悪縁に追わる

41

乾きはてた床がミシリと軋む。
本丸内部の劣化具合を確認した一行は屋外に向かっていた。内部を進むのは難しいと判断したためだ。そして向かう先は庭園である。もっとも今は荒廃しているだろうが。
両者の情報を照らし合わせた結果、立葵を除いた三名の予測は見事に一致。断続的に行方不明事件が起きていたのならば噂になっている藤に何かしらの原因があるのだろう、と。現に立葵も堀川も薄紫の花弁を見ているのだ。加えて、立葵らが居た政府施設とこの廃墟と化した本丸との二つは元々繋がりがある。そこに原因を考えるのが妥当というものだ。
──ただ、そうなるとデュース達が巻き込まれたことへの説明がつかない。単純にデュースが前々世においての接点を思い出せないだけかもしれないが。

何はともあれ、植物を探すとなれば目を向けるべきは当然外である。立葵が視たという樹木の大きさともなれば尚のこと。その考えから一行は行動を起こしていた。
中庭から移動し、抜け落ちた床を迂回してようやく外壁付近に出た頃。立葵はきょろきょろと周囲に視線をやりながら口を開いた。その顔は恐怖と懸念に歪んでいる。

「ところでさ、そのシャカシャカって音どうにかならない? 何かヤベェやつに見つかったらどうすんだよ」
「……これか?」
「そう」

彼が指さしたのはデュースの背負う折り畳み式のリュック型エコバック。安っぽいナイロンの布地の音が気になったのだ。
指摘されたデュースは肩からそれを降ろしながら、カサカサと鳴る乾いた音に片眉が僅かに動く。周囲に脅威が無いと体感で分かっているせいか特に気にしていなかった。まあ、気になると言うのならば片づけてしまおう。些細なことで衝突するのは避けたい。そう考え縛っていた紐を緩めた。
この中身といえばハーツラビュル寮のベスト、購買部で購入したタロットの二つのみ。他の細々した物は身に着けるかスラックスのポケットに入れていた。大きなものを購入していなかったのは不幸中の幸いである。

(あー、ベストはぎりぎりこの上から着れるか? 問題はタロットだな)

不格好になるがベストを民族衣装の上から着用することにしよう。ワイシャツの上から民族衣装、その上から更にベスト。動きにくい事この上ない。何ともごちゃごちゃした重ね着だ。その不格好さにクルーウェルは盛大に顔をしかめた。
そしてタロットはクルーウェルが着込んだジャケットの内ポケットに入れることにした。説明書や解説書がセットになっているタイプではなくカードのみ。それが功を奏したのだ。更に窮屈さが増した彼の顔から険しさが無くならない。
そんな彼から気まずげに目を逸らしてデュースはスラックスの後ろポケットに折りたたんだナイロンを押し込んだ。

その後、小声で会話をしながら外壁に沿いながら藤の木を探していく。何かと邂逅するわけでもなく、妨害を受けるでもなく、至って平穏に調査は進む。
拍子抜け。そんな言葉が立葵の頭に浮かんだ。
彼は当初荒れ果てた様子からブラック本丸だと身構えていた。だが神経質に警戒しなくてもよかったのかもしれない。しかし、そうだとするのなら黒ずんだ染みが点在していたのは何故だ。ふと脳裏に彼がひとりで居た時に見た光景が蘇る。ぶるりと悪寒に肩を震わせた。
その数メートル先を歩くデュースがさりげなく左手をベルトに挟んだ三日月に這わせる。微かに震えたような気がしたのだ。ん? と首を傾げた瞬間、鋭い声が飛ぶ。
異変の襲来をいの一番に察知したのは堀川だった。

