ツンとエタノール臭が鼻を突く。今、保健室にはデュースたちの他に生徒は居ない。この保健室の主でもある保険医は準備を整え、到着を待っていたのだ。
そうして保健室にて保険医と共に三人の状態を確認したクルーウェルは、驚愕に目を見開いた。二重の意味で。
まず、強制転移に巻き込まれて行方不明と報告された三人全員が五体満足で無事であること。
報告と状況を照らせ合わせてみても
(スペードの話が本当なら、前触れもなくあの禁足地に飛ばされて生還した初めての被害者、ということになる。……しかしそんな都合の良い話があるのか?)
思考を巡らせ、クルーウェルは生徒三人にそれぞれ視線を向ける。
(いや、それよりも、だ)
彼が驚きを覚えたもう一つ。
治療を済ませてデュースが表情を和らげていた。──そう。無理のない笑顔を浮かべ、肩の力が抜けている様子で。
ジャージは土埃にまみれ、髪だってぐちゃぐちゃだ。顔に疲れも滲んでいる。だというのに、どこか清々しさや爽快さを感じさせた。それほどまでにデュースは失踪事件に巻き込まれる前とは醸し出す空気が違っていた。
まだまだ問題は残っているが息苦しい空気を感じない。それだけで僅かにクルーウェルの肩から力が抜ける。それぞれが落ち着いたのを見計らうと保険医に目配せし、説明のために口を開いた。
「……さて、治療は済んだな。お前たちに言わなければならないこと、聞かねばならない事が複数ある」
「はい」
三人の視線が己に集ったことを確認したクルーウェルは一つ呼吸を置く。本当に頭が痛い一件なのだ。今回は。……いや、デュースに限って言うなら今回も、か。
「まず今回の騒動に関してだが、半分は意図的に仕掛けられた事件だ。犯人はサバナクロー寮の二年生。……当の犯人は噂を半分にしか信じていなかったがな」
「……というと、あの山での練習を提案した先輩か?」
「多分そうなんじゃない?」
「Good boy、正解だ。事件性があると明らかになったのは、同じ陸上部の部員が学園に駆け込んできたからだ。たまたまお前たち二人とリーチが突然消えた瞬間、つまり強制転移に巻き込まれた瞬間を見た仔犬が泣きついてきた。確か一年の仔犬だったはずだ。後で礼を言っておくことだな」
「そうします」
先程後回しにされた問いの答えが今ここでなされた。
デュースは納得したように一つ頷く。固定された片足に障らないよう静かに体の向きを変えた。──デュースの捻挫は、ジャックが率先して動いたことで症状が悪化せずに済んでいた。二、三日安静にし、無理をしなければ一週間も経たずに全快するだろう、と保険医から太鼓判を押されている。不幸中の幸いである。
ジャックに礼を告げれば「実力がある奴が怪我で戦線離脱するなんざ寝覚めが悪いし、張り合いがなくなる」と返された。視線を逸らして言うものだから若干の照れがあったのだろう。何とも不器用さを感じさせる。
「あの山で起きていた失踪事件は、準禁足地と似通った現象のものだけではない。自我を失い生きる屍となって発見されるケースもあった。それがおそらく、ハーン先生が言っていた「魔物のようなモノ」だろうと推測できる」
「そう。だから僕たちは
「下手に生徒や教員を動員するよりもバルガス先生だけで事足りた、なんてことが何度あったことか……」
保険医がクルーウェルの説明に捕捉を重ねる。その目が若干遠くへ向けられているのは気のせいではない。デュースたちは誰も口を開かない。あえてそれに触れないことを選択したのだ。賢明な判断である。
「……話を戻すぞ。とにかく、禁足地案件か山に元々居ついていた魔物案件か、五分五分だった。まあそれも朽ちた羽根を目撃したという証言で絞り込めたようなものだが」
ぐりぐりと右手で眉間を揉んだクルーウェルはつい一時間ほど前の騒ぎを思い出していた。
学園に駆け込んだ陸上部の一年生。彼は当然コーチと部長に報告した。しかしコーチは動かなかったのだ。
