侵食する禍

26

朝の冴え冴えとした陽光がカーテンの隙間からじわじわと差し込みはじめた頃、デュースは自然と目を覚ました。目覚ましのアラームをあまりにも早く鳴らしてしまえばルームメイトの顰蹙を買うことは必然。予想に有り余る。常識的な時間にしかセットしていなかったのだ。
時刻は五時半を少し過ぎた頃。なぜかこの学園に来てからこの時間帯に目が覚めるようになっていた。ジジイか、と内心で唸ったのは数日前のことだ。
二度寝をするには少し時間が足りないため早々に起きて領内をウォーキングするのが日課になりつつある。部活が本格的に始まったため暫くしたらランニングに切り替える予定だ。
――最近、また猫と鼠が追いかけっこをする夢を見るようになった。以前の夢と少し変わった個所と言えば、鼠の色が鈍色だということくらいか。ちょうどグリムの毛色を暗くした様な色。だがグリムが脱走することもそう無くなった。正直なところ、夢が意図することを読み取れきれない。デュースは人知れず臍を噛んだ。どうにもスッキリせず気持ちが悪い。
同じ夢を連続して見る、というのはその夢自体が何かしらの意味を持っていることが多い。霊能力保持者の場合は特にそうだ。特にデュースの場合はその傾向が強い。過去生での経験も踏まえて考えると何らかを示唆しているのは間違いないだろう。
似たような夢。ということは第一に予想できるのは以前起きた出来事に近しい事象が間近に迫っているということ。だがデュースの頭はなぜかそれを否定していた。勘、というやつだ。もしくは経験上の感覚が判断しているのかもしれない。

(……勘、っていうか第六感的な感覚をスルーするのは悪手なんだよな。少し周りの様子も注意して見ておくか)

空気が乾いているせいで妙にしょぼつく目を瞬かせながらデュースはするりとベッドから抜け出た。顔を洗って朝の巡回へと向かうとしよう。内心で呟き寝起きで力の入らない体を動かすのだった。

寮のエントランスを抜ける最中、壁から手が生えてオブジェのように薔薇を模っていたのをさりげなく避けた。が、なんとなくイラっとしてしまった。いわゆる八つ当たりに近いのかもしれない。苛立ちを覚えたのは確かなので簡単な真言を唱え、最低限の動きで刀印を振り下ろした。途端に重なり合って一つになっていたソレは複数の手にバラけて崩れ落ちる。それぞれ床を這ってどこぞへと消えていく。去り際に中指を立てられたので一つ踏み潰して消滅させたが、その他は果たしてどこへ向かったのか。てんでバラバラの方向へ散っていったソレ等を睥睨してデュースは深く息を吐いた。建物が歴史あるものである以上、何某かは入り込み住み着いているという事は珍しいことではないのだ。
ソレ等の姿をちらほらと見え隠れする頻度は減っている。寮の建物内外に関わらず漂っていた瘴気一歩手前の黒い靄も徐々に薄まりつつある。
……だというのに、何故こうもデュースの感覚は一向に強い不快感をとらえ続け、第六感は警鐘を鳴らし続けるのか。相も変わらずリドルの首や手足首を拘束し続ける鎖の存在も気になる。
チリリとうなじ付近に鳥肌が立った。





昼食を購買のサンドイッチで済ませることにしたデュースは休み時間の合間に自身の腹を満たし終えていた。要するに早弁である。
午前の授業の終了を告げる鐘の音が鳴り響くと同時に席を立つ。間髪入れず声をかけてきたエースと監督生をサラッとあしらい一人廊下を歩いていた。縋りつくように引き留めてきた監督性をエースに任せ……もとい押し付けてきたのだ。はあ!? と言わんばかりの顔を向けられたが特に気にすることなく教室を後にしてきた。ちょっとばかり罪悪感がこみあげてくるが、監督生とのより良い距離を探している最中である。情けや容赦は無用。そうでなければ共倒れになりそうなほどに彼女がデュースに向ける感情は強い。執着。固執。常に傍に居なければならないと言わんばかりのそれ。強迫観念に駆られてでもいるのだろうか。

(適度の距離って難しいんだよな、地味に)

特に、ああいった手負い状態のような相手は。
ため息をつきそうになりながらもそれをかろうじて飲み込みデュースは歩く速度を上げた。
足早に移動した図書館にはあまり人影はない。大体の生徒は大食堂に昼食を取りに行っているためだ。その静かな時間帯を狙ってくる生徒も居るようだが、それも多いわけではない。
図書館に貯蔵されている様々な本や資料。取り扱いの幅は時代や国を問わず、ジャンルも多岐にわたる。その中から自分の必要としているものを探し出すまでに果たしてどれだけの時間が必要となるのか。あまり考えたくはない。だが、探し始めないことには見つかることはない。腹をくくって取り掛かるしかないのだ。
本棚によってある程度の区分されているのだが、それでも自身が求める情報の棚に行き着くまでにも時間がかかる。頭で思い浮かべたら記述のある本が飛んできたらいいのに。そんなことを考えながらデュースは館内を練り歩いた。

