涙に暮れても日は上らぬ

「その程度か?」

ブレードとブレードが激しい勢いでぶつかり合う。見た目はおもちゃの剣の形をしたサイリウムのようなのに、勢いよく衝突した刃は、本物そっくりな独特の高音を発した。ずしん、と刀越しに襲い掛かる重量に耐えきれず、後ろに数歩よろめいてしまう。その時かけられた挑発的な発言に、弧月を握る力を強めた。

「ま…まだいけます!」
「そうか」

そうすれば目の前の人物は、満足そうに口角を上げて、コンクリートの地面を強く蹴る。体制を立て直すこともできぬ間に、弧月の切っ先を真っすぐと此方に向け突進してくるので、ぎょっとしながらも地面を転がるようにしてギリギリにそれを避ける。

「ちょっ、先輩待って!待って!」
「どうした、動きが遅いぞ!」
「ひっ、ちょ早」

制止の声も聞かず、笑顔で弧月を振り下ろす先輩。その姿は若干狂気じみている。横になっている私に問答無用で振りかざされた刀を、弧月で受け止めるのは間に合わない。シールドを咄嗟に張って、地面と先輩の間を逃げ出すようにして立ち上がる。

「お、よく逃げたな」
「もう少し手加減してください!!」
「手加減って……そんなことしたら実践練習になんねぇだろ」

そう言って、もの問いたげな表情を浮かべた先輩に、ぐうの音も出てこなかった。

「お前もうB級上位の隊に所属してるんだぞ。これぐらい対応できねぇと弧月なんて使えたもんじゃねぇぞ」
「そ、そうなんですけど……」

頭に被っている帽子のつばを指先でつついて、視界の邪魔にならないように位置を調整した先輩。この隙ならば彼から一点取れるだろうか、なんて汚い手を思いつく。勿論それを実行する勇気は持ち合わせていないのだけれど。

「特にお前んとこの隊長は好き勝手に動くだろ。なるべくお前はお前自身で守れるようにしておいた方がいい」
「そう…ですね……」

彼の言っていることは正しいと思う。なのにこの歯切れの悪さは何故なのか。それは言いだすタイミングが迷子であること、言いだす勇気がないせいで、ずっと喉に突っかかっている、ある疑問が原因だった。

「上位なんだから、俺ぐらいのアタッカーの対応はできねぇとな」
「ぐらいって、先輩マスタークラスじゃないですか」
「ははっ、こうして稽古つけてもらえることありがたく思うんだな」

そこじゃないんだよなぁなんて心の中で悪態をつく。そうしてにやりと意地悪い笑みを浮かべる先輩に対して、口をとがらせる。敵うわけないじゃないか。元来私は近接戦とは無縁なスナイパーなのだ。おまけに素の運動神経が悪い上にどんくさいのだ。自分で思っていて泣きたくなるが、これが現実。そんな私が目の前の彼に勝てるわけがないのだ。そんなの弧月を握る前からわかっていた。そう……握る前から……。

「先輩……私……」

そもそも弧月する気なんてなかったんです。そう紡がれるはずだった言葉を防ぐように「行くぞ!」と言って構えられた刃に再度青ざめる。突然の出来事に動けなかった私は、あっけなく本日数回目のベイルアウトをすることとなった。





「悪かったって」
「……ふん」
「そう拗ねるなって」

頬を膨らませながら、もう定番になってしまったお詫びの品である牛乳パックにストローを突き刺して、眉を顰めながら口をつける。イチゴの甘ったるい香りが口内にふわりと広がる。ベイルアウトした先、ベットにぼふんと落ちたときは、もう二度と口なんて聞いてやるかと、毎度意を決するのだが、その度にはこうして餌付けされて簡単に口を開いてしまう。我ながら浅はかであるとは思いつつも、仕方ないと納得している自分がいる、食べものの誘惑は強力であるのだ。

「荒船先輩…さいてい……」
「わかったって、不意打ちした俺が悪かった」
「むぅ……」

せめてもの抵抗にと文句をこぼした。すると、よしよし、そう言いながら飼い犬にするように私の頭を撫でながら、ソファの隣に腰かけた先輩を恨みを込めて睨んでみる。しかし効果はまるでないようで、手に持っているペットボトルに入ったお茶を、ごくごくと喉を鳴らして飲んでいる。その大きく動いている、大人らしい喉仏を無償につつきたくなる。