鬼ごっこをしているのだから姿をくらますのは当然だろう。すぐに戻ってくるだろう、と。準禁足地と同様の失踪事件が起きていることも信じてはいなかった。だからそう告げたのだ。
だが目の前で三人もの人間が消えうせた様子を目の当たりにした一年部員は動揺を抑えきれなかった。どう言い募っても動かないコーチに焦れて学園に駆け込み、そして他の教員が動くに至ったというわけである。
「君たち以外に被害を増やさないように陸上部は全員山から帰還させて、その時に証言にあった犯人の生徒を隔離して……」
「陸上部の部長には、失踪者三名がいつ現れても問題ないよう転移地点で待つように。責任者であるハーン先生には、山中の捜索に当たるように通達されたわけだ」
なるほど、とデュースとジャックは小さく頷く。だが、ふと合流した際の状況を思い出して首を傾げた。二人は一緒に居た気がするのだが、これ如何に。
首を傾げた一年コンビの隣で、表情が抜け落ちた顔のジェイドが口を開いた。右手が顎に添えられている。何事かを思案しているようだった。
「しかし、ハーン先生は陸上部の部長さんと共に森の浅い場所に居たのですが……」
その言葉を聞いた途端、クルーウェルの顔が嫌悪に歪んだ。隣で保険医が呆れた様子で天を仰いでいる。あちゃあ、と言わんばかりの表情。もしかすると似たような行動を繰り返しているのかもしれない。
「……それについては、会議の際に言及しておこう」
地を這うような声でクルーウェルが告げる。これまでの対応や反応から察するに、どうにも相性が良くない様だ。
確かに、ハーンは
そんな彼らの相性が良いわけがなかった。
閑話休題。
「話を戻そう。肝心の犯人について、なんだが……」
駆け込んできた陸上部員の一年生から報告を受けたクルーウェルは、犯人である生徒から全てを吐……聞き出した。
事の顛末としてはこうだ。
陸上部でもそれほど突出した記録を持たない部員による魔の差した行動だったのだという。不穏な噂がある場所に二人を追い立て、何か良くない出来事が起きれば万々歳。
……それにしては地味に計画的だったように思えてならないが。
デュースとジャックの台頭により、その部員の注目度が大幅に下がった。自分の活躍を邪魔する一年生二人。彼からすればデュースたちはそんな認識だった。
だから、不確定な噂を信じて校外の部活動を設けてまで排除しようと動いた。もし噂が本当ならば願ったり叶ったり。勝手に失踪し勝手に潰れてくれる。直接自分の手を汚すことなく始末できる、という計画だった。
まあ実際は、警戒して中々奥地へ踏み入らない二人に焦れた末、魔法で追い立てていたのだが。
予想外といえばジェイド・リーチの出現とターゲット二人が遭遇したこと。しかし彼にとってはむしろ好都合だった。リーチもまた目障りであることに変わりはない。そのため、あの時の三人をそのまま奥地へと追い立てたのだ。
自分の活躍の場を奪う一年生二人と、ついでに目障りなリーチも始末出来て一石二鳥どころか三鳥を狙える。……本気でそう考えていたのだという。
「はあ……。あの時聞こえた声は、あの先輩でしたか」
「……そんな正々堂々とした勝負すら出来ねぇ奴に、いい様にされちまったってわけかよ……くそっ情けねぇっ!」
「いや、不可抗力だろ今回はさすがに。いくらなんでも禁足地は無い無い」
「……そこは、同意するけどよ……」
ジャックは犯人に呆れを感じると同時に憤りを抑えきれない様だった。しかし残念ながら相手に関して詳しくは覚えていないらしい。
常に上を目指す傾向の強いジャックは、相手に尊敬すべき点が一つでもあればどんな人物であるか覚えているのだ。そんな彼が覚えていないということは、つまりそういうことである。
そして、忘れてはならないのがもう一人。
「ふふふ、そうですか。……そうでしたか。ではそれなりのお礼をしなければなりませんね」
