転移魔法独特の浮遊感が消えたと同時に靴底が地面に触れる。それは良いのだがバランスを崩してしまった。デュースが躍り出た地点が最悪だったのだ。
積み重なっている多くの石。足を着いた途端ぐにゃりとした嫌な感覚に襲われる。足首に走る鈍い痛みに捻ってしまった事を悟った。そのまま体制を崩して倒れそうになるのを、ジャックに慌てて支えられる。
「お、おいっ」
「すまん、足くじいた」
やっちまったなあ。デュースはため息を吐き、肩を落とした。
「お前、大丈夫かよ……」
「普通に着地に失敗した」
「見りゃわかる」
淡々と言葉を返されたが、ジャックが問いたいのはそういうことではなかった。
三人の中で主立って動き回っていたのはデュースである。魔法の使用頻度は断トツ。加えて大規模な自然エネルギーの流れを感知するという芸当をやってのけたのだ。疲労やブロットの蓄積は多いはずだ。
言葉を選び、ジャックが再度口を開こうとした、その瞬間。
ふと、空気が変わった。
ぞわりと背筋に悪寒が走る。三人がそちらを向いたのは、ほぼ同時だった。ジャックの尻尾が分かりやすく膨らみ、ジェイドの瞳孔はキュッと狭まり、デュースは視線鋭く刀印を結ぶ。
音は、一切無かった。しかし確かにナニカが居る。
つい数分前まで特殊な環境下にあった影響もあって、感覚は鋭敏なまま。何なら通常では視えないモノまでもが眼に映るようになってしまっていた。つまり。
「……何だ、アレ」
「……モンスターではなさそうですね」
デュース以外の二人にも、ソレが見えていた。
普段からデュースの視界を蠢いている黒い靄。それが人の形を取り始めたのなら、こんな状態なのだろう。そう思わせるナニカがそこに佇んでいた。輪郭のはっきりしない、人型にも見える、何とも形容しがたい物体が。
人体でいう腹のあたりから蟲の足に似た細い物体が飛び出ている。非常に不快指数を煽られる見た目。もにゃっと音がしそうなくらいだ。
うげぇ、と顔を顰めたデュースの横でジャックがぶわりと毛を逆立てる。
「縺翫縺翫↑縺九◎縺?◆」
「走れるか?」
「ちょっと、難しい」
「背負うぞ」
ジャックの申し出にデュースは苦々しげな顔で首を横に振る。
「あー、いや、どちらも両手が自由に使えないのは避けるべきだろ。……僕を残して逃げてくれ」
命の危機に晒されている最中に到底出てこないであろう言葉。了承しかねる。ジャックは表情険しくデュースを見下ろした。この場に立つ三人が三人とも、程度の差はあれど疲弊しているのだ。その中で一人残していくなど見殺しにするようなものである。
「出来っかよンなこと!」
ジャックはもにゃもにゃした物体を刺激しない程度に声を荒げた。
チラリ、視線を投げてデュースはマジカルペンを取り出す。最悪の場合は多少ブロットが溜まろうとも、バットケースに収納したまま日の目を見ていない漆塗りの刀を召喚するつもりだった。
「縺ゅ鄒主袖縺励◎縺昴◎縺?縺翫≠」
「くそっ」
しかしジャックがそれを許さない。
ユニーク魔法を発動させると、獣の姿をとった彼はデュースの背後から姿勢低く股座にもぐりこんだ。なりふりなど構っていられない。そのまま立ち上がれば、大型の狼の背に跨るデュース、という図が出来上がる。実際跨がっているのはジャックの背なのだが。
面食らって目を剥いたデュースはわずかにバランスを崩しながらも、その柔らかな毛並みに手をつく。
「ちょっ、まっ、ジャッ、いや本当に待って!」
「──繧医%縺」
「逃げるぞ!!」
しかし制止の声など聞くことなくジャックは駆けだした。
なお、この時ジェイドのことは特に気に留めてはいなかった。先輩だし心配ないだろう、という思いからだ。薄情と言うなかれ。