(…………違う。違う。これも違う。こっちは……微妙、一応見るか)

探り当てた本棚から今度は書物の選別に入る。本のタイトルから絞り込み、目次を確認し、魔法で目を通す本を自身の横に浮かせていく。十冊ほどになった頃にデュースは一度本の内容に目を通すことにした。適当なテーブルを選び浮かせていた本を丁寧に重ねて置く。背負っていたリュックを降ろすと座ろうとした椅子の背に凭れさせた。浅く座り本を開く。一冊目の表紙を開いた。欲しい情報が少しでも乗っていればすぐにでもメモできるように筆記用具もテーブルに広げて置く。
それから何冊かに目を通して少しばかり目が疲れてきた頃、視界の隅でひらりと白いものが揺れる。なんだ? と集中のし過ぎで動きの鈍った目を瞬かせた。
目の前で紙――おそらくはプリントが落ちたのだ。しかしその持ち主である生徒は気づいていないようだった。視線を上げれば視界に入る、かなり着崩された制服。左腕に揺らめくリボンは薄いグレーと紫。腕章も全貌は見えないがオクタヴィネルの生徒だろう。彼が完全に通り過ぎる前にプリントを拾い上げ、デュースは声をかけた。

「あの、これ落としましたよ」
「ん〜? あ、本当だ。どーもね」

長身の男が振り返る。その顔にはどこか気だるげな表情が浮かんでいた。垂れ目がちな色違いの瞳が緩く瞬いた。デュースの頭のてっぺんからつま先までを視線だけで見やった彼は、うぅん、と小さく唸ると小首を傾げる。

「……ねえサバちゃん」
「は、い? サバ?」

その呼びかけにデュースはきょとりと目を見開いた。サバとはなんだ。まさか魚の鯖だろうか。生臭いということか? 午前の授業は座学ばかり。朝食で食べたものも魚介ではなく典型的な欧州のメニュー。約一時間前に済ませた昼食もハムとチーズ、卵のサンドイッチだった。生ものに触れた覚えは無い。
思わぬ呼び名に目を瞬かせたデュースを余所に、オリーブとゴールドの双眸をゆったりと細めた彼は反対側にコテリと首を傾げた。

「ねえ、上半身が人間で、四本足の生き物知らない?」

思わず首を傾げ返してデュースは思考を一巡させた。

「ケンタウロスですか?」
「ちげーし」

自分の知るものの中で該当する生物を答えれば間髪入れずに否定される。違うのか。片眉がひくりと動いた。
鮮やかなターコイズブルーの髪を揺らした彼は、どこかうんざりとしたように「みんなソレ言うんだよね」と呟く。どうやら誰かれ構わず問いかけてきた質問だったらしい。

「陸の伝説の生き物とも、占星術とも、魔物のヤツとも関係ないの。ずーっと昔からジェイドと一緒に探してるんだけど、だぁれも知らないって言うんだよね」
「そう、なんですか」
「でもサバちゃん、なぁんか知ってそうだったから聞いたんだけどさぁ……本当に知らねぇの?」
「ケンタウロス以外となると、すみません、分かりません」
「ふーん。そう」

デュースの返答に彼は一言だけそっけなく返した。すっかり興味を無くしたらしい。視線は既にデュースに向けられてはいなかった。左右に揺れながらゆらゆらと立ち去っていく。

そんなやり取りをひっそりと伺い見ていた生徒が一人、二人。近くのテーブルで課題をこなしていたらしい一人はそっと教科書で僅かに顔を隠しながらやべぇ方の片割れと名高き男が立ち去るのを盗み見ていた。いやだって、今しがた立ち去った長身の男、大多数に学園生活を送る上で関わりたくないと思われている人物なのだ。その反応も当然といえば当然である。なるべく自身の存在を認識されないように息を潜めていた。
よく機嫌を損ねずに済んだなコイツ、知らないって恐ろしいな、などと思われていることなど露知らずデュースは一つ息を吐く。
くるりと振り向いた瞬間、顔を引きつらせた上級生と思しき生徒と目が合った。だが、秒で逸らされる。何故そんな反応をされるのか。全く分かっていないデュースは若干のモヤモヤを抱えたままテーブルの上に残したままの本を取りに戻った。
広げていた筆記用具を片付けリュックを背負う。次いで積み重ねた本を両手で持ち上げた。宙に浮いている本を避けながら歩き、所定の位置に戻していく。
結局目ぼしいものは見つからなかった。長期戦を覚悟していたため特に落ち込む訳でもない。正直なところ、だろうなぁ、という気持ちのほうが強い。全て元に戻し終えるとそのまま図書館を後にした。館内での捜索は途中で首を傾げるような邂逅はあったものの、ただひたすら静かに終わったのだった。