表面上は穏やかにジェイドが言う。しかし笑みを浮かべるその口からは鋭い歯が僅かに見え、弧を描く双眸は色の違う瞳がぎらついていた。鈍い者以外はすぐに感づくだろう。彼の怒りに。
……今回は特別苛立っていた。苦手とする上空に身一つで放り投げられたことに対する言葉にできない激情が渦巻いているのだ。まあ要は、半ば八つ当たりも含まれている。だが本人以外は誰も知らぬことだ。
デュースとジャックはその物騒な顔を見なかったことに、言葉を聞かなかったことにした。二人とも命の危険にさらされたのだ。それも禁足地に飛ばされるという、殺人未遂と言っても差し支えないくらいの。犯人に対する情けも容赦も無用。法で裁かれる前にどんな目に合おうと、どうなろうと知ったこっちゃねー、というわけである。
「はは、程々にしてくださいね先輩」
「……よくそんなに落ち着いてられるな、お前」
ジェイドに対し落ち着きを促すデュースに、ジャックはジトリと目を向けた。それを受けて特に表情を変えることなく小さく肩をすくめる。
「落ち着いているというか、どうせ遅かれ早かれ自滅すんだろ? って思ってるからな。……学園内で勝てないからってこんなことをしてるんだ。そんな輩はどこへ行っても、どんな勝負でも、勝てることはないだろうよ。逆に憐れみさえ覚える。いずれ痛い目に合うさ。……まあそれが今回かもな。だから、そんな奴相手にわざわざ手を汚すことは無いのに、って思ってるだけ」
シレッと中々に容赦のないことを言う。
その言葉に底冷えするような軽蔑の色を感じてジャックは目を瞬かせた。尻尾は元気が少し失せ、だらんと垂れる。
「……お前、結構そういうところあるよな」
「んん? そういう、ってどういう……?」
「ふふふ、僕は好ましく思いますよ」
デュースの言葉に少しばかり溜飲が下りたのか、ジェイドが纏う空気からは棘が消えていた。
何か変なことを言っただろうか。デュースが首を傾げるも明確な答えは返ってこない。若干腑に落ちない気持ちはあれど、気を取り直して話題を切り替える。
「まあ、深く聞かないことにしておく。……学園側の動きと犯人の動向は分かりました。次は僕たちが報告する番ですね。全部話そうとすると長くなるので、ある程度削って良いですか?」
「さっきのような略し方はするなよ」
「……善処します」
クルーウェルに釘を刺されたデュースが、余所向けの笑顔だと一目でわかるような顔で笑む。
そうは言ったが出来るとは言っていない。正直、余計なことまで話してしまいそうだ。チラリと斜め横のジャックを見やり、次いでジェイドに視線を向ける。
「ええと、僕が補足するのでリーチ先輩が大筋を話してもらえませんか?」
「おや、そんな大役を僕が務めてもよろしいのですか?」
「はい。上手く説明できる自信が無いので」
奇しくも禁足地で三人が状況を把握した時と似たような説明形態となった。
数秒ほどで思考をまとめたジェイドは、おもむろにバックパックを開くと効果の切れた魔道具と残骸を取り出す。
「……まず、そうですね。こちらをご覧ください」
テーブルの上に置かれたのは、三人のうちの誰かが完全に壊した一つと、デュースが封じた一つ。突然ガラクタを目の前に出されたクルーウェルと保険医は訝し気にそれを見つめた。禁足地の話をするにあたり、これが何の関係があるのか分からなかったからだ。
「これは禁足地と思われる場所に散乱していた魔道具の残骸の一つです。縮小魔法をかけて持ち帰ってきたものでも数は優に五十近くはあります。これらが別の場所から強制的に人を呼び込んでいた原因の一つかと思われます。……先程、僕たちがあの山に戻ってきた時も魔道具が反応しました」
「あ、これですね」
促すような視線を投げかけられてデュースがジャージのポケットからペーパーナイフ形の魔道具を取り出す。光と透明さを失った青い石は暗く濁っていた。
「このことから、おそらく──」