「──気を付けて! 主さんは僕の後ろに!」

デュースも察知能力が優れている方とはいえ、それはあくまで人間としてである。三日月の震えが何を示していたのかを察して瞬時に表情が険しいものへと変化した。
ぞわり、右腕に鳥肌が立つ。建物の壁が崩れた箇所が近くにある。そちらに顔を向け、ソレを視界の隅に捉えたデュースは左手を添わせたままの刀を鞘から抜いた。もはや反射だった。刀としては扱わない、刀身を抜かない、そう考えていたはずだというのに。躊躇の欠片も無い、流れるような動作。
ああしまった、などと内心で思えど時すでに遅し。飛び出してきた偉業を斬り伏せた後だった。
だがデュースの懸念を余所に、三日月は変わりなく刀剣のままである。男士としての姿を現さない。という事を考えるとどうやらデュースは霊力を流し込まずに扱えていたようだ。
無言で切り伏せた後、静かに刀を構えなおす。

「そちらは!」
「特に問題ありません!」

斬り伏せたモノが何であるか。確認しながらデュースは声を上げた。間髪入れずに返答がある。僅かに離れた場所から堀川からだ。立葵は恐慌状態であるらしく尻もちをついていた。
その間にもデュースの視線が隈なく動く。動きに無駄がない。そんな自身の生徒の様子を近くでつぶさに見たクルーウェルは、無言で右手を顎に当てた。
妙に戦闘にこなれた様子だ。武器の扱いも堂に入っている。一介の学生が出来る身のこなしではなかった。リリアやシルバー、レオナなど王族や貴族に連なる者ならば武術を習うことは何ら不思議ではない。しかしデュースは一般家庭の出自である、そうクルーウェルは記憶していた。だからこそ感じた違和。

(魔法とは異なる妙な術といい、聞いたことも無い言語を円滑なコミュニケーションを取れるくらいに理解できている事といい、武器の扱いにこなれた様子といい、何なんだコイツは。入学前の実力テストでの成績は並だったはずなんだが……)

それに加えて謎の異形の件もある。学園に戻った後に問うべき項目がどんどん増えていく。端正な顔が歪んだ。


堀川が僅かに警戒を緩め、デュースが切っ先を地面に向ける。目下の危機は消えたらしい。立ち上がった立葵が盛大に息を吐いた。

「はぁああビビった……!」
「それは……歴史遡行軍。でもどうして」
「この本丸はおそらく歴史修正主義者共の襲撃にあったんだろう。……今の遡行軍はほとんど力尽きる寸前だったようだから、おそらくはかなり前に」

堀川がデュースの斬り伏せたモノに視線を落とす。次いで多少躊躇しながらも投げられた問い。デュースは自身の見解も交えながら答えるが事実は分からない。もし何かが存在したとしても消滅寸前だろう、だが万全の状態の者も居るかもしれない。その言葉を受けて堀川は硬い表情で頷いた。どちらともなく納刀する。

「先を急ぎましょう。主さん大丈夫だね?」
「お、おう大丈夫だ!」

立葵はそう返したものの頬は引き攣ったまま。虚勢であると誰もが分かっていたがあえて触れるようなことなどしない。
警戒は怠らず再び探索に戻った一行の耳に音が飛び込んでくる。遠くも無く近くも居ない場所で鳴ったものだ。ザリッと土を踏む音。全員が素早く振り返る。

「……何だあれは、影か」
「先生も見えてるんです?」
「ああ」

木の下に一つ、影があった。人の形のような輪郭がはっきりしない黒い影。ぬぼぅ、とただ突っ立っているだけの存在。
一行が歩けば歩いた分、その影も移動する。一定の距離を保ちながら後ろを憑いて来ていたのだ。
あまりにも無。敵意が無かった。故に誰もが危機の察知に一拍を要した。デュースはチラリとクルーウェルは視線を交わした。次いで堀川とも。
理由あってその場にいるモノはまだ対処のしようがある。しかしそうではないモノは対処の良し悪しの基準が分からないのだ。デュースが逡巡する。堀川に声をかけようと口を開くが、それよりも先に動いた者が居た。立葵である。ズイッと一歩、彼は堀川の隣から体を乗り出しデュースの横に並ぶ。
だが、それでも影に一番近いのはデュースだった。

