発露

27

リドルの様子もおかしい。監督生の様子もおかしい。
デュースは先日確認した問題事が全く解決していないことを再確認して頭を抱えた。それどころか悪化しているようにも見える。どうしたものか。言いしれぬ焦燥に駆られて歯噛みする。
寮生が各々の部屋に戻り始める時間に差し掛かった頃。デュースは自室のベッドに仰向けに寝転びながらあれやこれやと思考を巡らせていた。ふわりと仄かな香の匂いが鼻をかすめた。見上げれば天蓋にも設置している匂い袋が目に入る。カーテンレールに吊り下げた物を移動し、自身のテリトリーであるベッドに取り着けたのは数日前のことだ。

(……何か、見落としてる気がする)

知らぬ間に眉間が寄る。デュースは頭の中で一つ一つ情報を整理し始めた。二進も三進もいかない時は、ひとまず情報を整理するに限る。
監督生のことは長期戦を覚悟しているため、さておき。今は寮内に関することが最優先だ。何しろ自身の生活にも関わってくるのだから。
寮の敷地内に漂う瘴気の残滓や黒い靄。デュースは入学以来、ソレ等を祓いながら寮での生活を送っていた。完全にというわけでもなく、人体に影響が出ない程度の所までに留まるが。その為か、寮の敷地内は建物内外に関わらず通常の空気に変化しつつある。
良い傾向だ。良い方向に、進んでいるはずだ。だが何かが引っかかる。
ある程度であれば自浄作用が働いて自然と消えるものだ。ハーツラビュル寮ではそれが追い付いていない状態に陥っていたせいで、ああも良くないモノが常に漂っていたのだ。……学園内、校舎内も似た傾向がある。やはりこの学園割と治安が悪いな? などと考えながらデュースは思考を途切れさせることなく回し続けた。

(消したはずの靄もヤツ等もそういや完全に消えるまで視続けたこと無かったな。穢れの残滓、負の感情、……その行き着く先、は、…………そういや寮長に巻き付いてる鎖の色が変化したの、最近だったな? 顔色も悪かった、ような)

──ぞわり。嫌な予感がした。
腹筋の力だけで上体を起こしデュースはバット……ではなくその隣のケースを掴むと足早に部屋を出る。当てどもなく飛び出したわけではない。目的の人物がいそうな場所に目星をつけて寮内を駆ける。途中で寮生にギョッとした顔を向けられたが気にしている余裕はなかった。

「あれ、デュースちゃんこんな時間にどうしたの? 廊下を走るとリドルくんに首をはねられちゃうよ〜なんてね」
「ダイヤモンド先輩いい所に! クローバー先輩は今どこに居ますか!」
「え? トレイ君なら今上に行ったよ?」

廊下を走る最中、ケイトと出くわしたのが僥倖だった。居場所を聞くなりガバッと頭を下げるとデュースはすぐさま走り出す。その後ろをケイトが小走りで着いてきた。どうやら慌てた様子の後輩が気になったらしい。
どちらにせよデュースにとっては好都合だった。リドルの様子について一番近しい人物に確認したいことがあった。このまま彼にも同行してもらえるのならば個別に聞く手間が省ける。
階段を駆け上がればケイトの言う通りトレイの姿がそこにある。少しばかり息が弾んでいるのを自覚しながらデュースは硬い表情のまま声をかけた。

「すみませんクローバー先輩、少し、良いですか?」
「……あ、ああデュースか。どうした?」
「寮長のことでちょっとお伺いしたいこと、が、っ!? ──いえすぐに寮長の部屋に案内して頂けませんか」

勢いに押され気味になりつつもトレイは言葉を返す。しかし、そんな彼を前にして、デュースはゾッとした感覚に身を竦ませた。顔が強ばる。時間はないのだと感覚が理解した。自然と強まる語気。

