見世物に在らず

『隠岐、私と水上で北のやつやるから東の任せていい?』
『ええですけど、先輩たちのが東に近いんとちゃいます?』
『陽射し気を付けぇや』
『うわ、そういう。あくどい人たちしかおらんすわ〜』
『隠岐ならだいじょーぶ』
『隠岐くんならダイジョーブやって』
 耳に装着したヘッドセットには軽快なやり取りが響く。二人の関西弁のせいか、三人の親しさ故の投げやりな物言いのせいか。
 現在は午前7時半、本日の早番シフト混成部隊のメンバーは隠岐君、長谷先輩、水上先輩の三人編成で、オペレーターは不肖ながら私が担当している。長谷先輩は混成部隊に入ることが多いためそれなりに一緒になる機会があるが、水上先輩と隠岐君と一緒になるのは久しぶりだった。
 攻撃手、射手、狙撃手とバランスのいい編成なのだけれど、どうやら今は長谷先輩と水上先輩がツーマンセルで対処するらしい。組むのであれば生駒隊の二人だと思ったから、少しばかり驚いた。コンピュータに映るレーダー上で長谷先輩と水上先輩のタグが並んで北に向かって動き出す。
『困った人たちやなあ。オペレーターさんもそう思いません?』
「えっ!?」
『おい隠岐、オペさん困らせてんとちゃうぞ』
『ちゃうちゃうぞ』
『長谷さんそれ言いたいだけですよね?』
『何だっけあれ、ちゃうちゃう違うぜみたいな』
『絶ッッ対言わんぞ』
「あっと、先輩方は環境情報もきちんと把握していらっしゃって、流石といいますか何と言いますか!」
 三人の会話のスピードはとても速いという訳ではなく、早口過ぎて聞き取れないことはない。なのに、ぽんぽんとテンポよく進んでいく会話に混ざるのは、オペレーション作業をこなしながらそうやすやすと出来るものではない。
 私の腕前の問題なのだけれど、戦闘員と会話しながらの操作はどうにももたついてしまう。キーボードを操作する手元を疎かにしないよう、そして新たな門の兆候を見逃さないよう画面に目をくぎ付けながら勢いで発した私の言葉を聞いた長谷先輩がんふ、と小さく笑った、気がする。
『だって。隠岐も把握しな』
「お、隠岐君が把握できてないと言いたい訳ではなくてですね……!狙撃手の隠岐君がいるといないとでは離れた位置に開いた門への対応力にも歴然の差がありましてですね、ええと!」
『あはは、分かっとるよ。ありがとおな』
 焦る私に隠岐君のフォローが入った。隠岐君は端正な顔立ちと朗らかな人柄で人気のある男の子で、クラスは違うけれど存在はよく知っている。何より百名ほどいるB級隊員のなかで三位に君臨する生駒隊の狙撃手だ、ボーダーのなかでもそこそこ有名人なのではないだろうか。
 こんなへっぽこオペレーターをも気遣う人の良さ、もはや申し訳なささえ覚える。
『長谷も困らせんな』
『そう?ごめんね』
 水上先輩の言葉で長谷先輩から謝罪されてしまい、申し訳なさが上乗せ。と同時にモニターに門のアラーム。新手のいじめか?と、そんなこと言っている場合ではない。
「いえいえそんな!ゆ、誘導誤差1.3、門開きます!」
『了解。ほら仕事や』
『りょーかい』
『はいはい、陽射しに負けんよう気張りますわあ』
 ミスのないように私も気張らなければ。眠気も顔を出さない心地良い緊張感を抱きながら、キーボードを叩く指先にぐっと力を入れた。


 無事に朝のシフトも午後の授業も乗り越えて、ログでも見ようと再び本部を訪れた。学校が終わった夕方の時間帯は本部内も朝とは違い白い隊服で賑わっている。端末を手にロビーに向かうと、入口付近に赤いサンバイザーが見えた。向こうも気が付いたのか、こちらに向かってゆるりと手を振る。
「今朝の任務一緒やったよね、お疲れさ〜ん」
