探索と廃品回収

50

黒々とした巨体を見上げてデュースは顔を強張らせた。その足元には枯れ葉と枯れ枝が散乱している。
意識して視た・・ことにより、魔獣や魔物とはまた別の存在であることが分かったのだ。
どうにも違和感を覚えていたのは、この所為だった。
怪鳥──鳥のモンスターと言うには存在が自然に近すぎる。どちらかと言うと、前々世で幾度か関わることのあった土地神の在り方に似ているようだった。自然信仰、自然崇拝によって神格化し祀られる存在に。概念的存在ともいえる。
かつてデュースは、審神者として人ならざるモノと対峙する世界に身を置いていた。その中で自然が力を持ったモノと相対する事も稀にあった。今の状態を鑑みるに、それに近いものがあるのだ。
世の専門家がどれだけ調べようと、議論しようと、分からないはずである。生き物ではないのだから。そもそもの認識の前提からして間違っていた。
術を使用して同調すればもっと細かな詳細が分かるかもしれない。だが今のデュースでは相手に引きずられてしまう可能性が大いにあった。本調子では無い中で無理に使用するのはなるべく避けたい。

怪鳥──いや、精霊や土地神とでも呼ぶべきか。その存在は黒々とした翼を閉じたまま、未だ三人を見下ろし佇んだままだ。
どうしたものか。デュースは思案に余り下唇を噛む。
一度この場から離れたい。それが現時点で一際強い気持ちだった。運の良いことに黒々とした巨躯との距離が一番近いのはデュースである。ほんの少し逡巡すると、僅かに片手を上げて二人に後退するよう促した。
それに気づいたジェイドが姿勢を低く木々の合間にまぎれていく。着地の際には地面に片膝を着いて座り込んでいたが、その状態からいつでも動けるように態勢を整えていたのだろう。
そして、デュース一人を置いていくことに躊躇したジャックが一歩後退した途端に動きを止めた。それを察して指先だけで後方の木々を強く指し示す。今ここで留まられても逆に動きにくい。

(……今分かっていることは、目の前の存在が土地神と似た存在って事と、山を循環する自然エネルギーが変な部分と過剰な部分と不足している部分がある、ってこと、だけ)

二人が完全に身を潜めたことを感覚的に察し、デュースもまた同様にじりじりと鳥のようなソレから距離を取り始める。その最中にも意識を周囲に配り五感を研ぎ澄ましていく。
それにしても二人とも気配の消し方が非常に上手い。この危機的状況の中で本能的感覚が研ぎ澄まされているのだろうか。そんなことを思考の隅で考える。この考えを知られたらなんとも複雑な顔をされそうだ。

(……それにしても、何人も「ここに引っ張って・・・・・きて骨にして元の場所に戻す」なんて芸当が出来るような力を持っているようには見えないんだけどな。力の系統が違う気がするし。結構弱ってるみたいだし)

何故デュースたちがこの場に引っ張られたのか。その理由も用いられた召喚方法も全く分からなかった。
自然と両目が細められる。疑念は深まるばかり。視線は眼前の巨躯に固定したまま、足音を立てないよう気を付けながら地面すれすれに足裏を滑らせて後退していく。
ふと、何の前触れもなく鳥の形をしたソレが両の翼を広げた。ごう、と風が唸る。後方から聞こえる息を呑む音の出所は、おそらくジャックだろう。
デュースは姿勢を低く保ったまま、何時でも術を放てるよう片手に印を結ぶ。しかし危惧していたことは何も起こらなかった。
ぽとっ、と小さな音を立ててデュースの足元すれすれに落ちる小さな物。訝し気にそれを一瞥して視線を上げれば、鳥の形をしたソレは翼を折り畳み元の佇まいに戻っている。
まるで、拾え、とでも言われているようだ。敵意は感じられない。

(パッと見、特に呪いがかけられているわけでもなさそうだな。……ん? いや、これは……)

まじまじと見つめて、それが果たして何であるかを悟ったデュースは頬を引き攣らせた。魔道具の残骸だった。それも、中々に強力な。
素早く視線を周囲に巡らせると、チラホラ魔力を感じられる物の破片や断片が散見できる。もしや過去に討伐目的でこの場を訪れた者たちが残していった物なのだろうか。
足元のそれを素早く拾い上げ、デュースは鳥のような形をしたソレの視界から外れるように後退した。木々の合間に身を潜め、深く嘆息する。今しがた脳裏によぎった推測が正しいのならば自分たちは非常に理不尽なとばっちりを受けたということになる。

