02

 渡されたメモは、正直カガリには必要のない代物だった。けれどエッケハルトの心配げな瞳を向けられれば、受け取らざるを得ない。カガリは渋々とポケットにしまったそれを一度として開くことなく、クレイモランの城下町にて買い物をしていた。どこか意地を張っている自分を自覚はしている。

(博士は、過保護だ、とても)

 本の内容をほとんど一発で理解する自分に、お買い物リストが必要だと思ってるなんて!

「おやカガリちゃん。今日もおつかい?」
「はい。けものの皮を10個と、それからシルク草を2つ。あと、麻の糸も2つ下さい」
「あらあら、相変わらず無駄なく喋るねぇ」

 うちの息子にも見習ってほしいもんだよ、と露店の妙齢の女性はボヤいてからすぐに笑顔になると、「これ、オマケさ」と石の欠けらを一つ、カガリの手のひらに置いた。初めて見る、透き通るような天の色に目を奪われる。が――カガリは頂けないとばかりにふるふると頭を振って、その手のままズイと差し出した。

「そんな、申し訳ないです。お代金も払ってないのに」

 女性は一瞬ポカンとすると、アッハッハ! と快活な笑い声を上げる。

「なーに、学者さんの卵だからって、子どもが大人ぶったこと言ってんだい! いいから、遠慮なんかしないで持っておいき。それは商品として値もつかない石だ」

 そう言われてしまえば、確かに子どもであるカガリには返す言葉もない。それに、一目見た石はとっても美しかった。握り込んだ手のひらをドキドキと広げて、その中心にある、反射を繰り返す水色をじっと見つめる。

(水の結晶みたい)

 表面に映る自分の顔。それすらもが水面のようで、カガリはその輝きに見惚れて暫く動けなかった。スライムの親友にも似ている気がする。どこか懐かしい、とも思う。
 声に出さずとも気に入ったことが一目でわかるカガリの様子に、女性はホッと安堵の息を吐くと、「かがみ石って言うのさ」と教えてから、カガリが購入した物をまとめた袋をテーブルの上へと置いた。

「かがみ石……」
「その名の通り、鏡みたいに光るから、かがみ石」
「きれい。おばさま、ありがとう」
「いいってもんさ。ホラこれ、お品!」

 カガリはハッと慌てて石をポケットに突っ込むと、預かった財布から必要な現金を抜き出した。

「はい。これでお願いします」
「あいよ。ちょうどだね、まいどあり!」

 もう一度お辞儀をしてから、カガリは女性に背を向ける。女性は既に違うお客へと声かけをしており、その商魂の逞しさにカガリは仄かに笑った。
 クレイモランは寒く荒涼とした土地だというのに、この街に生きる人々はとても明るく気前がいい。それはきっと、この城下町の美しさのおかげだろうとカガリは常々思っていた。
 荘厳という言葉がこれほど似合う城があるだろうかと、カガリはここに来るたびに感銘を受ける。麗しい王家を戴く、クレイモラン。見渡す限りに散らばるステンドグラスは、青く滲む雪と雪白の城壁に映え、この街を取り囲む宝石箱のようだ。そしてそれぞれの店や家々の室内は、温かなひのきの色。人々の心をほぐす、炎に似た色。
 極寒の地は、確かに生きるのにつらい。作物は育たないし、生き物たちは殺伐としている。けれど、この街一つがあるだけで、その誇りだけでこの地に生きる人々は、力強く生きていけるのだ。

(今日もまた、いいことがあったわ)

 ポケットに入れたそれを大事に手に取って、光にかざして見る。午後の日差しを受けてキラキラと雫を散らす石。これだから、城下町巡りはやめられないのだとカガリは上機嫌になった。
 かざす指で角度を変えて光を覗いていた時――キラ、と反射した先で、違う光が輝いたのが見えて、カガリは目を瞬いて視線を移した。

(今の光は……?)

 目を凝らして城壁の物陰を見やる。光源、街の隅、壁際にいたのは、何度か見たことのある巨体――バイキングだ。何やらコソコソとしているその姿に、カガリは顔をしかめる。

(確かに、あそこで光ったはずだけれど)

 エッケハルトからは、バイキングにはむやみやたらと近づくなど口酸っぱく言われている。彼らが荒くれ者だという認識は、もちろんカガリにもあった。もしかしたらあの光は雪が乱反射しただけかもしれない――抱いた興味を自分の中で無理矢理鎮火させて、その場を立ち去ろうと背を向けた。
 その時。

「おい餓鬼、サッサと立てよォ! じゃねぇとほんとにぶっ刺しちまうぞ!」

 ギョっと身が竦む恫喝に、カガリは足を止める。思わず振り返って、その先を見た。さっきは視界に入らなかったが、バイキングの影に隠れて、壁に背を預ける少年がいることに気付く。少年は力なく座り込んで壁にもたれかかっており、その周辺にはいくつもの酒樽が転がっていた。

「時間通りに酒場に運ばねぇと、信用失うんだよ。てめぇのせいで商売上がったりになっちまったら、どう責任取るんだ、あ?」
「すいません……」

 か細い謝罪は、ほとんどここまでは届かなかった。だが、沈鬱な響きはカガリの胸に、悲しみとともに流れてきて。
 ――先ほど光ったものが、ナイフだ――と気付いた時には、もう駆け出していた。

