寮長の座をかけた決闘が行われる日。それは瞬く間に訪れた。
バラの迷路と寮の裏側、その間にテニスコートほどの空間が広がっている。その場所で決闘を行うようだった。他の寮生にとっては一大イベントなのだろう。寮服のまま見物に、というよりもヤジを飛ばしに来た者が大多数だ。何しろ寮長をかけての勝負などリドルがその座に就任して以来、初めてのこと。
新入早々色々とヤンチャしまくっているエースが相手となれば現寮長であるリドルが負けるとは誰も思っていない。当然だろう。無謀にも程がある。
完全アウェーな空気に怯むこと無くエースは腕組みをしてデュースの隣に控えていた。足もとでグリムがワーワーと発破なのか激励なのかよく分からない事を喚いている。そして――
「あの、監督生」
「何?」
「……近いんだが、物理的に」
「えっと、駄目かな?」
「駄目というか、動きづらい」
「……分かった」
決闘の結末を見守りに来た監督生はずっとデュースの隣を離れない。べったり、と言っても違和感が無いほどに。なおエースは「良いんじゃね?」と言ってこちらのことは完全放置である。決闘を目前に控えている事もあり細かいことを気にしている余裕は無いようだ。
(この蝶モドキ、大きさはともかく色が白っぽいのはまだマシって事だけど……まずいな、そろそろどうにかしないと)
苦々しい表情を浮かべたデュースは内心でそう呟く。問題は立てた仮説が間違っていた可能性があるということだ。
(……俺が離れたら悪化して、離れず居ても成長を緩やかにするくらいしか効果が無い。アレを消すには根本を叩かなきゃおそらく意味が無いのに原因が分からん。……マジでどうしよう)
居心地悪げにデュースが身じろぎすれば隣に立つ監督生と袖が擦れる。それだけ近くに居るのだ。知り合って一週間と経たない者同士の距離感では無い。いやしかし、誰も何も言わないということはこの距離は普通なのだろうか? 一瞬脳がバグりかけた。だがこれまで生きてきた十六年あまりを思いかえし我に返る。間違いかけた思考を振り払う。
エースや他の生徒の認識はともかく、監督生は見た限り日本人。そして異性。それを踏まえるとどう考えても距離が可笑しいのだ。ここ数日の付き合いだが男好きという印象も無い。加えて、エースにはこの近さを保つわけでも無く至って普通。監督生がとるこの行動の意図が読めなかった。
「ちょっと、クローバー先輩の所に行ってくる」
「あっ、デュースくん!」
「エースと一緒にいてくれ」
ちょっと強引に用事をひねり出す。監督生をエースの隣に落ち着けてその場を離れることにしたのだ。着いてくるな、という言外の主張をおそらく彼女なら読み取れるだろう。何しろ「察し」の文化が根付く日本出身者。案の定監督生はグッと唇を噛みしめた後エースの隣から動くことは無かった。
この世界でも瞬間的な近さはともかく、四六時中ふれあうほど近いというのは余程親しい間柄にしか無い。おそらくエースが特に何も言わないのは「監督生が不安がっている」という認識をしているからなのかもしれない。真偽の程は分からないが。
「エースちゃんがリドルくんに決闘を挑むって、冗談でしょ!? マジで言ってんの?」
「俺も止めたんだが……」
硬い表情で佇むトレイの元に辿り着けば、ちょうどケイトが目を見開いて彼を問い詰めていたところだった。ケイトの驚愕も尤もだろう。かく言うデュースも今回の背景や事情を知らなければ「バカじゃないか?」くらいは言ったはずだ。断言できる。何しろ口にはしなくとも内心で「正気か?」と呟いていた位なのだから。
聞こえてきたトレイの溜息混じりの言葉にデュースは首を傾げた。エースが決闘を挑む申請をした場に居たわけでは無かったため、思わず会話に口を挟んでしまう。
「あ、先輩も止めはしたんですね?」
「デュースちゃん! ん? 「も」ってことはもしかして……」
「どうも先輩方。お察しの通り僕も止めましたよ、一応。何だか意地になっているような感じだったんで……多分今から撤回とか棄権もしないでしょうね」