「大丈夫か、凄ぇ顔してるけど」
「そんな顔もしたくなるっての、こんなのさぁ……」
「何か分かったのか?」
「……おう」

いつの間にそばまで寄ってきていたのか、ジャックが声をかけてくる。よほどデュースが死にそうな顔か、凶悪な顔をしていたのだろう。僅かに引き気味だった。
酷くげんなりとした声色と渋面のまま返答して、苛立ちのままに後ろ頭を掻く。そうしている合間にも今度はジェイドが合流した。

「お二人ともご無事で何よりです。その様子ですと、何か判明したことでもあったのですか?」
「……ええ、ありましたよ」

短く首肯して、デュースは一度口ごもる。まず何から話すべきなのか思考の整理が不十分だったのだ。
乾燥した木肌にジャージ裾が引っ掛かる。それをうっとおしげに取り払おうとして、失敗した。ピッと繊維が引っ張られて糸が出てしまう。踏んだり蹴ったりである。両肩がかくりと下がる。

二人と合流したことで会話が生じる以上、名前に関することは注意した方が良い。だが説明したとして完全に相手の名を呼ぶことを回避できるか。それは難しいだろう。二人のみならばともかく、三人だ。相手を指名して会話をする必要性が上がる。
仕方あるまい。デュースは内心でため息をつきながら素早く印を結ぶ。ぽつりぽつりと真名隠しの術言を唱えた。長時間の効果はなく、しばらくの間の気休め程度の術ではあるが。
前々世では使用頻度の高かった術の一つだ。一般人との関わりが皆無だったわけではないため、必要に応じて使わざるを得なかった、ともいう。

不思議そうな二人を前に、へらりと誤魔化すように笑ってデュースは口を開いた。

「……どこからどう説明すれば良いのか分からないくらい、なんかこう、複雑というか面倒というかややこしいというか……」
「では、こうしましょう。僕とジャックくんの質問に答えてください。その後で不足していると思われることに説明を入れる。……いかがです?」
「その方法だと無駄がなさそうですね。ではそれで。……この場所から少し離れながら話をしましょうか」

提案に許可を得たジェイドが頷く。デュースの隣でジャックもまた小さく頷いた。促されるまま自分たちが放り出された場所から離れていく。

「まずは、そうですね……あの怪鳥の正体の見当はついていますか? 僕も一応は様々な資料を読み込んでいますが、一致するものはありませんでした」
「……先輩、それについてなんですけど、アレ、怪鳥なんかじゃないです」
「おや、そうなのですか」
「はい……」

頭が痛い。そう言わんばかりにデュースは眉間を揉んだ。

「詳しく説明は難しいのですが、生き物ではないです。何というか…………概念?」
「概念、ですか」

その答えが予想外だったのか、ジェイドはきょとりと目を瞬かせた。思案するように彼の長い指が顎に当てられる。
足元で乾燥した小枝がバキリと折れた。

「はい。あと、何かに働きかける力をあまり持たないように思います」
「……なぜそれを判断できたのか疑問ではありますが、それは後程聞くとしましょう」
「聞かれても答えるかどうかは別ですね」
「おやおや、そんなつれないことを言わないでください」
「……あんた等、話が逸れてるぞ」

食えない笑みを浮かべた者同士の応酬にジャックが割って入る。ジトリとした視線を送られて、デュースは僅かに視線を泳がせた。確かに今話すべきはそれではない。

適当に拾った木の枝でガリガリと地面に図を描き、魔道具の残骸をその横に置く。デュースは図解を含めて説明を重ねることにした。
長身の男が三人揃ってその体躯を縮め、しゃがみ込んで地面に描かれた図を見ている。なんとも不思議な光景である。

そうして問答の形で情報共有をしていった結果、ジャックとジェイドが知り得たのは以下の通りである。
怪鳥でも生物でもなく見守るだけの概念的存在であり、何かを害する気配はない事。そもそもアレの出現により山の環境が崩されたわけではないという事。
程度の差こそあれど魔力の宿った魔道具の残骸がそこかしこに散らばっているため、それが中途半端に掛け合わされて転移術のような効果をもたらしている事。それにより失踪事件が引き起こされている事。
失踪者たちが骨になって元の場所に戻ってきたのは同じく魔道具の残骸が作用した結果である事。
魔道具の残骸が山に巡るはずの自然エネルギー──いわゆるの循環を滞らせ、滅茶苦茶にしているかもしれないという事。
山が荒廃する原因が、また別にある事。

