オンボロ寮の一室を自室として借りる許可が下りて早数日。着々とデュースの部屋が整いつつあった。
掃除の大方を魔法に頼ったわけだが、室内の荒廃具合を考えればそれも止む無しである。
式札によって生み出す仮初の式神の手を借りることも考えた。だがどうにも調子が悪い。
本丸跡地から帰還してから、術を行使する際に違和を覚えることがあったのだ。循環する霊力がうまく回らないような、妙な心地悪さ。感覚が鈍っているようにも思える。巻き込まれた当日に寝落ち、身を清めることを後回しにしたせいだろうか。
デュースはそんなことを考えながら、監督生とグリムと共にオンボロ寮の清掃に動き回った。……とはいえ、グリムは早々に飽きて掃除ではなく寮内の探索に駆けて行ってしまったが。
なお、エースは寮にて動物の世話当番のため不在である。
「お前たち、よくここまで自力で掃除したな。Good boy、Good girl!」
「時間に限りがあるので、地道に少しずつしか出来なったんですけど……」
寮内、監督生とデュースそれぞれの部屋、談話室。それらの改装作業中にクルーウェルが顔を見せ、無言で指揮棒を幾度か振るう。積もり積もった埃やクモの巣を除去してくれたのだ。それにより作業が格段に楽になった。
「建物全体の埃を取り除いておいた。細かなところは、必要に応じてその都度対応していくしかないがな」
「ありがとうございます先生!」
礼を述べる監督生の目は輝いている。
彼女のクルーウェルに対する好感度はかなり高い。デュースがリリアと昼食を共にしたあの日、クルーウェルに呼び出された監督生はまず謝罪の言葉を受けたのだという。
そして、異世界の行き来に関する一有識者としての見解と、これからの可能性についての話をするに至った。クロウリーからは全くと言っていいほど言及のない話題。まさか学園の責任者よりも先にクルーウェルから真面目な意見を聞くことになるとは、露にも思わなかっただろう。
担任という責だけではなく一個人としても心配している。その思いに触れた彼女は、ほんの少し緊張がほぐれたそうだ。
心配事はないか、生活するうえで必要な物があるなら遠慮なく言え、獣人の鼻を誤魔化す香水を渡しておく、鴉はそのうち絞める、など。その時間でかけられた言葉を思い返せば返すほど、監督生の中でクルーウェルへの信頼度が爆上がりらしい。
「ベッドのマットレスと毛布、新しいのが今日の夕方に届くって……!」
「良かったな」
「うん! デュースの方も多分届くでしょ?」
「俺のは監督生のついでだから、どうだろうなぁ。あ、でも先生なら無駄な手間を避けるために同日配達にしてそうだ」
寝具まで揃えるには金銭面で難しいとデュースは考えていた。しかし何と、それを知ったクルーウェルが一式を揃えると申し出たのだ。監督生の寝具を新調するついでだ、と言っていた。
なんでも監督生について一番に状況を把握し対応していたこと、先日の一件で立ち回ったことに対する褒美らしい。
その際に、費用は鴉に出させる、と言っていたが大丈夫なのだろうか。様々な意味で。
(……クルーウェル先生、この学園の中では常識人枠だと思うけど、やっぱりNRC関係者なんだなぁ)
そんなことを頭の隅でぼんやりと考えた。深く考えることをやめたとも言う。
疲れたように息を吐いたデュースは妙に身体の重怠さを感じていた。掃除の際、頻繁に魔法を使用したからか。そう思えど魔法石を見る限りブロットはさほど溜まっていない。十分許容範囲だ。単純に疲労が抜けきっていないのだろう。──この時はそう思っていた。
清掃作業を終え、寝具が揃ったことにより生活をするに十分な環境が整う。必然的に部屋にはデュース一人しか立ち入らない。当然のように寮の相部屋よりも気の休まる空間である。
それに伴い、これ幸いとデュースがオンボロ寮に滞在する時間が増えた。……エースと、顔を合わせづらいこともその行動を助長させていた。悪循環である。
監督生は当然、デュースがエースに対して複雑な心境でいることに気付いていた。だが深くは切り込めずにいる。デュースがあまりにも触れるには躊躇う空気を纏っていた所為だ。
そんなデュースはというと、ちょっぴり何かを言いたげな監督生に何かを言うつもりはなかった。気まずさのまま停滞した関係を解消する手立ても見いだせないまま、今に至る。
このままでは良くない。それはデュースも分かってはいる。しかし考えすぎて身動きが取れなくなりつつあった。リリアの言葉が、どうにも胸に突き刺さり消えない。バランスが崩れている、という謎の忠告も気にかかっていた。
そして、購買部を訪れた折にサムからも忠言をされる。
「ううん小鬼ちゃん、バランスが崩れていないかい? 整えた方がいいよ」
似たような言葉をかけられたのはこれで二人目だ。いよいよもって軽く考えていられない。
