群青に落ちる

49

鳥のような存在──今は怪鳥と言うべきか。
ソレは三人を見据えたまま動きもせず、ただ静かだった。その体躯は、怪鳥と呼ばれるのも納得するほどに大きい。長身のジャックやジェイドよりもはるか上に頭があるのだから、その大きさは推して知るべし。
しかし、所々の羽根が抜け落ちている様は、どうしてもみすぼらしい風貌に見える。黒々とした双翼に散るまだらな橙色。それを血痕に見間違え、ジャックのマジカルペンを持つ手に自然と力が入った。
ふと、嘴がくわりと開かれる。そこから響く音は先程から聞こえていた轟きだ。風の音と思っていたが、この怪鳥の鳴き声だったのだ。

下手に動いて刺激するべきではない。デュースは過去生の経験から、ジャックとジェイドは本能から、まるで示し合わせたかのように動作を止めていた。呼吸一つにしても最大限に潜められている。眼前の敵と判断した相手から目を逸らすことなく、相手の出方を窺っていた。
両側ともに微動だにしない膠着状態。対峙すること数十秒か、それとも長い間だったのか。唐突に怪鳥の双翼が広げられた。
──そう認識した途端、三人は再び浮遊感に襲われる。マジカルペンを振るうどころか指の一つ分すら動かす隙も無かった。

「は、」
「なっ」
「っ!?」

全身にぶつかる風の衝撃に息が詰まる。まともに目が開けていられないくらいの風圧だった。
それぞれが驚きと動揺の声を上げるが、それぞれの耳には届いていない。轟々と押しつぶされそうなくらいの風鳴りがしているのだ。時折、空を切る甲高い音が耳元で鳴る。
あまりにも事態が二転三転するせいで、デュースは自分たちが置かれている状態を把握しきれていなかった。目が回りそうだ。心情的にも身体的にも。

(まだ、きりもみ状態にならないだけマシか)

手汗でマジカルペンが滑りそうになるのを何とか阻止して、デュースは一度胸ポケットに収納することにした。装備していれば魔法石を介して魔法を使うことができる。そのため何が何でも手に持つ必要はないのだ。風に負けて手放しでもしたら目も当てられない。
むやみやたらと魔法を使い魔力を消費するのは得策ではなかった。全身に薄い防壁を張る程度に留める。しかしそれでも叩きつけるような風圧を感じる。
最悪なことに、まともな魔道具や霊具を所持していない。部活動の一環として動き回っていた弊害である。頼りになるのはマジカルペンと小さな霊具だけだった。もっとも、その霊具も防御特化型だが。
両腕で顔面を庇いながら、どうにか現状を確認しようと薄らと目を開け、そして息を呑んだ。

綿のような白。雲だ。雲海が遥か下に見える。
つまり、空に放り出されたのだ。文字通り、ポイッと。先程の浮遊感は宙に放り出されたことだけではなく、もしかしたら強制的に転移させられた感覚も混ざっていたのかもしれない。

「──ぼ、くは! トビウオではないので空は飛べません!!」

風の奔流で頭がおかしくなりそうな中、悲痛な叫びがデュースの耳に届く。

「僕だって人間なので素で空は飛べませんよぉ!」
「あ、あんた等今はそれどころじゃないだろ!!」

思わず叫び返してしまった。半ば反射的な反応である。同じく反射的にツッコミを入れたであろうジャックの顔はおそらく引きつっている。
だが、すぐにその余裕もなくなる。上手く息が出来ず、三者三様に空気の確保に苦心する羽目になった。
落下時は意外と呼吸が出来ないものなのだな。デュースは頭の隅で考える。薄くとはいえ防壁を張っているというのに、顔面を塞がれているような感覚。落下による空気との摩擦が凄まじいのだ。
自分はやり過ごせているが、他の二人はどうだ。デュースは薄目を開けて周囲を見渡し、ジェイドが体を縮めこませていることに気づいてギョッと目を剥いた。

「先輩! 体を縮めちゃダメです! 空気の抵抗を少しでも大きくしないと! 落ちる速度が増します!」
「ではどうしろと!?」
「え、えっと……手と足を広げて……? あっモモンガ! モモンガのように! 体に防壁を張れば風にもある程度耐えられますから!」
「陸生活二年目にも優しい説明を要求します!!」
「えええ?? 大の字、は漢字だから伝わらないか、うん伝わらないな。え、あ、何かないか!!?」

