紫煙の行方

「あ、諏訪さんいた」
 時世柄に加え戦闘員の大半が未成年の学生で構成されるボーダーの喫煙所は、その広大な基地内の隅の隅に追いやられている。隊室の換気設備が充分であるとは言え、未成年の攻撃手とオペレーターの前で堂々と煙草に火をつけることが憚られる諏訪は長い廊下の先にあるこの喫煙所の住人になっていた。成人しか利用しない施設のため、結果としてエンジニアや職員などの非戦闘員が多く訪れるこの狭い空間でしか出来ない話をすることもあり、喫煙だけが目的ではないが、まあそれは副産物だ。
 喫煙もしくは内談という目的なしににここまで足を伸ばす隊員や職員はまずいないボーダーの僻地にソイツは現れた。少年の様な風貌の少女で、しかし少女と呼ぶには可愛げと遠慮が足りない新顔の後輩、長谷瑞貴だった。
「お疲れさま」
「よぉ長谷。俺に用か?わざわざこんなとこまで来なくても、隊室で待ってりゃ良かっただろ」
 十八歳の少女に喫煙所は似つかわしくなく、成人した大人としてはこんな場所に来るなと彼女を咎めるべきだろう。が、本部住まいの長谷は諏訪隊室で開催される深夜麻雀に時折参加しているため、今更未成年だからどうのこうの注意するに注意しきれないのが悩ましい。長谷を捕まえてくるのは大体太刀川なのだが、太刀川とのランク戦にも渋ることなく応じる長谷はだいぶ気に入られているらしい。親父さんと遊んでいたという長谷の腕前はそのポーカーフェイスも相まって中々のもので、新たな麻雀面子になりつつあった。長谷がいると冬島のおっさんの勝率が著しく下がるのが笑えるところだが。
「いやー。ここにいる諏訪さんに用があるからいいんだよ」
「......お前なあ、俺をダシに喫煙所に入り浸ってんじゃねえぞ」
「あれ、バレてら」
「その言い草でバレないと思うタマか」
「ついてないけどね」
「揚げ足とんな!俺がセクハラしたみてーじゃねーか!」
 俺がここで長谷と会うのは初めてではない。今回で片手で数えられなくなっただろうか。長谷は何てことのない顔をしてこの喫煙所に現れる。ふらりと、何かに惹かれるように。
「あー、近界で吸ってたのか?向こうのルールでやってたんなら何も言わねえけど、ここじゃ成人するまでお預けだ」
「いや。そうじゃないんだけど」
「?」
「ここに来ると、父さんのこと思い出すから。特に諏訪さんの吸ってるやつ。」
 銘柄一緒なのかな。そう零す彼女の声色は普段と何ら変わらない淡々としたもので、しかしどこか湿度を感じさせた。
 長谷の父親が四年前の第一次近界民侵攻で亡くなっている事は彼女が帰還した後の調査で知らされている。散歩と称して目的もなく本部内や警戒区域をふらつく事の多い長谷が喫煙所に顔を出すことに大した理由などないと思っていたのだが。思わぬ台詞に咥えていた煙草を噛んでしまい、要らない苦味が咥内に広がった。本読みにはそこそこ馴染みのあるプルースト効果ってやつだろう。
 思ったことをそのまま口に出すタイプで、顔にも態度にも感情が浮かびづらいが長谷の言葉は大体は額面通りに受け取れる。ただ、いらん事を言うくせに大事なことは口にはしない。言う必要がないとでも思っているのだろうが、それでもいらん台詞と同じトーンで心の底にあるやわらかいものを吐き出すのは如何なものか。長谷の性質なので治す治さないの話ではないが。
「長谷先生、煙草吸う人だったんだな」
「うん、仕事してるときは吸いながら書いてた。でも私の前では吸わなかったよ。私がいるときは一人で勝手口とか縁側で吸ってた。私が近づくとすぐ消しちゃったんだけど、父さんの匂いって感じで好きだった」
「折角の親父さんの努力が今ここでパアじゃねえか」
「んふ、そうかも。でもさ、父さんのこと忘れちゃうよりいいかなって。忘れる訳ないんだけど、少しずつ薄れてる気はするし」
 四年もの月日を近界という異国で、傭兵という過酷な立場で生き抜いてきた彼女のことを思えば当然のことだろう。そんな彼女の思いは、未成年だからという一言で片付けるには少しばかり荷が重い。
「お前が成人したら堂々と来い。そんときゃ止めねえよ。それまではまあ、見つからねえようにしとけ。俺がどやされる」
 長谷はボーダーにいる事情が特殊とはいえ、数ある後輩の内の一人、それだけだ。そこに留めておくつもりなのは今もこれからも変わらない。だが、これくらい甘やかしてもいいだろうよ。



狭間