
「……また君か」
うんざりしたような顔と声色。振り返ったリドルの機嫌はあまり良くなかった。
「今お時間いただいても?」
「…………良いだろう。すまないアズール、少しだけ席を外させてもらうよ」
「ええ、構いません。どうぞごゆっくり」
机に広げられている教材を見る限りおそらくリドルは課題について話していたのだろう。間近に寄ったため、遠目からは色々なモノに遮られて見えなかった相手の顔が僅かに見えるようになる。
視線を少しずらせばかち合う、興味深げというよりも品評するような視線。緩くうねった白波のような頭髪、眼鏡の奥に光る薄菫色。いかにも利発的な青年がそこに居た。
しかしそれでもデュースの目に映るソレ等は消えてくれるわけではない。見る限り随分と大なり小なり強い思いを抱かれているようだ。
デュースに視えたのは身体の一部分がほとんどだった。彼の肩に、足に、首に、喉元に、衣類に。手をかけ、爪を立て、牙を立て、縋るように、喰らいつくように。様々なモノが蠢いている。
手。手。顎。手。魚。手。魚。手。手。魚。指が欠損している手もあれば、骨と皮ばかりになった屍蝋を思わせる色に変色した手もある。憎々しいと言わんばかりに歯を見せ喰らい付く獣の顎。鱗が剥がれ痩せこけた魚、尾びれの裂けた魚、どれもが付かず離れずの距離を保ち攻撃の意を見せている。――そして彼の背後でタコの触腕が何かを掴もうと、手繰りよせようと、しきりに蠢いていた。
あまりの多さに目元がヒクリと痙攣する。視えすぎるのも問題だ。前々世で使用した遮断効果のある眼鏡でも生成すべきか。デュースは頭の隅で考える。
疑問を抱かれぬ程度を心がけながらソレ等から焦点をずらす。当然ながら視て視ぬフリ、自然体を装った。
ぺこりと一礼してデュースはリドルが立ち上がるのを待つ。
(……あの人、どれだけ恨みを買ってるんだろう。なるべく近寄らんでおこう)
残念ながらその考えも虚しく、そう遠くないうちに関わる事となる。むしろ視えている以上、火種がゴロゴロ転がっているこの学園に居るとなると避けては通れないのだ。まだデュースはその事を知らない。
場所を移動する間も多少の視線を感じるが特に気にせずリドルにのみ意識を向けていた。
「――それで、何が聞きたいんだい?」
早々に会話を終わらせたいのだろう。リドルは性急に切り出した。その意を汲んでデュースもまた単刀直入に用件を告げる。
「昨日のタルトの件とは少し違いますが、『ハートの女王の法律』、それから寮長の法律に関する認識を伺いたく」
「法律は絶対だ。何度言わせれば分かるんだい?」
「……質問の仕方を間違えましたね。寮長は、法律は誰の為に定められたものだと考えていますか」
その問いにリドルは眉を跳ね上げた。
何を分かりきった事を。当たり前のことを。最近殊更に込み上げてくる苛立ちが増した。
「法律は法の下に置かれる全ての者のためにある。法が秩序を保つんだ。違反者を許していてはいずれ全体が緩み、崩れ乱れる。それは誰のためにもならない。だから厳守するんじゃないか」
至極真っ当な答えだ。模範的な回答だと言っても良いくらいに。――だがそれも、法律そのものが「法の下に置かれる全ての者」に重きが置かれず則していなければ、悪政に早変わりする。
デュースが言いたいのは、問いたいのは、その一点だった。
「今のハーツラビュル寮にとって、『ハートの女王の法律』とは誰のためのものなのでしょうか」
「勿論寮生のためだ。……質問はそれだけかな」
腕組みしたリドルの指先が苛立たしげに制服を叩いている。
デュースの中でむくりと顔をもたげたのは過去生の一つである某国の裁判官。昨晩の夢に見てしまったことも起因しているのだろう。当の本人にその自覚は無かったが。
いつの間にか口はカラカラに渇いていた。
「定められているから。そう言えど、それが民を苦しめることに繋がるのだとしたらその項目は法の改定を行うべきです。そうして各国の法律というのは時代と共に少しずつ姿を変え、今に到るはず。それが一学校の寮に適応されないのはなぜですか」
リドルの眉間に皺が深く刻まれる。
「そもそもこの『ハートの女王の法律』というのは何百年前の法律なのでしょうか。それを現代に――」
バンッと教科書が机に叩きつけられる。リドルが力任せに手に持っていた物を振り下ろしたのだ。その音にデュースは僅かに目を見開き、肩を揺らした。
「良いかい新入生? ルールは、ルールだ。法律は絶対。寮においてはボクがルールだ。ボクが決めたことに従えない奴は首をはねられたって文句は言えないんだよ。……それ以上言うなら、その首もはねてしまうよ」
それだけ言うとリドルはこの場を後にする。その背を見送ること無く、デュースはただ彼が居た場所を見つめていた。
床には先日見かけた時と同じくシミが出来ている。デュースはそれがどういった意味を持つのか計りかねていた。どうであるにせよ、肌に感じるピリピリとした瘴気にも似た感覚は良いモノではないことを告げている。それだけは確かだった。じゃら、じゃら、耳を突く鎖の音が遠ざかっていく。
その音を背後に聞き、デュースは静かに目を伏せた。
ああ、そうだとも。場所も時代も違えど、かつてのデュースは王に懇願した。だが駄目だった。
――今回も、そうなのだ。
鈍痛の治まらない頭に手を当てて深く重く息をつく。午後からの授業を間近に控えているというのに、しばらくその場から動くことが出来なかった。
◇
