タカハシケースケという男
「合コン?」
「人いないんだってば〜!お願いお願い!」
「私、恋愛とか分かんないからなあ…それに家の手伝いもしたいし…」
目の前にいる調子の良い友達は、一生のお願いだからと私に懇願してくる。
いつものお願いのやり方より、何倍も気合が入っていて絶対に私が首を縦に振るまで何度だって懇願してやるぞという気概まで見えた。
私はそんな必死な友達に苦笑いをしながらも、それとなく断る方向で話を進める。
事の発端はと言えば、最後の講義が終わった後のこと。
講義も終わり、家の仕込みを手伝いたかった私は急いで帰ろうと立ちあがればその瞬間に隣に座っていた友達が私の腰に抱きついて静止してきた。
びっくりして友達の顔を見ると、なぜか目をうるうると潤ませながら話を聞いてほしいと言ってくる。早く帰りたい気持ちを我慢してしょうがなく話を聞いてみると、その友達からの9回目になる一生のお願いだった。
「というか、合コンじゃなくて相互親和性測定会!」
「いや、だからそれって合コンだよね」
「だって合コンって言ったら、綾乃絶対来てくれないじゃん!」
「私もう何回も断ってると思うけど…」
入学してから今までに、何回も合コンには誘われた。
でもそのたびに家の手伝いをするからとか、短期バイトがあるだとかでそれとなく断っているのにそれでも何度も誘われ続けている。
私自身、恋愛事はかなり苦手な部類だ。家族が1番大事な私には、異性とのそういう関係にまったく興味も湧かないしそんな時間もない。
目の前の友達がそんな、と絶望した顔で項垂れる。いつもよりかなり落ち込んでいる友達になんとなく、事情が違うのかな…と思って聞いてみることにした。
「何かあるの?」
「……綾乃くるって言っちゃった…」
「え!嘘、私絶対に行かないよ!なんでそんなこと言っちゃったの…」
暴走している友達に呆れながらそう聞けば、もう吹っ切れたのか声高らかに理由を話し始めた。
周りの視線が痛いから、大声はやめてほしいな…。
「だってだってだって!綾乃を連れて行ったら、タカハシケースケもなんとかして連れてくるからって男友達から話持ち掛けられたんだもん…!!」
「タカハシケースケ?有名な人?」
「エッ!?あれだってば!少し前に話した黄色のスポーツカーに乗っているボンボン!」
そんな話したことあったっけ…その友達の言葉になんとか記憶を辿ってみる。黄色の車、黄色の車……あ!空飛びそうな羽がついていた車かな。確かいつかの時に大学前に路肩に止まってたような…。
女の子たちがキャーキャー言ってて、エンジン音もうるさかった記憶がある。
でもそんな人がくることで何かいいことあるのかな…、だって芸能人とかではないだろうし…。
「その人、狙ってるの?」
「いや、聞いた話によればさタカハシケースケもイケメンだけど兄は特別イケメンみたいでさ…!」
「でもお兄さんは来ないんでしょ?」
「タカハシケースケと仲良くなればワンチャンあるかもしんないでしょ!」
鼻息を荒くさせながら、興奮したように捲し立てる友達。
この子、かなりのメンクイだからなあ…それが唯一の欠点とも言える。
元カレは星の数ほどいる百戦錬磨の友達は次の標的をそのお兄ちゃんに決めたらしい。頑張っては欲しいけど、私が合コンに参加することとは関係ないよね…。
曖昧な笑みを浮かべながらそれとなく、少しずつジリジリと距離をとる。
「頑張ってね、応援してる。じゃあ私はこれで」
「いや待って待って!!だから綾乃が参加してくれないと私の計画がパーになるわけ!!」
逃げようとした私の腕をがっしりと掴んで、全体重で阻止してくる友達が必死すぎて逆に怖くなる。