デュースの推測は大体が当たっていた。完全ではないが。
鳥のような形を持った存在は、実体を持たない。言うなればエネルギー体。そんな存在が明確な意思を持って魔道具の残骸に触れ続けたならどうなるか。……その結果が時折発生する失踪事件の要因となった。
つまり、今回三人が巻き込まれたのも原因は同じ。魔道具の残骸が中途半端に掛け合わされて生き物を召喚するに至った、というわけだ。
デュースたちはまだ知らないことだが、現代では使用禁止されている魔道具の残骸などもこの場所にはある。
失踪後に骨が降る。それに関しては、失踪者がパニックになった末に状況確認もできぬまま逃げようとし、結果として壊れた魔道具の餌食になっていた。
なにせ、当時の術者や魔法士たちはあの手この手で排除しようとしていたのだ。危険なものも当然用いられていた。テリトリーから引きはがそうと転移術を発動させるための魔道具や、死に至らせるために水分を奪う魔道具など。
……それも組み込まれた魔術式の対象外である「実体を持たないエネルギー体」を対象に使用されたことで、逆に侵食され誤作動を起こし、壊れたわけだが。

「……と、まあ、そんな感じだと推測しました。大量の魔道具が大なり小なりの魔力を宿したまま、壊れた状態で長年放置されていたんじゃあ、そうもなるわな」

デュースの心底疲れ切った声色で放たれた言葉に、ジャックとジェイドは揃って沈黙した。言葉にすればするほど、されればされるほど、自分たちの置かれた状況の理不尽さに辟易する。完全なるとばっちりだ。
ジャックは先程のデュースとそう違わない、苦虫を噛み潰したような表情で唇を引き結んでいる。ともすれば唸り声が聞こえてきそうな形相。尻尾が不機嫌そうに揺れていた。
そしてジェイドは真顔だった。感情が読めない。
がさり、と枯れ葉が揺れる音が妙に大きく聞こえた。

「そういうわけで、魔道具の残骸はあの場所だけじゃなくて他にもあると思います。……それを魔力が残ったものを中心に取り除いてみようと思うんですけど、二人はどう思いますか?」
「……危険では?」
「危険が無いわけではないですけど、それ以外に正直方法が思い浮かびません。さっきスマホで外との連絡が取れないか試してみましたけど、電波届かないみたいですし」
「そうですね、メールも電話も繋がりません。禁足地ともあって近年は人の手が入っていないのでしょうね」

どうやらジェイドも既に試していたらしい。聞くと、移動の最中に確認していた、とのことだった。それに頷きを返してデュースは周囲に視線を投げる。

「この場所から無事に出ていけるかどうかも微妙そうなので、やはり自分たちである程度どうにかしないと……」
「出るのが難しい、ですか……」
「多分歩けば何かしらにぶつかりますよ」
「完全に壊すのか?」
「まあ、魔力が残っている場合はそうなるかな」

魔道具の破壊について、これに関しては特殊なもの以外は問題が無い。未知の怪鳥に対して用意された魔道具ではあるが、時の経過によって一介の学生である自分たちでも力尽くでどうにかなる程度まで劣化している。
形が残っている魔道具については状態にもよるが、大半はデュースが封印する予定である。だがそれは黙っておくことにした。
おそらくジャックがそれを知れば、懐に入れた相手には優しさを見せる彼はすぐさま止めるだろう。オーバーブロットする覚悟でやるつもりか、と。そういう男だ。
まあデュースが使用するのは魔法ではなく陰陽術であるため、霊力の枯渇はあれどオーバーブロットの心配はない。

今回デュースと共に巻き込まれた二人ともが、異常事態の中でも冷静に物事を考えられている。いや、生存本能が強いと言うべきか。だからデュースが特に悲観的になる要素はあまりなかったのだ。本能とは時に何よりの判断材料と成り得る。
一人では難しいであろう事でも三人も居れば解決できることは多い。特に、内一人は上級生だ。会話や行動を思い返せば当然のように彼の頭の回転は速いことがうかがえる。……疑似上空と思しき場所での一件は、例外だが。
この山に放り出されてからの出来事を思い出したデュースは、思わずジェイドに目を向けてしまった。底の知れない笑みを返され愛想笑いでごまかす。