「ううん、デュースちゃんが止めてもダメだったわけね。ったく無謀なことすんなぁ。……面倒なことになら無いと良いけど」
ケイトがやれやれと言わんばかりに首を振る。次いで呟くように溢された言葉にデュースはキョトリと目を瞬かせた。
「先輩」
「ん? 何?」
「既にこれが面倒ごとな気がするので手遅れでは?」
「……は、ははっ! デュースちゃん意外と言うねぇ」
けらけらと笑うケイトに肩をすくめてデュースは再度口を開く。
「いや、単純に「面と向かって規律違反者に叛意を向けられた」という事実があの寮長の神経を逆撫でしていそうだなー、って思っただけなんですけどね」
事も無げに紡がれたその内容にトレイとケイトはピタリと動きを止めた。二人が懸念していたことを言い当てられたも同然だったのだ。単なる図太い一年だと思っていたが、認識を改めなければならないだろうか。
トレイが口を開いたその瞬間、察したかのようにデュースに眼差しを向けられて思わず怯んでしまう。口を噤んだのはもはや反射だった。緑に青を溶かし込んだような色の見透かすような瞳。それに見据えられるというのは、どうにも居心地が悪かった。まあ、当の本人はこれっぽっちも意図しては居ないことだが。
「あの、エースが寮長と遣り合ってる時、先輩達の近くに居ても構いませんか?」
言葉を呑み込んだ様子のトレイを少しばかり不思議そうに見やりデュースは問いかける。わざわざ監督生をエースのそばに置いてトレイの元に来たのはこの為だったのだ。
予想していなかった頼みだったのか、虚を突かれたようにトレイは目を瞬かせる。
「え、あ、ああ。それは構わないが」
「良かった。実はオンボロ寮の監督生も来ているんですよ。先輩方の近くに居させて貰えるんだったら安心です。魔法が使えない子が万が一巻き込まれるとマズいと思ったんで……。まあ、多分、一瞬で勝負がつきそうな気もするので必要ないかもしれませんが、念のため」
「ハハ、分かったよ」
身も蓋もないデュースの言葉。否定できる要素が無い。トレイは曖昧に笑って頷いた。
斯くして決闘の最中、デュースは監督生とグリムを伴い上級生に紛れることとなったわけである。
時刻は既に十五時半を過ぎている。
クロウリーが到着したことで決闘はつつがなく開始され、そして――瞬く間に決着はついた。開始の掛け声から数秒と立たずにエースの首には再び首輪が嵌められたのだ。予想に違わぬ結果。デュースおよび浮かない顔をした上級生二人は、各々思い思いのポーズで重い息を吐いたのだった。
決闘と言うには一瞬の攻防。その後、耳に余る言葉を投げかけたリドルにデュースは厳しい目を向ける。言動もそうだが、彼の足もとで何か蠢くモノを見止めたせいだ。活発化している。
大勢の寮生が居る、この状況でか。如何ともしがたい事態にデュースは歯噛みする。寮服の下で自身の両腕に鳥肌が立つのを感じる。
嫌な予感が、した。
「――そんな簡単なことも分からないなんて、キミは一体どんな教育を受けてきたの?」
この学園に入るまで碌な教育も受けられなかったんだろう。……それは、決闘を挑んだエース、口を挟んだ監督生、その他数名に向けられた言葉だった。視線が交わったことも考えるとおそらくその対象にデュースも入っている。学園の寮を統括する寮長、確かに輝かしい立場だろう。比例して責も重い。だが、たったそれだけで他者を貶める発言をするというのはいかがなものか。
デュースとしても、他者にそんなことを言われる筋合いも謂われも無い。普通にキレそう。蔑みや嘲りを含んだ声色に頭の隅でデュースは思った。感情のままに口を開きそうになった瞬間、それを遮るかのように眼前にエースの背が割り込んでくる。
ぱしり、目を瞬かせたその間にリドルの頬へと一発。拳が叩き込まれた。ゴッと骨が当たる鈍い音がした。エースがリドルを殴ったのだ。
怒り心頭のエースの行動と怒声を前に、逆にデュースの頭が冷えていく。胸中に渦巻いていた沸き立つような怒りはすでに鳴りをひそめていた。
(……もしかしてエースって俺よりも喧嘩っ早いのか?)