もう断り続けるのも限界かもしれない…1回ぐらい行ったらもう誘われなくなるかな……。
断っても断っても誘われることに正直うんざりしてきた。悩みに悩んだ末、行くしかない…と半ば諦めながら大きいため息を吐く。
「…わかった、行くよ」
「ほんとに!!?」
私の了承の返事に友達は泣きまねをしていた表情をころりと変えて、満面の笑みへと変わる。現金な友達だと思う。
「でも!これっきりだからね!この1回で終わり!」
「助かるー!本当にありがと!!それで合コンが今日の夜なんだけど…」
「きょ、今日!?いくらなんでも急すぎるよ…お父さんに電話しないと」
「ごめん、言い出しずらくて…本当にもうしわけない!!」
両手を合わせて深々と頭を下げる友達をこれ以上責めることはできない。行くって決めたのは自分だ。
お父さんに事情を説明しないと、帰りが遅いって心配するだろうし、晩御飯も私の分を余計に用意してしまうかも…お父さんに迷惑だけはかけたくない。
公衆電話ぐらい、大学内にあるはず。私は大学内の記憶をなんとか呼び起こして、どの辺にあったっけ…と記憶を探った。
✳︎
『合コンだあ?』
「どうしても出て欲しいって言われて…」
なんとか見つけた公衆電話に10円玉を入れて、家である豆腐店の電話番号を入れる。
数コール待てば、お店の電話番号なのにものすごく気だるそうなお父さんが電話に出た。一応、お店のなんだからもう少しぐらい愛想を良くしたっていいのに…私にばかり電話を回すから。
そんなお父さんに私だということを伝えて、事情を説明すればお父さんから聞いたことのない呆れたような声色で冒頭の言葉が出てくる。
『別に構いやしねえが、一丁前に朝帰りなんてモンすんなよ』
お父さんのその言葉に顔に熱が集まって、カッと熱くなってしまう。
あ、朝帰りなんて、そんなはしたないことするわけない!そもそも恋愛事が苦手なことはお父さんも知っているはずなのに、私がそういうのに参加するのが珍しいから揶揄ってるんだろうな…。
お父さんはぶっきらぼうに見えて、昔やんちゃしてたらしい…意外と意地悪だ。
「し、しないって、そういうの興味ないし!」
『どうだかなあ…今の若ぇやつは手が早ぇらしいからな』
「私には終わったら真っ直ぐ家に帰る以外の選択肢はないよ…」
やっぱり合コンってそんなところなのかな…家族以外の男の人と話すことが中々ないから、どう話せばいいのか分からない…でも仕方なく行くんだから参加するだけで、別に気を使って話すことないかと勝手に結論づけた。
第一、そんなに話しかけられることもないだろし…。
『帰りの足がねぇなら、拓海に迎えにいかせてやってもいいぞ』
「だめだめ!拓海は朝の配達があるんだから…適当に帰るよ。終電までには終わるだろうし」
お父さんはそうか、と相槌を打つ。
終電を過ぎるほど、楽しくもないと思う…とは言わなかったけど実際そうだ。
適当に会話して、適当に抜けてくれば早くに帰れそう。だって参加するとは言ったけど、最後までいるとは一言も言ってないし、私が参加した時点で約束は果たせるはず。
「じゃあ行ってもいい、ってことだよね?」
『ああ。ただし、これだけは守れ』
そういったお父さんは一瞬、間を開けて受話器越しに息を吐いた。
きっとタバコを吸っているんだと思うけど、そんな音がやけに色っぽく聞こえる。
耳元で聞こえているぶん、より鮮明だ。
『男の車になんざ簡単に乗るじゃねえぞ』
さっきまでのトーンとは違う、真面目な声色で少しどきりとする。
お父さんが真面目になると少し居心地が悪い。でもきっと、それほどまでに守らなければいけないことなんだ。