その理由は、意外とすぐに判明することになる。
□
それから数日後のことだ、陸上部の活動の一環としてデュースは山に足を踏み入れていた。山中に入って足場の悪い中を走り回る、という体感トレーニングの一環。発案はサバナクロー二年生の獣人である。交流を深める意味もあるのだと言っていた。……それにしては目がギラついていたが。
ペアを組んで鬼役から逃げる。変則の鬼ごっこ。それがこの日の練習内容だった。
「……なんか、俺らがペアにされるの多いな」
「確かにそうだな。まあ今日もよろしく」
「ああ、よろしく」
デュースとペアを組むのは同じ一年のジャック・ハウル。狼の獣人である。体格が良く、陸上部の中でも指折りのタイム保持者だった。
進んで他者とはつるまない者同士、部活内では何かとペアにされることが多い。
足場の悪い道なき道をデュースは駆けていた。常にちらりちらりとジャックのシルバーホワイトの髪が、尻尾が、視界に揺れる。付かず離れずの距離を保ちながらの絶妙な距離だ。獣人の身体スペックもそうだが、単純に山や森を動き回ることに慣れているのだろう。内心で舌を巻く。移動と逃走が非常にやりやすい。
そして、デュースとペアを組むこととなったジャックもまた、表には出さずにいるが感心していた。とても動きやすい。
ジャックの動きを妨げることなく、足場の悪い中を己と同等の速度で走れる相手は貴重だった。何より、目を配る場所や警戒するポイントが一致するのだ。ジャックの考えを読んでいるのか、と勘繰りたくなるくらいに。
(すっげぇ動きやすい。……良いじゃねーか!)
ジャックの口角がニヤリと上がった。
──デュースがそうまで動けるのは過去生においての経験が故。前々世を含め、獣人であった過去生、山岳に暮らしていた過去生の記憶の賜物である。
鬼役の上級生から逃げること十数分。脚力と機動力を活かしての陽動の末に錯乱に成功。地形を利用して息を殺し、鬼役を完全に撒く。気づくと二人は比較的山の奥地へと足を踏み入れていた。
「そういや、ここから先へは行くのを控えた方が良いと思うぜ」
「何かあるのか?」
ふと、ジャックが口を開いた。彼の視線は木々のさらに奥を見据えている。問えばチラリと視線をよこされた。ピンと立った耳は木々の影で薄暗い奥地に向けられている。
「……このあたりには禁足地につながる場所がある、っていう話だ。まあ噂だけどな。一応似たような事例が何件か確認されている……らしい」
「禁足地? 随分な案件じゃないか」
デュースの顔がげんなりと顰められた。
軽く後ろ頭を掻いたジャックは「自分の聞いた話だと」と前置きをして、軽く話をしてくれる。部活中であることは忘れていないようで、チラチラと視線を周囲に向けて警戒したままだ。
──とある場所に足を踏み入れたが最後、訪れた者が何の前触れもなくかき消えるそうだ。次いで、代わりと言わんばかりにぼろぼろの羽根が数枚落ちてくる。というのが、失踪を目の当たりにした数名の証言だ。
そして、数時間、数日、数か月、時間を経てその失踪した場所に骨が降る。からからに乾いた骨が地面に叩きつけられ、割れる様子が何件も目撃されているのだという。何件かのDNA鑑定の結果、失踪者の遺骨だと断定された。加えて、骨に付着した砂や埃などの分析により、禁足地とされた場所の物質が確認されている。
よって、何らかが原因で禁足地と繋がってしまった事による失踪である。そう断じられたそうだ。
なお、その「とある場所」も準禁足地として制定されて久しい。
「……さっき言ったように、この山も同じようにその現象が起きた、っていう噂がある。事実がどうなのかは分からないけどな」
つまり、そんな準禁足地と同様の状態になったかもしれないという疑惑の山で、自分たちは今部活の一環として鬼ごっこをしているわけだ。危機感皆無。最悪である。
「へえ? ……って、よくもまあそんな場所で練習しよう! なんて提案したな、あの人たち。馬鹿なのか」
「先輩たちはその噂を信じてないんだろ」
ジャックの聞いた噂は「この山奥の一角が禁足地に通じているのではないか」という憶測だった。
正確な場所は不明。準禁足地との共通点はまるでない。行方不明者が出たとして、ただ遭難しただけの可能性もある。つまり、この山が禁足地に繋がっているという確証はない。故に完全に封鎖されているわけではないのだ、という。
それは準禁足地における過去の事例でも同様。対策のしようがない。天災のようなもの、という認識らしい。
(……普通、命の危険性を伴う不確定要素があるなら、それを回避しようとするんじゃないのか? 発案者はあの先輩……獣人は本能的に危機察知能力が人間のそれより高いって言われてるけど、あの先輩もしや本能死んでる?)
