「ごめんくださーい!」
「はぁーい!」
玄関の戸を開けて行儀良く土間に立っていた私にアオイちゃんが駆け寄る。
「友里さん!おはようございます。どうされました?」
びっくりした様子で私に怪我が無いか目線だけで確認している。
キョロキョロと周りを見回して誰もいない事を確認してから口を開く。
「おはよう!えっと、……炎柱様から聞いたんだけど、ここに鬼を連れた男の子が居るって」
一応、外では炎柱様と呼ぶようにしている。
また変な誤解で耳障りな噂を立てられないように。
「あ!会いに来られたのですか?」
「そう!どんな子かなぁって!」
絶対可愛いよね!良い子だし、優しいし、お目めぱっちりしてそう!
紙媒体でしか見た事のない炭治郎を思い浮かべながらソワソワとアオイちゃんを見ていると、アオイちゃんが困ったように眉を八の字にしていた。
「あの、その……炎柱様には、会いに来る事をお伝えされましたか?」
「へ?……なんで?」
なぜ杏寿郎さんの名前が?伝えたらダメーって言われたけど来ちゃったって言ったら会わせてもらえないのだろうか?
「い、言ってきたよ!会ってくるついでに買い物してきますって!」
じゃーん!と買い物カゴを見せるとアオイちゃんはホッとした表情になって、では此方へどうぞと促してくれた。
ちょっとだけ嘘を付いてしまったが、バレなきゃ大丈夫!バレなきゃ!うん、バレないきっと!
「あら、此方がお部屋なのですが…」
「居ないねぇ」
炭治郎の部屋だという所の戸が少し空いてて、失礼しますと言いながら戸を開けるアオイちゃんの後ろから見てもぐっすりと寝ている善逸と伊之助しか居なかった。
えぇぇえぇっ!可愛いっ!鼻ちょうちん膨らまして寝てるっ!でも起こすの可哀想だから今は我慢っ!!
「あ、妹さんと別のお部屋に行っているかもしれません」
「そう、なんだ?」
んん?原作では禰豆子も一緒の大部屋で箱に入ったままだったはず……。
ま、いっか。行こう行こう〜とアオイちゃんの背を押して案内を頼む。
目的の部屋の前に立つとアオイちゃんが戸を叩く。
「どうぞ」
声!可愛い!優しい少年って感じだ!
どうやらアオイちゃんは入るのを躊躇っているようで、私に前を譲ってくれた。
そっか、やっぱり鬼という存在は悪で畏怖の存在だから極力会いたくないのか。
アオイちゃんにありがとうと呟き、ゆっくりと戸を開く。
「おはよう!」
「え、あ、おはようございます……?」
私の目に飛び込んできたのは、傷だらけの炭治郎とベッドで眠る禰豆子の姿だった。
かっ…可愛いっ!!!
「ごめんね、こんな時に会いに来て。怪我、痛いよね」
「いえ、全然!……あの、どこかでお会いした事、ありますか?」
「ううん、初めまして。私は飯田友里」
「は、初めまして!竈門炭治郎です!こっちは妹の禰豆子です!……今は鬼、ですが」
やっぱり原作通りの好感が持てる少年だ。
恐々と妹が鬼だという事実を言うのは心苦しいだろう。
「よろしくね、炭治郎くん。禰豆子ちゃん可愛いね!撫でてもいいかな?」
「あっハイ!」
そう返事を貰って禰豆子ちゃんの頭を躊躇いもなく撫でる。禰豆子ちゃんは気持ちよさそうにスヤスヤと眠っている。
ホワ…とこちらを見ていた炭治郎くんが慌てた様に口を開く。
「友里さんは、鬼殺隊、でしょうか?」
「ん?そうだよ。炎柱様のところでお世話になってるんだ」
「炎柱様……」
そういえば炭治郎くんは杏寿郎さんのことを、煉獄さんって呼んでたなぁ。やっぱり一般隊士とは違って度胸があるのかも。
鬼を連れて鬼殺隊に入る時点で度胸もクソもないか。
「私ね、どうしても2人に会いたかったの。大丈夫だよーって伝えたくて!2人なら乗り越えられるし、応援してる人間はここにも居るよって伝えたくて……」
禰豆子ちゃんを撫でている手とは逆の手で炭治郎くんの頭もポンポンと撫でる。
今は柱達に会って心が弱ってる時かもしれない。だからタイミング良く知ったからにはどうしても伝えておきたかった。
私は所詮漫画で知った知識しか無いし、目の前の2人は紛れもなく生きている人間で。私がこの2人の惨劇を知っていた唯一の人間だったのに力が無いから助けに行けなかった。
悔やんでも悔やみきれないけど、だからこそこれからの君達を応援したいし助けになりたい。
「あ、あなたは……」
じわりと炭治郎くんの瞳に水分が溜まってきている。泣かすつもりはなかったんだけどなぁ。
「今までよく頑張ったね、炭治郎くん。禰豆子ちゃんも偉かったね。私は2人の味方だよ!何か困った事があったら鎹鴉ででもいいから直ぐに言って!飛んでくるから!」
最後に炭治郎くんの頭をぐりぐりっと強めに撫でて、あははっと笑う。
きっと今、炭治郎くんは私の言ったことを匂いで判断しているのだろう。さっきより余計に泣きそうになっていて、もうすぐで溢れ落ちそうだ。
一応男の子だし見ない方がいいかなと思い、禰豆子ちゃんのぷにぷにの白い頬っぺたを突きつつ、最後はどうなるか分からないけど一緒に頑張ろうねっと心で呟き、頬をさらりと撫でた。
「あの、友里さん……」
かたりと小さな音を立てて戸が開き、控えめにアオイちゃんに呼ばれた。禰豆子ちゃんの髪を梳いていた私はアオイちゃんの方を見やると、少し開いた戸から見える白い羽織りと金糸のような髪がチラリと見えた。
「ごめん、炭治郎くん。私もう行かないと……治療も頑張ってね」
「あ……友里さん、ありがとうございます」
これから起こる事を想像しながら足早に出入り口へと向かい、戸を閉める寸前まで手を振り続けた。
「痛っ、」
「失礼する」
外にいた杏寿郎さんに強く二の腕を掴まれて玄関の方へ歩いていく。
痛い痛い痛い!想像以上にめっちゃ怒ってる!怖い!痛い!馬鹿力!
