ひいひいと呻きながら男がこぼす泣き言を聞き取ったデュースは、ほう、と目を瞬かせた。
視えないというのは逆にここまで恐怖心を煽られもするのか。
デュースには今、視る力を得る前のような非常にクリアな風景が見えている。とはいえ広がっているのは惨状だが。──だからこそ何も居ないのだと断言できる。
しかしクルーウェルと白っぽい羽織の男は違う。視えないが故にその確証を得られないのだ。在りもしないものを見たような気になり疑心暗鬼になる。天井の木目やシミですら目と空目したり、風に吹かれた物音が異様に大きく聞こえたりする。幽霊の正体見たり枯れ尾花、つまりはそういうことだ。
成程そうか。よくよく思い返してみると前世はそうだったな。デュースは頭の隅で考え深く頷いた。
久々の気付き。明らかに感覚がバグっていた。
騒がしいせいで薄らと目に涙が滲む男に目が行きがちだったが、デュースの後ろに立つクルーウェルとて平静とは言い難い。指揮棒を握るその手にかなりの力が込められている。ぎちりと皮手袋が音を立てたのは聞き間違いではないだろう。
適度な緊張や警戒を持つのは良いことだ。しかし過度ではいけない。
「先生、『モンスターを見た人はいつも大きく報告する』ってやつですよ。ここには今のところ何にも居ないです瘴気も無いです」
左手でトンと軽くクルーウェルの腕に触れる。指揮棒を握る手に込められた力を緩めるように促した。彼の形の良い唇は引き結ばれたまま口が開かれる様子はない。もの言いたげな表情ではあったものの、やがて深い息とともに脱力した。
クルーウェルは指揮棒の先端を掌に当てて短いペン状に戻す。その拍子にカカカカと小さく音が鳴った。
小さく二度頷いてデュースは体の向きを変える。残る問題はこちらだ。
……それにしても言語が違うため同じことをそれぞれ別に伝えなければならないというのは、少々骨が折れる。だがそうは思えど、言語的にも知識的にも間に立てるのはデュースだけ。どうにかする他ないのだ。
「今のは木が崩れただけだ、何も居ないし危険も近くにはないだろう。瘴気も何も無いんだから」
「え、あっそうなの!? こんなヤベェブラ本っぽいのに!? ってか瘴気とか何アンタ見えんのかよマジか……」
「マジですマジです大マジです。……あと、とりあえず貴方が何者であるかの説明を寄越してくれ。政府の人だの何だのと、要領を得ないんだが」
ちらほらと男の口に上っていた呼称にひどく覚えがある。しかしそれは本人の口からの説明がなされてから触れねばならなかった。
何しろ今のデュースは審神者ではなく一般人なもので。聞く限り関係者であることが間違いない人物を前に、不用意に発言が出来ないでいたのだ。正直やりにくいことこの上ない。
「オレ審神者なんだよ。着任してからまだ半年だけど。政府の人とかはそのまんま。あ、審神者ってのは付喪神を喚んで戦う人の集まりね。オレも一応政府所属らしいしこんなヤベェ所に来る前まで政府に居たからさ、助けに来てくれたのかと思ったんだよ」
「……なるほど」
未だ恐怖心が抜けないのかやけに早口だ。
至極あっさりと、躊躇なく放たれた言葉の数々にデュースの眼が据わる。確かに、説明しろと言った。しかし誰もそこまで詳しく──機密保持の誓約に抵触しかねない部分までは求めていない。
なお、この時点で目の前の男は歴史修正主義者との戦に身を置く者としてかなり意識が低いことがうかがえる。審神者は機密理に確立された制度なのだ。歴史修正主義者対策課、それに連なる組織全般。秘匿されなければならない事項だ。
思うことが無いわけではないが、それを飲み下してデュースは重く息を吐く。
「外との通信は」
「何やっても繋がらない。圏外だから無理」
「大方は分かった。あともう一つ、キミを何と呼べば?」
「えーっと、「立葵」っていうのがオレの審神者ネーム。そう呼ばれるのが多いからそれでよろしく。アンタらは?」
「そうだな、俺はトランプ兵とでも呼んでくれ。こちらはMr.でもProfessorでも」
呼びかけに関しては名前が呼べない以上これが妥当だろう。
なおこの立葵に呼び方を自由に決めさせた場合、二人が着用する服の特徴で呼ばれるところだった。デュースはチャイナさん、クルーウェルは博士。分かりやすいが何とも安直だ。