ああ、彼は人魚だったのか。そんなことを考えながらデュースは口を開く。
しかし出てくるのは動揺の言葉ばかり。努めて冷静でいたつもりだったが、やはり焦りを感じていたらしい。上手い例えが浮かばない。うろうろと目を泳がせた末に頼れる部活仲間に縋った。

「そこで俺に振るのか!? …………ああもう! 両手両足をガバッと広げれば良いだろ!」
「無理です!!」
「ちょっとだけです! ほら足を伸ばして!」
「無理です!!」
「せめて背を丸めないで!」
「無理です!!」

無限ループである。
叫び続けるにも体力を消耗するため、似たやり取りを十回ほど繰り返した後は自然と口数が無くなっていく。
やがて、観念したのかジェイドが恐る恐る折り畳んだ長い足を伸ばし始めた。

そんな状態のまま、どれほど宙を落ちていたことだろう。
いつまでたっても景色が変わらない。ただ落下と共に下からの風流と風圧を感じるだけ。雲海が近づく様子もない。
思い返せば三人の距離が最初からずっと変わらぬままだった。不自然すぎるほどに。
それに気づいてからは周囲を観察する余裕も生まれる。……とは言っても、約一名の身体は未だガッチガチだが。

そうして心に多少の平常さを取り戻せた頃、デュースはふと既視感を覚えた。マジカルホイールで風を切り走っていた感覚と、ひどく似ているのだ。実物はこんなに不安定でも、全身余すところなく風を受けるわけでもないが。
そして同時に、鬱屈していた感情が軽くなっていることにも気づく。先程感じた既視感の正体に思い至った時、デュースは強張っていた体がほぐれていくような感覚に息を呑んだ。

(──ああ、そうだ。そうだった)

嫌な感情や思考を全て置き去りにしていく。一つ、一つ、心の蟠りが引き剥がされて身軽になっていくような錯覚。
自然と肩の力が抜けていく。

(過去生を思い出す前の自分が、マジカルホイールに傾倒していた理由、これだ……!)

己を長らく蝕んでいた苛立ちも、恐れも、悩みも、何もかもが。今この瞬間吹き飛ばされたようだった。

過去生を思い出す以前のデュースは風を全身に受けることを好んでいた。もっとごちゃごちゃした理由はあったが、根本にあるのはその思いが主である。
風を受けて疾走する時ばかりは何もかもを考えずに済んだから。だから、マジカルホイールに傾倒したのだ。一時でも嫌なことを忘れるために。己が何者でもない瞬間に、浸るために。
過去生を思い出してからは気を割かなければならないモノが多すぎた上に、法定速度で走行していたこともあって、風を感じる余裕など無かったのだ。

「……はっ」

息が無意識のうちに零れた。目が見開かれ、そして、くしゃりと眩しげに目が細められる。

──ああ、息が、出来る。

漠然とそう感じた。実際には空気の抵抗と風圧によって、呼吸の儘ならなさすら感じるというのに。おかしな話だ。
くるりと身体を反転させて雲海を背に上空を見上げる。晴れた空は青かった。
薄青から群青。藍、黒に近い紺。高度が上れば上がるほど青が深まっていく。生身で上空に昇ることは殆ど無いため、あまり知られていないことだ。
空はこんなにも美しく冴え冴えとしていただろうか。

(真っ青、だな)

すう、と息を吸う。肺が空気で満たされていく。顎が上がり、胸と肩が開き、背筋が伸びる。まともに息をしたのが久方ぶりな気がした。解放感に満たされた心が軽くなっていく。
ああ、だが、何故だろうか。視界が滲む。
悲しくも無いのに滲む涙で目が熱い。喉の奥が熱い。胸が、熱い。
ぽろり、ぽろりと風にあおられた涙が目から離れて宙に舞う。その滴が一瞬にして砂粒のようになっていくのを、デュースは不思議な心地で見送った。
滲む視界の中、上空の色も相まって自身の涙が星のようにきらめく様にも見える。
……己の涙が星に思えるとは、我ながら随分と大それた思考だな。少し可笑しさを感じて自然と笑いが零れた。

「ふ、……ふふはっ」

過去生を思い出してから早くも約一年が経とうとしている。早いものだ。
しかしこの時、デュースは初めて心の底から笑った気がした。

「……は、ははっ、あはははっ!」

無邪気とも聞こえる笑い声。デュースとそう離れていない場所で宙を落ち続けている二人はギョッと目を剥いた。恐怖で気が触れたか。顔ごと声の出所へと視線を向け、そしてさらに目を見開く。