「アオイちゃん!ごめんね!」
心配そうに見送るアオイちゃんに謝って、引っ張られて痛くないように杏寿郎さんに着いていく。
外に出てからも歩く速さは変わらず、その足取りは煉獄家へと向かっている。
「ちょ、待って杏寿郎さん!お買い物まだしてないし痛い!」
「うるさい」
うるさい?うるさいぃ?!
杏寿郎さんにだけは言われたくない一言だ。
外れないと分かっていて思い切り腕を引くと、軽く引っ張られたかのように杏寿郎さんの手も少し着いてきた弾みで歩みも止まる。
「ダメだと言われたのに勝手に会いに行った事は謝ります!ごめんなさい!けどそんなに怒るほどのことですか?!」
「君には危機感と距離感の配慮が足りない!相手は少年と言えど男だ!そして妹は鬼!初対面でそんな者達の頭を撫でながら笑顔を向ける理由が何処にある!!」
何を父親みたいな事を言っているんだこの人は。
それよりもコソコソと室内を見ていたことの方が衝撃だった。
「見てたの?!信じらんない!炭治郎くんは鬼殺隊士だし禰豆子ちゃんもどう見ても無害でしょ?!見ててどうして分からないの?!」
カッと頭に血が昇って、敬語を使うのも忘れてしまうほど杏寿郎さんに対して暴言を吐いてしまった。
はたと気付いた時にはもう遅く、ギッと睨まれたと思ったら近くの細い路地に押し込まれ、杏寿郎さんが覆い被さってきた。
158cmしかない私は、180cm近い杏寿郎にすっぽりと隠されてしまう。
「んんっ?!」
掴んだ腕はそのままに、もう片方の手で後頭部を掴まれ上を向かされた瞬間、杏寿郎さんの顔が迫ってきて唇を塞がれた。
びっくりして空いている手で杏寿郎さんの肩を押すがピクリとも動かない。
力の限り、それこそ肩を折る勢いで突っぱねるが、離れるどころか余計に後頭部を引き寄せられ、唇を割って舌が入ってきた。
「…んぁっ、ぁ…、ゃめっ…」
ぢゅ、ぢゅる、と聞きたくもない音が聞こえる中、暴れ回っていた杏寿郎さんの舌が私の舌を捉え絡ませてきた。
「…いゃ……、ん……」
ちゅ、と最後に優しく唇にリップ音を立てながら軽くキスをして少し唇を離しと思ったら、また睨むように大きな目を細めて私の目を射抜く。
「これで危機感が無いと言うのか?俺でなければ君は今から連れ込まれてしまうぞ?」
「っ、」
「逆に煽っているのか?こんな弱い抵抗で、世の猛った男が離れると思ったら大間違いだ!」
怒鳴ったと同時にまた唇を重ね、先程とは比べ物にならないくらい舌を使い、しまいには舌を吸われ唇を吸われ、怒りが恐怖へと変わり段々と力が抜けていくのが分かった。
突っぱねていた腕は力を入れられる度に曲がり、遂には抱き込まれるような体制になり、背中には木の塀が当たっている。
これでは逃げられない。だがそんなことを考えている余裕なんてない。恐怖で掴まれた腕ともう肩に添えただけになってしまっている手が震え、なぜこんな状況になってるんだろうという事しか考えられなくなっていた。
「はぁ、んん……ごめ、んっ…ぁ、さぃ……はぁ…」
「はぁ…、はぁ……くそっ」
唇が離れると同時に後頭部を掴んでいた手も離すと、私の膝が折れてずるりと尻もちを着く。
立てた膝に顔を埋め年甲斐も無くしゃくり上げて泣いてしまう。
未だに腕は掴まれたままだが、先程のように強い力では無くただ握られだけの力加減だ。
「ひっ……ひっ、ごめっ…なさ、ぃっ…」
まさか杏寿郎さんにこんな事をされるとは夢にも思っていなかったし、向こうの世界でも多くなくとも恋愛経験はあるが、こんなに無理矢理、それも恋人でもない人物に深いキスなんてされた事が無かった。
ただただ男性には力では勝てないとこの身に教えられただけの時間だったんだ。
それなのに杏寿郎さんにされたことが悲しい。あんなに大好きだと思っていた彼に恐怖を植え付けられた事が何よりも、悲しい。
「すまなかった。……帰ろう」
杏寿郎さん怒った様子はなりを潜め、差し出された手をおずおずと取ると力強く立ち上がらせてくれた。
私が見た目だけは妙齢の歳頃になったから心配性に拍車がかかったのだろうか。