「アンタ一般人だって言ってただろ? 俺に任せとけよ」

一人転倒したことを気にして挽回しようとでも思ったのだろうか。こういう時ばかり専門性を主張する。調子のいい輩である。先ほどまではぴぃぴぃと堀川に縋りついていたというのに。自身の絶対的味方である刀剣が傍にいるから気が大きくなっているのだろうか。
そう考えたデュースの思考は立葵の口から飛び出た術言と彼の動作に吹き飛ばされた。

「臨兵──」

無駄の多い動きで九字を切る様にデュースは目を眇めた。慣れていないことが一目で分かる。
するとその瞬間、ただ後ろについてくるだけだった影が腕を振り上げた。

「う、おわっ!?」
「主さん!」

まるで立葵しか見えていないようなほど執拗な攻撃。一番近いデュースではなく、立葵に攻撃の矛先が向けられている。そのことに気づきどうしようもない違和感に襲われた。不自然にもほどがある。
程なく堀川が死角から斬りかかり影は霧散した。

「え、マジで効いた感じ?」
「は?」
「だってアイツ反応したじゃん? いやぁ上手くいくとは思ってなかったんだよね」

アレをどう見たらそう思えるのか、理解に苦しむ。攻撃の矛先を向けられて苛立ったようにしか思えないのだが。
至って平静を装いながらもデュースの口から出てくるのは呆然とした音ばかり。そして、ある意味で核心とも言える言葉が立ち葵の口から飛び出す。

「さっきだって何も無かったしどうせ気休め程度だけど、俺にもそういうトクベツな力っぽいのがあるって分かって良かったぜ」
「……は?」

デュースは盛大に口端を引き攣らせた。はくはくと口を開けども言葉が出てこない。
──その表情の変化にクルーウェルは立葵に厳しい目を向けた。言葉の理解は出来なくとも伝わるものはある。普段は感情の起伏が落ち着いているようにも思えるこの仔犬が、ここまで葛藤を露にするとは。一体この男は何を言った。
嫌な予感を覚えてデュースは立葵に向き直る。脳裏に浮かんだ仮説がハズレであってほしいのだが、おそらくそうはいかないだろう。

「九字を切った後、術を解かないで来たな!?」
「へ?」

きょとんと眼を瞬かせた立葵を前に、デュースは眉を吊り上げた。あ、コイツ知らねぇな?
彼が就任してそう時間の経っていない一般の出なのだろうと察していた。だが、事前に教習制度があるはずなのだ。何せ戦に身を置くことになるのだから。
そして、中途半端な状態でそちらの世界と関わることが一番危ない。
九字というのは解術とセットで扱わなければならない呪術。切ったまま術を解かずにいれば、術を向けた対象はずっと離れられない状態となる。逆を言えば術者は祓おうとした対象とずっと繋がりを持ち続けることになるわけだ。本末転倒である。
なお、一般人が無闇矢鱈と使うことを推奨されないのは「余程素質が無ければ唱えても切っても意味がない」からだ。たとえ素質を有していたとして、術が効力を発揮したとしても逆に絡めとられて終わる。こういった攻防というのは力比べというのもあり、格好の餌と認識されかねない。
そして、現状を照らし合わせてみるに、おそらくこの立葵は──

「九字ってあれで終わりだろ?」
「ばっ!」

解術せずにいたため先程の影を引き連れてきていたのである。つまり先ほどの影に関しては元凶にも等しい。それを察した堀川は頭を抱えたくなった。
審神者に選ばれ着任している以上、能力的な面では無能ではないのだ。だからこそ尚の事たちが悪かった。そんなことなど考えもしていないのだろう、立葵はへらっと笑っている。
馬鹿、と罵倒しようとして一度は言葉を呑み込もうとしたものの、結局堪えきれずにデュースは叫んだ。

