※企画『鬼も寝る間に』に提出させていただいたものです。
「名前ちゃん!?」
洗濯物を干す私にそう声を掛けたのは、瞳の赤い男の子であった。
「……?すみません、何処かでお会いした事がありましたか?」
「俺だよ!俺!炭焼きの家の!」
仕事柄記憶力が良い方だとは思っているのだが、親しそうに声を掛けてきたその男の子には見覚えがなかった。人の顔を忘れるだなんて申し訳ない。そう思いながら聞けば、彼は額の傷を見せながら言う。右の額にあるその傷は燃えている炎のようにも見えた。そういえば昔、近くに住んでいた男の子も同じ場所に傷をーーー。
「……もしかして、炭治郎君!?」
そう言えば、彼は嬉しそうに顔を輝かせた。
「そうだったんだ。名前ちゃんの家族も……」
「うん。でも胡蝶様に薬師としての才を見出してもらって、こうして蝶屋敷で働かせていただいてるの」
「そういえば名前ちゃんのお家は薬屋さんだったもんね」
そう、私達は同じ山に住んでいた所謂ご近所さんだった。山の中というのは住んでいる人すら少なく、私と炭治郎君は歳も近かったため仲良くなるのに時間はかからなかった。私達は幼馴染であり親友であった。あの頃、家族以外で炭治郎君と1番仲が良かったのは私だと自負している。
だがある日、親の都合で私の家の引越しが決まり、私と炭治郎君は離れ離れになってしまった。仕方がない事だったが、小さい私はそれはもうわんわんと泣いた。住み慣れた地から離れる悲しさよりも炭治郎君と離れるのが何よりも悲しかった。引越しをする日、私達は2人きりで会い、将来は結婚しようね、と約束をして、そして隠れてキスをーーー。
「(何で今思い出すの……!)」
その時の事を思い出して私の顔はみるみる紅潮していく。私は未だこの約束を忘れる事が出来なかった。幼子の戯れだとしても、あの約束と唇の感触は私の記憶に残り続けている。思い出す度に顔が熱くなる。炭治郎君はあの約束を覚えているのだろうか。
「でもさ、あれから俺達も変わったよね。ほら、昔は名前ちゃんの方が背が高かったけど、今では俺の方が高くなったし」
炭治郎君にそう言われ、確かにそうだ、と心臓を鷲掴みされたような気持ちになった。あれから何年も経ち、私達は子供とは呼べなくなるくらいに成長した。あんな昔の約束、覚えていないか子供のやった事だと想い出としてしまっておくのが当たり前だ。それなのにも関わらず、いつまでも本気にしてしまっている自分が恥ずかしくなった。
久々に会った彼は当たり前に成長をしていて、そして随分と逞しく格好良くなっていた。もしかしたらもう恋人もいるかもしれない。きっと彼に見合う綺麗で嫋やかな女性がーーー。そう思うと、胸の辺りがずきりと痛んだ。
「名前ちゃん、凄く綺麗になってたから最初は気付かなかったよ。あ、も、勿論、昔から可愛かったんだけど」
「え、い、いや、そんな」
炭治郎君は昔からこうだった。何というか、天然の人誑し。欲しい言葉をいつだってくれた。い、いや、綺麗と言われたかった訳じゃないけど、それでも好きだった子にそう言われるのはとても嬉しかった。
「名前ちゃんの匂いは良い匂いだから覚えていたんだ。お花みたいな優しい匂い。だから分かった」
口説かれた訳ではないのに、まるで口説き文句のような甘い言葉に顔が更に熱くなる。嬉しい。けど凄く恥ずかしい。思わず俯いてしまおうとしたが、こっち向いて、という炭治郎君の声で阻止される。顔を上げた先にいた炭治郎君の顔も、私の顔と同様赤みを帯びていた。
「俺、まだ約束忘れてないよ。……名前ちゃんは?」
「……っ!わ、私、は……」
約束、とはやはりあの事だろうか。忘れていたと言えたら良かった。だが、鼻が利く彼に嘘は通用しない事を知っているから否定も出来なかった。黙ってしまう私を見て、きっと炭治郎君には覚えているのだとバレてしまったのだろう。
「名前ちゃんさえ良ければ、あの約束を果たしたいと思っている」
そう言われ、息を呑んだ。熱を帯びた彼の瞳に見つめられて私は何も言えなくなってしまう。
「名前ちゃんが引越しをしてからもずっと名前ちゃんの事が忘れられなくって。でも今更会っても名前ちゃんには好い人がいるかもしれないし、約束も覚えていないかもしれないと思うと忘れた方が良いんだと思ってた。……だけどやっぱり俺は名前ちゃんが好きなんだって、今日会って思い知らされたよ」
私も、同じだ。忘れようと思っても忘れられなかった。他の人を好きになろうとしても無理だった。再び会える保証も無いのに、好きでい続けるのは辛いと分かっていたから気付かない振りをしていた。だけど、私もずっと彼の事が好きだったんだ。私の心は、とうの昔に彼に捧げていたんだ。
「……名前ちゃん、キスしてもいい?」
優しく笑う炭治郎君。私はゆっくりと頷いた。彼は私の髪を優しく退かして、顔を近付ける。このキスが終わったら彼に、お嫁さんにしてくださいって伝えよう。そう思いながら私は目を瞑った。
人生で2度目のキスは相も変わらず暖かくて、まるで陽だまりにいるようだった。