ジャックの背に揺られながらデュースは腹をくくった。開き直ったとも言う。何しろしがみつかなければ振り落とされて怪我をしてしまう。前々世の審神者時代に、極めた五虎退の虎と戯れた記憶が無ければそうなっていた可能性が高い。人ならざるモノを前に、珍しくデュースは他者に主導権を握られていた。
その斜め後ろをジェイドが離されることなく着いてくる。人魚だというのに不自由なく山中を駆けることが出来る身体能力。元の能力が高いのだろう。時折振り向いては攻撃魔法を放っているのだから、種類は違えど荒事に慣れていることがうかがえる。とはいえその攻撃が輪郭を持たないソレに効いている様子は全く無い。
走り出してそう経たないうちに、見慣れた服の人影が視界に飛び込んでくる。陸上部の部長とコーチの教員だった。
なんと。しっかり練習場所として訪れていた山に戻れていたらしい。
「アンタ等巻き込まれたくなかったら俺らより先に学園に戻りなァ!」
「ひっ!」
デュースの腹の底から放たれた怒号とも聞こえる声に、陸上部の部長が引き攣った声を上げた。
大きな狼の上に乗る一年生。その横を真顔で走るジェイド・リーチ。そしてその後方に蠢く得体のしれない物体。それが一度に押し寄せてきているのだ。しかもそれぞれの形相がひどく恐ろしい。悲鳴も上げたくなるだろう。
何故、常ならざる場所の影響を受けた二人だけではなく、只人である部長やコーチにも視えているのか。──それは輪郭を持たないモノが高エネルギーを纏ったままの三人に影響されていたからである。
ちなみに余談ではあるが、この陸上部の部長はリーチ兄弟恐怖症だった。詳しくは触れないが、とある事情で。
「あの転移地点に飛び込めッ!!」
しかしどれだけ慄いたとしても、己だけ逃げ出したい衝動に駆られても、彼は指示を出せた。腐ってもNRCの部活動で部長を張れる上級生。しかも今回に限って言えばちょっとした事情もある。
むしろ我先に駆けだしたコーチの方が問題だろう。デュースもジャックも半眼だった。……ここでコーチの弁明を入れるとするなら、昨晩の彼はホラー傾向の強いドラマを見ていたのだ。まあ、その作中で出ていたのは怨霊などではなく魔獣だったが。
閑話休題。
そうして、速度を緩めることなく一行は転移地点に突っ込んだ。
強い光が収まったとき、学園内に設置されている闇の鏡の前に飛び出していた。勢いあまって飛び出た順に折り重なる。一番下でつぶされかけたコーチが呻いた。身を挺して生徒にかかる衝撃を緩和させるという、今日一の仕事だ。
これで一件落着か。そう思えど、事は簡単には解決へと至らない。
「うっそだろ!?」
背後を振り返った部長が叫ぶ。最悪なことに、輪郭を持たないモノまでもが着いてきてしまっていた。
ジャックの背から降りたデュースはすぐさま体勢を立て直し、マジカルペンを構える。しかしデュースが召喚魔法を発動させる前に、自身の武器を呼び寄せる前に、事態は収束した。
シュンと横切る影。その残像を目で追い、デュースはぽかんと口を開けた。
鳥だった。ルチウス程もあろうかという大きさの。ただの鳥にしては随分と体格が良い。故に種類は分からない。……強いて言うならフクロウだろうか。
それが突如として出現し、鋭い突きを二、三、繰り出した。たったそれだけで輪郭を持たないモノは霧散する。実にあっけない終わり。いったい何が起こったのか分からなかった。
それなりの力を有していそうだ、とデュースが判断した人ならざるモノ。それを物の数秒で消し去ったのである。たった二、三の突きで。
「……え、……ええ?」
突如として現れた鳥。その顔は特徴的だった。
──濃ゆい。非常に濃ゆい。うっかり人面に空目して二度見してしまうくらいには。
その双眸に既視感を覚えたデュースは、あ、と小さく声をこぼす。どこかで見たことがあると思ったらあれはスナイパーの眼だ。一撃必殺。俺の後ろに立つな。そんな文字すら見えてくる。
五人の窮地を救ったにも等しい鳥は、くるりと約五名の人間に向き直ると一つ鳴いた。
