昔語り 斎藤一 01
道場からの帰宅途中の時のことだ。
俺の真後ろにそっと近づく気配があった。
「士道不覚悟!」
威勢のいい声とともにひゅっと竹刀の先が鳴る。当然俺を狙ったものだ。
俺は振り向きざま手にしていた木刀で抜きつけた。
が、背後にはもう誰もいなかった。
つぎにどう来るかなど分かっている。
再び背後から切り上げられる竹刀を左に跳んでかわし、低い姿勢のまま居合い腰に構えた。
しかしまたも相手を見失った。
どがっ!
「うっ」
背中に強い衝撃を感じ、刹那の後に俺は重みに耐え切れずつぶれた蛙のように地面に押しつけられていた。
さっきの切り上げと同時に跳躍した彼女は、俺の動きを完璧に読み、俺の背中に着地したらしい。
「残念だったね。山口一くん」
言いながら彼女……月神香耶はそのまま俺の背中に跨った。
女の体重などたいしたものでもないはずなのに、肺と気道の上を的確に押さえられて身動きが取れない。
「くっ……香耶、」
俺は地面を叩いて降参の合図を送った。
月神香耶は女でありながら日ノ本中を旅する剣客である。
その彼女が江戸にとどまり、俺の将来性に目を付けて(と本人が言っていた) 特別な稽古の指南を申し出た。
俺は、江戸にちょくちょく出没する噂の女侍のことを人づてに聞いて知っていたが、それほどのものだとは思っていなかった。
だが打ち合ってみればわかる。彼女は剣術に対して真摯で。誰よりも強い。
右差しで生き抜くならば誰よりも強くなれ。
だれにも文句を言わせるな。
髀肉之嘆をかこつ暇があるなら無心に鍛錬に励めと、彼女は俺に木刀を与えた。
荒木を削っただけで、見るからにそのあたりで拾ってきたようなものだったが、市ヶ谷にある試衛館道場というところではこのような重量の木刀を使っているのだと聞いて俺は興味を持った。
試衛館へはいずれ訪ねてみようと思う。
先ずは手首を痛めぬよう型と素振りで徐々にその重さに慣らし、最終的には打ち合いで香耶の竹刀を折る。
これが二人で決めた目標だった。
単純に膂力は上がったと思う。
俺の得意とする居合いにも重さと速さが増した。
香耶曰く、日ノ本広しといえど俺ほどの居合い術使いはそうそういないだろうと。
しかし俺は未だ香耶の竹刀に木刀を当てることができないでいる。
気配を読み、動きを読み、敵の姿を的確に捉える。相手の考えの先まで知る。
繰り出された技をいなし、無効化する。
それが香耶の真骨頂だった。
最近では待ち伏せ、不意打ちで打ち込まれることも増え、そうして気配の察知能力を養っている。
香耶にはまだ敵わないが、俺は自分が強くなっていることをひしひしとこの身に感じていた。