「買い物は……今日は家にある物にしよう」
「……はい」
掴んだ手はそのまま繋ぐ形になり、離してもらえなかったので手を繋いで家路に着く。
ちらほらと目線が集まったが、杏寿郎さんは知らぬ存ぜぬで気にせず私の歩幅に合わせゆっくり歩いていた。
ーーー……
あれから噴き溢れる鍋もそのままに良く考えた。
あそこまで杏寿郎さんにさせるということは本当に私の事を想ってやってくれたんだろう。
それには感謝だが、杏寿郎さんにはああいう行為は好きな人以外にはして欲しくない。
勝手な理想を作り上げてその理想を押し付けているのは分かっているのだが、杏寿郎さんが私に対して甘い部分があるのはしっかりと自覚している。
ただそれは妹に接するような甘さだと思っていたが、本当の妹だったらキスなんてしないだろう。
つまり多少なりとも私の事を女だという意識があって、彼なりの理想も私に押し付けているんだと思う。
女は慎ましやかに恥じらいと謙虚さを、と。
大正と平成の男女間の認識ではきっと雲泥の差があるだろう。
だがこの時代の人は常識を知らしめるような事までするだろうか?結局私は平成を生きてきた人間だから分からない。
一瞬、私の事が好きだったり……?と不毛な事を考えたが、それは一切無いだろう。煉獄杏寿郎という男は思った事をすぐに言うから好きだったら好きと恥じらいもなく言うと思う。これも理想の押し付けだが。
「困った………」
手を繋いで帰るうちに杏寿郎さんに対しての恐怖心は消えたが、アバウトな言い方だけど自分より強そうな人や初対面の人、今まで関わりが薄かった人は怖いと思うようになった。
もしあんな風に押さえ付けられたらどう対処しようとか、過剰防衛はどこまで許されるんだろうとか。
そこでふと思ったのは、あれは相手が杏寿郎さんだから思い切り振り切った抵抗をしなかったのではないか、もしくは普通の男性なら通用する力加減だったが、柱である男には通用しなかったのではないか、と。
杏寿郎さんでなければ腕を振り上げて頬を張ったりグーパンでもなんでも出来ただろう。だから他人で尚且つ一般人だったら鬼殺隊である私が力負けはしないのではないかと思い込んだ。
それに、杏寿郎さんにはこちらの世界で出会う前から絶対的な信用を置いている。途方に暮れて救いの手を差し伸べてくれた時から、まさか優しく接してくれていた杏寿郎さんが私が嫌がる事はしないだろう、嫌だと言えば止めてくれるだろうという過信。
「でも、やっぱり……」
これ以上、杏寿郎さんの手を煩わせるようならばこの家を出た方が良いのかもしれない。
今までここでお世話になった分、煉獄家の食費や細々した家事用品は私が鬼殺隊に入った時からの初お給金から毎月ずっと全額出している。
それでも恩を返しきれないくらいだが、家賃も光熱費も無く贅沢もしない煉獄家へは他に返せる物が無い。
任務が無い時は一生懸命家事をするくらいだ。
きっと杏寿郎さんの望むようなお淑やかな女性にはなれる気がしないし、いつか杏寿郎さんもお嫁さんを迎えるだろう。
私の様な常識も無く出自の分からない女が、名家である煉獄家に居座っていて良い筈がない。
大切な煉獄杏寿郎を救う事が目的なのだ。目的を果たせれば代わりに私が死んでも良いし、運良く生き残ればこの家を出て自分の実家がある辺りにふらっと行ってみるのも良いだろう。世界は違えどもしかしたら自分の先祖がいるかも知れないし。
「うん、そうしよう!」
もうそろそろ控えている無限列車からの上弦の参・猗窩座との戦いが待っている。
約2年前の記憶になるが、繰り返し読んだ場面だから色褪せず、どんな攻撃を繰り出してくるかもしっかり覚えている。
自分の色の呼吸がどれほど通用するか分からないが、精度を高める為に鍛錬を欠かさずやろう。
「友里さん?さっきから独り言ですか?お鍋が噴き溢れてますよ」
「へ?!あ、ごめん!ありがとう、千寿郎くん!」
わたわたと火から鍋を外し中身を確認すると、少し水分が飛んで濃い味付けになってしまっていた。
しょんぼりしながら水を足し、味を整えることにした。
ーーー……