「バイキングのお兄さん、港で人が呼んでるよ」

 突然のカガリの登場に、バイキングは面食って振り返る。そこにいるのが少女だと分かると、気怠げにポケットに手を突っ込んだ。

「……あぁ、お嬢ちゃんか。何度か見たことある顔だな。で、俺に何だって?」

 カガリはチラリと腕時計を確認する。まず間違いない。

「港で、商人さんがバイキングさんを呼んでたの。港に下ろす荷物で、確認したい物があるって」
「あー、俺の担当かは分からんが……まぁ誰もいないんなら行くしかねぇか。おいてめぇ、そこにあるの、俺が戻るまでに全部運んでおけよ!」

 吐き捨てると、バイキングは肩で風を切ってカガリの横を過ぎ去って行く。のしのしとその大きな図体が遠ざかるのを確認してから、カガリは顔を伏せたままの少年に目を向けた。

 美しく、研ぎ澄まされた青の髪。思わず、息を飲んだ。

「ねぇ君、もう大丈夫だよ。立てる?」
「…………」

 何も答えない代わりに、すっと上げられた瞳と、かち合う。
 髪と同じ、深い海の色。雪の光が零れ落ちて反射すれば、海の水面のように輝く瞳。

(キレイ)

 それは、今日貰った石の色すら霞むほどの、胸が痛むほどの美しい色だった。
 だが、雪の光がなければ、どこまでも暗く――海底まで沈んでいきそうな、闇にも似ていた。

「……あんた、いらんことしてくれたな」
「え?」

 まさか。チッと聞こえた舌打ちは、聞き間違いだろうか?

「あいつは俺をいたぶるのが趣味みたいな奴なんだ。それなのに邪魔なんざしたら、きっとあとからすげぇしっぺ返しがくるぜ」
「邪魔なんて、そんなつもりは」
「でしゃばり」

 フンと鼻であしらわれて、カガリはカァと首筋が赤くなるのを自覚した。

「何で、そんなこと言うの。私、そんな悪いことしたかしら?」
「じゃあ聞くけど、好い事したとでも思ってんの? それ、ぎぜんって言うんだぜ」

 ぎぜん、偽善――どう見ても同い年くらいにしか見えないこの少年が、しかもバイキングに扱き使われるようなみすぼらしい格好の彼が、偽善と言ったか? カガリはそんな言葉を同年代から向けられたことなどなく、というか人からそんな失礼なことを言われたことなどない。何だかいきなり見下された気がして、学者の卵と自負する心にヒビが入った。

「こっちの事情も知らないで、自己満足の、ぎぜんの押し売りはやめてくれるか。正直、気分悪いぜ」

 少年の言いたいことは、分かるが。それでも、そもそも助けたことが不満だとして、初対面の人間にここまで悪態を吐くなんて。

(なによ、なによなんなのよ)

 気分悪いのは、こっちだわ!

「偽善ですって! じゃあ、善にすればいいのね?」
「……はぁ?」
「そこの酒樽貸しなさいよ。私も酒場まで運んでやるんだから」

 酒樽の一つを酒場方面に転がしやすいようにずりずりと方向転換させる。よいしょと腰を屈めていくつものを同じように並べるカガリを呆然と見やっていた少年は、その光景にハッとすると、思い切り眉根を寄せた。

「おい、勝手なことするな!」
「なによ。早くしないとあの人、戻ってくるわよ。それとも、一人でこれをすぐに酒場まで運べるって、あなたは言うの?」

 カガリがクイと顎を向ければ、苦虫を噛み潰したような顔をして、少年は「あぁ、もう!」と後頭部を掻きむしった。

「絶対、余計なことはするなよ。でしゃばり女」
「しないわ。偽善を善に変えたらそれでおしまい。さよならよ、失礼なあなたとなんて」
「ふん、大人ぶりやがって」
「どっちが」

 そう、お互いに憎まれ口を叩きあっていたから、だろうか。夢中でゴロゴロと酒樽を転がしていたら、思いの外すぐに作業が終わってしまって、酒場の店主に「早い作業で助かる」と褒められてしまった。少年に至っては、いつも助かるなと声をかけられ、お小遣いまで貰う始末だった。
 先ほどまでぶっすりとしていたその顔が、年相応に輝く。

「やりィ。これでなんか美味いモン買って帰ろっと」

(なんて、現金な奴なのかしら)

 カガリは偽善を善に変えたつもりなのに、彼が喜ぶその姿が何だか面白くなくって、ツンと澄ました声を出した。

「あら、良かったわね。ねぇ、私に何か言うことはないの?」
「……あぁ。なんだお前、まだいたの」

 さも忘れてましたとでも言いたげな、キョトンとした可愛らしい顔を少年から向けられて、カガリの苛立ちは増して行く。

(お金になら、喜ぶのね)

 勝手に、裏切られた気分だった。

「一緒に手伝った相手に向かって何なのよ、この恩知らず」

 腰に手を当てて凄めば、少年は少し目を丸くしてから、ニヤリとその歳に相応しくない笑みを浮かべた。

「あ、それも知ってるぞ。ヒステリックって言うんだ」
「な――」

 その時、カガリは自らの怒りの最大瞬間風速を更新した。

「ヒステリックで結構よ! あなたなんて、もう助けてやんないんだから!」

 無礼にもほどがある! こんな礼儀を弁えない人間に関わるほど、自分はヒマではない!

「ああ、今日はなんて日かしら! 最低最悪よ! さようなら!」

 先ほどのバイキングみたく、吐き捨てるようにカガリはその場を後にした。その後ろ姿はお世辞にもお上品とは言い難かったが、知らぬは本人のみである。
 プリプリと去っていく後ろ姿を遠目で見送って、少年は可笑しそうに一つ笑ってから、小さく呟いた。

「……変な奴だな、あいつ」
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