ぱたり。ぽたり。ぽちゃり。音がする。水滴が水面を揺らす、その音だ。
ただの水音では無い。どこか耳に反響して残る薄気味の悪さ。どこからともなく響くソレ。出所を探してはいるのだが見つけられない。
──そして、それとはまた別に一つ気になることがあった。
「おはようございます寮長」
「ああ、おはよう」
相も変わらずデュースの耳には鎖が擦れる音が聴こえている。
鎖は断ったはずだった。どさくさに紛れて確かにこの手で粉砕した。だというのに今、まさにこの時この瞬間、リドルの首には先日と同じように鎖が巻き付いている。
もしや根底にあるものを解決できていないからだろうか。どうあるにせよあまり良い感覚はしない。言いようのない胸騒ぎを覚えてデュースは一人表情を険しくさせた。
寮長の座をかけた決闘および、リドルのオーバーブロットの一騒動から数日が経った。
とはいえハーツラビュル寮内が劇的に改善したわけでもなく。寮生間に漂っている規律に雁字搦めにされることを疎んじる空気はさほど変わらないままだ。リドルの僅かな変化により多少は軽減されてきているような感覚はするが、それも微々たるもの。一年の多くはまだ萎縮したままである。上級生達の間にある軋轢もまた同様。
そして──
(……ううん、黒い靄、瘴気には成ってないけど消えないな。やはり俺じゃあ補助道具も無しにササッと浄化は無理か。そりゃ浄化に特化してるわけじゃないしな)
一時は瘴気と化していた黒い靄も依然として寮内に漂い続けている。体感的には、日に日に悪化した分が新年度開始の状態に戻っただけ、といったところだ。あまり良いとは言えない。
就寝前に明日への備えを済ませベッドにごろりと寝転がる。操作していたスマホを枕元に置いた。
デュースが色々と手を加えている自室には侵入してこないため、ある程度の平穏は保たれている。だが、それだけだ。万全であるとは言い切れない。これから四年間過ごす場所において安全地帯が自室だけというのは避けたい事態だった。自身の生活のために。そして安寧のために。ついでに言うならばより良い睡眠のために。
今すぐにでも欲しいものが沢山ある。主に前々世で使用した道具の数々。札は自作すれば何とかなるが、法具や数珠となると話は別になる。そういった専門的な道具や書物、足りない知識や力を補う道具。何もかもが今のデュースには不足していた。過去生を思い出してからの半年の間にかき集められたのはごく僅か。鉱石の部類は比較的簡単に手に入る。水晶などは魔法士も魔道具の一つとして使用するほどなのだから当然と言えば当然だ。
だが、流石に数珠の自作はできなかった。この世界での仏道での宗派などがどうなっているかを把握できていないせいだ。──略式の物ならば一つくらいは製作しておいても良いかもしれない。デュースはそう考えたが、特殊な形状の珠を取り扱っている店を、商人を見かけたことが無い。ネットで探しても偽物と思しき粗悪品か、高額な物ばかり。そもそもこういった物は実際に目で視て判断しなければならない。鉱石としての価値が低い物を掴まされることもある。天然石と偽って唯のガラス玉が売られていることだってある。当然それらは取り締まりの対象だが。
……そのためネットでの購入はよほど信頼できる通販サイトであると確証を得てからでは無ければならなかった。二度手間になる上、その後の対処が面倒だからだ。個人情報を裏に通じていそうな輩にみすみす渡すような真似もしたくない。
そんな経緯もありデュースは数珠を所持していないのだ。霊力を込めるのに一番慣れ親しんだ道具なのだが、こればかりは仕方がない。
辛うじて手元にある道具だけでは正直心もとない。加えてリリアと初めて遭遇した例の店で入手した漆塗りの刀は常に持ち歩けない、という制限がある。常日頃から持ち歩き、身に付け、懐に忍ばせておく物。霊具とも言えるそれらをデュースは細々と作り続けてきた。
札、水晶のブレスレット、香木の欠片を入れた匂い袋、そして先日の手を加えたバット、これらは自作であり消耗品だ。札以外はあまり量産できない。主に材料費的な問題で。
中でも入手が困難であり単価も高いのが、お香や香木。あまり薔薇の王国では流通していない。香り関係ではポプリやアロマが主流だ。異国の香の文化は知られていたとしてもごく少数。……現在デュースの手元にある僅かな香木や香炉も入手できたのは本当に運が良かったのだ。かなり、値は張ったが。
(不定期で開かれているイベント的なマーケットに偶然鉢合わせたのは本っ当にラッキーだったな、本物が手に入るとは思ってなかったし。……そろそろカーテンの方から天蓋に移動するか?)