──そうしてジェイドが簡潔にまとめた話の内容は、デュースが禁足地で他の二人に説明した内容とほとんど変わらない。それでいて分かりやすい。
やはり彼に任せて正解だったな、とデュースは人知れず小さく頷いた。
「……うん、ちょっと待ってね。そういう事なら尚のこともうちょっと詳しい一通りの検査をしておかないとダメだね??」
そう言う保険医の顔色はあまり良くない。左手で額を抑えている。クルーウェルもまた表情が硬い。
いつ、何処で、どういう効果を目的として使われたのか定かではない魔道具の残骸。それも禁足地の怪鳥を相手と想定して生成された魔道具である。その影響を受けていないとは言い切れないのだ。今この瞬間は問題なくとも遅効性の魔道具が紛れでもしていたら、目も当てられない。
急遽、再び三人は問診と検査を受けることとなった。その際に滾々と降ってくる「いくら何でも学生が取る行動ではない。無茶すぎる」といった注意や小言。
だがしかし、そう言われても取れる行動も選択肢も少なかったのだ。ジャックは視線を逸らし黙り込んだまま、ジェイドは困ったように笑ったまま、その言葉を受け流している。デュースはシレッと涼しい顔で窓から見える外の景色に視線を向けていた。
随分と面の顔が厚いじゃないか、などと思われているが三人ともどこ吹く風だ。
デュースが一度だけ強い意志を持ってクルーウェルに目を向ければ、見事に視線がかち合う。僅かに目を見開いた彼はその視線が訴える意図を何となく感じ取ったのだろう。目を細めると小さく一つ頷く。
一通りの検査の結果は、至って問題なし。経過を見て異変があればすぐに報告する運びとなる。
こうして多少の問題は残りつつも、禁足地の一件に関してはある程度解決したのだった。
□
ようやく三人が解放されてから数十分が経とうとしている。
日の光差し込む廊下をデュースは歩いていた。部室で替えのジャージに着替えを済ませてからジャックと別れたため一人である。
捻挫部分を固定されて少々動きにくいこともあり、普段より移動速度は遅い。時間をかけつつも辿り着いたのはクルーウェルの研究室。軽くノックすれば入室を促される。
「今いいですか?」
「来ると思っていた。入れ」
促されるままにソファーに腰を下ろしたデュースの前にティーセット一式が置かれる。訪問を予想していたのか、紅茶が淹れられる直前までの準備がされていた。
「……意図的に説明を避けたものがあるんだろう」
「お見通しでしたか」
「先日の一件で、既に経験済みだからな」
「ああ、それは、その……すみません?」
目の前のクルーウェルと購買部のサムに、かなりぼかした説明をした記憶はまだ新しい。
それと同様に、今回もまたデュースは説明をぼかしていたのだ。ジェイドのバックパックに詰められた魔道具の残骸について、そして禁足地とされた場所に坐する鳥のような形をした存在について。説明する相手がクルーウェルだけであればその必要はなかった。だが、デュースが完全に信用しきれていない者が複数いる中では、どうにも憚られた。
そのため、少し迷いはしたがジェイドに説明を任せることにしたのだ。保身に走った結果でもあるのだが、まあ仕方がない事である。
うろん、と視線を泳がせてデュースは気まずげに肩を揺らす。
そんな様子にクルーウェルはゆっくりと深く息を吐いた。本当に、しっかり表情が動くようになった。
「……ようやく、」
「え?」
「ようやく、見れる顔になったな」
そう言葉をこぼしたクルーウェルの双眸が緩やかに細められていく。そこでようやくデュースは、目の前の人物に心配され、案じられていたことに気づいた。
「ええ、おかげさまで。……俺がグダグダしているときに、監督生の事に気を配ってくださってありがとうございました」
「当然のことをしたまでだ。仔犬は仔犬らしく構えていろ」
