おはよう、そして良い夢を

『長谷さん、ゲート開きます』
「了解」
 中央オペレーターから通信が入ると同時に頭上にゲートが出現、落ちてきたのは見慣れたモールモッドが2匹。
『長谷、応援行くか?』
「や、大丈夫。ありがとザキさん」
 今夜のシフトはザキさんと他数名との混成部隊だ。一番近いザキさんが通信をくれたけど、2匹なら一人でもなんら問題ない。すぐさま一方を通常弾で足止めし、地面を蹴ってまず確実に一体目を弧月で仕留める。足を削がれて動きの鈍った二体目も、再び弧月を振り抜き真っ二つに。本日合計六体目、まずまずの成果だ。弧月を鞘に納めてモールモッドの残骸に目を向けると、その表面に光がチカチカと反射した。
 ふと気が付けば太陽が顔を出している。もうこんな時間か。夜間シフトの防衛任務が終わるのは午前6時過ぎ、昇る朝日に眠る三門が目を覚まし始める。


「じゃ、お先に失礼」
「なんだ長谷、本部に戻らないのか?」
 次のシフトの隊員との引継ぎを済ませ、ザキさんに声を掛けると質問が返って来た。本部とは逆方向に歩き出そうとする私を疑問に思ったらしい。
「うん。朝ごはん食べに行くんだ」
「そうか、お疲れ」
「ザキさんも」
 ザキさんはこの後大学だろうか。ニ年生は一年生の頃より時間の融通がきくと言っていたけれど、それでも夜勤明けの学校は中々ヘビーだろう。学校に通いながら防衛任務を勤め上げるボーダーの隊員たちはよく働く。
換装を解いて生身に戻ると、朝特有のひやりとした空気が肌を刺し、肺に新鮮な空気が取り込まれた。人気の少ないこの時間帯に、しんとした空気の中を歩く時間を私は結構気に入っている。
 ボーダー本部を背に歩いていると、立ち並ぶ民家の隙間から朝日が容赦なく射し込んでくる。その眩しさに思わずギュッと目を瞑りたくなった。帽子を被ってくれば良かった。いつもそう思うのに、毎回忘れてしまう。
 昔から眩しいものは苦手だった。人より幾分見えすぎる私の眼には、太陽の光もよく刺さる。換装体の時はゴーグルをかけているし、トリオン体自体に若干の補正を入れてもらっているからそれほど気にはならない。だからこそ換装体から生身に戻るとなかなか辛い。日差し避けに帽子を被るようにしているが、どうにも忘れてしまう。いっそのこと帽子型トリガーなんてのはどうだろう、いや迅さんみたいにサングラスもいいかもしれない。
 ぼんやりとくだらないことを考えながらのんびり歩みを進めると、10分足らずであるアパートに辿り着く。警戒区域のすぐ傍で、それゆえの割安の家賃、三門市大にも近い立地というボーダー隊員のためのようなアパートだ。しかし現在の住居者はほぼほぼボーダーに籍を置かない一般人らしい。謎である。
少し錆びれた文字で一〇三と書かれたナンバープレートを掲げるドアの前に立ち、ズボンのポケットに手を突っ込む。あ、鍵忘れた。まあいいか、どうせ起きてるだろうし。
 顔を上げて少し年期の入ったインターホンを押す。応答ははないものの、中から微かに足音が聞こえた。朝から住民の足音で起こされるのは流石に可哀想だ。そのような時間に私はここを尋ねているけれど。
 ガチャ、と鍵の開く音がすると、開いたドアから見慣れた赤髪が出迎えてくれた。
「おはようさん」
「おはよう、水上」
「鳴らさんで入ってきてええって言うたやん。鍵は?」
「忘れた」
 合鍵の意味あらへんな。首から提げれるように紐買うたるか、と水上はいつもの呆れた顔をする。その表情に思わず口角が緩む。部屋の中から漂う香ばしい匂い。あ、この匂いはちょっといいソーセージだ。