私は大人しく首を縦に振りながらお父さんに返事をした。
「わかった。絶対乗らない」
『車なんてモンは一度乗っちまったら、ソイツが車を止めねぇ限り降りられなくなる。ましてやお前は女だ。何かあってからじゃ、どうにもならねぇ』
「うん…気をつける」
お父さんは私の身を案じてくれている。
この間の店番の時といい、私に対しては拓海より過保護になってしまうみたいだ。まるで血の繋がった本当の親子みたいで、場違いなのに少しだけ嬉しくなってしまう。でもそんな喜びは、同時にな身の程知らずな自分に嫌悪感も抱かせた。そんな2つの想いが複雑に絡み合って、何とも言えない表情へと変わってしまう。
電話越しでよかった…面と向かってだったら、今思っていることがお父さんに筒抜けだったろうしそれを汲んでまたあの底なしの優しさに触れてることになってただろうから。
お父さんの優しさは心地よい。でも、私はこの優しさに甘えっぱなしじゃいけないんだ。
私が返事をして黙ったままでいると、お父さんは何かを察したのか軽い口調で口を開く。
『そんじゃまあ…せいぜい、いい男でも引っ掛けてこい』
「ちょっと、お父さん!」
私のそんな考えは電話越しでもお見通しだったみたいで、お父さんからふざけた激励の言葉が飛んでくる。
お父さんのこういうところ、本当にずるい。
私よりも何枚も上手。それが藤原文太という、血の繋がりがない私を1人で手に塩かけて育ててくれた立派な大人だった。
『ったく、冗談に決まってるだろ。気ぃつけて帰れよ綾乃、そんじゃ切るぞ』
「……ありがとう、お父さん」
電話が切れる直前、ぎりぎりで絞り出した一言。
私の言葉が聞こえたのか、軽く笑ったお父さんの声がしてから電話は切れた。
*
相互親和性測定会(合コン)が始まって、もう早1時間が経過しようとしていた。
ガヤガヤと居酒屋が大盛況のなか、私の引き攣った笑顔がそろそろ限界を迎えそうになる。
呑めもしないお酒を手に持って、なんとか愛想笑いだけは絶え間なく浮かべていたけれどそれももうできなくなってきていた。
「俺、藤原さんの好きなタイプ聞きてぇ〜!俺って優しいし、カノジョにはマジで尽くすよ?」
「いや、…あはは…」
「あ、てかてか藤原さんって元カレ何人?」
「藤原さんって純粋そうだから、男経験なさそ〜!俺色に染めて〜!」
「い、家のことで忙しいから…彼氏とかそういうのは…」
「エー!!マジかよ、俺!俺彼氏になるよ!」
来なきゃよかった。そんな気持ちを出すかのように深過ぎるほどのため息が出てしまう。
せっかく何かあったら助けてもらおうと友達の隣に座ったのに、彼女はお目当てのタカハシケースケを視界に入れた途端に光速でいなくなっていた。それで私の両隣には知らない男子大学生が座ってきて、延々と話かけられる。これじゃあ帰ろうにも帰れない。
私が手に持っている一向に減らないお酒を見た右隣の男の子は、自分のグラスを執拗に当てながらにやついている顔で私に絡んでくる。
「藤原さん全然飲んでないじゃ〜ん!せっかく来たんだからのもーよ!ほら、乾杯乾杯!」
「私、お酒あんまり好きじゃないから…」
「かわいー!俺が大人の飲み方教えてあげるよ!」
「いや、大丈夫です…」
私には耳障りな音があまりにも多過ぎる。
たくさんの人の話し声に笑い声、カチャカチャ当たる食器の音、タバコの匂いにアルコールの匂い。
処理しきれない情報の嵐に、頭が痛くなってくる。
私を連れてきた張本人の友達に縋るような視線を向けても、友達はめんどくさそうに肘をついて適当に話を聞いているタカハシケースケしか見えていない。ばか、絶対次の論文手伝ってあげないから。