思えばデュースが気づくよりも早くクルーウェルやサムが動いていることが間々あった。彼らにしか出来ない方面でのフォロー。デュースが他に気を割く余裕がないと察した彼らは、何も言わずに実行していたのだ。頭が上がらない。
しかしクルーウェルは欠片も苦に思っていないのだろう。元々ブリーダー気質であるが故、懐に入れた相手に対しては非常に面倒見の良い性格なのだ。
「……さて、本題に入れ」
「はい。まず、禁足地に関してはある程度解決したようなものですが、半永久的に禁足地として立ち入り禁止にしておいた方が良いと思います」
「何?」
デュースの言葉にクルーウェルの片眉がひくりと動く。
解決したのならば、それを然るべき機関に報告した上で判断を仰ぐべきではないのか。そんな問いが聞こえてきそうだ。
「おそらくですが、あの存在は魔道具を理解したうえで使ったような感じがするんです。僕たちが禁足地から元の場所に戻ってきた時も、この魔道具を投げてきたことで、転移魔法が発動したわけですし」
神妙な顔でデュースは紅茶の注がれたカップに口を付けた。
その推測は正解である。
疑似上空に放り出されたこと、森林の上空に漂わされたこと、そして強制転移。全てがあの存在の想いから生じた現象だった。魔道具が壊され、もしくは封印された以上、彼らが事の全貌を知ることはないが。
「それと、リーチ先輩は『怪鳥ではなく概念的存在』と説明してくれましたけど、それも僕がぼかして説明した部分をそのまま言ってくれたのでピンとこないかもしれませんね」
一度説明を区切ると、デュースは言葉を選び再度口を開いた。
「アレは精霊が
「……、……Stay、待て、Stay、今何と言った」
「精霊が容を持ったモノ、もしくは神様、です。……だから先程は先輩に説明を任せて、僕は口を噤んでいたんですよ」
いくら報告しなければならないとしても、あの場で言えるわけがなかった。知らず眉間にしわが寄る。
自然信仰による神霊の考え方は広く知られているわけではない。故にあまり公言できない考えでもあるのだ。
クルーウェルはデュースの言葉を脳内で噛み砕き、理解したその瞬間、ゾッとした。
神とも言える存在が、人の使う道具を我が意のまま使用するなど。何をどう考えても恐ろしい想像にしかならない。
「……とはいえ、僕たち三人ともがそんな存在から
カップをソーサーに置いたデュースは思案顔のままソファーの背もたれに体を預けた。キシッと僅かに音が鳴る。組んだ腕の上で指先がトントンと一定のリズムを刻んでいる。どうにも判断しかねている様子だ。
「とにかく、効果の切れた魔道具と残骸は先生方が然るべき機関に届けてください。そうすれば僕たちがどこに飛ばされたのかもハッキリするでしょうし」
「分かった。それに関しては任せておけ。……過去の記録におそらく使用した魔道具の記載はあるだろうから、そう時間を置かずにわかるだろう」
「お願いします」
「ああ。……よく、無事に戻った」
「足掻きましたから」
クルーウェルは深く頷いた。
沈黙が落ちる。しかし嫌な空気ではない。絶妙に肩の力が抜けるような心地よさ。デスクの上でコポコポと沸騰するお湯の音がやけに大きく聞こえる。
落ち着いた空気のせいか若干瞼が重くなる中、デュースはふと思い出す。今回の事件とは別に、尋ねなければならないと考えていたことがあるのだ。
「そういえば、先生に確認したいことがあったんです。以前監督生のことで意見を聞き忘れたことが幾つか」
「……話してみろ」
目が若干眠たげにトロンとしているのを見止めたクルーウェルはわずかに悩んだ。しかし後日改めて個人のために時間を取れるか分からなかったため、そのまま続きを促す。
──重大かつ深く考えなければならない話題が飛び出てくるとは思わずに。
「あの子には、火、水、風、大地、などの元素、世界の大本から僕たちに当たり前に与えられている加護がない。なので、おそらく危険です。いろんな意味で。まあ一応、応急処置はしているんですけど、後で先生とサムさんにも視てもらいたくて」
