夜と温もり

 喉の渇きを覚えて目が覚めてしまった。スマホの画面をつけると時間は深夜3時、早起きにしては早すぎる時間だ。隣で眠る女を起こさないようにそっとベッドから抜け出し、冷蔵庫からポットの麦茶を取り出しグラスに注ぐ。麦茶が無くなりそうなときは水とパックを足しておくように伝えたはずだが、ポットにはコップ1杯分ギリギリの麦茶が残っているだけだった。長谷め、また忘れよったな。心のなかで同居人へ悪態をつきながら、渋みのある冷えた麦茶を飲み干した。乾いた身体になんとも染み渡る。ポットを軽く洗い流し、水とパックを入れて冷蔵庫にしまう。なるべく音を立てないようにしたけれど、アレは目覚めていないだろうか。
 ベッドに戻ると、カーテンの隙間から漏れる月明かりで長谷の顔が照らされている。長谷は深く眠っているらしい。寝相が良いのがほとんど動かず、寝息もかすかに聞こえるだけの就寝中の長谷は一見すると死んでいるようにも見えてしまう。
 ただ、そんな長谷の頬には涙が零れた跡が伝っている。今も閉じられた瞳から雫が覗いている。
 またか。
 二人でアパートの部屋を借り、二人で一つのベッドで眠るようになってから知ったことがある。長谷は夢を見ては、ちょくちょく泣いている。
 普段の生活では小銭はポッケに直入れ(そして落とす)、ラーメンを茹でたら鍋から直食い、他にも挙げればキリがない適当でポンコツな女。出会った当初から変わった奴だったが、同居をはじめてからも振り回される毎日だった。
 ただ、ボーダー隊員としては優秀な部類の長谷瑞貴という女は、弱みを見せない人間だった。弱みというものを自覚しているかどうかすら危うい。鋼に長谷を紹介されたのは高三の夏で、なんやかんや付き合った後でもコイツからそういった類いのものを聞いたり、泣いている姿を目にすることは一度もなかった。日頃から怒りや悲しみを見せることは滅多になく、ストレスになるような煩わしい感情からは無縁でただただ淡白な人間なのだと思っていた。亡くなった親父さんの話をするときも、懐かしそうに目を細めては嬉しそうに思い出話を語ってくれる。
 それがどうだ。同居を始めてすぐのある晩、眠った長谷をふと見ると、眠りながら涙をポロポロ溢していた。最初は焦って長谷を叩き起こした記憶があるが、後で調べたところ悪夢に魘されている人間をいきなり起こすのは悪手だったらしい。我ながら情けない。気が動転してしまう程度に長谷の涙は心臓に悪かった。コイツに絆されてしまっている事実も再認識し、一人で呻いた覚えもある。絆されでもしなければこんなにも面倒な女と一緒にはならないだろう、察してほしい。
 起こさないようにとなるべく静かにしていたつもりだったが、布団がもぞもぞと動いている。どうやら目を覚ましたらしい。
「……あれ、水上。どしたの」
「すまん、起こしたか」
「いや、だいじょーぶ……」
  回らない口でこちらを気遣う長谷に、思わず口元が弛んだ。まだ微睡みの中にいる彼女の隣に潜り込み、腕の中に引き寄せる。
「ん」
 長谷の掌が俺のシャツを掴まえ、頭を俺の首元で揺らす。長谷の髪が喉元で揺れるくすぐったさを我慢していると、定位置を見つけたように長谷はすぐに眠りに落ちていった。
 最近気がついたことだが、長谷はこうして抱き締めると悪夢のなかでも少し落ち着くようだった。単に体温が心地よいのかもしれないし、俺の腕の中だから、かもしれない。長谷は寝ているので心中は分からないし、そもそも聞くつもりも全くない。俺の腕のなかで穏やかに眠る彼女が健やかで、幸いであればいい。そんな風に考えるようになったのはいつからだろうか。
 起きたらまた小言をしなければ。どうせまた忘れるのだろうが、また何度でも言えばいい。飽きる程に繰り返しても飽きることのないこの女との日々は、割と気に入っている。長谷には絶対言わんけど。



狭間