 水上は三月に三門市立第一高校を卒業し、この春からは三門市立大学に通う大学生だ。そして進学に伴い、高校生活を過ごした寮を引き払って一人暮らしを始めた。
 高校を卒業するまで水上が住んでいた本部の宿舎には、生駒隊の面々や他にもスカウト組の隊員など結構な人数が暮らしている。私も同じ宿舎に住んでいて付き合う前から水上の部屋に押し掛けて将棋の相手をしてもらったりしていたものだが、付き合うとなってからは何となくおおっぴろげに顔を出すのは憚られたし、逆も然り。
 なので水上が一人暮らしを始めてから、なんら人目を気にせず訪問できるようになったのだ。合鍵まで持たせてくれたので、遠慮せず水上の新居に入り浸っている。特に何をする訳でもないけれど、テレビを見たり将棋を指したり昼寝をしたり。二人の時間が以前より簡単に持てるようになったのは嬉しい。
 そんな新生活に合わせるように、私と水上には新しい習慣ができた。私の防衛任務のシフトが夜で、翌日の水上の講義が一限の時は水上の部屋で一緒に朝ご飯を食べる、というものだ。
 提案したのは水上だった。水上曰く、『お前が来れば寝坊せんで済む』らしい。しかし今のところ私が部屋を尋ねた時に水上が布団の中にいたことはない。大体いつも台所に立って、目玉焼きとソーセージを焼いてくれている。普段の朝食はトーストとか菓子パンで済ませているようだが、私が来るときはおかずを用意してくれる。これもまた『自分一人のために焼くんは面倒やけど、二人分ならな。片づけ任せれるし』とのこと。
 水上の家で水上がご飯を作って一緒に食べる。この押し掛け朝ごはんタイムは私にしかメリットがないように思えるけれど、提案側の水上にも一応メリットがあるようだ。朝から水上に会えて一緒にご飯を食べられるのは嬉しいし、水上もそう思ってくれているのかもしれない。しかし、焼くのが面倒で食パンを生のまま食べていると伝えた時の水上の顔は苦々しかったので、単に私の朝食事情を案じている可能性もある。水上のみぞ知る、である。
「なんや、帽子も忘れたんか」
「うん。今日も朝日が目に沁みる」
「毎回よお忘れるな。帽子はともかく鍵なんてポッケに突っ込みゃええだけやん」
「本部の部屋、自動ロックで鍵ついてないからさ。手ぶらの癖でどうも忘れる」
「いい加減に帽子と鍵とスマホくらいキッチリ持ち歩く習慣つけえや。そこの皿取って」
「あい」
 百均で購入したと言っていた何の柄もないシンプルなお皿を手渡すと、半熟の黄身が眩しい目玉焼きと焦げ茶色の焼き目がついたソーセージが手慣れた手つきで乗せられる。水上は自炊をあまりしないとは言っていたが、中々の腕前ではないだろうか。前にそう伝えた時には「お前のレベルで言えば誰でも中々の腕前になるわ。焼いただけやん」と呆れられてしまったが、やはりシェフと呼んでも差し支えない絶妙な焼き加減である。
 トーストの乗った皿とソーセージが添えられた目玉焼きの皿をテーブルに並べていく。一人だったら一枚に全部乗せてるなあ、というか目玉焼きもパンも焼かないから袋から直に食べてるか。ぼんやり一人の朝食を思い浮かべながら箸を並べていると、両手に湯気の上がるマグカップを持った水上もやってきた。今日のスープはコーンスープらしい。春の朝はまだまだ肌寒いから、温かいスープが沁みるのだ。テレビのニュースをBGMに座布団を並べて着席したら、いざ。
「「いただきます」」

