サンドロックに珍しく雨が降った。
記憶する限り、ユズリハがサンドロックで暮らすようになってから初めての雨だ。これまで町で太陽が出ていない日は視界を遮るほどの酷い砂嵐だったからざあざあと降り続く雨に驚いた。
他の町では珍しくもないし少し憂鬱な気分にもなる雨だが、年中水不足に喘いでいるサンドロックではまさに恵みの雨である。酒場では住民が集まってどんちゃん騒ぎ。次に雨が降るのは数年後かもしれないから、と桶に雨水を貯めている住民も見かけた。
「サンドロックにとって雨は歓迎されるものだけど、雨が続くのもそれはそれで良くないよね」
「まあ、植物だって水をやりすぎると枯れることあるし、地盤も緩むし。洪水なんてこともあり得るからね。……で、雨の中あんたはそんな話をする為にわざわざ呼び出したわけ?」
ユズリハの唐突な言葉にそう返したのは幼馴染のニアだった。
雨が降る中、相談があるとブルームーンに呼び出されたものだから大きな悩みでもあるのかと急いで向かったらこれである。ユズリハとは随分長い付き合いだが、彼女から何か相談されたことなど殆どなかった。そんなユズリハから相談したいと声をかけられたら流石に心配にもなる。
「幸せにしたい人がいるんだ」
「幸せにしたい人? 幸せになってほしい人じゃなくて?」
「私としては相手が幸せならどちらでも構わないけど、出来れば自分がその人を幸せにしたいと思ってる」
幼馴染の意外な発言にニアは目を丸くした。
目の前にいるこの幼馴染は今まで特定の誰かに深入りすることを好むようなタイプではなかった。ニアが記憶している範囲では恋人がいたこともなかった筈だし意中の相手がいるなんて話も聞いたことはない。
そんな人が「幸せにしたい」などと言い出したのだ。ニアにとってはサンドロックに雨が降ったことよりも余程大事件である。
「こういうときってやっぱり結婚になるのかな」
「結婚!?」
反射的に漏れたニアの悲鳴に近い声は恵みの雨に大はしゃぎしているサンドロックの人々の声にかき消された。
——この話をされたのが雨で住民の大半が浮かれている今日で良かったとニアは今更ながらに思う。他の日であれば酒場で注目の的になっていただろうし、サンドロックで重要な役割を担うビルダーが結婚を考えているなんて知られたら根も葉もない噂が一人歩きするだろう。お人好しなこのビルダーに想いを寄せている誰かがいないとも限らない。
「……いくらなんでも話が飛躍し過ぎじゃない? 第一あんた、そういう話なんて今までしたことなかったし……」
「そんなに飛躍してるかな? この人を幸せにしたいと思ったから結婚する、人生をかけて支えたいと思う。……まあ、相手にとっては結婚が幸せとは限らないけどね」
「それは確かに……相手が結婚を望まないタイプだったらどうするつもり?」
「うーん……どうしようか。結婚しなくても一緒にいることは出来るし、一緒にいられるなら別の形で幸せにすることも出来るとは思ってるけど……難しいね」
過去に結婚していたがその時に嫌な思いをした。かつて恋人から酷い仕打ちを受けた。そのような経験は一切していないけれども結婚願望がない。そういう人は珍しいものではないだろう。
ユズリハ自身、これまで結婚を考えたことは一度もない。ビルダーの仕事が楽しかったし、自分はおばあちゃんになっても必要としてくれる場所でものを作り続けるのだ、と。その時となりに誰かがいる光景など想像したこともない。
いつか大切な人に出会ってその人と結婚するという未来があるのなら、それはそれで幸せなことだと思っていたけれど。
「そもそも、相手に結婚願望があったとしてユズリハとそうなりたいと思ってるとも限らないんじゃない?」
「そこなんだよねぇ……。以前と比べたら打ち解けることが出来たとは思うんだけど、正直相手にとって最初の頃の私の印象って結構悪いと思うし……」
「……どういう接し方をしたのかは知らないけど、今は打ち解けたなら流石に相手は気にしてない気がするけど」
「どういう接し方をしたというか、勝手に壁を作ってたというか」
「壁? あんたが? どちらかといえば普段は壁を作られる側なのに?」
幼馴染の指摘は尤もだ。反省もしているし、あの頃の自分はまだ幼い子供のようだったとも思う。否、もしかしたら今もまだあの時と同じ未熟な子供同然なのかもしれないけれど。
「少なくとも嫌われてる、ということはないと思うんだけど……。嫌いだったら私との縁を切るタイミングなんてたくさんあっただろうし……」
「結局のところ、その人のこと恋愛対象として好きなの?」
「どうだろ……その人に幸せになってほしいし自分がとなりにいられたら嬉しく思うけど、その人を幸せにするのが自分じゃなかったとしても悲しいわけじゃないし……愛はあるけど恋かどうかと聞かれたら自信はない感じかな?」
なにそれ、と呆れたように言うニアにユズリハは曖昧な笑みを返す。
この歳まで恋なんてしたことがないのだ。今の自分のこの感情が恋であるか否か、それを判断できるほどの経験はしていない。
故郷にいた頃に読んだ本の中に書かれていた「恋」はもっと燃えるような……或いは沼底に足を取られて沈んでゆくような、そんな描写が多かったような気はするけれど、自分の中にある感情はそのようなものではない。
(まあ、同じ感情でも人によって感覚は違うだろうしこれも恋と呼べるものではあるのかもしれないけれど……)
彼を好ましく思うこの感情が恋と呼ばれるものであっても、もっと違うかたちのものでも、どちらでもいいとユズリハは思っている。
どのようなラベルを貼られた感情だとしても、この人を幸せにしたいと思うことは恐らく変わらないのだから。