強ばった肩の力を抜き意識して息を吐く。そして戦慄した。感情を周囲に引きずられたような違和。……今、自分は、何に引きずられた。
サッと視線を周囲に巡らせれば今までに無いほど黒で霞んでいる。黒い靄が増していたのだ。どこか肌を刺激するようなピリピリとした感覚に拳を握りしめる。視える者にしか視えていない光景とは言えあまりにも異様だった。
これによく似た光景を、デュースは過去生で視たことがある。人を人とも思わぬ所業を為した人間、人道を逸れた審神者、付喪神からあやかしに堕ちかけた刀剣。ソレ等と対峙したときの事だ。
嫌なことを思い出してしまった。デュースはふるりと僅かに頭を振る。
(漂っていただけの黒い靄、瘴気に近い状態になってるな。堕ちかけ案件と似たような感じだし、本職の浄化特化が居れば楽に終わるんだけど…………って、俺が本職だった)
殴られた箇所を震える手で押さえたリドルは明らかに動揺していた。喧嘩の一つもしたことが無かったのだろうか。
周囲が慌てふためく中、決闘者二人の言葉の応酬は続いていく。ヒートアップしていくそれを視界の隅に収めつつ、デュースは忙しなく視線を動かした。更に一歩後退る。少しばかり後ろに控えさせていた監督生と並んだ。彼女の胸の前に腕を上げ、さりげなく後に退くよう指示する。いつでも避難できるように。
「デュースくん、でも」
「シッ。良いから」
無理矢理にでも後に退かせる。トレイもケイトも目前の光景に意識を向けているため、あまりこちらの行動に気付いている様子は無かった。トレイが声をかけ、クロウリーが諫めるが両者共に聞く耳を持たない。
そして、圧伏されるばかりだった周囲が動き出した。寮生の誰かが悲鳴に近い声を上げる。
うんざりだ。抑圧されるのは、縛られるのは、自由を奪われるのは。もう嫌なのだ、と。
開けた場所に一人佇むリドルに向けて何かが投げつけられた。身体にぶつかり殻が割れ、ドロリと中身がこぼれ出る。――生卵だった。
寮生が投げたのか。トレイは呆然と呟く。眼鏡の奥であらん限りに見開かれた瞳が揺れる。
民意の爆発。エースの叛意と言葉に煽られて今まで抑圧されていた苦痛、不満、恐怖心、それらが一度に吹き出したのだ。蓋をし我慢し続けていたとしても箍が外れてしまえば、その後はなし崩しだ。
図らずもリリアに忠告された事象と似た状態になってしまった。
デュースは冷えた目で物が飛んで来た方を見ていた。正しくはそこにあるモノを。視線が方々に忙しなく動く。寮生の足もと、肩、庭園の木々の間、ティーポットやティーカップ、パーティー用の装飾。どれもデュースの目にハッキリと映らない。黒い靄に邪魔されている所為だった。
その間にもリドルの威喝は止まない。激憤はさらに高まっていく。比例するかのように黒い靄が到るところから湧き出てくるようだった。黒。黒。黒。蠢き、絡みつき、時に誰かの首を締めんと動くソレ。縒り集まって鎖と成る。形を得る。個と成る。
あまりの多さにデュースは両目を眇めた。背筋に嫌な背が流れる。収拾がつく未来図が見えない。
「全員の首をはねてやる!」
そう言うなり、リドルは手当たり次第に寮生の首を狙い魔法封じの首輪を飛ばし始めた。
ガキの喧嘩か。子どもの癇癪か。そう内心で呟いてはいるがあまり余裕は無かった。足もとを蠢く芋虫状のソレを踏みつぶして顔をしかめる。
クロウリーやトレイの制止の叫び声など既にリドルに届いていない。ぶわり、と周囲の薔薇の木が浮き上がっていく。共に巻き上げられた土が中に漂い異様な光景を創り出していた。リドルが感情のままに発動させた大がかりな魔法。その周囲にも黒々しい靄が纏わり付いているのを確認してデュースは隠しもせず舌打ちをした。
――ああ、やりづらい事この上ない。これほど人が集まっているのだ。斬れないとはいえ刀を召喚するのは体面が良くない。瞬時に判断してマジカルペンを構えた。今この場に召喚するに妥当なのは――
「いでよ、野球バット!」
検討してしばらく悩んだ末に購入した一本。買ったその日に仕込みは済ませてある。グリップ少し上の部分に魔法で文言を刻み込んでおいたそれは多少なりとも破邪の力を宿している。バットの先に香木の粉末も擦りつけてあるため鼻が利く相手にはより効力を発揮するだろう。左手でしっかりと握り、腰を低く構えた。