帰りたい。家に帰りたい。家がいい。
同じタバコなら、お父さんのタバコがいい。話し声、笑い声は家族のが聞きたい。
お父さんのお酒に付き合うぐらいが1番楽しい。拓海と笑って冗談を言い合う方が楽しい。
耳鳴りがずっと鼓膜に響く。私は迷子になった子供のような不安感に襲われた。
もうここには居たくない。
「あの、私、お手洗いに行ってきます」
「俺、連れてってあげる〜!」
「いらないです、私一人で行けます」
絡んでくる2人をなんとか交わして立ち上がる。静止してくる2人を無視して、逃げるようにして居酒屋のトイレへと駆け込んだ。
さっきよりははるかに静かになったけれど、遠くからあの2人の声がするような気がして休まらない。まだ続いている耳鳴りが治まるように、目を閉じて何度も深呼吸をする。
少し落ち着いてきて目を開ければ、目の前の鏡に憔悴しきっている顔をした私が居た。
思わず鼻で軽く笑う。無理している私って、馬鹿みたい。
もう家に帰ろう。
そう決心した私は鏡の中の自分を横目で見ながら、女子トイレから出る。
バッグを取りに帰ろうと席に向かおうとすれば、腕が突然引っ張られた。
「おい、アンタが藤原だろ」
「っわ、……あ」
不機嫌そうな声色を隠そうとすることなく、話しかけられる。
急な展開にびっくりしながらも振り返ってその人物を見てみれば、顰めっ面をした端正な顔立ちの男の人。
この人……タカハシケースケって人じゃ…。何もしてないのに、私を睨みつけるような顔をしていた。
「タカハシケースケ、さんですか?」
「ああ、そうだよ。お前がくるからって無理やり連れてこられたんだよクソ…」
頭をガシガシと乱暴に掻きむしりながら、舌打ちでもしそうなタカハシさんは私を一目見てそっぽを向く。
そのそっぽの向き方が弟の拓海を思い出して、親近感が湧いた。
「まあ、んな様子じゃアンタも無理矢理連れてこられたタチみてえだな」
「私もタカハシケースケがくるからって、半ば無理矢理…」
私のその言葉を聞いたタカハシさんは眉間の皺を少しだけ緩ませながら、壁に背を預けてポッケに手を入れる。
そんな姿も様になっていて、華やかな顔立ちに映えて人気な理由がなんとなくわかったような気がした。
「バッカらしいぜ、まったくよ…なあアンタ、あそこにイイ男いたか?」
親指で、さっきまで私がいた場所をさされた。まさか、そんなことあり得ない。
私は今からバッグを取りに行って、そのまま居酒屋を後にする予定だった。私は必死に首を横にふる。
「い、いないです。恋愛とか、そういうの苦手で…」
「オレも今はちげえことに夢中でよ、大事な時期なんだ」
そう言い放ったタカハシさんは、背を預けている壁から離れる。
でもポッケに手を入れたままで、私を高い位置にある切れ長の目で見下ろした。
ニッと笑って、あっけらかんと口を開く。
「オレと抜けようぜ」
「え、」
「オレも正直うんざりなんだよ、こんなメンドクセーこと」
そう言っているタカハシさんの目に、嫌な感じは全くしない。
彼は本当にめんどくさくて、私という口実を使ってここから出たいみたいだった。奇遇なことに私もここから出たい。利害の一致は当然の結果だった。
でも考えあぐねている私が何も喋らないのを見て、下心があると思われていると勘違いしたタカハシさんがめんどくさそうに言い捨てる。
「別にオレ女には困ってねーし、わざわざアンタみたいなおぼこい女は相手にしねーよ」
め、めちゃくちゃ失礼すぎる。
でもそんな辛辣な言葉に本当に他意はないんだってヒシヒシと感じさせてくれてありがたい。
私はそんなタカハシさんに縋るように、首を激しく縦に振った。