「……」

じーっとそこが上下する様子に見惚れていると、お茶を見ていた切れ長の瞳がふとこちらを向いて、ビクッと肩が跳ねる。

「……なんだ、そんな食い入るように見惚れて」
「いや、別に……」

とても喉ぼとけに見惚れていたなんて言えない、絶対笑われる。悪いことはしていないはずなのに、見てはいけないものを見てしまったような気恥ずかしさを覚えた。質問から逃げるように目を反らせば、先輩は不思議そうにどうした?と言って首をかしげる。先輩の膝に乗った蓋が空いたままのペットボトルは、短時間しか経っていないにも関わらず、もう中身が半分以上消えてしまっていた。

「なんでもないです」
「そうか?ならいいけどよ」

そう言ってペットボトルの蓋を閉めようとする。そういえば先輩はお茶が好きだって前にも言っていたな。おじいちゃんじゃあるまいし、もっと炭酸飲料とかコーヒーとか飲めばいいのに。ヤンキーみたいな言葉使い的にもそちらの方がしっくりくる。そんなことを思いながら捻られるキャップを見つめていると、その手の動きがふと、止まった。

「めぐ、お前、もしかして」
「へ?」

つられるように顔を上げると、目を丸くしている先輩と視線が合う。すると突然、何事かと問う間もなく、先輩が吹き出して、辺りに憚らずからからと笑いだす。何が何だかわからない私は思わずポカンとして先輩を見つめるばかりだった。

「せ、先輩……?」
「いやあ、悪い悪い」

ほれ。そう言って彼が私に向かって差し出したのは、先程まで彼が勢いよく飲んでいたお茶のペットボトル。増々疑問が深まり、再び彼の顔に視線を向ければ、飲んでいいぞ、との一言。なんだか、ただならぬ誤解をされているような気がするのだが、気のせいだろうか。

「でも私……」

苺ミルクもらったんですけど……。そう続けたくておずおずと口を開けば、そう言う前に先輩はなにかを察したのか「おっと悪い」とお茶を差し出す手を戻した。おお、伝わった。以心伝心したのだと感動を覚えたのも束の間、先輩はにやりと口角をあげて。

「女に口付けたものを差し出すのは、失礼だったわな」
「違う!!」

そこじゃないと意を込めて思わず声を荒げる。

「ん?嫌じゃないのか?」
「あっ、いやそういうわけじゃ……」

思わず口ごもる。そう言われてしまうと返答に困ってしまう。確かに異性が口付けたものを飲むのは間接キスだから、高校1年生の思春期まっさなかであるお年頃の私にはもちろん抵抗がある。けれども嫌だと宣言するのも先輩を拒絶しているようでなんだか言いずらい。

「冗談だ。ほしいなら新しいの買ってやる」
「いや、そういうわけじゃ……!」
「遠慮すんな。いっつも甘いモノばっかのお前がお茶飲みたいなんてこと、滅多にないからな。成長祝いもかねて買ってやる」

よっこいしょ、といって立ち上がった荒船先輩の腕をグッとつかむ。

「ちがう!というか子供扱いしないでください!」
「ん?違うか?」
「違う!高校!!1年生!!」
「ほら、ガキじゃねえか」
「ちがうってば!」

立ち上がった先輩の腕を掴みながら、立ち上がれば176もある先輩との身長の差が顕著になる。自然と上向きになる目線。彼の顔を見れば、仕方ないことではあるのだが、先輩が私を見下ろしていて少しイラッとする。

「違う?どこがよ」
「2歳しか変わらないじゃないですか!」
「1年生と3年生の差はでかいぞ?ぷるぷる足振るわせてる生まれたての小鹿と、草原を駆けまわる虎ぐらい違う」
「先輩だって高校生なくせに!」
「んなこと言ったらお前この前まで中坊じゃねえか。俺もうすぐ卒業だし」

何と言ったって必ず返ってくる言葉に、くぅ、と唸る。いつもの如く先輩は余裕そうににやにやと微笑んでいる。それを見ると余計に腹立ってしまうのだ。

「ほら、俺だって暇じゃねえんだ。はよ買い行くぞ」
「散々人をしごいたりからかったりしておいて何を……」
「人聞きわりぃな。可愛い後輩に稽古つけてただけだろ」
「可愛い後輩ならもうちょっと優しく……」

ばーか、といったセリフと同時に片手に持ったペットボトルの底で、つん、とおでこをつつかれる。両手で引き留めようと掴んでいた腕が、器用に私の片腕を掴んで、反対に引っ張られてしまう。

「あっちょ……」
「可愛い子には旅をさせろっていうだろ」
「……言わない」
「はいはい、そういう言葉があるんだぞー、わかるかなー?」
「知ってます!」

からかうような口調にムキになって反論すれば、彼は此方を振り返って意地悪く笑う。この先輩は私をからかうのが大層気に入っているらしい。お茶はいらないと言おうと思ったが、散々おもちゃにされたお礼として受け取っておこう、そう思ってそっと口を閉ざした。
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