ジトッと目を据わらせたデュースは内心で呻いた。中々に失礼なことを考えているが心が荒んでいるのだから、致し方ない。現在進行で嫌な予感しかしないのだ。
鈍痛を訴えかける頭に手を当てたと同時に、そう離れていない茂みがガサリと音を立てる。決して小さくない音だ。大きさを推定するに動物ではなく人間だろう。
警戒した二人が動き出す寸前に、声が届いた。
「おや、あなた方は……」
陸上部内では聞いたことのない穏やかさ。デュースがジャックと視線を交わしたのは一瞬。どちらともなく動きを止め、声の出どころへと顔を向けた。
「……誰だ?」
「……知らない」
「これは失礼いたしました。僕は山を愛する会のジェイド・リーチと申します。ふふ、このような場所で同じ学園の生徒とお会いするとは思っていませんでした」
コソッと言葉を交わした二人に、登山用と思われるアウトドアウェアに身を包んだ彼はニコリと微笑んだ。登山用ザックのショルダーハーネスに両手をかけている。相手に柔らかさを感じさせると同時に、どこか食えない印象を与える類の笑みだ。
鬼役どころか他の陸上部員の気配が近くにない。それを確認してデュースとジャックは、遭遇した彼──ジェイドと少し話をすることにした。場所が場所なのだ。異変が無いか、多少なりとも警戒心を持って然るべきである。
チラッと話を聞いたところ、どうやら彼は愛好会の活動でこの山を訪れているとのことだった。
「──というわけなんですけど、何か変わったことはありませんでしたか? 僕とジャックが走ってきた方面では特に気になることはありませんでした」
「僕も多少なりとも注意を払って活動していますが、気になることは、今のところ特に何もありませんでしたよ」
「じゃあ不穏な噂や事件とかについては、何かご存知ですか?」
「……ふむ、失踪者の話は二件ほど聞き及んでいます。残念ながら、禁足地に関して詳しくは……。情報もあまり開示されていませんしね。ただ、怪鳥が居る場所だということくらいしか。なんでも暴風の如き存在なんだとか」
「……暴風の怪鳥?」
陸上部が活動開始した場所からこの場に至るまで、そしてジェイドが活動していた範囲、そのどちらも異変は感じられない。ひとまず間近に危機は潜んでいない様だと結論付ける。ジャックが軽く息を吐いた。
とはいえ前触れもなく失踪する実例が出ているのだ。一歩進んだ途端、噂の禁足地に足を踏み入れていた、なんてことが起こらないとは限らない。やはり警戒するに越したことはなさそうだった。
「……教えてくださってありがとうございます」
「いえ、ある意味で情報の交換ですので」
横に振られる首と共に、さらりと揺れる凍てついたターコイズブルー。一房だけ垂れるメッシュの黒が色を際立たせている。デュースは何故か彼の髪色に対して寒々しく冴え冴えとした印象を抱いた。同時に、既視感も覚える。何故か。その理由に思い到り、グッとした唇をかんだ。
(髪色と、立ち振る舞い……)
先日の邂逅、そしてリリアとの会話。それによりデュースが刀剣男士を連想する頻度が増えていた。いや、今まで意識していなかった思考を過剰に認識するようになった、と言うべきか。
──あいつはこんな奴だった、なんて。
髪色、背丈、言動、行動。何かしらの共通点を見出しては懐古の念に苛まれている。いつ、誰に、誰と、など挙げ出せばきりがない。
とはいえ、今しがたデュースの脳裏をよぎった刀剣男子はこんなにも底の知れない笑みを浮かべることは滅多になかったが。
(……リリア先輩が言っていたことは、こういうこと、なのか……? だめだな、ドツボに嵌ってしまっている)
故人を連想する。それは誰にでもある事なのだ。永きを生きてきた彼はそう告げた。同時に、想起する事と同一視する事は違う、とも。
ならば、デュースが無意識下でエースに対して感じていたことは一体何なのか。重ね見ていたのだ、と思った。あまりにも自然とエースに対して