そんなデュースにギョッと目を剥いたのは、一人や二人では無かった。何しろ突然の金属バットだ。ケイトは思わずマジカルペンを持ったままの手でスマホを探す。もはや反射だった。
「ぶなっ! お前打ち返す気なんだゾ!?」
「打ち返すんじゃ無くて打ち落とす。というかぶった切る」
「バットってそういう道具じゃねーから!」
グリムの叫びにこちらを向いたエースはこの状況にも関わらずツッコミを入れた。入れざるを得なかった、とも言う。
その間にも状況は刻々と悪化していた。エースとその延長線上にいるデュースたちへ向けて薔薇の木が飛来する。デュースのマジカルペンを握る手に力が込められた。次の瞬間、仄かな光と共にトランプが宙に舞う。明らかに殺意があったとしか思えない攻撃がトレイのユニーク魔法によって
「監督生、今のうちにここから離れなさい」
「えっ、」
「防衛手段なんて持たないキミがここに居続けるのは自殺行為だ」
トレイが懸命にリドルへと言葉を重ねて説得を続ける間に、デュースは監督生をこの場から遠ざけようとした。この状況下においてデュースにとって彼女は庇護の対象なのだ。……この誘導も既に手遅れになりつつあるのだが。一人でこの場から離れることにも不安があるらしい監督生は二の足を踏んだ。時に逃げるときにも勇気が要る。それすら彼女には残っていないのかもしれない。
飛んできた蜂のような黒いモノをサッと避けバットを振るう。ブォン、と空を切る鈍い音が鳴った。物理的に飛んでくる物を粗方魔法で対処する一方、常人には視えないモノへの対処が専らこのバットに頼り切りになっている。購入して仕込んでおいて良かった、とデュースは内心で数日前の自分を褒めた。
なお、このバットが無い場合はちょっと細工してある靴と自らの拳での対応となるのだが、今はその出番は無い。
地面から立ち上る黒い霧、靄、それが形を成しリドルの周囲に集まっていく。土煙とは違うものだ。
周囲の発言をある程度聞き止めながら動き回っていたデュースは眉を顰めた。
(……靄が見えている? ってことは、どういうことだ。ええと、ゴースト? この前の鉱山に居たアレと似たような?)
魔法とバットという変則の二刀流で立ち回りながらも、思考は止めどなく回り続ける。答えに辿り着きそうで辿り着けない。その苛立ちと瘴気にも似た靄に囲まれている息苦しさでデュースは舌打ちをした。
リドルの慟哭響く。トレイの悲壮な叫びがこだまする。そしてついに、魔法を使用しすぎたリドルはオーバーブロットした。
彼の背後に出現した継ぎ接ぎだらけの巨体に、デュースはどこか既視感を覚える。顔のない頭、インク瓶の頭、鉱山で遭遇したあの顔のない怪物と特徴がよく似ていた。
――呪いか。デュースの頭に真っ先に浮かんだのはその単語だった。
この世界で生きた過去に、審神者時代に、身近に存在していたその感覚にどこか似ている。身の毛がよだつような、背筋がゾワリと粟立つような、皮膚の下に何かが浸食してくるような、そんな感覚。
リドルの身体に巻き付く鎖がより鮮明に視えるようになり、黒々しい色を帯びていく。このままでは彼の首が絞まってしまいそうだった。
「……悪い監督生、とりあえずどこかに隠れていてくれるか?」
「っ! 分、かった、ごめん、ごめんねっ」
「いいから早く」
魔法、瘴気を纏った相手、その片方だけならば上手く立ち回れただろう。だがその両方を同時にいなさなければならない。そうなると彼女を後ろに庇ったままでは気が散って取り返しのつかないことになりそうだった。何しろこんな状況は初めてなのだから。
さて、この寮服にも多少の小道具は仕込んであるが、それだけでどこまで対抗しきれるか。デュースは視線を逸らすことなく深く息をついた。
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2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載