とはいえそれはまた別の話である。
一先ず話がまとまった。デュースは顔をクルーウェルに向けると口を開く。放置していたというわけではないが、待たせてしまっていた。
「ちょっと通訳大変なんで先生には重要なところだけ伝えることにしますね」
「ああ分かった。任せよう」
情報を取捨選択しながら説明を重ねていく。難しい顔のままだがどうにか理解しているらしく時折返ってくる頷き。
そうして言葉を交わす二人の横で立葵は大きく息を吐きだした。他者と常時と変わらないような会話を重ねたことで多少恐怖心が薄れたのか、立葵は肩の力が抜けたようだった。べしょりと顔を歪めるとその場にしゃがみ込む。先ほど恐慌に駆られた時と似たような泣き言が思わず口からこぼれ落ちた。
「ううう、暗いし見えねぇし一人だしぃ……居るなら返事してくれよ護衛だろ……」
「ん? 連れが居たのか」
「連れって言うか護衛。もしかしたら来てないかもしれないけど……でも背中触れられた気がしたから居ると思うんだよなぁ」
「はぐれてからどれくらい時間が?」
「そんなに経ってない。ってか多分ここに来てから数分しか経ってないと思う」
デュースの問いに答え、頭を掻きむしりながら立葵は唇を尖らせた。そして、僅かに安堵する。
生きている人間とすぐさま出会えて本当に良かった。一人では耐えられなかった。一人で彷徨うことにならずに済んで、本当に良かった。
そんな立葵の内心を知ってか知らでか、デュースは事も無げにこう告げる。
「縁を辿って呼べばいいじゃないか。自分が呼び出した刀剣は霊力で繋がっているし、容易なはずだ。それにアンタ現役だろう?」
就任してから約半年という新人の域を出ない相手に対して容赦ない。しかしデュースの記憶が正しければ、今しがた提案したこの方法はさほど難しくないもの。加えて一般の出自であれば審神者として着任する前に講習を受けるか、専門の養成学校に通う。そこで習うはずなのだ。
そして実はマニュアルにも載っている「何かあったときの対応法」の一つ。……立葵がそれを知っているかどうかは分からないが。
「無茶言うなよ!?」
「繋がりを断絶されているならともかく同じ空間に居るなら出来ると言っているんだ。刀剣が近くにいるか完全に分断されたか、術が成功するか失敗するかで判断できる。……これ確か、一般の出であろうと教わっているはずなんだが」
「そ、れはちょっと忘れてただけで……」
「なら今からでも試してみたらどうだ?」
まるで上司であるかのような言い方だ。妙に癪に障る。上からのような物言いは気になるが、外国人特有のちょっと違和感のある日本語だと思えば多少は気にならなくなる。……本当に、少しだけ。
しかしそれにしても、と立葵は不信感を抱かずにはいられなかった。
何せデュースは審神者と刀剣男士ついて妙に詳しい。渋面で唸りそして、はたりと思い到る。生粋の日本人ではなくとも審神者に就任できる。立葵が審神者になる少し前から制度が改定されていたはずだ。
──ならば、審神者に就任する前の研修生か受講生なのではないだろうか。そうだ、そうに違いない。立葵の頭の中ではそれが答えのように思えた。
だから頭に血が上ったままこう言い放ったのだ。
「そう言うんだったらアンタがまずやれよな!? こんだけ詳しいんだ、一般人なんてぜってぇ嘘だろ、何かしら関係してるか刀剣との繋がりがあるに決まってる!」
関係者。その単語にデュースは居心地悪げに身じろぎする。前々世とはいえ深くかかわっていた以上、確かに無関係であるとは言えなかった。
けれども、この事実だけは変わらない。
「──いいや、私には無理だ。審神者ではないから」
あまりにも温度の無い声に立葵は一瞬ひるんだ。碧色の瞳から感情が抜け落ちたかのように見えて、背筋が僅かに冷える。
黙したまま見守っていたクルーウェルは唐突に不穏さを帯びた空気に目を細めた。短いままの指揮棒を静かに構えた。少しでも害を加えようとしたならば、彼の手にあるそれが鋭く炸裂するだろう。
「……だが、まあ、うん仕方がないか。補助は可能だから手伝おう。よしちょっと左手を貸しなさい。──先生、今から人が増えるかもしれませんが、敵ではないので安心してくださいね」
「は、え、ちょっ!」
「……、わかった。しかし、本当にお前は唐突だな」