それは今しがた目の前の人物に感じたものとは質が違うような気がしたのだ。
(頭ん中ごちゃごちゃしてきた……)
頭が鈍痛を訴えてくる。軽く額に手を当ててデュースは深く息を吐いた。
ほぼ同時に、カサリと足元で乾いた音が鳴る。手の平ほどの大きさの薄く茶色い物体が一つ、二つ、と。枯れた葉だろうか。どこからか風に流されてきたのだ。
常ならば気づいたであろう兆候。気もそぞろになってしまっていた所為か、この時デュースは見逃してしまった。
──それが、事の分かれ目だった。
一瞬にして空気が切り替わる。チリリと肌を刺すような、張り詰め緊迫した空気。ジャックの耳がピンと立ち、ジェイドの顔から笑みが失せ、デュースの背筋が自然と伸びる。三者三様に辺りを見回すとそれぞれマジカルペンに手を伸ばした。
何がきっかけで空気が変わったのか全く見当がつかない。しかし、本能的な意味合いで危機が迫っていることを理解した。それだけは確かだった。
ふと、三人のちょうど真上に辛うじて羽根と判断できる物体が複数枚現れる。だがすぐには気づけない。数拍遅れてデュースの項がぞわりと粟立つ。
「上を!」
「なっ!?」
「……これはっ」
空気の抵抗を受けるほどの毛が残っていない羽根。降ってくるソレを視界に視止めた瞬間、デュースとジャックの血の気が引いた。ジェイドの双眸が鋭く細められる。「噂」の現象と現状がひどく似通っていたからだ。
「──オラッ、もっと奥に行けよ!」
突如響いたのは、この場の誰とも全く違う声だった。まるで三人を追い立てるかのように地面から木の根が突き出てくる。デュースにとってなんとも嫌な記憶を想起させる光景に、自然と顔がゆがんだ。
(一体誰がっ!)
バッと振り向くも、声の主を確認する間もなく視界がぶれる。強制転移時に感じる特有の浮遊感に襲われた。三半規管が揺らされるようなひどい不快感。
そして、吹きすさぶ風の音が聞こえた。
ひゅう、ひょう。
ごう、ごう。
大気を震わせる轟きが、つんざくような笛の音色に似た音が、絶えることなく押し寄せてくる。
「う、わっ」
唐突に靴底が硬いものに触れる。地面に足を着いた感覚はあれど、三人ともが上体を支えきれずに踏鞴を踏んだ。次いで、再び耳に届く風の音。態勢を整える余裕すら与えられず、音の出所に顔を向けた三人はそれぞれ戦慄する。
眼前に現れたのは巨大な鳥だった。いや、鳥の形をした別物、と言うべきか。翼を閉じ、ただジッと三人を見据えていた。
もしも噂が本当で、この現象がその通りであるとするならば。この場所は、今三人が居る場所は──
「お二人とも、先程僕がお伝えしたことを覚えていますか? 残念ながらアタリだったようです」
「……そのようですね」
「……マジかよ」
──禁足地だ。
□
鳥の形をとったソレは緩慢な動きで首をもたげ、悲しげに目を伏せた。
その双翼は空の移り変わりを閉じ込めたかのような色合いを見せている。薄青に溶け込む橙が紺に落ちていく、美しい色の移り変わり。黄昏の双翼。一たびそれが広げられれば木々に帳を降ろしているかのようだった。
しかし、そんな美しさとは対照的に、周囲には朽ちた花びらや枯れ葉が地に落ちている。風に散ったそれは水分が抜け干乾びていた。色は褪せ、くすみ、くしゃりとひしゃげて落ちている。微風に寄り添われてカサリと音を立てた。しかしそれもすぐに止む。
残ったのは静寂だった。生きた心地のしない、静けさ。
針のようにか細い光が昼夜の境目の翼に吸い込まれて消えていく。
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2021.4.28.
2022.1.15.別館サイトに掲載
支部に投稿する形を、今まで通りの前編後編(稀に中編)のままでいくか、完全分割型にするか、悩んでます。どっちがいいんだろうな。