02
雪村千鶴side
私が井戸で水を汲んで帰ってくると、部屋の前に人影がいるのに気付く。
目を凝らすと、それは私のよく知る人物だった。
「あ、斎藤さん、お見舞いですか?」
「雪村か。香耶が風邪を引いたと聞いたゆえ、葛湯を作って持ってきたのだ。これで身体も温まるだろう」
斎藤さんは、お盆に湯気の立つお椀と水差しをのせて、私たちの部屋の前に立っていた。
斎藤さんなら大丈夫だよね。女の部屋に勝手に入るのを遠慮して、私が帰ってくるのをわざわざ待っていてくださったんだし。
……朝方彼から預かった薬は、ちゃんと押し入れに隠してある。(香耶さんは、石田散薬はただの灰だと言って飲むのを拒否した)
私は斎藤さんを部屋に招き入れた。
ふすまの開く音で、香耶さんがちょうど目を覚ます。
「あ、起こしてしまいましたか?」
「ん…平気だよ」
彼女は私の後に斎藤さんが入ってきたのを見て、ゆっくり身体を起こした。
「食べるもの?」
「ああ。葛湯だ。食欲があるのなら重篤ではないな。これを飲んで、またゆっくり休め」
香耶さんは、しっかりした様子でお盆を受けとる。
「ありがとう、一君」
「い、いや…」
香耶さん、その破壊力抜群の笑顔はだめですっ!
彼女は斎藤さんが見守る中、お椀に口をつけて……。
「はふっ、……熱っ」
「大丈夫か!?」
ばっとお椀から顔を離した。
「……唇を火傷している。じっとしていろ」
「むぅ」
言って斎藤さんは、彼女に顔を近づけて──
あろうことか、火傷した香耶さんの唇を、舌でぺろりとなめたのだ。
香耶さんも私も一瞬何が起こったのか分からず硬直する。
「は、はじ…」
「斎藤さん!?」
「はっ、すまないっ!!」
どうやら斎藤さんは、無意識にやっていたらしい。己の所業にやっと気付いて、顔を赤く染めて、がばっと身体を離す。
そのとき。
「まったく、どいつもこいつも……」
背後からの、冷たい声音と斎藤さんに向けられた突き刺すような殺気に、私の背筋まで凍りついた。
声の主は、沖田さんだ。
斎藤さん対沖田さん。
二人は互いに刀の柄に手をかけて、出方をうかがっている。
そんなふすま越しの絶対零度の冷戦に、私が冷や汗を流しているところに、救世主が現れた。
「……病人の部屋で何やってんだ」
「ひ、土方さん! 二人を止めてください!」
「私闘は切腹だぞ てめえら!」
とか言いつつ土方さんは、今は本気で止める気はないみたいで、二人を無視してつかつか部屋の中に入ってくる。
香耶さんが座っている布団のそばまで近づいて、ぼとぼとと何かを渡した。
「これ……」
「蜜柑だ。汁を飲んでよし、皮を煎じてよし、風呂に浮かべてよしの特効薬だろう」
「こんなところで商才発揮? ちょいとまけてよ歳三の旦那」
「いらねえのか」
「あはは、まさか。ちょっとふざけただけ。要るよ。ありがとう歳三君」
香耶さんは、ほわっと頬を赤らめた顔で笑う。
ああまたその顔。
土方さんだけじゃなく、一触即発だった斎藤さんと沖田さんまでも、目を見開いて彼女の顔を凝視する。
「香耶、……その顔はむやみにしないほうがいい、と思うのだが」
「へ?」
そうですよね、斎藤さんもそう思いますよね。
でも香耶さんは無自覚なんですよ。
「……もうだめ。みんな出てって。香耶さんを見ないで。
特に土方さんは速やかに香耶さんから離れてください。僕の香耶さんが穢れるじゃないですか」
「どういう意味だ!! それにてめえの香耶じゃねえだろ!」
「総司に言われる筋合いはない」
落ち着いたはずの殺気が再燃し始める。
ずるずると葛湯をすすりながら事の成り行きを見守る香耶さんを、私は後ろに庇う。
そして。
「みなさんいい加減にしてください!!」
珍しく私が声を荒げるので、その場にいた全員が口を閉じて私に注目した。
お見舞いは嬉しいけれど、こんなふうに騒がれたら治るものも治りません!
病人の前で殺気立つのはやめてください!
言いたいことはたくさんあったのだけれど、頭の血管がきれた私の口から出た言葉は、なぜか。
「香耶さんは……香耶さんは、わたしのものです!!」
だった。
「雪村……おまえもか」
「へぇ。それってそういう意味で、だよね」
「……ったく厄介な」
「あ、え、いえあの、そうじゃなくて、今は香耶さんの安眠を守る役目が、という意味で……」
あれ? 私まで香耶さん争奪戦に参加するはめになってしまったみたい。
……ま、いいか。今は自分の務めを全うしよう。
ちなみに香耶さんは、混沌としていく場の空気などものともせず、すやすやと安らかな眠りについていたのだった。