「隠岐君。お疲れ様だね」
「今朝は騒がしくしてごめんなあ」
「いっ、いやいや!こっちこそ失礼な事言って本当ごめん……!」
「全然かまへんのに。あれは先輩達が意地悪だっただけやし、気にせんといて」
 にこにこと微笑みながら返答する隠岐君にほっとする。と同時に、穏やかながらも遠慮のない発言が気になってウズウズしてしまう。長谷先輩にナチュラルに意地悪って言えるの、どういう関係なんだろう。長谷先輩は攻撃手で隠岐君は狙撃手、交流のタイミングが謎なのだ。
「ねえ、ちょっと聞いてもいいかな?」
「お、なになに?」
「お、隠岐君と長谷先輩って仲いいの?」
 長谷さん?と隠岐君は意外そうに復唱する。質問が突然過ぎただろうか。話の流れで何気なく聞くべきだったかな、と少しばかり後悔したけれど隠岐君は特に気にした様子もなく朗らかに口を開いた。
「よくうちの隊室遊びに来るし、会ぉたら喋るしおもろい人やけど、仲いいって程ではないんやないかなあ。俺よりも、」
 あ、と隠岐君が何かに気が付いたように言葉を止めた。何だろう。
「噂をすれば、長谷さんと水上先輩」
「えっどこ!?」
 この会話聞かれてた!?バッと顔を振って周囲を警戒し始める私を見た隠岐君が綺麗な青い目をぱちぱちと瞬かせる。そして小さく吹き出した。
「いい反応するなあ」
「あ、つい思わず……」
「水上先輩、ってよりは長谷さん?」
「な、何で分かるの!?」
「あはは、さっきから長谷さんの話題やからね。好きなん?」
「お、お恥ずかしい……好きっていうか、ちょっと憧れてる、みたいな感じで。あ、任務中は割り切ってるからね!公私混同とかは全くないから!」
 長谷先輩に憧れていることはあまり公言していないので、いざ言葉にすると気恥ずかしさに頬が熱くなる。
「うん、強いもんなあ長谷さん。独特の雰囲気あるし」
 ちょっと分かるかも、と頷いてくれる隠岐君に救われる。隠岐君に自分がミーハーだと思われるのは構わないけれど、それでも引かれるよりは同意してもらえたことが少し嬉しかった。
「話の続きやけど、長谷さんは俺よりも水上先輩と仲ええんよ。隊室来るんも基本は水上先輩と遊ぶためやし」
「そうなんだ、ちょっと意外かも。影浦先輩とか村上先輩と仲良さそうなイメージだったから」
 水上先輩と遊ぶため、というと共通の趣味でもあるのだろうか。水上先輩の好きなものも長谷先輩の好きなものも知らないので検討もつかないけれど。
 隠岐君が眺める方向に目を向ければ、水上先輩と長谷先輩がラウンジの一角にあるテーブルに対面で腰かけていた。長谷先輩はこちらに背を向けて座っているため、表情は水上先輩のものしか伺えない。隠岐君と私がいるロビーの入り口から二人の座るテーブルまではざっと十メートルくらいだろうか、ギリギリ水上先輩の表情が視認できる。水上先輩はまだこちらに気付いた様子はない。
「な〜。俺も最初は不思議な組み合わせやなあって思うてたけど、今は二人でいるとこ見るとめっちゃしっくり来るんよ」
「へえ。確かに朝も一緒に動いてたもんね」
「そうそう、戦う時もめっちゃ息合っとるし。何て言うんかなあ、ウマが合うって感じなんちゃう?」
「ウマが合う、成程……」
 隠岐君の話によれば長谷先輩と水上先輩は結構仲がいいらしい。仲がいいというよりは波長が合う、というのが正しい表現らしい。長谷先輩と波長が合うということは、水上先輩は意外と天然系なのだろうか。いや、それは絶対なさそうだ。
 そんな失礼な考えを巡らせている時、長谷先輩と会話しているらしい水上先輩が口を開きながら表情を崩した。その表情に、雷が落ちたような衝撃が全身を駆け巡る。
 水上先輩、あんな顔するんだ……!