前半は立葵に向けて、後半はクルーウェルに向けて、デュースはそれぞれに告げる。言語の切り替えが忙しない。
それは図らずもクルーウェルの行動を制することになったのだが、気づいていなかった。
疲れが滲むため息を吐かれてデュースは乾いた笑いをこぼす。次いでどこか諦めたような陰鬱な顔で立葵の左手を要求した。さっさと手を差し出せ、そんな副音声でも聞こえてきそうだ。
「はは、すみません──ほらアンタは左手を出す」
「〜〜! ったく分かったよ!」
戸惑い、渋々ながらも立葵は手を差し出した。
──結果として立葵の護衛として連れだっていた二振りは共にこの空間に飛ばされているらしい。反応は二つ。
そう時間を置かずして、そのうちの一振りが術に反応し審神者の元に駆けてきた。もう一振りは音沙汰なし。
合流してホッと安堵の息を吐いた刀剣男士、彼の名を堀川国広と言う。自身の主が無事であることを確認して胸をなでおろしていた。
そんな彼に縋りつきながら立葵はべそっと顔を歪めた。この手を放してなるものか、傍に居てくれ。そんなことを涙が滲む声で呟いている。苦笑いを浮かべた刀剣は、昨晩見たドラマに影響されているなぁと頭の片隅で呟いた。
離れるも何も、数メートルと距離が開いていないにも関わらずこのような怪異に巻き込まれたのだ。今回ばかりはイレギュラーであり不可抗力である。
しかし、そんなことなど知りもしない立葵と堀川は互いの非を謝りあっていた。
そんな二人を横目で見ながら、デュースはこの状況下において自由に動ける刀剣であったことに少しばかりホッとしていた。
(──夜目の利く刀種で良かった、二人が落ち着いたら当時の状況を聞くか。少しでも情報が欲しい)
考えを巡らせるうちにふと浮かぶ疑問。デュースは動きを止めた。
この審神者の言動や行動を見る限り一般の出であることは確かだ。つまり時の政府が歴史修正主義者対策課や陰陽課を設置し、審神者制度が確立され、しばらく経っていると見える。だがデュースが知っている時代であるか、それより先の時代か判断が出来ない。
僅かに目を細める。不用意に彼らにとっての未来の話などを言葉にしてしまう危険性がゼロではない。口を噤むのが得策だろうが探索に置いての情報のすり合わせは必須だ。気を付けるにも限度が出てくる。
「……一つ確認したいことがあるんだが」
「なに?」
「今、敵勢力に対抗するため、政府と審神者に助力してくれている刀剣男士は何振りだ?」
明らかに内情を知っている者の問いだった。
しかし既に疑心を抱かれている以上、もう必死に隠す必要はないとデュースは考えたのだ。立葵がそこまで頭の切れるとは言えないこともその決断を後押しさせていた。
デュースの問いに顔を見合わせた一人と一振りはぱちくりと目を瞬かせる。
「確かこの前新しく戦力に加わる的な知らせがあったっけ? 何振り目だ?」
「五十一振りですよ主さん、あと戦力に加わってくれるのは源氏の重宝。髭切さんと膝丸さんです」
「あーそうだっけ」
なるほどそのあたりか。デュースは記憶を整理しながら内心で呟いた。
歴史修正主義者との対立と戦争がはじまった頃、四十二振りの刀剣が歴史を守るため政府への助力を承諾した。その後も数多の刀剣がその名を連ねていくこととなった。今挙げられた刀剣の名から考えるに比較的初期のようだ。
(……兄者と弟丸って呼んでた所為か、正式名称を久々に聞いた気がするな。彼らが新たに加わったってことは節目の一つ、だったか? 記憶が曖昧だ)
審神者制度が発足してから幾度となく審神者の基準や招集制度は改定されてきた。その節目には新たな戦場が発見されたり、新たな戦力が加わったり、そういった変化が多かったのだ。
デュースは薄れつつある前々世の記憶を手繰る。
初期──いわゆる専門家のみで対処しようとしていた黎明期。審神者制度の発足当時は神社仏閣の関係者、陰陽道に造詣の深い家系などから選出していた。
しかし数多の敵陣に対し少数精鋭では手が回りきらなかった。元が後手に回っての対抗である。さもありなん。戦況は悪化の一途をたどった。
戦力不足が祟り、その道の家系に連なる者が審神者として招集された。デュースも前々世においてその際に就任した一人である。手探り状態で戦いに身を投じていたわけではない。とはいえ、他から見れば十分初期勢の古参だ。