一方的に話を切り上げられたデュースは午後の授業が行われる教室へと向かう。その足取りは重い。教室の戸を開くなり鈍い頭痛に襲われた。正確には視界に飛び込んできたモノを見て、である。
(……昨日の今日で、どうしてこんなに変化しているんだ)
監督生の周りを飛ぶ、常人には不可視の蝶。ふとした瞬間にデュースの視界に入るそれが日に日に肥大化していた。発現したときはピンポン球程度だったというのに今では既に人の顔ほどもある。この事象を視るようになり、前世を含め五十年あまり。こんなにも急激に変化している光景をデュースは初めて視た。
「デュースくん! 今日の放課後は――」
「悪いな、今日は調べることがあるから」
「……そう」
こちらに気付いた監督生から食い気味に問いかけられてヒラヒラと片手を振る。図書室に行く心積もりで居たのだ。
デュースは昨晩から監督生から少し距離を置こうと考え、行動に移していた。仮説が正しいならば近くに居るのは良くないのでは無いか。そう判断したためだ。更に言うなら今日の昼休み中に別行動を取ったのは意図したもの。リドルの元に赴くというのは今朝決めたことではあったが。成果の程は別として、結果的に効率よく動けたため良しとする。
しかしそんな考えや推測とは裏腹に、現状は悪化していた。監督生から向けられる執着の感情が増しつつある。予想とはまるで違う事象を引き起こしてしまったことにデュースは首を傾げた。僅かに眉が寄る。ううん、と呻き声がこぼれる。顎に手を添え頭の中で取るべき態度を組み立て直すことにした。監督生の隣ではなく、一番離れたエースの隣に鞄を置いた。
そんなデュースをチラリと見上げ、エースがスススッと身を寄せてくる。こっそりと声を潜めての呼び掛け。無言で応じて彼の近くへ顔を寄せれば、訝しげな顔を隠そうともせず問いかけられる。ある意味疑問に思われるのも当然の事柄だった。
「……なーデュース、お前監督生と何かあったわけ?」
「いや、何もないはずだけど」
「でもさぁ、何て言うかこう、執着? めっちゃされてんじゃん。正直見てて怖ぇくらいなんだけど」
端から見ても違和を感じるほどらしい。
「まあ、それは感じるけど……原因が分からん」
「え、お前気付いてたの!? めっちゃスルーしてるからとんだ鈍感野郎かと思ってたんだけど、そっかー気付いてたのか……ってか本人も分かんねぇのかよ」
「そりゃ他人が考えてる事なんざ分からんよ」
「まあ、そりゃそうだけどさぁ」
納得しきれない様子でエースは近づけていた身体を元に戻し、机に片肘を着く。監督生はグリムの相手をしていてデュースとエースの会話に気付くだけの余裕が無いらしい。エースの頭越しに青い炎がチラチラと見えた。
「おそらくはアレだ、最初に気付いたのが俺だったから近くに居ないのが不安……とか?」
「それだったら尚更居なくなるなよ」
「俺も暇じゃ無いんだが?」
あり得そうな仮説を挙げればエースに間髪入れず言葉を返される。ジトリとした視線は黙殺される。
しばしの沈黙が落ちた後、エースはふと何かを思い出したかのように声を上げた。
「あ、そういやオレ寮長に決闘挑むわ」
「は?」
「寮長の座を賭けて、ってやつ。オレが勝てば寮長になるってわけ」
「は?」
デュースは一瞬何を言われたのか理解しきれず目を瞬かせる。思わず二度見した。正気か? と。
魔法での勝負となると明らかに勝てる要素などありはしない。いや、もしかしたら物理的攻撃もアリの決闘なのだろうか。
「ちなみに聞くが、拳は?」
「……使えんのは魔法だけだよ」
心底不服、といった表情でエースがむくれている。その答えにデュースは脱力した。後の机にもたれかかる。
「良くもまあ、そんな手の込んだ自滅をするものだな」
「うるせー」
「止めておいた方が良いと思うぞ」
「ぜってーヤダ」
もはや意固地になっているのではないだろうか。眉を寄せムスッと唇を尖らせている様子はどこか幼さすら感じさせる。どれだけデュースが言葉を重ねようと、決闘を挑むというのは撤回しないようだ。
結果はどうなるにしろ既に学園長であるクロウリーに話を通してあるらしい。いや、むしろクロウリーからの提案ということだった。事のあらましを聞いたデュースは何とも言い難い表情を浮かべる。
会話が途切れ、どちらも口を開かぬ間に始業の鐘が鳴る。既に教授は教壇に立っていた。昼休み明けの授業は魔法史。朗々とよどみなく紡がれる講義を前に一人、一人と頭が机上に落ちていく。デュースもまた例外では無かった。
何せ夢見が最悪だった上に睡眠時間を満足に取れていない。恐らく疲労も抜けきらない状態なのだ。その結果、この授業で学園に通い始めてから最初の居眠りをしてしまったのだった。
「今日はここまで。各自しっかり復習するように。……居眠りをしている生徒は分かっている」
トレインと目が合ったような気がする。スッと僅かに視線を逸らして気付かぬふりをするのだった。
――その日の夜、デュースは夢を見た。パイ投げのようにケーキが飛んでいる夢だった。真っ黒なチョコレートクリームと真っ赤なソースの色合いが毒々しいミルフィーユを顔面に食らい目が覚める。可愛らしいデコレーションのケーキばかりが出てきた夢だというのに、なぜこうもおどろおどろしいのか。
しばらく連続して良い睡眠を取れずにいる。はあ、と重たい溜息がベッドに落ちた。
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2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載