月に叢雲

「炭治郎君に告白されたんです」

名前は師匠である冨岡に、お茶を飲みながらそう告げた。話があるからと名前の家に呼ばれればいきなり告げられたその言葉。

「…そうか」

涼しい顔をして冨岡もお茶を啜りながらそう答えたが、実は内心めちゃくちゃに動揺していた。自分の弟子である名前と、冨岡なりに気にかけていた炭治郎がまさか。こういった話に慣れていないのも動揺している理由の一つである。惚れた腫れたなど冨岡の専門外だ。そういう役割は甘露寺の方が適役ではないか。一体何を言えばいいんだ、と思案していた。幸いにも冨岡は顔に出るタイプでは無かったので名前に勘付かれる事はなかったが。

「勿論丁重にお断りしたんですが、いやはやどうしようと困っていまして」

湯呑みを置いた名前は頬に手を当て目を伏せる。長い睫毛が妖艶さを醸し出していた。そこら辺の男ならばころりと惚れてしまいそうである。刀を振るっていない名前は箸よりも重いものを持った事がないような、美しくて品の良い婦女子にしか見えない。もしも隊士になっていなかったのなら、今頃は何処かの名家に嫁いでいたのかもしれない。

「諦めませんから、と言われてしまって…。…炭治郎君は、身近に女の人が少ないので憧れの感情を恋慕の情に結び付けているだけだと思っているんです」
「…そういうものか?」
「義勇さんも経験しませんでした?あのくらいの歳の男の子は背伸びしたがりなんですよ」

炭治郎君は私よりも年下ですし、年上の女性に憧れる時もあると思うのです。なので勘違いしているだけであって、本当の感情に気付いた時に私なんかに告白した事を後悔をすると思うんです。と、名前は早口で告げた。

「それならどうして名前が困っているんだ。嫌なら嫌と言えばいいだろう」

名前はそこまで人に流される人間ではない。自分の意思は固く、ハッキリしている方だ。個性の強い者が多い鬼殺隊にいても名前は自分の意見を主張出来る事を冨岡は知っている。
名前は答えにくそうに、随分と溜めてから返答をする。

「…嫌ではないので、困っているのです」

…そう言った名前の顔は恋愛に疎い冨岡でも分かる程、誰かに恋をしている女の顔であった。

「それは…」

そう言いかけたところで、「すみませーん」と来客を知らせる声が聞こえてきた。その声には2人とも聞き覚えがあり、更に詳しく言えば先程まで丁度話をしていた人物だ。まさか話を聞かれてた訳ではないよな、とあまりにも絶妙な頃合いに来た来訪者に戸惑いながらも、名前は玄関へと客を迎えに行った。

「あの、名前さんに用があって、名前さんの鎹鴉が家にいると言っていたので…」
「そうですか。立ち話も何なので、よろしければ入って大丈夫ですよ」
「え!ほ、本当ですか。失礼します…!あ、義勇さんもこんにちは、えぇと、お取り込み中でしたか…?」

まさか先程まで自分について話をしていたとは思っていないだろう呑気な顔の炭治郎と冨岡は目が合った。何で名前さんの家に冨岡が、といった目をしているが、礼儀正しい炭治郎は冨岡にも挨拶をする。炭治郎が何の用で来たかは知らないが、自分は居ない方が話しやすいだろう。それに、名前からの相談も当の本人が来てしまえば話す事は出来ない。そう思い冨岡は腰を上げる。

「…いや、話は終わった。俺はそろそろ帰るとする」
「あぁ、義勇さん。そういえば頂き物のお饅頭をお渡ししようと思っていたんですよ。今持ってくるので少し待っていてください。あと炭治郎君のお茶も持って来ますね」

名前はそう言うと、パタパタと台所の方へと向かっていった。この話をするためだけではなかったのか、と思いながら名前を目で追いかけていれば、冨岡は横から視線を感じた。

「…俺、義勇さんには負けませんから」

宣言のようなものを勝手に告げた炭治郎は、俺も手伝います、と台所へ駆けて行く。その顔は普段の人懐っこいような顔とは違う、決意を固めた男の顔だ。

何が憧れかもしれない、だ。完全にどちらも惚れているではないか。しかも何か誤解されているような気しかしない、と思ったが、慣れない事だらけで疲れ切った冨岡は何も言う気が起きず黙っておいた。出来るだけ早くくっついてくれ、と思いながら。