──デュースは、泣いていた。泣きながら笑っていた。
口端は上がっている。笑みを模っている。しかし涙に滲んで碧玉が揺れていた。眉も下がっていて、とてもじゃないが心の底からの楽しさを感じさせる表情ではない。焦燥、歓喜、悲哀、安堵、悲壮、心地良さ、それ等がごちゃ混ぜになったような、複雑な表情。
しかし恐怖の色は欠片も無かった。いっそ晴れ晴れしているような爽快さすら感じられる。
空の青にぼろぼろと涙が宙を舞って、いや風に巻き上げられて遠い彼方に消えていく。不覚にもその様が美しく見えてジェイドとジャックは一瞬息を忘れた。

「ふ、ふふ……!」

二人が何を思ったかなど露知らず、へにゃりと相好を崩してデュースは年相応の顔で笑った。
だが、いつまでもこうしてはいられない。何せ解決法が定かではない問題の真っ只中。何度か緩慢な瞬きをして、青い世界を目に焼き付けた。
ほう、と一つ息を吐き、再度くるりと体を反転させる。そしてデュースは雲海と──風が吹きつける方向へと向き直った。瞬き一つの間に笑顔が失せ、その表情は老成したものに変化する。
その顔に涙の気配はひとかけらも無い。涙が溢れては直ぐに上空に巻き上げられていたため、頬を濡らしてはいなかったのだ。

(……さて。今はこの状態からの脱却が最優先だな。情報が少ないながらも、その限られた中で事態の収束に繋げるのは……まあ良くあることだ)

空に投げ出される前はぐちゃぐちゃだった頭が妙にすっきりしている。無理なく思考を回せそうだった。
胸に燻ぶっていた鬱屈した感情が薄まった為か、余分に入っていた肩の力が抜けたのだ。

(空に放り出されたのは、「失踪者の骨が降ってくる」っていう件と関係があるんだろうか。日数に統一性が無いのが気になるけど……。あと、怪鳥。アレ、話を聞いた時は魔物と似たような存在かと思っていたけど、何かが違う感じがする)

気になった点を脳内にピックアップしていくと同時に、纏まらなかった思考が急速に引き締められていく。視界が広がったかのような感覚に目を瞬かせた。
よほど余裕を失っていたのだと、この瞬間になってようやく自覚する。ある程度調整できているものだと思い込んでいたのだ。精神的に追い詰められているときは視野が狭まる。そんな状態に陥っていたのは久々だった。
小さく肩をすくめて深呼吸をする。
デュースが何事かに巻き込まれた時は、まず自分の身体的感覚と第六感を頼りに解決の糸口を探すことが多い。前々世の審神者時代からそうだった。周囲を見回して違和を探していく。
──そして見つけた。
冷静になった今思えば、なぜ気付かなかったのかと不思議なくらいの違和。僅かに顔を上げてデュースは口を開いた。

「なあ、聞いてくれ」

びょうびょうと風が吹きすさぶ中、デュースの声は不思議と鮮明に二人の耳にすんなりと滑り込む。先程彼らの耳に届いた無邪気さを感じさせる声とは程遠い、ひどく落ち着いた声。

「おそらくだが此処は、ただの上空じゃない。そもそも本当に空に飛ばされたのかも怪しい」
「どういうことだ?」
「落ちても落ちても下に近づいている気配がしない、という点では確かに奇妙ですが……」
「うん、そういうことですよ。だって、ほら、」

冷え冷えとした風の質が変化する。からからに乾いた、水の気配の欠片もない空気。急激な変化を肌で感じてジェイドがハッと顔を上げる。

「──此処には太陽が無い」

デュースの言葉が宙に放たれた途端、三人の眼前に雲海が迫った。一瞬前まではるか遠くに見えていたというのに。
誰も声を上げる間もなくそのまま雲の連なりに突っ込んでいく。ぼすん、と鈍い音が立った。そして水蒸気の塊である雲の層を抜けるとそこに広がっていたのは森林。葉を落とす季節に差し掛かっているのか茶色が目立つ。
三人が空の次に放り出されたのはその真上だった。木々との距離が十数メートルしかないだろう。
乾いた風が、一際強く吹き付ける。

「……いや、おかしいだろッ!」
(うわっ予想が当たってもうれしくないパターンだ……)

