07

青い髪の海賊さんへ

 突然のお手紙、ごめんなさい。これを渡されたあなたは今、とっても驚いていると思います。なにせ、あの時あなたに怒鳴り当たり散らした私が、こうしてお手紙を書くだなんて……神様も思いつきやしないことだから、当然です。色々と、信じられなくてもしょうがないと思います。
 実は、あの日の失礼な私の態度を謝りたくて、筆を取りました。あなたの気持ちも考えず、飛び出してしまってごめんなさい。思い立ったらすぐに動いてしまう、私の悪い癖です。
 あなたに不快な思いをさせたこと、後悔してます。あなたに言われたことに傷つきもしたけれど、その前の私の行動が全てなのだから、自業自得です。ただ、あなたを傷つけるつもりはなかったことだけ、知っておいてほしいです。
 これから先もあなたがバイキングでいる限り、私とあなたは何度もこのクレイモランで会うでしょう。お互いを目にすることになるでしょう。その時、私はきっとあなたを気にしてしまうと思いますが、心のままに動かないように気をつけます。でも、もしあなたが、少しでも助けが必要なら、その時は――



 ハァ、と吐かれた息が、こちらまで聞こえそうだった。
 重たいカーテンのように靡く風雪の中、カガリの姿を認めてカミュが安堵の息を吐いたのも束の間。彼女の目の前にいる魔物の姿にカミュは瞠目すると、慌てて腰ベルトに刺したナイフを抜いた。カガリはそんな彼を、幻でも見ているのかと――放心して視界に入れているだけだった。

「ニンゲンのこども、何しに来た」

 毛を逆立たせたスノーベビーが、少年に飛び掛らんとする直前――彼女はようやく自我を目の前に呼び寄せた。後ろ足で砂を蹴り込む瞬間、青ざめてその首元に飛び付いた。

「待ってスノーベビーちゃん! お願い!」

 鎮めるために叫んだが、動揺しているのは自分だった。抱き抱える頼りないこの腕は、小刻みに震えてしまっていた。
 スノーベビーは唸り声を少しだけ落として、チラリとカガリに振り返る。まだ、殺気は消えない。

「このニンゲンは、カガリちゃんのおともだちなの」

 トモダチ。

「――そう。だから、怖がらないでね。お願いよ」

 いったい誰に対して向けた言葉なのか、カガリは自分で言っていて分からなくなった。
 カガリの必死の言葉に渋々ではあるが納得したスノーベビーは、カミュをひと睨みすると、尻尾を垂らしてゆっくりと下がった。完全にこちらを威嚇していたはずの魔物のその変貌振りに、少年は更に目を剥いて、握り込んでいたナイフを戸惑いながら下ろす。

「お前を守っているのか?」

 信じられないと呟くカミュに、他意はない。けれどカガリは、嫌な汗をかいていた。エッケハルトに、魔物と会話する際は周囲をよく確認しろとキツく言われている。大丈夫、今回なら誤魔化せる――カガリはマフラーに顔半分を埋める。

「別に、この魔物が懐きやすいだけよ」

 「旅人にも戯れ付くわ」と続けた言葉に、嘘はない。魔物と一緒にいるところを見られたとはいえ、それがスノーベビーだったのは不幸中の幸いだった。カガリは小さく息を吐く。こうして一緒にいても無駄に詮索されないはずだ。カガリは魔物を隠すように前に出ると、今更になって緊張している自分に気付く。寒いだけではない震えが、指先を惑わせる。目の前の彼に見られたくなくて、腕を組んで隠した。

「それで――あなた、どうしたの。こんな吹雪の中、わざわざ雪原に用がある人なんて、よっぽど物好きな旅人か、遭難者しかいないわ」
「お前に、話があって来た」

 風のような声で、静かに返される。カミュがポケットから例の手紙を取り出すのを見て、カガリの心臓は大きく跳ねた。この音が彼まで聞こえたらどうしようとカガリが1人慌てているのを知る由もなく、彼は手紙を見つめている。何かを言いたげな目をしてから、ふいと視線を逸らした。
 その封は、きちんと丁寧に――開けられていた。

「悪い。これ、読みたいと俺も思ったんだけど」

 呟いてから、彼はその美しい青を遠い白い地平線の彼方、山の稜線に向ける。整った横顔。子どものくせ、スッと通った鼻筋が印象に残る。けれどその下にぶら下がる生意気そうな口元は、何か言いづらいのか、キュッと頑なに閉じられていた。カガリは不思議に思って首を傾げる。

「読めばいいじゃない」
「字が。読めないんだ、俺」

 「え、」と溢れてしまいそうな言葉を、カガリは息を飲み込むことで阻止した。
 カガリの絶句した反応にカミュは口角を上げると、わざとらしく肩を竦めた。

「簡単な単語や数字なんかは分かるけど、文はダメだ。これも、分かる部分もあったけど――ほとんど、読めない」

 「学者さんのお前には信じられないだろ」と、鼻で笑う彼に。カガリは何と返していいか分からず、言葉に詰まった。言葉を失うなんていう経験を、これまでカガリは経験したことなどなかった。言葉は全て滑らかに口から出て、ペン先から紡ぎ出せるものだった。

(文字が、読めないだなんて)

 同世代で、そんな子がいることが驚きだった。街の子も本を読んでいるのを見て来たし、それが当たり前だと思っていた。今の今まで、彼のような存在をカガリは知らなかった。
 他の子に比べたら、自分は知らないことなんてないはずだった。――それなのに。

(文字を習うことさえできない生活。想像したことも、私はなかった)

 これだから、目の前の彼に「偽善」と言われるのだ――

(情けないわ)

 どこまでも、独りよがりで。

 項垂れる。目を合わせるのも、自信がなかった。彼の視界にいるのすら恥ずかしくて、押し留めている涙はやたら熱くて。目の奥がジンジンと痛い。
 その時。癒すように、下げた頭上から軽やかな笑い声が降り注いだのだから、カガリの胸は痛いほど切なく軋む。

「そんな落ち込むなよ」

 痛みに振り仰げば、困ったように笑う彼がいた。

「この手紙、何も悪口文句愚痴だらけってわけじゃないんだろ?」
「ち、違うわ!」
「なら、いいよ」

 交錯する目線。視界を遮る雪の向こうに、クレイモランの雪解け水のような、澄んだ青があった。――見つめられて、カガリは声を失う。
 カミュは思い出したように「いけね、時間だ」と口早に呟くと、手紙を軽く掲げてから、ぼうっとしたままのカガリに背を向けた。

「これ、貰っとく。じゃあな」

 胸元にしまう仕草。カガリはそれを形容する言葉が思い浮かばなくて、何も言えずに見送ってしまった。彼は一度も振り返らなかった。

息づく青の青 寄せては引き返す
祝福のひかり すべてがうつくしく

白の狭間 遠い空の色
寄せては引き返す、庭の青
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