※企画『恋する動詞111題』に提出させていただいたものです。




 そいつと出逢ったのは機能回復訓練っつーのが始まった時の事だ。

 毎日続く訓練に嫌気が差し、サボり場所がないか探していたところだった。クソ真面目な炭……なんとか太郎がそんな事を聞けば怒るだろうけど、あんな訓練が無くたって俺様なら平気だし。あの女に何時までも勝つ事が出来ないから嫌になったとか、そんな事ではないけれども。そもそもあんな茶をかけ合ったり鬼ごっこするだけの訓練、やってもやらなくても同じだろう。それよりも早く戦いに出たい。
 そう思いながら廊下をどすどすと歩いていれば、今まで行った事がない部屋を見つけた。訓練するにも関係ない場所だろうし、空き部屋なのかもしれない。人が集まる場所からも離れていてサボり場にするには丁度良い。暫くここで休んでいようと何も考えず襖を開けた。

「……あら」

 そこに居たのは布団に入りながら本を読んでいる女だった。肌が白くて、髪の黒さが強調されているのか、それとも髪の黒さが肌の白さを強調しているのか、とにかく黒と白が印象的な女だった。見た事がない顔だった。よくは覚えていないが、今までこの屋敷で会った女の中にはいなかった筈。それにしても、今まで会った奴とは随分と違う雰囲気で…と、そこまで考えたところで俺はハッとした。この女に大声でも出されてしまえば訓練をサボっているのがバレてしまう。俺のこの猪頭を見ると大体の奴はビビるし、身体が弱そうな女だ。倒れたりなんかすればもっと困る。どうすればいいものか。
 そう思ったのも束の間、その女は本を閉じ、にこりと笑って俺に向き合った。

「初めまして、名前と申します。貴方は?」

 それが俺と名前の出逢いだった。

***

 その女は俺達と同じ隊士らしいが、身体が弱いため普段は蝶屋敷で生活しており、必要な時だけ出動しているのだという。この女に刀を振るう力などあるのか、と思ったが、1回手合わせをして実力を思い知った。その後すぐに体力切れで倒れていたが、まぁ、普通の鬼ならば難なく倒せる程の力であった、と思う。決して俺が負けそうになったとかではない。断じて!
 それに、病弱だと言うのにそれを感じさせないくらい陽気でよく笑う女だった。訓練を終えてそいつの部屋の襖を開ければ、待っていたと言わんばかりに顔を輝かせて俺を迎え、

「今日はどんな訓練をしたの?」
「さっきアオイちゃんがね……」
「この前来た隠の方から聞いたんだけど……」

 と、止め処なく話すものだから、毎回思わず気圧されそうになってしまう。こいつの声は不快ではないから、いくら聞いても聞き飽きないけども、その身体から絶え間なく発せられる言葉たちはこいつの肺活量の凄さを思い知らされた。

「そうそう。今日のおやつはね……」

 そう言うと、そいつは引き出しからお菓子を取り出して俺の手の平に乗せる。金平糖だったり、お煎餅であったり、おかきであったり。日毎に違うお菓子は目新しくて、今日はどんなものをくれるのかと日に日に楽しみになっていた。

「今日も訓練頑張ったんだね。偉いね」

 そいつはそう言って俺の頭を膝に乗せて、俺の頭を撫でる。この時は俺は猪頭を外しているから、指が髪や頬に触れて擽ったい。最初は抵抗していたが、何だ、こいつの太ももは良い柔らかさだし、陽射しも良い感じに当たって気持ち良いし、いつからか何も言わずに大人しく寝る事にした。1日の楽しみになっていたとか、そんなんじゃないけど、俺が来るとあいつが楽しそうだからしょうがなく毎日来てやっていた。訓練は地味で好きではないけど、まぁ、明日もやってやるかと思えたんだ。

***

「人攫いの鬼ィ?」
「あぁ。前にもそういう鬼に遭遇した事があるんだが、特定の年齢の若い女性を狙う鬼で、最近ここらで出没しているらしいんだ。名前の年齢が丁度その歳らしく……。名前も隊士だし、いざとなればしのぶさんもいるが、一応伊之助も気にしてやってくれ」
「ふーん……。……何で俺があいつを気にしないといけないんだよ!?」
「え?だってお前、名前の事……」
「あー!炭治郎は黙ってて!俺らの中で1番強いのはお前だろ?だから名前の事も、お前に守ってもらうのが1番だと思ったんだよ!な、炭治郎!?」
「あ、あぁ……」
「……はっ!それならしょうがねぇなぁ!まぁこの中で1番強いのは俺様だからな!」

 俺様が1番強い事など周知の事実だが、そう言われれば気分は良い。意気揚々と部屋を出て台所へと向かう。何時ものようにあいつと自分の分の茶を淹れるためだ。最初は茶を淹れるのも面倒だったが、最近は慣れたものだ。あいつが茶の味を褒めてくれるのも、まぁ、悪くない。

「人攫いの鬼、ねぇ……」

 別にあいつがどうなったって俺には関係無いが、お菓子が貰えなくなるのは嫌だからな。いざという時は助けてやっても良いだろう。

「おら、茶持って来てやったぞ……」

 そう言いながら襖を開けたのだが、そいつはそこにいなかった。何時もならば布団に入り本を読んでいるか、手紙を書いているかして俺を出迎えている筈なのに。厠を探しても、厨房を探してもいない。他の奴に聞いても居場所は知らないと言う。あいつは黙って屋敷を出るような奴ではない。先程の炭治郎の人攫いの鬼が出るという言葉を思い出した。じわり、と変な汗が頬を伝うのを感じる。

「(まさか)」

 今までにないくらい息が乱れる。何処だ。何処だ。落ち着いて考えろ。自分に言い聞かせ、息を深く吸って吐く。目を瞑り、風の流れを読み取る。何処にいる。家の中は風が通りにくく風の流れが読み取りにくいが、全神経を集中させて探す。もしも屋敷に居なかったら……。嫌な考えが頭をよぎったその時、健太郎や紋逸や女達の他に、離れた場所で人の気配を読み取った。間違いない、あいつだろう。俺は思わず駆け出した。

 そこは人気の無い裏庭で、俺も来た事が無い場所だった。見渡すと、草木の陰に見覚えのある小さな背中が見えた。

「おい!」
「あ、伊之助!見て見て、何処からか声が聞こえると思ったらね、子猫が迷い込んで……」

 名前が言い終わる前に、俺は名前を抱き締めた。小さくて、細くて、少し力を強めれば直ぐに折れてしまいそうな弱々しい身体なのに、あまりにも柔らかくて不思議な気持ちになった。

「どうしたの、伊之助」

 名前は驚いたようにそう言って、俺の頭を撫でた。猪頭を被っていても分かるくらい優しい手つきであった。こいつは俺の気持ちも知らず、呑気な。

「……うるせぇ!勝手にいなくなるからだ!」
「え、えぇ。ご、ごめんね……?」

 頭の上に疑問符が浮かんでいる名前を置いて、俺はその場を去った。今までにないくらい心臓がばくばくと鳴ってうるさかった。何だ、何だこれ。あいつが居なくなればお菓子を食べられなくなるんだ。だから俺は飛び出して来たんだろ。それなのに分からない。何であいつを見つけた瞬間抱き締めたのか。抱き締めた時のあの柔らかな感触を忘れられないのか。どうしてこんなにも顔が、あいつに触れた手が、全身が熱いのか。

「くそっ……!」

 分からない事が悔しいのに、それが分かったら俺ではなくなってしまいそうな気がした。この感情の名前をまだ知りたくなくて、俺はただただ走る事しか出来なかった。