「私も、帰る予定だったので助かります」
「よし、それじゃあ抜けっか。お前、荷物は?」
「あ、まだあそこに席に…」
私が自分の座っていたところを指差すと同時にタカハシさんは大股でその場所まで行く。
その拍子にその場にいた何人かに話しかけられているけれど、適当に返事しているみたいで私のバッグを手に持って遠くから声をかけてきた。
「オイ!お前の荷物これか?」
「は、はい!!」
その瞬間に合コンに参加してる女の子たちの鋭い視線が肌に突き刺さるのを感じた。
違うんです、本当に…ああやっぱり選択を間違えてしまったのかもしれない…。でも私はこんなところより、早く家に帰りたいんだ…せっかくの頼みの綱のタカハシさんをみすみす逃すわけにはいかない。
私のバッグを持ったタカハシさんが足早に戻ってくる。でも立ち止まることなく私の横を通り過ぎると同時に私の腕を引っ張ってきて、引きずられるようにして居酒屋の出口へと向かった。
引きずられながらもふと、合コンの参加費を払っていないことに気づく。
「あ、私お金払ってない…っ」
「もうオレがお前をお持ち帰りしたって話になってるし、今さら戻れねーって」
「え、え、エ゛ッッッ!??」
衝撃的な成り行きに私は顎が外れそうになる。そんな私の様子に噴き出すようにして笑うタカハシさん。
わら、笑い事なんかじゃない!私はきっと明日には大学で村八分に会う羽目に……。涙が出そうなほど、ついてきてしまったことに後悔しそうになる。
「すっげえ顔してんな」
「だ、だってそんな…私の大学生活が…」
「まあ元気出せよ、いい車乗せてやるから」
タカハシさんに連れられて居酒屋を颯爽とでれば、掴んでいた腕を離してバッグを渡してくれる。
ちょいちょい、とついてこいとジェスチャーされて素直についていけば、いつかの日に見たあの黄色い車が駐車場に停まっていた。いつ見ても空の彼方へと飛んでいきそうな見た目だ。
「いい口実に使わせてもらったし、途中まで送ってやるよ」
お父さんの言葉が一瞬にして脳裏によぎる。
『男の車になんざ簡単に乗るじゃねえぞ』これだけは守れって言われたこの言葉。
この場合は、一体どうすればいいんだろう…お父さんが言っているのは下心がある場合の話だよね…。
タカハシさんは私に下心なんて微塵も抱いていないし、むしろ相手になんかしねーってぐらいだから該当しないはず……。
私が難しい顔で悩んでいると、タカハシさんは呆れたような顔をする。
「お前どんだけ箱娘なんだよ。流石のオレも女1人を夜に歩かせんのは気分わりーんだわ、乗れって」
顰めっ面で不機嫌な声で言われて、私はお願いしますと口から言葉が飛び出してしまった。
その返事を聞いたタカハシさんはおー、と返事をして車のキーを開ける。私も恐る恐る、黄色い車の助手席側のドアノブを手に持って引っ張って開ける。
車のシートがうちの車とは比べ物にならないぐらい豪華で、レの字のシートに苦戦しながらも座り込んでシートベルトをする。
なんか、車の中がすごい…車に詳しくない私でも、なんかすごいという感想が出るほどの内装だった。
ハンドルの前にうちの車には付いていない、なんだかよくわからないメーターがたくさんついている。
それにタバコの匂いがするうちの車とは違い、なんか男の人っぽい香水?みたいな匂いが鼻を掠めた。
おんなじ車でもこんなに違うんだな…と感心していると、エンジンをかけるタカハシさん。
掠れたようなエンジン音の後に響きたるような唸り声のような音がなんだかかっこよく感じる。
「すごい、いい車なんだね」
「なんだ、FD知ってんのか?」
「いや、全然分からないけど…エンジンの音?がかっこいい」