窓を覆うカーテンのレール、その端に破邪の香を仕込んだ匂い袋を吊り下げたのには理由がある。外との境界線だからだ。出入り口であるドアの横に水晶を置いたのも同様の理由。有事の際に防壁となる物は多ければ多い方が良い。現時点でこの霊具二つの設置くらいしか対策は練れていないのだが。
捗らない理由の大半は一人部屋ではないことだ。ルームメイトの目が無ければ好き勝手出来るが、残念ながらデュースがこの部屋で一人になれる時間は限られている。ほとんど無いに等しい。とはいえ設置した霊具の効果は確かであることは実証済みだ。そう、現在進行形で侵入を阻んでいるのだから。
ガラス戸の向こう側に浮く手が窓をこじ開けないだけ、ぎょろりと動く目玉と目が合わないだけマシである。
さりげなく窓辺から視線をずらしてデュースはあれやこれやと考えを巡らす。その様子がボーッとしているように見えたのだろうか、不意にルームメイトに声をかけられた。
「なぁデュース」
「んー?」
「そのバット新品同様に見えんだけど、最初から持ち込んでたっけ?」
「いや、この前買った。あれだ、マロンタルト事件の時」
「うへぇ、そん時かよ」
つい最近の嫌な出来事を掘り返されて、エースは不味い物を口に含んだかのような顔をした。彼にとっては良い記憶が全く無い出来事なのだろう。
「ってことは、部活は野球?」
「部活は陸上部だ。もう入部届も書いてある」
「へぇ。ん? じゃあ何で買った……ってかそれよりもケースに入れないのか?」
斜め向かいのスペースでくつろぐルームメイトはうつぶせの状態でデュースへと問う。その言葉を受けたデュースは上体を起こすとそちらに顔を向けた。僅かに細められる双眸。口端をついっと上がる。どことなくイタズラを企んでいるようなその表情は悪ガキの顔だった。
「これならパッと持ち出せるだろ」
「怖ぇよお前は何に使うつもり!?」
思わずベッドの上からガバッと飛び上がったのはエースである。その動きにギシリとスプリングが軋む。脳内を駆け巡るのは、デュースが鉱山で、そしてリドルのオーバーブロットの際で見せた立ち回り。魔法では無く物理で場を収めに行った一連の光景。
エース以外のルームメイト二人は知らないのだ。リドルのオーバーブロットに関する一切を。デュースがこのバットをぶん回していたことを。何しろクロウリーに誘導されて早々に避難させられた内の一人なのだから。むしろあの凄惨な現場に残っていたのは上級生二人とエース達だけ。当然と言えば当然である。
「……もぉおお、デュースは何なの元ヤンなの?」
痛いところを突かれてしまった。あー、うーん、などと唸りながら誤魔化せないものかとデュースは考えた。が、それを見逃すほどルームメイトたちは甘くはない。何しろNRC生である。口々に耳に痛いことをたたみかけるかのように好き勝手言い始めた。
「普通のバットには文字なんて刻まないぞ」
「コレ何てあるか読めないんだよな」
「そういやバット振り回すのも慣れてるっぽかったような……」
「「どう考えても元ヤンじゃん」」
ここで、ミドルスクールで野球部だった、などの意見が出ないあたりが実にNRC生らしい。エースに至ってはつい先日の出来事まで思い返している。その様子を見てデュースはジトリと目を据わらせ口元を歪めた。なるほど傍からはそう見えるのか。
「そこで元野球部っていう発想はねーのかい。……元ヤンっていうか、前ちょーっとはしゃぎ回って居たというか、そんな感じだよ」
せめてもの抵抗で小さなツッコミを入れつつデュースはぼかして答えた。嘘は言っていない。
「ふぅん」
「へぇ?」
だらけた体制から身を起こした二人、ニヤニヤとデュースを見据えるエース。彼らの視線を受けながら決して小さくないため息をつく。完全に面白がってやがる。
おそらくは否定しようが肯定しようが彼らにとってはどうでもいいことなのだろう。根っからの真面目、優等生だと思っていた相手をからかうネタが降ってわいたようなもの。やんちゃ小僧共がおもちゃを進んで手放すわけがないのだ。
「もう良いだろ、寝ろ」
「えええ?」
「気になって寝れねぇっての」
「この際だから吐いちまえよ」
割と物騒な言葉選びをするルームメイトに目を瞬かせる。寮内でも結構な頻度で柄が悪い物言いをする生徒と遭遇するのだ。少し前に思い浮かべた仮説はあながち間違ってはいないのではないだろうか。
「断る。明日に響くぞ、さっさと寝る! 既定の就寝時間も近いんだから」
寮の規則の一つにある就寝時間。厳密に監視されるわけではないのだが騒がしければ流石にばれる。ある程度は暗黙の了解で見逃されるとはいえ、いつまでも駄弁り続けるのは得策ではないのだ。デュースは適度にあしらいつつ就寝を促し続ける。しかしそれで止まる奴らではなかった。何せ男子高校生である。
……結果、隣室から壁ドンをされてしまった。うるせー! と壁越しに聞こえる声。室内は一瞬にして静まりかえった。
ツボにでも入ったのか二人がベッドの上に崩れ落ちた。顔面を枕に押し付けて笑い声を堪えようとしているが堪えきれていない。ふぐぅ、んふふっ、などというくぐもった声が枕に吸収されきれずにこぼれていた。正直不気味である。
うわぁ、という表情を隠そうともせずにデュースはその二人を見やる。ペンが転がっても笑える年頃。プラスして深夜近い時刻ともなるとテンションは中々に高い。それはもう通常とは比べ物にならないくらいに。深夜とも言えない時間ではあるが、ある意味で深夜テンションとも言えるかもしれない。……いや、こいつ等のテンションが突然爆発したように高揚するのはいつものことだったか。
脳内で自己完結させたデュースは無言で立ち上がる。向かうはスイッチのあるドア付近。灯りを消すためだ。要は最終手段である。まあ、皆スマホやマジカルペンを所持しているのだ。光源に関してはどうとでもなるだろう。
「消すぞ」
「まっ、待って……んふふっ!」
「ああっ、明日オレ当番だったわ。寝るかぁ」
「……消すぞ」
「オッケー」
すでに就寝の準備はある程度していたのだろう。特にごねることなくエースを含めた三人は大人しくなった。約一名、未だに嵌った笑いのツボから脱出できていないらしく小さく笑い声が聞こえてくるが。それも数分後には静かになった。
コツ、コツ、と何か固いものが窓をつつくような音が聞こえたような気がしたが、微睡に沈んでいく中で次第に聞こえなくなっていく。室内を満たす寝息が四人分になるまでそう時間はかからなかった。
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2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載