その横で何事か考えを巡らせていたジャックは、難しい顔のまま了承の意を示した。

「……分かった。でも、どうやって探すんだ」
「俺が探せるから問題ない」
「随分な自信ですね」
「まあ、エネルギーの流れに生じたひずみを見つけるだけだからな」
「いや、だけ・・ってお前な……」

デュースは簡単に言ったが、おいそれと出来ることではない。魔力の残滓を辿るならばともかく、自然エネルギーの流れを把握するなど。たとえ出来たとしても魔力のコントロールと消費は並大抵ではないはずだ。それを、随分軽く言うものだ。ジャックは言葉を詰まらせた。
……もっとも、デュースが使うのは魔法ではなく陰陽術である。多少二人との間に認識のズレが生じていることに気づいたが、特に指摘はしない。その必要が無いためだ。

「おや、それはそれは。ぜひご教授願いたいものです」
「いや、体質のようなものなので、素質が無ければ難しいですね」
「……そうですか、残念です」

面白いものを見つけたような顔でジェイドが訊ねるが、それに含みを感じたデュースはさらりと躱す。
ひゅるり、生ぬるい風が二人の間に吹いた。
まぁたやってる。本日何度目かの妙な空気に、ジャックは呆れたように見やると所在なさげに尻尾を揺らした。

「いでよ、お助けセット」

デュースはマジカルペンを振るい自身の能力を補助のための霊具を召喚する。少し前に纏めて紺色のポーチに入れていたのだ。
場所が場所なだけに呼び出せるか少々不安だったが、破損も欠けも無く霊具は手元に収まった。重畳だ、と一つ頷く。厄介ごとに巻き込まれている最中ではあるが、幸先が良い。

「よし、じゃあ廃品回収に行きますか」
「……他に何か言い方は無かったのか」

空気を和ませるための冗談だったのだが、不発に終わる。
それでもジャックの肩から力が抜けたようだったので良しとしよう。

三人が状況を把握するまでの間に気づいたことがある。不自然なほど辺りは生き物の声がしないのだ。
聞こえるのは木々を吹き抜ける寂然とした風の音ばかり。生き物が生きるには難しい環境になって長い時間が経過している。それを感じてデュースはわずかに目を伏せた。片手で印を結び地面に押し当てる。深く息を吸い、呼吸を整え、口を開いた。囁くように紡がれる古い言葉が空気に溶けていく。

「──の──は、────す、──」

陰陽道に通じ、術を行使する。つまりそれは森羅万象に通じる事。神仏のみならず自然の力を借りることとほぼ同義。──朽ちた本丸で奔走した時と似たことを考えながらデュースは術言を唱えていく。
自然に通じる、ということは現代において少数派になって久しい技法だ。古代魔法ならいざ知らず、現代の魔法とは原理が違うのだ。
この場に居る者で、それが出来るのはデュースしかいない。その自負がある。矜持もある。だが、絶対的な自信は、持ち合わせていない。過去生の記憶を得てからはいつだってそうだ。魔力の存在しない世界と存在する世界。その基盤となるものが完全一致していないのだから。
感覚を研ぎ澄まして辺りを探るデュースをどう思ったのか、ジャックはピルッとその大きな耳を動かす。

(……なんて言ってるのか、あんまり聞こえねぇし、分かんねぇな)

ジャックは各地の古言語について、学年相応の知識しか身に着けていない。むしろそれが通常なのだ。故に、獣人特有の鋭敏な聴覚をもって言葉を聞き取ったとしても、デュースが何を唱えているのかは理解できなかった。

「あの辺、何か気持ち悪い」
「こっちだな」

そうしてデュース主導のもと山中を動き回っていく。山のエネルギー循環を阻害し蝕む魔道具の残骸。それを発見しては完全に破壊。もしくは封印。かなり古い物ばかりであるため劣化と損傷が目立つそれ等を処理していくだけの簡単なお仕事である。
終わった後は不法投棄するわけにもいかず、仕方なしにジェイドの背負う登山用ザック──所謂バックパックに詰めていく。