「早く!」
「あ、ああ」

尋常ならざる様子の後輩に詰められてトレイは身を翻す。最初は早足で案内しようとしていたのだが、早く早くと急かされて小走りに変わる。そして最終的には駆けだしていた。
そうまで焦るのはなぜなのか。一体何があったのか。ここ数日のリドルが不調をきたしていることに関係しているのか。聞きたい気持ちは強い。すぐにでも問い詰めたい。けれどもそれが許される空気では無かった。
トレイが「この部屋だ」と示すや否やデュースはドアノブに手をかける。

「あっこらデュース!」
「っ!」

トレイの制止が入るが、その声も動きを留めさせるには至らない。なぜか水の匂いがした。疑問に思う間もなく、デュースは勢いのままドアを開け放つ。──その向こうに広がっていた光景に息を呑んだ。
リドルを縛る鎖が薄らと透明になること無く存在している。意識して視ようとせずともハッキリとデュースの目に映っている。先日のオーバーブロットの際に視た色とは異なりどす黒さを増していた。つい数日前に視た時は灰色や鈍色に近いものだったというのに。
その部屋の主であるリドルは手鏡を片手に持ちポーチに仕舞おうとしているところだった。それを邪魔され、……いやノックすら無く無遠慮に室内に踏み込まれた彼は盛大に顔を歪めた。ルールがどうと言うよりもマナーがなってない。そう言わんばかりの表情だった。
今にも激昂しそうなリドルを前にデュースは唇を引き結んだ。彼の怒りを恐れたわけではない。状況が思ったよりも深刻であることを察したのだ。

(──まずい)

彼に纏わり付き、縛り付け、雁字搦めにして身動きすら困難にさせていた鎖。その出所をデュースは初めて知った。鎖はその鏡から出現していたのだ。

「寮長それから手を離してください!」
「えっ」
「その手鏡です! 手を放して!!」

悲鳴にも似たその叫びにリドルは面食らう。ノックもせずに部屋に踏み入った行為について声を荒上げる寸前の口からは戸惑いの声が零れ落ちた。ひくりと手を動かしたのは反射だったのだろう。だがそれでも尚、彼は手鏡を手放そうとしなかった。
デュースが一歩踏み出す。訝しげな顔を隠そうともしないリドルは後退る。その動きに合わせるように物質を持たない鎖が揺れる。異様な空気にトレイとケイトは口を挟めずにいた。突然リドルの部屋を訪ねたいと言い出した後輩の、いつにない様子に多少なりとも動揺していたのだ。一瞬にして室内は膠着状態に陥った。
リドルがまた一歩後退った拍子に、鏡の表面が鈍く光を反射する。その光をもろに受けた目を細めたデュースは鋭い視線をソレに向けた。
この世界において鏡はとても力を持つ物の一つである。それに更に異常なくらいに強い感情が込められ、何事もなく済むのか。その答えが今、目の前にある。
嫌なくらい感じる既視感。前々世で何度も視た呪具にも似たソレ。もはや性質の変容と言っても良い。本人の意図するところとは別の力を兼ね備えてしまったソレは既にただの手鏡では無くなっていた。あれは既に、元の持ち主がリドルを繋ぎとめるための楔と化している。

──じゃらり。耳を突く、嫌な音がした。
リドルの両目が見開かれる。デュースの背後で二人の戸惑いの声が上がる。今の今までデュースにしか聴こえていなかったはずの音を、常人であるはずの三人の耳が捉えたのだ。

(最っ悪だ……!)