「ぴよ」
重低音かつ聞き心地の良い声。ふわっふわの羽毛に反して、なんともミスマッチすぎる。
誰もが呆然とする中、その鳥……いやスナイパーは現れた時と同様に残像を残して消えた。瞬きの間に消えていたのだ。文字通り。
は? 今の何? そんな疑問符が頭上に飛び交う。つい一瞬前の緊迫した空気など、どこぞへ飛んで行ってしまっていた。
ふと広間に落ちる誰かの押し殺しきれない笑い声。
「……ん、ふふ……」
込み上げてくる笑いを堪えきれず、ジェイドが右手で口元を抑えていた。何なら片手を腹に当ててしゃがみこんでいる。
「ん、ふ、ふふっ……ふ、んふふ」
(……なんか、あんな音が鳴る感じのアプリがあったような……)
塞ぐ手から零れる笑い声にデュースは首を傾げた。危機が身近にないためか緊張感がまるでない。
いや、唖然としている、開いた口が塞がらない、とでも言うべきか。それほどまでに先程のスナイパーはインパクトが強すぎた。
「あ、あれは、……ふふ、が、く、学園の、七不思議のひとつに、数えられているスナイパー、です……ふふっ……アレの鳴き声を、初めて聞きました……」
息も絶え絶えな様子でジェイドが先程の鳥の正体を告げる。その近くでコーチと陸上部の部長が目を丸くした。
え、アレがそうなの? というかマジで居たのか。初めて見た。……そんな会話がなされている。
聞くところによると、先程のスナイパーは学園七不思議のひとつなのだという。
曰く、
「どこからともなく現れてナニカを撃退して消えていく」
「濃すぎてバルガスが普通のノリに見えてくる」
「図体のわりに俊敏すぎる人面鳥」
二番目は何かが違う気がするが些事である。
目撃数が少なくはない。だが、あまりにも一瞬で消え去るため見間違いだと思われているようだ。だから七不思議に数えられている、とも。
そう聞いてデュースは小さく頷いた。確かに、数秒しかこの場に居なかったが凄まじい印象を残していった。ジャックなんて言葉もなく動揺している。
ふと、少し笑いの波が収まったジェイドに気づき、デュースは手を差し伸べた。
彼のバックパックには魔道具の残骸が詰まれている。それも、結構な量の。入りきらずに縮小魔法をかけて詰め込んだ物もある。かなり重量もあったはずだ。にもかかわらず文句の一つも言わずに動き回っていた。人魚である以上、不慣れであろう乾燥した山の中を。
……その行動に若干の裏があるなど露知らず、デュースはこの時ばかりは純粋に感心していたのだ。
「先輩、手をどうぞ」
「ありがとうございます」
ジェイドは殊の外素直に差し出された手を取り、そして目を瞬かせた。きょとり。見開かれた目はどこか幼さを感じさせる。
何故そんな反応をされるのか。不思議に思えどデュースには全く見当がつかなかった。僅かに首を傾げて彼が手を離すのを待つ。
そんなジェイドは、と言えば。立ち上がり手を離したのち、デュースの手に触れた自身の右手をにぎにぎと開閉しては見つめていた。
「あの、」
「──無事か!!」
何か気にかかることがあったのか。そう問おうとしたデュースの言葉にかぶせるように緊迫した声が割り込む。
声の出所は鏡の間の扉。教員が二名駆け込んできたのだ。そのうちの一人がデュースの姿を視界に捉えるなり詰め寄ってくる。──クルーウェルだった。
「報告は聞いている。スペード、ハウル、リーチ、怪我は無いか」
「俺は無いです。けどデュースは」
「足捻っただけなのでしばらくすれば治ります。それより報告って何の……」
デュースの問いは答えを得られなかった。
クルーウェルは険しい表情で他の怪我の有無を確認すると、そのままの形相でコーチに顔を向ける。部活動中の事件。過失の責が場を取り仕切っていたコーチに向くのは当然のことだ。残念なことに顧問は本日不在のため全責任はコーチに一任されていた。