「へえ…お前、見る目あるぜ」
嬉しそうな表情でシフトレバーを握ってギアを変えながら出発する。
得意げな顔はなぜか弟の拓海を思い浮かばせた。弟属性があるような気がする…うん、絶対そうだ。
「家、どの方面だ?」
「あ、渋川駅までお願い、してもいいデスカ」
「同い年だろ、今更敬語なんていらねーよ。渋川な、わかった」
アクセルを徐々に踏んでいってスピードが上がっていく。でもこんな車でも乱暴な運転というわけでもなくて、それでこそ拓海のような心地の良い、本当に上手な人の運転だった。
初めて乗る車に内心ドキドキしながらも、私の悪い癖というか…運転があまりにも上手だと抗えないほどの眠気に襲われてしまう。
必死に目を閉じないように、夜の街を彩らせる明かりに目を向けるけれどもう限界だった。
「ご、めんね…ちょっと、目が開かなくて…寝ちゃいそう」
私が目を軽く擦りながらそうこぼせば、横目で私を見たタカハシさんはふっと軽く笑った。
「駅についたら起こしてやるよ、寝とけ」
「あ、りがとう…ごめん…」
初対面の人になんて図々しいことをしてるんだろう…そう思ってはいても眠気に勝てるほどの強靭な精神力は持ち合わせていない。
瞼が落ちていく中、タカハシさんの話し声が聞こえたけど私に返事をするほどの意識は残っていなかった。
ああ、眠たいな………。
✳︎
揺さぶられている。
心地の良い眠りが邪魔されてとても嫌な気分だ。邪魔しないでよ…まだ、寝てたいのに。
首を左右に振りながら唸っても、揺さぶられている感覚はまだ続いている。
弟か、お父さんか……どっちでもいいけどやめてよ…。なんとか声を絞り出す。
「…やだ、…まだ、ねる…」
「流石に勘弁してくれねーか、藤原」
その聞き馴染みの無い声に爆発したみたいに意識が一瞬にしてはっきりして、目がバッと開く。
私を起こしていたのは拓海でもお父さんでない人に混乱して、身体が強張ったけど合コンでの出来事を思い出した。車内から外を除けば、渋川駅と書いてある看板が目に入る。
そっか、私タカハシケースケさんに送ってもらって…。自分がどれだけ失礼なことをしたのか、さっと顔から血の気が引くほど慌ててしまう。
「あ、ごめ、ごめんなさい!」
「うお、びっくりした。やっと起きたな……お前の寝起きが悪すぎて、その辺ほっぽり出して帰るとこだったぞ」
「本当にすみません…送ってもらってる身で…」
急いでシートベルトを外してバッグを手に持って、深々と頭を下げる。や、別にいいけどよ…と軽い調子で許してくれるタカハシさんは最初に会った時より優しい。頭が上がらない…。
ドアを開けて車から降りれば、少しだけひんやりと風が私の肌を撫でていく。でもそんな寒さが寝起きの頭にはいい効果だった。
助手席のドアを閉めれば、わざわざ助手席の窓ガラスを下げて声をかけてくれる。
「じゃあな、家まで気をつけて帰れよ」
「あの、あ、ありがとうタカハシさん」
私の呼び方が気に食わないのか、むっとするタカハシさん。
「そこはくんか呼び捨てだろ」
「たっ、高橋くん、ありがとう」
「おう、じゃあな」
あっさりと後ろ髪を引かれることなく、アクセルを吹かしながら黄色い車は夜の街へと消えていった。
私は駅前に立ち尽くしながらも、なんだかすごい人だったなと感傷に浸る。なんで人気なのか分からないけど、良い人には変わりない…少しだけキツイ言い方されることもあるけど…。
家族とは違うタイプの男の人は苦手だったはずなのになんだか、不思議と怖くはなかった。
それが人気の秘訣なのかな……まあ、とりあえず、それよりも夜が更ける前に家に帰ろう。
私は街灯を頼りに、家へと足をすすめた。