じゃらり。再び室内に一際大きく音が鳴った。
じゃら、ちゃら、じゃらり。徐々にその音圧が増していく。金属が擦れぶつかる音が鳴り響く頻度が上がっていく。
音の出所を探ったリドルの視線が、手鏡に吸い寄せられていく。本来ならば美しいはずの鏡面は黒で塗りつぶされていた。何も映らない。何も写らない。あまりにも闇のように黒々しいせいか、ぽっかりと虚が穿たれているようだった。

「は、っ!?」

リドルがその手鏡とは言えぬ様になり果てたソレを両手から取り落としたのはもはや本能に近い。危機を察したのだ。
水の匂いが強まるのを感じ、デュースはすさまじい勢いで視線を室内に這わせ鎖と手鏡以外の異常を探る。特に見つからない。むしろリドルと手鏡と鎖、この三つの要素を中心に異様な状態にあるといっても過言ではなかった。

ジャッ、と鋭い音が嫌に響いた。
リドルの、トレイの、ケイトの、常人である彼らの瞳に、とぐろを巻く蛇のような黒々しい鎖が映し出されていく。ひゅぅ、とか細く息を呑んだのは果たして誰だったのか。
金属が擦れる音と共に、意思を持った生き物のように蠢く鎖。リドルの周囲はいつの間にか鎖に取り囲まれていた。彼はマジカルペンに手を伸ばしたが、どんな魔法もソレには効いていない。手足どころか身体の至る所に巻き付かれたリドルは行動を制限されてしまった。
無意識のうちに武器を求めてデュースの右手が左腰へ伸びる。空振った。当然だ、帯刀していないのだから。似たような事を何度繰り返せば気が済むのか。苛立ちを覚えるがすぐさま背負っていたバットケースに右手を伸ばす。デュースがもたついた、ほんの数秒。その間にトレイとケイトが駆け出した。

「リドルッ!!」
「リドルくん!」
「駄目です二人共下がって!!」

くるりと体を反転させ二人を制したのは反射だった。腰を落として両腕を彼らの胴体に回す。動きを封じられた二人は拘束を解こうと、自身の体を押しとどめるデュースの腕を鷲掴んだ。
だがデュースとしても引けない訳がある。彼らが視えているのはほんの一部に過ぎない。おそらく全貌を把握していたのならいくらこの二人とはいえ無闇に突っ込むような真似はしないだろう。
周囲に漂う鎖の一部が、トレイを近づけまいと威嚇するように床や壁に打ち付けていたのだから。

「どうして止めるのデュースちゃん!」
「二人ともちょっとだけ待っ──」

デュースの声が途切れる。ぞわりと強い悪寒に襲われたせいだった。思わず舌打ちするがその鋭い音は二人の大声にかき消される。
この第六感ともいうべき感覚が正しければ、アレはリドルを己のテリトリーに引きずり込もうとしている。力を最大限に発揮できる、影響力をもろに与えることができる、その空間に。

(ああ、もう、くそっ!)

ドッと二人を力任せにドアへ押しやるとデュースは体を反転させ駆けだした。
近寄るなと言わんばかりに暴れる牽制の鎖を、バットケースでいなす。一瞬でリドルとの距離を詰める。

「寮長!」

デュースが右手を伸ばす。鎖に触れる。その鎖ごとリドルの制服をつかんだ感触を得られた──その瞬間。ぐにゃりと床が歪んだ。
とぷん、と。落ちた手鏡を中心に床が歪み、鎖がうねる。
両者ともに言葉を発する間もなかった。そして、歪んだ床と鎖の中心に存在している手鏡に吸い込まれていく。人間が二人、呑み込まれて消えた。瞬きの間に。二人の姿も、とぐろを巻いていた鎖も、何もかもが。

「……は?」

取り残されたトレイの口から微かに声がこぼれ落ちる。無意識だったのだろう、本人すら声を発した自覚がないようだ。何事もなかったかのようにリドルの自室は普段通りの様相を取り戻していた。ただ一つ、真っ黒に染まり何も映さない鏡だけが、ポツンと落ちていること以外は。
二人の姿がかき消えた部屋に取り残され、トレイとケイトは呆然と立ちすくんでいた。

(――なんだ、何だ、何だ何だアレはッ!!)