その最中、デュースはふと妙な違和感を覚えて動きを止めた。怪鳥と断じられた存在を排除しようとした魔道具とは系統が違うものが一つ、二つ。壊れもしない完全な状態のまま、鳥のような形の存在とは全くの無関係な場所に点在している。
んん? とその方面へ顔を向けてデュースは胸の前で腕組をした。
──生態系が崩れ、自然環境がその影響をもろに受けたのだろう。例の鳥のような存在が周知される以前の山、その環境が変化した理由について先程デュースはそう判断した。霊的な気の偏りを視て感じた結果である。しかし原因は何か。そこまで探ろうとしていなかった。
自然環境の流れの中で衰退したのならば自然の摂理として片づけられる。……しかし、人為的なものであるならば。話はまた別だ。

「……なあ、動物除けとか、そういった魔道具って在るよな?」
「ああ、あるぞ。確か農家で使われることが多いって聞いたことがある」
「……だよなぁ」

隣で辺りを見回していたジャックに問えば、当たり前のように返ってくる肯定の言葉。デュースの眼が据わる。
空気はこれ以上ないという程カラカラに乾いていた。乾燥のあまり肌がヒリつく。
眼前に広がる、ぽっかりと地面に空いた巨大な穴。雨が降り水が溜まれば湖になりそうなほど広範囲にへこんでいる。いや、もはや地面が抉れているようだった。
この辺りだけ異常なほど何もない。植物も枯れて崩れ落ちている。

「……ここから先は僕が一人で行きます。すぐに戻るのでここで待っていてください」

そう告げるなりデュースは身を翻らせた。共に行動していた二人へ、肯定も否定もする暇すら与えずに。
自分の耳を疑ったジャックが口を開くよりも先に、抉れた地面の向こうへとその姿が消えていく。一拍遅れてザッザッと地面を滑り落ちていく音が二人の耳に届いた。成人男性の背丈ほどの段差だ。その下に降り立ち、滑り落ちた勢いのまま駆けていく背を見送るほかなかった。
残されたジャックとジェイドの間に会話はない。
盛大にため息を吐いたジャックは苛立ち気に後ろ頭を掻いた。

そうして待つこと数分。ドゴンッと鈍い音が二度ほど響いた。
──何かあったのか。ジャックの頭に嫌な想像がよぎる。が、しかし。

「終わりました。半分は、なんですけど」

ジャックの心配をよそに、デュースはケロッとした様子で戻ってきた。だが、どこか声や言葉に覇気が無い。よく見れば汗が滴っている。
文句の一つや二つ言ってやろう。そう考えていたジャックは目を瞬かせた。

「どうかしたのか?」
「あー、うん。ちょっと力不足を痛感したというか、何というか」

仏頂面で問うたジャックに歯切れ悪く返答し、デュースは首裏に手を当てた。口がへの字に曲がっている。己一人で解決させるつもりで赴いたのだが、未達成で戻ってきた。それが今のデュースの口をふさいでいる。
二呼吸分、息をして。そしてデュースは意を決して顔を上げた。

「悪い、手を借りたい」
「いいぞ、任せろ」

間髪入れずの首肯。何をいまさら。そんな声が聞こえてきそうだった。
ふん、と呆れたように鼻を鳴らしてジャックはマジカルペンを構えなおす。食い気味に返答したのが、少し間をおいてから気恥ずかしくなったのだろう。
僅かに目元を緩ませてデュースは仄かに笑んだ。
次いでジェイドに向き直り──思わず一歩後退する。彼は笑顔で佇んでいた。一歩退いて今しがたの二人の会話を見守っていたのだ。いや、観察して言うべきか。
今はニコニコしながらデュースに声をかけられるのを待っている。どんな言葉をかけられるのか、など分かっているだろうに。自分からは決して問わないのだ。

「あの、少し手伝っていただきたいんですけど」
「ええ構いませんよ。僕もオクタヴィネル寮生ですから、深い海のような慈悲をもってお力添えいたします」
「ありがとうございます……?」

片手を胸に当てて、ジェイドもまた快諾する。
コテリと首を傾げたデュースはまだ知らない。ジェイドを含めオクタヴィネル寮生の「慈悲」という言葉を、のちに嫌というほど聞くことになる事を。
とはいえ今は関係のない話だ。不思議な言い回しをするものだな、とだけ感じたデュースは特に触れないでおくことにした。賢明な判断である。

「今から案内する場所で水を出してほしいんです。大量に」

いやに真剣な面持ちでの要望。しかしその内容は予想していなかった事柄だった。てっきり何かを壊すものだと思っていたもので。
気を引き締めていた二人は思わず目を瞬かせたのだった。



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2021.5.8.支部にも投稿しました
2022.1.15.別館サイトに掲載


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