「ばっ……かもーん!」
「ヒッ」

なおこの時クルーウェルはその叫びを自身が良く言う「Bad boy!」に聞き違えていた。語感が似ているせいである。だが、あながち間違いでもない。

(着任前の教育どうなってるんだ、一度本部に連絡し──……ああ違う違うもう関係も無いのに、何考えてるんだ俺は……)

あまりにも感覚が昔に近づいてしまったせいだろうか、デュースの思考が審神者時代のようなものに変わりつつあった。頭を振ってそれを振り払う。次いで抜刀できるようにと柄に添えていた手を離した。眉間のしわをほぐすようにグリグリと揉む。
その横で古典的な叱り飛ばされ方をした立葵は目を白黒させていた。なぜこうも罵倒されなければならないのか。全く理解していなかったのである。審神者着任前に勉強したことが実になっていないことが原因なのだが、それを知るのはもう少し先のことだ。
そして彼は不意に、デュースがベルトに挟んでいる刀剣に目を奪われる。鞘の側面に描かれた独特の模様。ハッと立葵は目を見開いた。

(──三日月だ。え、は、え、コイツ研修生か見習いかなんかじゃねーの? 何で三日月持ってんの?)

立葵の中で疑問が浮かんでは消えていく。
急激に表情も空気も硬いものに変化した彼を前に、デュースは睥睨するように目を細めた。過去生のいずれでもよく見た眼。立葵の目が何を捉えているのか理解したためだった。
嫌な流れになりそうだ。一歩左足を引きクルーウェルの方へと身を寄せた瞬間、立葵が顔を上げた。

「なあ、ソレ三日月だろ。三日月宗近」
「そうだな。だからどうした」

デュースが手にし扱っていた刀剣がどのような価値を持つものなのか、分かっているのだろう。チラチラと物言いたげな視線がうっとおしいくらいだ。

「審神者じゃない、って散々アンタが言ってたことだぜ? 持ってても意味ないんだから審神者のオレに寄越すべきだろ」

審神者でもなければ、時間遡行軍との戦いに身を置いている世界の人間でもない。そんなお前に必要のないものだ。──この主張は正しい。デュースもそれは否定しない。しかし。あわよくば、と欲にまみれた眼差しで「三日月宗近を寄越せ」などと言う輩にみすみす手渡す道理はない。

「……レア度に目がくらんだ若造に渡す筋合いはないな」

蔑むかのように睥睨されて立葵は顔に朱を上らせた。堀川は横で額に片手を当てて嘆息している。デュースに対して内心、煽らないでくれ、と嘆くもその思いは届かない。止めたところで進言を聞き入れそうにも無かった。
対してデュースは体の芯が冷えるような感覚に苛立ちすら覚えていた。この男がどのように本丸を運営しているのかは知らない。堀川の様子からして悪い人間ではない事はうかがえる。だが、今この場で「刀剣を寄越せ」という発言がどうしても引っかかったのだ。癪に障ったともいう。
審神者としての矜持は未だにその胸の内にくすぶり続けている。
さらに言葉を募ろうとした立葵を遮るかのように何かが飛び出てくる。

「そして何より──」

抜刀の音が響いたと思った瞬間、デュースの足元には真っ二つに断たれた異形と折れた短刀が転がっていた。
その反応に堀川は内心舌を巻いた。やはり、人間にしては動けすぎる。まるで日常から命のやり取りの中に身を置いているかのように。

「各々が反撃できる手段があるに越したことはない。扱える者が持ち歩くのは当然だろう」

ピッと太刀を振るい露払いした後、納刀するその流れるような仕草。刀剣の扱いに慣れていることを否応なしに立葵に突き付けた。デュースの言葉はまごうことなく正論。であるが故に立葵は返す言葉が見つからない。ぐうの音も出ないとはこのことだ。
痛いほどの沈黙が落ちる。──が、それも長くは続かなかった。