 水上先輩のことはよく知らないけれど、クールな雰囲気というか、どちらかといえば不愛想な印象があった。朝のどこか投げやりなやり取りのイメージが残っている影響もあるかもしれない。
 その水上先輩が今、柔らかく口角と目尻を緩めて、どこか気の抜けたような、何か大切なものを眺めるような穏やかな表情で長谷先輩を眺めている。見ているこちらがドキドキしてしまうようなその表情に、興奮して思わず声が上ずった。
「隠岐君!い、今の水上先輩の顔見た!?」
「見た見た。長谷さんとおる時の水上先輩、たまにええ顔しとるよ。すぐ引っ込んでまうし、本人に言うと凄んでくるから言われへんけど」
「う、うん。正直すごくびっくりしたかも」
 隠岐君の口振りからすると長谷先輩といる時には稀にあることらしい。見てはいけないものを見てしまった気持ちが爆発しそうだが、水上先輩からあの表情を引き出した長谷先輩、すごい……!
 いやすごいとか言ってる場合ではない。二人の関係、というよりも水上先輩が長谷先輩をどう思っているかを邪推せざるを得ない。水上先輩は自覚しているのだろうか、傍から見て表情の温度差がとんでもない。あの表情を向けられている長谷先輩の表情が見えないのが悔やまれる。
「あの二人って付き合ってるのかな……!?」
「あ〜、多分付き合ぅてへんよ。直接聞ぃたことないから分からんけど、割とずっとあんな感じやし」
「あれで!?水上先輩片思い!?」
「うは、めっちゃ言うやん」
 興奮しすぎて発言が前のめりになってしまった私を見て隠岐君から笑いが零れる。
「どうか水上先輩にはご内密に……」
「俺も怖くて言われへんよ。あ、先輩こっち見とる」
「えっ」
 隠岐君に気が付いたのか、水上先輩が視線をこちらに向けていた。その顔はいつも見る表情で、先ほどまでの柔らかい雰囲気は消えてしまっていた。水上先輩はそのまま口がぱくぱくと動かした。恐らく「何しとんねん自分」みたいな事を言っている。
「呼ばれてもうたし、ほないこか」
「え」
 にっこり笑った隠岐君は二人の元に向かって歩き出した。気の置けない間柄の三人に混じる勇気がないけれど、挨拶もなしに帰る方が失礼かと思い直してビクビクしながらも隠岐君の後を追う。二人のいるテーブルに近づくほど水上先輩の顔つきがよりくっきりと見えてきて、先ほどの表情は幻覚だったのではないかと思えてしまう。
「水上先輩に長谷さん、お疲れさんです〜」
「お、お疲れ様です!」
 挨拶をしながら長谷先輩と水上先輩が向かい合うテーブルの上を盗み見ると、そこにあったのは駒が並べられた将棋盤だった。二人の手元にもいくつか駒が置いてある。あとは長谷先輩の近くに閉じられた数学の問題集。私の視線に気付いてか気付かずか、水上先輩は気怠げに口を開く。
「何か用でもあったんか?遠目からコソコソしおって」
 その言葉にギクリと身体が強張る。口調の強さと視線は隠岐君に向けているけれど、遠まわしに隠岐君の隣にいた私にも言っているようにも聞こえる。どちらとも取れる言い回しがめちゃくちゃ怖い、やっぱり表情も言葉も全然読めない人だ。
「いや、お二人おるな〜って話しとっただけですわ。な?」
「は、はい!今朝はお疲れさまでした」
「おん、お疲れさん」
「おー、お疲れ」
 またも隠岐君のアシストに助けられてしまった。長谷先輩は顔を上げこちらを一瞥した後、すぐに盤に目を向けてしまったが。その横顔はいつもログで眺めている戦闘中の長谷先輩が見せる涼やかな表情と同じで、生で見れた感動に端末を握る手が少し汗ばむ。それだけ水上先輩との対局に真剣なのだろうか。
 二人の共通の趣味って、もしかして将棋?そういえば水上先輩は将棋がとても強いと聞いたことがある気がする。
「今日は隊室でやらんのですか?」
