眼差しの行く末

 諸々の検査の結果、私には「動体視力強化」というサイドエフェクトが発現していると知らされた。昔から目がいいとは言われることはあったけれど、まさか名前をつけられるような代物だったとは。しかもこのサイドエフェクトは私の食事量とも関係している可能性があるらしい。
 検査の場に居合わせていた鬼怒田さん曰く、『視覚は脳の処理能力を食う燃費の悪い知覚分野であり、サイドエフェクトの影響で常人よりも多く入ってくる視覚情報を処理するために日常的に脳に負担がかかっている。情報処理のために脳がエネルギーを多く使うことが原因で、常人よりもエネルギーを必要として食事量が平均的な同年代の女性よりも多いのではないか』とのことだ。
 簡単にまとめると、視え過ぎる目のせいで脳味噌が要らないエネルギーを消費してしまい、その分を補うために沢山食べる、ということらしい。
 『母さんもよく食べる人だったけど、瑞貴は母さんよりもよく食べるな』と目を細めていた父が脳裏に浮かんだ。理由があったみたいだよ、父さん。今度お墓参りに行ったときにでも教えてあげよう。
 
「迅さんがぼんち揚食べてるのも、そういうことなのかな」
「開口一番にそういうこと?じゃ流石の実力派エリートも分からんぞ〜」
 本部内、開発室近くの白い廊下に設置された自販機の前にカラカラとした笑い声が響く。声の主はベンチに腰掛ける私、の隣に座っている迅さんだ。
 迅さんは玉狛支部?の自称うんちゃらエリートのお兄さんで、最近話をするようになった人の一人だ。顔を合わせれば『ぼんち揚、食う?』とぼんち揚を勧めてくるぼんち揚愛好家でもある。今もその手にはぼんち揚の袋を抱えている。
 そんな迅さんは私に引け目があるとか何とかで、しばらく私と会いたがらなかったらしい。情報源は風間さんだ。迅さんは玉狛支部の所属で本部に顔を出すのは珍しい人間であるけれど、それを差し置いても、ということらしい。
 面識のない人間に引け目を感じるってえらい難儀な人だなあと思った。迅さんが私を避ける理由は私にとってどうでもよく、聞く必要もないので本人に確認したことはない。ただ、以前屋上で二人で話した時に『お前を救う未来を選ばなかった』みたいなことを言っていたから、私に引け目を感じていたという風間さんの話は本当かもしれない。未来視というサイドエフェクトを持つ迅さんは持たない人間には分からない悩みを抱えていてもおかしくはない。鋼も昔はサイドエフェクトで悩んでいたというような話をしていたし。
 未来が見えるなんて私には想像も出来ないが、それで見知らぬ他人の人生まで憂うだろうか。その辺は未来視に関係なく迅さんの性質なのだろう、あくまで想像だけど。

 鬼怒田さんから聞いた私のサイドエフェクトと食事量の話を伝えたところ、長谷ってそんなよく食べるの?と迅さんは少し驚いていた。周りの反応を見る限りよく食べる方みたいだよ、と言えば他人事みたいに言うんだな、とまた迅さんは楽し気に笑う。
「迅さんって誰かを見て、その人の未来が見えるんでしょ?迅さんのサイドエフェクトも視覚の一つなら、私みたいにお腹空いて、それでいつもぼんち揚食べてるのかなって。非常食用ぼんち?」
「なるほど、そういう話ね。ぼんち揚は非常食としても優秀だけど、おれは腹減ってるとかじゃなくて、単に好きなだけだよ。うまいだろ?」
 食う?と迅さんから差し出された袋に食べる、と遠慮なく手を伸ばし、ぼんち揚を一つ摘まんで口に放り込む。勢いよくボリっと嚙み砕けば醤油の甘さがじんわりと口の中に広がった。よく食べていたわけでもないのに、どこか懐かしさを感じる味だ。
「うん、美味しい」
「だろ?長谷の部屋にもぼんち送っとこうか、箱で」
「おお、ありがたい。箱で?」
 迅さんはただぼんち揚が好きなだけだった。さっきの言葉からするとぼんち揚を箱買いしている様子なので、愛好家を通り越してぼんち揚げが主食の新人類かもしれない。よくお腹が空くとか大食いだという訳ではないらしいが、私もラーメンは毎日食べたいのでその気持ちは分からなくもない。
 ゆるやかに会話が止まり、しかしこの場を去ることもなく二人でぼんち揚げをつまみ続ける。二人分のボリボリとぼんち揚をかみ砕く小気味よい音が人通りの少ない廊下に響いていた。
 
「視覚の一つ、か」
 ぼんち揚が残り少なくなった時、迅さんは袋に目線を落としてぽつりと呟いた。ぼんち揚よりも明るい茶色の髪の束が垂れ、カーテンのように迅さんの横顔を隠してしまいその表情は分からない。
「違うの?未来視」
 そういえば、サイドエフェクトは性能ごとにランク分けされていて、未来視はその中でも一番上位の区分なのだと鬼怒田さんが言っていた気がするようなしないような。私のそれは一番下のランクであるとも。同じ見るという行為ではあるけれど、やはり使う脳の領域は違うのだろうか。専門的な話で素人にはさっぱりである。
「いや、きっとそうなんだろうな。長谷と同じだよ。何たって、未来が見えるだけのおにーさんだからな」
「え、何。なんか根に持ってたの?」
 屋上で話していた時の言葉を持ち出された、気がする。確かあの時の迅さんは笑っていたはずだけど、実は気に障っていたのか。こういうところも迅さんはよく分からない。風間さんなら分かるかな、聞いたところで『俺に聞くな』と言われる未来がサイドエフェクトがなくても見えてしまった。
 ごめんね、と一先ず謝れば、おまえ分かってないだろ、と迅さんは大きく肩をすくめる。根に持ってないならいいけれど、それでは一体何が言いたいのだろう。ただでさえ人の気持ちに疎いと言われる私だ、迅さんの真意を汲み取るのはハードルがだいぶ高い。
 首を傾げる私を見て、またまた迅さんは笑った。先程まで見せていた面白おかしいという感じの笑顔とは違う、どこかやわらかく、あたたかい笑顔で。

「嬉しかったんだよ、本当に」



狭間