「屋根の上に複数! 木陰に影一つ!」

本日何度目になるか分からない襲撃である。即座に応戦した堀川に加勢すべくデュースは刀を構えた。簡易的な術で位置を探る。

「位置把握! 屋根は三体だ! ……こういう時ってあれか、『話の途中だが敵襲だ』とでも言えばいいんだっけ?」
「そんなこと言ってる場合ぃ!?」

気まずさなど放り投げた立葵は即座に声を上げた。
その声を後ろに聞きながらデュースはげんなりとしている。余裕があるわけではないのだが、もう多少なりともおふざけを混ぜなければやってられなかった。瞳に光がない。光源が月明かりのみであり限られているため、物理的には仕方がない事なのだが。まあ精神的な意味での疲弊が故である。
突如として現れたソレ等の一挙一動をつぶさに見ること幾ばくか。遡行軍の生き残りと思しき複数の影。瘴気は無く、残りの力もほとんど無いだろう。──だが、思ったよりも動きが速い。
瞬時にそれを察しデュースは思考を切り替えた。表情が抜け落ちる。

「一旦ここから離れて広い場所へ」
「は!?」
「先に行きなさい、ちょっと数が多い」
「えっでも!」
「先駆けをアンタの刀剣に、殿は俺に任せなさい。それが一番生存確率を上げられる」

同じことを自国語でクルーウェルに告げ、デュースは二人を身体で後ろに押しやる。その動作の合間に足止めとして短符を一つ宙に放った。

「行きますよ主さん」

この場において最も戦況を正確に把握しているであろう堀川が反論も無く審神者を促した。デュースの案が最善だと判断したのだ。彼は既に刀を抜き放っている。普段は鞘を持つ左手で自身の主である審神者の手を引き駆け出した。
後ろ髪をひかれる様子で何度も振り返り見るクルーウェルに、デュースは強い語調で告げる。

「行ってください! 気が散って戦えない!」
「っ! 帰ったら説教だ仔犬!」
「お手柔らかに!!」

暗視の術をかけているとはいえ、日中よりもはるかに視界が悪いのだ。見え辛さに目を細めた。
目端に二名と一振りが十分な距離を取れつつあるのを確認して、左手でベルトに挟んだままだった鞘を抜く。同時にデュースの死角となる位置に落ちてきた異形が一体。振り向きざまに切り捨て、残りの三体との間合いを取るべく飛びずさる。
咄嗟にどれだけ反応できるのか。たった一瞬、コンマ一秒、それが生死を分ける。
前々世において、審神者に就任したての頃のデュースは突発的な襲撃に対応できなかった。いくら護身術を習い会得したとして、実践となると話はまた別なのだ。審神者就任後、早い時期から奇襲に対する耐性をつけるべきだと動いたのが初期刀である山姥切国広。そして初期から本丸を支えた短刀たちだった。

(立場上、何があっても可笑しくなかったからなぁ。思い返してみると演練場でも政府に呼び出された時も何回かあったし。本当にうちの子らには頭が上がらん)

追加で異形を一体、下から斬り上げてデュースは頭の隅で過去を思い出していた。──残り二体。
奇襲を想定しての訓練であるが故に、奇襲する側は短刀が主力。数ある刀種の中で隠蔽率が一番高い。だからこそ奇襲をかける側として最適だったのだ。
納得できるような対応できるようになるまで掛かった年月は優に数年。刀剣たちの判定はかなり厳しく、中々「これならば大丈夫」という領域に至るまで何度細かな注意点修繕点を言われたことか。
今デュースがこうして対応できているのも偏に彼らの働きによるものなのだ。長い時間をかけて根気強く修練を重ねた、その賜物。

(しかし変だな、何か妙に違和感がある。……こんなに本丸内って狭かったか?)