不可解さに思わず吠えたジャックの横でデュースは顔を顰める。横から差し込む日の光が目に眩しい。それこそがデュースが異常であると断じた一因だ。
上空だと思っていた場所では、空の色や雲の色を確認できるくらいには明るかった。しかし自然の光源である太陽が存在していなかったのだ。それを奇妙と思わずなんとする。
なぜデュースがそれに気付けたか。答えは単純だ。雲海に背を向け上空を見上げた際、左右上下の明るさが一定だった。通常の空であれば太陽の眩しさを一番に感じていたはずなのだ。色の鮮明さを認識するよりも早くに。

「……どうやら、ここでもこれ以上は落ちないようですね」

いつの間にやら平静さを取り戻しつつあるジェイドが呟いた。どうしたことか風鳴りに混じって声が届く。

「そうみたいですね。……となると、落下時の空気抵抗だと思っていた風が俺たちを浮かせるためだった可能性があるのか……?」

しかしそうだとするならば理由が全く分からない。そう呟くデュースの声もまた、ジャックとジェイドの耳にしっかりと届いた。
空中で不安定な中、器用に片腕の上で頬杖をついてデュースは首を捻っている。焦りが取り払われていて限りなく自然体に近かった。その様子につられて、ジャックの肩からも少しだけ力が抜けた。開き直ったのか、焦るまでもないと判断したのか。それはジャックにはわからないが。
しかしそれでも、この危機的状況の中でも動揺を抑え、鷹揚に構える者が目の前に居る。それだけで心を落ち着ける一因となった。

「何か分かったのか?」
「分かったっていうか、うーん……。先程僕が見破ったことで状況が変化した、っていう所に何らかの意思を感じるんだよな」

相変わらず轟々と鳴りやまない風の唸りの中、妙にしっかりと聞こえるジャックの問いにデュースは答える。この時点で既に皆、普通の話し方に切り替えていた。声を張り上げずとも相手に届くと知ったからだ。
明確な根拠はない。だが過去生における長年の経験と、それがもたらす感覚が、その可能性を訴えかけていた。

「……なんか、こう、試されてるような?」

ううん、と首を傾げて呟く。
デュースの中で「怪鳥」と言うにはどこか違和感を覚える存在。過去生のいずれかにおいて、似た空気を持つモノと対峙したことがあるような気がしてならない。しかし記憶を辿ろうにもなかなか難しい。知識として落とし込もうとしたことによって出来事としての詳細を思い出せないのだ。

「……この状況下で黙秘するのは得策ではありませんね。少しですが、僕が禁足地について知っていることをお話ししましょう」
「お願いします」

ジェイドのその言葉に、やはりまだ何か知っていたのか、と頭の隅で思いながらデュースは続きを促した。初対面時に感じた、食えない、底の知れない、といった印象は外れてはいなかったようだ。

「今回僕たちが飛ばされたであろう禁足地の通称や登録名などについては割愛しますね」
「はい」
「もとはごく普通の山だったそうです。それが怪鳥の出現によって豊かだった山の環境が大きく変化した。いつの間にか住み着いた怪鳥の気性の荒さ、縄張り意識の強さは異常だったのでしょう。その被害の甚大さと危険性によって禁足地と定められた……というのが大まかな経緯です」
(……出現と共に変化、ねえ……?)

至って淡々とした会話だが、下方からの強風に晒されながら、森林の上空に浮いたままで交わされている。なんともシュールな光景だ。
デュースとジェイドが交わす会話を聞きながら、ジャックはきょろりと眼下の森林を見下ろした。

「多くの専門家が調べても怪鳥の正体は判明しないまま。捕獲、討伐、どれも達成できずに終わっています。そして、特徴の一つとして挙げられるのが、極度の乾燥。……おそらく、失踪者の骨が降ってくるのはこの辺りに関係がありそうだと予測されています。僕が知っているのはこの程度です」
「……なるほど、ありがとうございます」

少し顔色が悪いジェイドにチラリと視線をやって、デュースは気を引き締めた。早く地面に足を着けなければなるまい。
大まかな事態の把握は出来た。だがデュースの中で何かが引っ掛かっている。ジェイドの知る情報が真実そのものであるとして、雲海の上から森林の上空に落とされている理由が分からない。何か別に見落としている事があるのではないだろうか。なんとも言えない手詰まり感に眉が寄った。
そんなデュースの脳裏にふと過ぎる言葉。