「……分、かった。サムにも声をかけておく。予定の調整をするから少し待て」
一瞬言葉に詰まったクルーウェルはすぐさま了承の意を告げた。それに頷くとデュースは再度問いを続ける。
「ありがとうございます。……あと、異世界人ということで頭のおかしい連中に狙われないとも言えません。魔力耐性が皆無という人間はこの世界で非常に限られていますよね? 人体実験の対象として見られることが無いとは言い切れないと思うんですけど……」
心底不安です、警戒しています、といった顔でデュースは射貫くように自身の担任を見据えた。ソファーに凭れた格好からいつの間にか姿勢を正している。
信頼に足ると判断したからこその問い。そして、彼には初めて見せたであろう表情。そこにクルーウェルは将としての一面を垣間見る。
しかしデュースに見据えられた彼は思わず右手で目元を覆った。どうして今日はこうも頭痛を引き起こすことばかりが押し寄せてくるのか。
「仔犬、……仔犬、この世界には、人体実験など、考える輩は、ごく一握りのマッドな奴らだけだ……」
言葉を区切りながら告げる彼の表情はデュースから見えない。妙にその声に張りを感じられなくなったため僅かに首を傾げる。心中を察することはできなかった。
「万が一、ということがありますので。というか監督生がその不安を口にしていたんですよね……」
「……そう、か。……そうだな、用心するに越したことはない」
言い募られたクルーウェルは、折れた。もう折れざるを得なかった。そもそも疑心暗鬼になっている監督生とデュースなのだ。不安は尽きないことは承知の上。ならば不安や疑心を払拭する方が先決だと判断したのだ。
どちらともなく深く深く息を吐く。数秒前の穏やかで心地の良い空気から一転して、室内の空気が妙に重い。
乾いた喉を潤そうとデュースはカップを手に取る。紅茶は少し冷めていた。
「明日、部活動の終了時間を早めてオンボロ寮に向かう。立ち合え」
「はい」
「それから、最近学園内で事故や怪我人が多い。奇妙なほどにな。……どうにもお前は厄介ごとに巻き込まれやすいようだから、気を付けるように」
「わかりました。でも好きで巻き込まれてるわけじゃないです」
「ほう?」
実に淡々としたやり取りだ。
クルーウェルが無言で指揮棒を振れば、空になりかけたデュースのカップに紅茶が注がれる。
一言礼を告げて二杯目に口を付け──上唇を火傷した。少しひりひりする箇所を舌でぺろりと舐めてカップを置く。昔から気を抜いた時に冷まさず飲もうとして、よくやる失敗。地味な痛みに眉間にしわが寄った。
「厄介ごとの方から飛び込んでくるんですよ」
心外である。そう顔を歪めたデュースは力なく肩を落とす。
そんなに自ら嬉々として厄介ごとに首を突っ込んでいくように見えているのだろうか。学園生活においては非常に大人しく過ごしているというのに。クロウリーに対してはちょっぴり突っかかったが、それだけだ。
……などと監督生やエースが聞けば「あれで!?」「ハイ嘘!」と言われそうなことをデュースは頭の隅で考えている。幸か不幸かクルーウェルが気づくことはなかった。
□
──一方その頃、オンボロ寮にはクロウリーの姿があった。もたらされた話題、調査依頼と報酬について、それは奇しくもデュースがクルーウェルからの忠告とほぼ同等だった。
監督生は心の中で軽く半泣き状態で対応している。早く帰ってきてくれ、と内心でデュースを呼ぶ声は残念ながら届くことはない。ああ世は無常である。
──────
2021.5.8.支部にも投稿しました
2022.1.15.別館サイトに掲載
夢見主の知識と意識が夢の国に即していないせいか、クルーウェルに大ダメージを与えている。認識の差に関して本人はやっちまったなーくらいにしか思っていない。深刻さを分かっていない。先生が非常に可哀想。