廃墟と化した本丸を駆けながら、デュースは違和感に襲われていた。記憶やイメージと実際の体の動きに差がある。そんな経験をデュースには幾度となくしている。そして現在もまたその差異に苛まれていた。
最後に本丸を駆けたのは体力の衰えに悩まされた五十代も半ば。対する現在は体のコンディションも最盛期と言っても良い十代後半。要は記憶に対して体が動け過ぎている。それで変調をきたしているというのだから、何とも変な話だ。
その結論に思い到りデュースはひくりと頬を引き攣らせた。けれども動く足は止めない。
──ふと、金属の擦れる音が間近に聞こえた。
考えに耽ったつもりは無かった。だが残りの二体に挟み撃ちにあったということは少なからず思考が行動に影響していたのだろう。

「──、……ッ」

口を開く。唇が「オ」とも「ア」とも見える形を取る。しかし声が出ない。咄嗟に真言が出てこなかったのだ。はくりと口を開閉させたデュースは忌々し気に顔を歪めた。
その一瞬の隙を見逃すほど貌の無いソレ等は愚鈍ではない。
デュースの心臓目がけて伸びる、腕と思しき部分が体に触れる、その直前。無理やり身体をひねることで直撃を逃れる。ギリギリで間に合った。
衣類の守りに身を救われたも同然だ。ただのワイシャツとベストでは、触れられたが最後。瘴気かそれに近しい何かに侵食されていただろう。それはもう、じわじわと。
購買部もといサム様々である。クルーウェルと共に学園へ帰ったら何かしらお礼をしよう。体勢を崩しつつも後退することで距離を取り、デュースは頭の片隅で決意する。

──何故デュースが咄嗟の反応に窮したのか。それは場所の所為だった。
今生において取捨選択して必要最低限残った知識と技術、過去生において息をするように扱っていた知識と技術。その差が大きすぎた。最適な術言は何か、そう考えた時に脳が混乱したのだ。要は記憶に引きずられた、というわけである。
そして何より、思考が煮詰まった末に物理での解決。稀どころか結構な頻度であったこともそれを助長していた。

(くっそ! 記憶の全部は必要なかったとはいえサボった結果がこれか!)

楽を覚えてその内痛い目を見そうだ、などと考えていたが今まさにその状態だった。ある意味で不可抗力ではあるのだがデュース当人は気づいていない。思考と気持ちが前々世に引きずられている自覚が無いのだ。

「く、そっ!」

舌打ちせんばかりの形相で一体を地に沈める。
ほぼ同時に研ぎ澄まされた感覚が捉えた空気の動き。咄嗟に左手を胸元に上げる。ガッと響く鈍い音。三日月の鞘で攻撃を弾き最後の一体を無言で一突き。見事に貫通した異形の体を地面に打ち捨てて、デュースは上がった息を整えるため深く息を吸った。

「──、あ?」

そして顔を上げ、呼吸が整わぬままデュースは駆けた。ジワリと汗がにじむ。どうにも嫌な予感がする。胸騒ぎが消えない。
その不穏さを肯定するかのように響いた鋭い音をデュースの耳は拾った。鋼がぶつかる音。応戦しているのだ。──遡行軍、もしくはこの空間に入り込んだ異形がまだ居たのか。
デュースは足に力を込めて地面を蹴る。そして拓けた場所に出た瞬間、目を見開いた。
夜闇に浮かぶ細い月の光に照らされて鈍くきらめく白刃。唯一の戦力とも言って良い堀川が中傷状態に追い込まれている。遡行軍の凶刃が堀川国広の刀身を折らんとしていた。
ひゅ、と息を呑んだデュースの体が僅かに強張る。

「堀川ぁっ!」

情けなく、蚊の鳴くようなか細い声が立葵の口から絞り出された。
遡行軍の刀が振りおろされる、その角度はいけない。デュースが咄嗟に突き出した三日月の切っ先は遡行軍に届かない。
少し欠けた刀身に、鈍く曇った刀が振り降ろされる──その寸前。

「──ぶっとばぁぁす!!」

突如として現れた第三者の、腹の底から放たれた怒号。それと共に遡行軍は文字通り吹っ飛ばされ宙を舞った。


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2020.12.23.支部にも投稿しました
2022.1.15.別館サイトに掲載

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スペードは夢見が叶うか
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