視界の先

 サンドロックの町役場では様々な書物を所蔵している。
 子供向けの絵本に、有名な作家が書いた恋愛小説。それから旧世界について書かれている小難しい本まで。
 ビルダーの仕事に役立ちそうなことが書かれた本もあるようだけれど、流石に一日で読み切れるような量ではない。場合によっては目当ての本を探すだけで一日が終わってしまう可能性だってある。
 私は本棚から一冊の本を手に取り、小さく息を吐いた。学生時代に学友たちの間で流行っていた小説だ。確か新人ビルダーの少年が主人公の話だと聞いたことがあるが生憎私はこの小説を一度も読んだことがなかった。

「ミゲルは……こういう本は積極的には読まなさそうだよね」

 私と同世代の子たちの間で流行っていた本だ。低年齢向けとまでは言わないが恐らくは若者向けの内容なのだろう。
 手に取った本をぱらぱらと捲る。挿絵もありあまり難しい言い回しもないその小説は普段読書をしないタイプの学生でも比較的取っ付きやすいのかもしれない。

「ユズリハはそういう本が好きなのか?」
「んー、どうだろ。私もこの小説は読んだことないし、学生時代はビルダーの仕事に関する本ばかり読んでたから」

 ビルダーという職業の歴史についての本だとか、実際にビルダーになったという人が書いたエッセイだとか、そんな本ばかりを読み漁っていた。
 当時の私は——今でも割とそうなのだけど、子供の頃に知ったビルダーという職業に憧れ、その夢を叶えることにしか興味がなかったと言っても過言ではない。
 同世代の子供たちが面白いと話している小説よりもビルダーが使う図面でも眺めているほうが楽しいと感じるような可愛げのない女だった。幼馴染のニアにさえ呆れられたこともあるほど。

「これは学生だった頃に同世代の間で流行ってた小説でね。サンドロックでも流行ってたのかな」
「いや……そもそもこの町の住民は積極的に本を読む人のほうが稀だろう」
「まあ確かに、サンドロックだとのんびり読書なんて余裕はないかも」

 数年前だとサンドロックはまだ水不足に喘ぎ、度々発生する砂嵐に悩まされていたことだろう。どちらもある程度改善し、観光客が期待できるようになったのも最近のことだ。
 今日を生きるのに精一杯の環境では本を読んでいる場合ではないかもしれない。ジャスミンはアーネストの書いた小説を読んだことがあったようだし、全く読む機会がないというわけでもないだろうけど。
 ……よくよく考えてみたら私もビルダーになってからは本を読むことは殆どない。学生だった頃と比較すると自由な時間が減っているし、どうしたって読書をする機会も減る。元々日常的に読書をする習慣があるわけでもないから尚更だ。

「最近は町も平和になってるから、青春時代に読まなかった本を読んでみるのもいいかなって。何だか自分はもうこの本の主人公と同じくらいすごい体験しているような気もするけど」

 盗賊として指名手配されていた人と戦ったり、かと思えばその人への誤解が解けて共闘することになったり。既に物語の主人公のような経験を何回もしている。
 ビルダーになりたい、と思ったときはこんな未来を予想したこともなかったが——これはこれで悪くない。

「そうだ、せっかくだしミゲルのおすすめの本でも教えてもらおうかな。自分で選ぶと似たような内容ばかりになっちゃうし」
「ユズリハの好きそうなものを勧められそうにないが……」
「ミゲルの好きな本が知りたい。私には難しくて途中で挫折してしまうかもしれないけど、それも含めていい経験だと思っているからね」

 読書を趣味としている人でも苦戦するような本をいきなり勧められるようなことはないと思うけれど、万が一そんな本を勧められて、最後まで読むことを諦めてしまったとしても、そんな読書体験も良いと思うのだ。
 そこまで言うなら、と何冊か見繕うミゲルの背中に視線を投げる。この人が選んでくれた、私の知らない世界に触れるのが楽しみだった。