「あー、クルーウェル先生。行方不明の生徒は発見しまして、この通り無事です。……捻挫はしているみたいですけど」
「ハーン先生、本当に無事かどうかはこれから判断します。状況が状況です」
「いやしかし、こうして皆五体満足で怪我もない様子。やはりあの森が新たに禁足地につながった、など大げさなんですよ」
やけに言い募るコーチは自身の責任を問われたくないのだろう。そんな空気がにじみ出ていた。
「森で魔物のようなモノに追いかけられましたので、彼らもヤツに追い掛け回されていたのでしょう」
逃走中に巻き込まれ、人ならざるモノに追いかけられた直後なのだ。そう考えるのも無理はない。
通常ならば腑に落ちないながらも引いたであろうクルーウェルは、デュースの表情を見やり考えを改める。指揮棒を振るい自身の手に平に軽く打ち当てた。授業時によく見せる仕草。皮手袋がピシリと乾いた音を立てた。
「──スペード!」
「はい! ……はい?」
反射的に伸びる背筋。返答をしたは良いものの、なぜ自分が呼ばれたのか分からなかったデュースは目を瞬かせた。
「簡潔に説明しろ」
クルーウェルが求めたのは説明だった。
そこにあるのはある種の信頼である。状況把握に秀でている、有事の際は動ける側の人間だ、という。
先日、時空のはざまに迷い込んだ際のデュース様子から得た確信だ。そうでなければ事情聴取は多少後回しになっていたことだろう。
「えっ、……鳥のような形をしたナニカが居る禁足地と思われる場所に飛ばされて何やかんやで戻ってきました」
「bad boy! 大事な部分を削りすぎだ! いや、今禁足地と言ったな?」
「はい。怪鳥の居る場所に飛ばされる、という。あの山が準禁足地と同様の状況になりつつあるという噂、先生もご存じだったんですか?」
「それについては後でまとめて話す。……とにかく、ハーン先生、危惧していた事が実際に起きていたことは確実なようです。貴方はトレイン教授の元へ。そこに問題の生徒も居ます。……異論は認めない」
「……いやはや、怖いですね。そう睨まないでください。行きますよ。ちゃんとね」
肩をすくめたコーチは軽薄な笑みを浮かべた。クルーウェルの睨みも何のその。全く意に介していないようだ。
先程、輪郭のないモノに対してビビり散らしていた者とは思えないほどの落ち着き様。なぜそれを数分前に発揮しなかったのか。
妙に硬い空気の中、彼らのやり取りが教員同士のいがみ合いにも見えたデュースは思わず目を細める。相手はそれほど良い印象を持っていなかったコーチだ。内心ではクルーウェルに声援を送った。
「それでは失礼しますよ」
薄らと読めない笑みを浮かべたままコーチはこの場を後にした。
目を眇めたまま、その背を無言で見送ったクルーウェルは一つ息を吐くと口を開く。表情は硬いままだ。
「……仔犬、お前たちはまず保健室へ。話はそれからだ」
「相変わらずクルーウェル先生とハーン先生はご意見が合わないようですね。去年に増して手厳しく見えますが……」
「おしゃべりが過ぎるぞリーチ。今回は特別気を引き締めなければならない案件に見舞われているんだ。これくらいは当然だ」
頭が痛い。そう言わんばかりの顔で、クルーウェルは三人に鏡の間から移動するよう促した。誰も反発することなく保健室へ向かうために扉を出る。
デュースが疲労でふらふら、怪我で足を庇いながらひょこひょこと歩を進めていくのだが。その様子を見かねたジャックに背負われるまで二分と掛からなかったのは、また別の機会に話すとしよう。
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2021.5.8.支部にも投稿しました
2022.1.15.別館サイトに掲載
この回はツッコミどころしかないので書いていて楽しかったです。