先ほどの鎖も床のゆがみも、魔法とは全く違う要因で生じたものなのだと残された二人は理解していた。曲がりなりにもNRCの三年生。数多くの魔法を目にし、体験してきたのだ。それくらいの判断は可能だ。ただ、今しがた引き起こされた現象の説明は出来ないのだが。
寒くも無いのにトレイの腕は粟立っている。目の前でリドルを救えず、訳の分からない存在に奪われてしまったのだ。手の届く距離にいたというのに。焦燥も動揺も当然である。
狼狽するあまり動けずにいた、そのタイムロスが招いた結果なのだろうか。トレイは歯噛みした。
その隣で混乱をどうにか落ち着けようとしたケイトがスマホの画面を無意味に点灯させては消している。二人とも、こんな状況の対処法など知らないのだ。この世界において少し不思議な出来事はの大抵は魔法で説明がつく。だが、その魔法の片鱗すら見出せない現象を前に、予測も立てられない。手の打ちようがなかった。
平静を保とうとしているがトレイもケイトも焦りで思考がまとまらない。明らかな異常事態に全身が嫌な汗を掻いている。そのくせ指先はなぜか冷えていた。持とうとしたマジカルペンが滑り落ちる。

「どう、しよう。今の魔法じゃなかったよね……?」
「魔力らしい力を感じられなかったからな、おそらくは」
「魔道具じゃない、ってことかな」
「多分そうかもしれな……ん? これって」

努めて冷静に言葉を交わしながら、トレイは鏡面が真っ黒に染まった手鏡を床から拾い上げる。カタタ、と微かに震えたのは指先に力が入らなかったせいだ。
もしこの場にデュースが居たのならば「不用意に触らないでくださいぃぃい!」と悲鳴を上げたことだろう。だが残念ながら現在リドルと共に鏡の向こうに引きずり込まれてしまっている。
拾い上げた手鏡が、どこか見覚えがあることに気づいたトレイはハッと目を見開いた。

「…………これ、確かリドルが──」

その言葉にケイトも驚愕と衝撃に顔をこわばらせる。それが本当だというのならば、今陥っている不可思議な現象の原因の予想がついてしまう。だがやはり魔力を伴わない現象となると、やや説得力に欠ける。

「とにかく誰か先生を呼んでこなきゃ、オレたちだけじゃ……」
「いや、少し待ってくれ。鏡の表面がちょっと揺らめいている」
「エッ!? うわマジじゃん……なーんか不気味」

鏡面の素材はガラスだというのにまるで水面のように揺らいでいるソレ。思わず注視したケイトは頭痛に襲われ、慌てて視線を外した。

「……俺たちもやれることをやりつつ、様子を見よう。あのリドルだ、もしかしたらすぐに戻ってくるかもしれない」
「……そ、うだね。デュースちゃんも一緒だろうし、絶対に無茶してでも戻ってきそう。後輩の前ってことだしね」

そう告げるトレイの表情はすぐれない。軽い調子で同調したケイトも笑みを浮かべているが目は笑っていなかった。どちらも希望的な考えだと分かっていたからだ。
己自身に言い聞かせているのだと、互いに理解している。カチ、カチと時計の秒針が時を刻む音が聞こえるほどに室内は静まり返っている。逡巡の末、彼は勉強机の上に手鏡を置いた。黒が揺らめくソレに視線を落とし、トレイは眉を寄せる。
しかしそれにしてもデュースの意図が読めない。トレイとケイトを両腕で引き留め、仕舞には遠ざけた。まさか元から従順な後輩を装いリドルを害するつもりで近づいてきていたのか。だがそれならば、あれだけ切羽詰まった様子で後を追うだろうか。トレイの中で疑念が渦巻く。疑心で満たされた彼の思考は残念ながら「自分たちが庇われた」という結論にたどり着けずにいる。答えはいくら考えどもでなかった。


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2020.9.8.支部にも投稿しました
2022.1.2.別館サイトに掲載

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