「昔はどうしてたん、学校でも不便やろ。その眼」
 トーストに目玉焼きを乗せながら、水上が口を開いた。
「帽子被ってくと生徒指導に捕まるし、とりあえず前髪伸ばしてた」
「今より?それはそれで指導入るんとちゃう」
「うん。結構目つけられてたと思う」
「あ〜なんとなく想像できるわ。反抗的とはちゃうんやけど、無意識に煽りよるからなあお前。」
 そんなつもりはないけれど、水上が言うならそうなのかもしれない。わかるわ、と一人呟く水上にはちょっと腹が立つので、今度は意識的に煽ってやろう。
「まあ教師にサイドエフェクトの説明なんて出来んわな。トリオンの概念から話さなあかんし」
「あの頃は私もトリオンとかサイドエフェクトとか知らなかったしね。真夏の体育は地獄、プールとか拷問だよ。水に太陽がすっごい反射するの、ビームだよビーム」
「ビームて。リアルにビーム出す奴が言う事か。ほれ」
「通常弾ってビーム枠?ありがと」
 笑いながら水上が醤油差しをこちらに寄越す。水上も私も目玉焼きには醤油派だ。トーストに乗せた目玉焼きの黄身を箸でつつき、受け取った醤油差しを傾ける。黄身と醤油が混ざり合う様子にはいつも目を奪われる。食欲をそそるって、きっと今のためにある言葉だ。あとラーメンが出てきた時。
「帽子以外に何かないかな〜って思ったんだけど、サングラスもよくない?」
「なしやな。今の基本装備がジャージにサンダルやろ、そこにサングラスはアカンて。治安悪すぎ。イコさん泣くで」
「そーかな。迅さんもしてるじゃん、サングラス」
「あの人のはまたちょっとちゃうやん。ちゅーか帽子も鍵も忘れとるし、どうせサングラス買うても留守番ルートやろ」
 クツクツと喉を鳴らして水上は笑った。反論しようと思ったけれど、忘れ物三昧の私は日頃の行いが悪すぎる。たしかにと呟いて、目玉焼きとソーセージを挟んだトーストにかぶりついた。醤油が混ざった黄身とソーセージの肉汁がカリっとしたトーストの表面に染みこみ、絶妙なハーモニー。うん、今日も安定の美味しさ。労働の後の美味しいご飯は幸せだ。二人で食べるとなお美味しい、気がする。

「じゃあ俺出るわ。洗いもんよろしゅう。鍵はポスト入れといて。」
「りょーかい。いってらっしゃい」
「寝過ごしなや。いってきます」
 大学に向かう水上の後ろ姿を見送る。ドアを閉めると、テレビのニュース番組の声がやけに響いて聞こえた。どこかで聞いたことのある声がすると思ったら嵐山さんと木虎が映っていた。録画だろうけど、朝からテレビに出演して広報部隊も忙しそうだ。
 二人でいる時にずっと喋っている訳ではないけれと、一人になるとやっぱり静かに感じる。のんびりしていると眠くなってしまうから、とりあえず洗い物を片付けてしまおう。テフロン加工が頑張っているのか、このフライパンは焦げ付かなくて助かる。いや、私が使うときの火加減がいけないのかもしれない。
 昔から料理は苦手だった。ちょうどよい塩梅とか加減というものがよく分からない。だからいつも父さんがご飯を作って、私が後片付け。そんな昔の役割分担が水上の部屋でも繰り返されているのは、なんだかちょっとくすぐったい。
 洗剤を泡立てたスポンジで皿をこすっていると、予想通りと言うべきかいつも通りと言うべきか、眠気がひょっこり顔を出す。水切り籠にピカピカになったお皿とフライパンを並べて、フラフラと吸い寄せられるように水上のベッドにダイブした。
 水上が見たら、埃が立つ!ってぼやくかなあ。水上の眉間にシワが寄る姿を脳内に思い浮かべると、思わず一人で笑ってしまった。水上は顔が死んでるけどそれなりに表情は変わるし、その中でも眉間が動きやすい。理由は分からないけど、それはなんだかすごく可愛いのだ。荒船の眉間のシワは別に可愛くないのに。不思議である。
 脳内で水上の眉間を愛でながら、起き上がって布団をめくり、もぞもぞと潜り込む。水上の体温が残っているのか、布団の中はほんのり温かかった。布団を被ると強まる水上の匂いにほっとする。寝過ごすなと言われたけど今日は開発室のバイトもないし、アラームはかけないで寝てしまおう。
 外にいる時は鬱陶しささえ覚える陽の光も、レースを通して窓から射し込めばやわらかく、じんわりと部屋を温めてくれる。
 隣の部屋のドアが開く音とか、鳥の鳴き声とか、テレビから流れるキャスターの声とか。世界が動き始める音を聞きながら、私は静かに瞼を閉じた。



狭間