──少々バランスが崩れておるぞ

リリアからの忠告の言葉だ。バランス。均衡。崩れている、モノ。
ハッと息を呑む。意識して森林を、いや、山全体を見下ろす。視線を縦横無尽に巡らせ、意識して視ること数十秒。あることに気づいて目を見開いた。
そして同時に、リリアがデュースに伝えたかった事の意味と、自身の不調の原因にも思い至る。苦々しげに相貌が歪む。

「……気の循環が、滅茶苦茶だ」

ぽつり、デュースの言葉が宙に溶けた。
暴風ともいえる風が止み、再び三人は地面の上に降り立った。どれほどの間を風に吹かれて宙に放り出されていたのか。着地にもたつき踏鞴を踏んだ。ジェイドが座り込むのを視界の隅にとらえながらも、デュースは真正面を見据える。
禁足地に飛ばされた時と同様、眼前には怪鳥がただ佇んでいた。







その双翼が黄昏と例えられたのは昔のことになる。今はもう色の重なりはとうに消え失せ、羽根は抜け落ち、みすぼらしい様を曝している。
夕空の翼を持つこの存在が生まれたのは遥か昔のことだ。自我がいつ芽生えたのかは定かではない。いつの間にか、当然のように森の中に生じていた。
生まれいずる命の傍らに、死にゆく命の傍らに、息づく命の傍らに。日月、暁光、夜闇の加護あれ共にあれ、と。

しかし、いつしか山は本来の姿を失っていった。立ち入った余所者の介入によって山を構成する要所の均衡が崩されたのだ。
動物が減った。一部では木々が枯れ生物は減り、一部では昆虫や木々が増え、大地が痩せた。その一部でも大地が痩せて昆虫が蔓延り、木々は蝕まれ、結果枯れた。
木々が枯れ、地中に水を貯える機能を失った山は崩れ始める。するとなぜか雨は場所によって降水量に差が出始めた。
許容量を超えた雨は木々の根を腐す。雨は降らないが地中の水は徐々に下流へ流れる。木々は枯れ、湖は涸れた。
山はもう本来の姿を失っていた。木々は枯れ腐り、大地はひび割れ、水が涸れ、じわりじわりと蝕まれていく。育まれた命が潰えていく。

命の声が聴こえない。もう、あの日の命には触れられない。潰えた以上、自然の中に同化し消えて逝くだけなのだから。
山の至る場所がいやに冷え切っている。柔らかさも、ぬくもりも、何もかもが無い。
願いと祈りを重ねた森の命はあっけなく夕空の翼を持つモノの前から消えた。あっけなく。そうして潰えたすべての抜け殻を双翼で抱きしめて、ただただ哭いたのだ。
瞼の裏にずっと焼き付いている、愛しんだ多くの姿を忘れることなど無い。残像とは分かっていた。それでも抱きしめたのは──息づく命を愛していたからだ。

夕映えに光が沈んでいく。
ぽっかりと空いた湖の跡地に、もう戻らない夕凪に、掠れ薄れた亡骸が沈んでいく。
嘴が緩やかに開かれ、ごうごうと、ひょうひょうと、風の唸りが響いた。

それからどれほど経った頃だろう。黄昏の翼を失いみすぼらしい風貌となったソレを脅威と見なした輩が、排除しようと幾度となく訪れた。だがどれほど干渉されようともソレの居場所は此処である。
かつて祈りを受けてソレは──夕空の翼を持つモノは生じた。そして絶えず存在し続けることを望まれた。だから消えることが無い。それが祈りの大本だからだ。此処に生まれ、此処で消える。そんな存在。故に、根本を理解しようとしない者たちが幾ら力を尽くそうとも無駄なのだ。

一存在として生じてからずっと山と命を共にしてきた。だからこそソレは理解している。自身では山の荒廃を止められない。何故ならば共にあるだけの存在だからだ。維持するための力を持ち合わせていない。
ならば何とするか。願ったのだ。祈りと願いで生じた存在のソレが切々と願うなど可笑しな話だが。
黒々とした比翼が、ゆったりと開かれた。美しさを失ったソレはただ求めている。──この山を蝕むモノが取り除かれることを。



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2021.5.8.支部にも投稿しました
2022.1.15.別館サイトに掲載
成主の状態はテンションハイ的な感じ。根本は解決してない。
何でこんなに長くなった? ってよく考えたらジェイド先輩が上空で言うことを聞いてくれなかったせいですね。本当は書く予定がなかったんですこれ。


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スペードは夢見が叶うか
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