教室に入るなりデュースは監督生に詰め寄られてしまった。予想していたこととはいえ、多少なりともげんなりしてしまう。

「デュースくん、どこに行ってたの?」
「図書室」

サラリとあしらい適当な席に着く。監督生の隣ではなく二つほど後ろの離れた場所を選んだ。だがその行動のどこかが不安を誘ったのだろう、彼女は机に出していた教科書類をまとめるとデュースの一つ隣に移動した。
リドルのオーバーブロット後、監督生がデュースの後をついてくる頻度がこれまで以上に増えていた。いや纏わり付いてくると言った方が正しいかもしれない。
エースはほぼ離れず監督生と共に居るようだったがデュースはそうもいかない。何しろ情報の宝庫と言っても過言ではない総量を有する学園の図書館の貯蔵書物から、必要な情報が記載されているものを探し出すという作業に時間を割かなければならない。存在したとしてもほんの数冊しかないであろうものを探し当てなければならないのだ。
監督生の隣に座っていたエースがおもむろに立ち上がり移動すると、やけに大仰な動作でデュースの隣に腰を下ろす。しかしその口から発せられた声は態度とは裏腹に潜められたものだった。

「……なーデュース」
「ん?」
「もうちょっとだけで良いからさぁ、監督生と離れる時間減らしてくれない?」
「……一人で相手にするのが億劫になったな?」
「えー? そんなことないけどぉ?」

嘘だな。内心で間髪入れずに呟く。
へらっと笑ったその顔にはどこか疲弊した色が見えた。
このツイステッドワンダーランド、過去生での日本と比べてしまうと他人との物理的距離がとても近く感じる。過去生の記憶を思い出してから、近ぁい! ソーシャルディスタンス! と内心で叫んだことは一度や二度では無い。時には母親ともハグをする事もあったくらいだ。息子が思春期だろうがなんだろうが遠慮無い母親の姿勢は嫌いでは無い。自分が対象で無いならば、だが。要はスキンシップも中々に多い印象だった。
だが、その感覚から考えたとしても、監督生の行動は行きすぎている。……近いのだ。物理的にも監督生側からの感情的にも。
エースとしても多少は配慮する気持ちはあるのだろうが、それでも彼の気持ちが追い付かないくらいには監督生の行動は過剰なのだ。

不意に、ひそひそと僅かに聞こえてくる囁き。その中に監督生やエースの他に自身の名も混じっていることにデュースは気づいた。クラスメイトが不快そうな顔でこちらを観察しているのを感じる。視線の矛先のほとんどが監督生に向けられていた。
まあそうなるわな。デュースは内心で呟く。控えめだが深く長いため息がこぼれた。
この学園の教師陣に始まり、生徒、ゴーストに至るまで性別を勘違いされている彼女。客観的に見た彼女の行動は「一人の男子高校生が自立も出来ず、最初に仲良くなった相手に縋りついている」と捉えられていた。
──随分となよっちい。自分の意思がないのか。うっとおしい。見ていて恥ずかしい。そんな声が聞こえてくるようだった。

クラスで浮く。それは学園生活を送る上で避けなければならない事だ。特に、監督生は。魔力も無い、学習面での知識も無い、それどころか世界の基礎知識すら無い。そんな彼女が自ら首を絞めるような行動をしているにも等しい事態に陥っていた。
だがデュースができることも限られている。たとえ、いくら言葉を募らせようとも監督生自身が行動を変えなければ何の意味もないのだ。デュースやエースの目にはどことなく彼女が追い詰められているようにも見えていた。だから二人とも彼女へ向けて強く言うことも突き放すこともできないで居る。無神経、言葉を選べ、などと言われることが多いエースが相手を考慮している。実は結構珍しいことではあるのだが、幸か不幸かデュースも監督生もそれに気づいてはいなかった。
……困ったな。知らずデュースの眉間に深くしわが刻まれた。授業開始の鐘を聞きながら、先ほど嫌悪を露にしていたクラスメイトのほうを盗み見る。
傍から見れば確かに自分の対応は甘いのかもしれない。完全に突き放す、という選択肢も当然ながらある。だが先日からの変化といい彼女の周りを飛ぶ存在といい、あまり良くない状態であることは明白。必要以上に刺激したくなかった。だから少しずつ様子を見て離れる距離や時間を増やしている最中だった。
授業内容を書き留めながらも脳内をめぐるのは監督生への対応。そしてクラス全体の空気。それ等がどうしても気になってしまっていた。なるべく不和は少ない方が良い。

寮内の件、デュースたちに依存気味の監督生、それに嫌悪感すら抱き始めているクラスメイト。問題は山積みだった。


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2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載

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