その後、更に審神者となる資格や条件が緩和された。──おそらくはこの立葵もその際に審神者としての名を連ねることとなった、四期、五期にあたる審神者だろう。
「ってか、本当にアンタ関係者じゃねーの?」
「いいや、一般人だよ」
「それぜってー嘘じゃん」
「昔取った杵柄ってやつだ。今は一般人だ」
「まあまあ主さん落ち着いて」
突っかかる立葵を宥める堀川は笑みを崩さぬよう努めながら内心で冷や汗をかいていた。おもに己の主である立葵の鈍感さに。
堀川は気づいていた。デュースの身を包んでいるのは白刃の加護だ。
本人には認識できないよう重ね掛けられたであろうそれは、刀剣男士である堀川にも僅かに目視できるくらいの巧妙さ。いや、それとも長く時間をかけて馴染んだ結果なのかもしれない。
堀川を含めた立葵の刀剣たちも主であるこの男に守護を施してはいる。だが時が浅く定着していない。文字通り年季が違う。だから今、立葵は自身の初期刀から持っていくようにと渡された彼の羽織に袖を通しているのだ。まあ気休め程度の効果しかない上、立葵本人はその意図になど気づいていないが。
目視できなくともデュースを覆う加護からは何十年もかけて重ね掛けられてきたことが感じられる。思い思われ、願い願われ、長い年月積み上げられた信頼と祈りの形だ。
加護を与えた者たちとの離別後からの時の経過。それによる綻びが見えるが、それでもなおデュースを守り続けている。その加護は一つではない。
──これだけ数多の刀剣たちからの加護を得た男が、ただの人間であるものか。一般人、そう聞いて堀川は頭痛を覚えたくらいだ。
宥める堀川の手を振り払ってそっぽを向いた立葵。対する堀川は困ったような表情を浮かべ、無言で手を引いた。
「とりあえず情報の共有がしたい。構わないだろうか、何か知っていることがあれば些細なことでも教えてほしいのだが」
「……わかりました、良いですよ」
内心の思考も動揺も表に出さず堀川はにこりと笑う。
片や審神者と刀剣男士、片や前々世が審神者だった者と異世界の迷い人。彼らはここでようやく互いにとって必要な情報を得る。
この本丸の地理のおおよそ、境界である門の外の状況、政府内部で囁かれている「藤の怪」の噂。それらを照らし合わせ総合的に判断し、そして──行き先が決まった。
◇
移動の最中、堀川はこっそりとデュースに問いかけた。
「あなたが一般人というのは少し違いますよね。現役ではなくとも僕たちとの関わりがあったことは確かでしょう?」
さすがに堀川の──いや刀剣男士の目を誤魔化せないのは分かっていたことだ。デュースは深く息を吸うと肺が空になるまで吐き出す。その表情は固い。
「……今は一般の出自だ。嘘ではないよ」
「……そうですか。何となく分かりました。事情を知れば主さんも納得すると思うんですけど、……でもあなたはそれを望んでいないようなので口には出さないでおきますね。うちの主さん、お世辞にも口が堅いとは言えないですから」
その言葉にデュースは柔らかく目を細めた。
ああそうだ、そうだったな。堀川国広というのはこういう刀剣だった。他者の機微を察することに長けた、冷静で情深い刀。
「恩にきる。……あとその口が軽いのは本当にどうにかした方が良いと思う。俺が本当に何も知らない一般市民だったら、多分機密保持の誓約とかに引っかかりそうな事までさっき言ってたから……」
「えっそうだったんですか!? わかりました、教えてくださってありがとうございます、帰ったら一からマニュアルの読み直しさせます」
「是非そうしてくれ」
この会話を誰かが聞いていたとしたらツッコミを入れただろう。先生と保護者か、と。デュースの隣に立つクルーウェルは言語の壁により会話を理解できていない為ノーカウントである。
尚この堀川国広、立葵の本丸においてチュートリアル鍛刀が終わってすぐ、その次に鍛刀された刀剣である。つまり顕現順は三番目。古参中の古参であるからして、ある意味保護者というのは間違いではなかった。
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2020.12.23.支部にも投稿しました
2022.1.15.別館サイトに掲載