「コイツの勉強見に来たんやけど、押し負けた」
「ああ、そういう」
 長谷先輩が生駒隊室に遊びに行く理由はやはり将棋だったらしい。一緒に将棋を指したり勉強をしたり、当たり前だけど私の知らない所で水上先輩と長谷先輩はたくさん交流があるようだ。
「いつもお二人で将棋指してるんですか?」
 私の問いかけに水上先輩の切れ長の目がこちらを射抜く。金色の瞳は長谷先輩と同じ色で、これまた長谷先輩同様に思考を全く読み取らせないその目には視線を外したくなってしまうような圧を感じる。私の緊張が伝わってしまったのか水上先輩はあー、と呟いて頭を掻いた後、
「長谷が将棋好きでな。たまに一緒に指しとるだけやで」
 と先程よりも少しやわらかい声で返答してくれた。
「ちょっと前まで夜はほぼ毎日指してはったやないですか」
「いらん事しか言わんなお前」
 じっとりと水上先輩に凄まれる隠岐君。先ほどの先輩に凄まれるから言わないという発言は何だったんだろうと笑えるところだが、それ以上の爆弾発言に一人で脳内はビッグバン。『夜は毎日ペースで指していた』、何気ない一言だが含まれる情報量は並ではない。私が長谷先輩のファンであることを差し引いても、夜と毎日という二つの単語の破壊力は凄まじく思考があらぬ方向へ暴走しそうになる。
 動揺して固まる私を見て隠岐君は小さく笑い、水上先輩は呆れたように溜息をつく。長谷先輩はと言えばパチリと右手で駒を動かした後、三者三様の表情の私たちを見て首を傾げていた。こちらの会話は全く耳に入っていなかったらしい。水上の番だよ、と手番を促し、思い出したように「二人はどうしたの。任務、な訳ないか」とこちらに問いかける。
「お二人見かけたんで挨拶しに来ただけですよ」
「わざわざいいのに」
 何も用事がないとは伝えづらく言葉に迷う私を置いてさらりと述べる隠岐君と、それにさらりと返す長谷先輩。
「そう言わんといてくださいよ。なあ?」
「えっ、はい、いやでもお二人の邪魔をしてすみません……!」
「あ、これはまた困らせてんとちゃうちゃうぞのやつ」
「あはは、長谷さん手厳しいなあ。今のはノーカンでしょ」
「判定は水上が」
「丸投げすな、あと気に入ったんならしゃんと言わんかい」
 パシッと駒を進めながら水上先輩が即答した。水上先輩はこちらの会話を聞いていたようだ。将棋のルールはよく分からないけれど、次の手を考えながら周囲の会話をきちんと聞いている水上先輩はただただすごいと思う。ランク戦でも「通常弾!」と言いながら炸裂弾や追尾弾を撃っている姿を見るので、きっと並列処理が得意なんだろう。私が一番苦手な分野なので尊敬の念しかない。
「でも練習行かへんとなんで、そろそろお暇しますわ」
「あ、私もこれで失礼します!」
「お疲れさん」
「お疲れー」
 ぺこりと頭を下げて隠岐君とテーブルを後にする。用事がある訳ではないし、何ならこのロビーが目的地だったけれど、長谷先輩と水上先輩のもとた一人残る度胸もなかった。
 冷めやらぬ興奮やら何やらで震える手を握りしめ、何とか隠岐君に声を掛ける。
「隠岐君、今日だけでなんか色々パンクしそうです、でもめちゃくちゃありがとう……!」
「いや、礼言われるようなこと何もしてへんよ」
 隠岐君のふわりとした笑顔が向けられた。私が長谷先輩のファンじゃなかったら陥落していただろう、危ない危ない。長谷先輩といい隠岐君といい、水上先輩の周りには美人が集まるのだろうか。
 隠岐君は笑顔を前に向けて、いつも通りの穏やかな声色で呟いた。
 今度は長谷さんのええ顔見れたらええな。
 その言葉にちらりと後方を盗み見れば、もう二人の姿は見えなかった。長谷先輩は今、どんな表情をしているのだろうか。見てみたい気持ちもあるけれど、知らないままでいたい気持ちも大きい。きっとそれは、水上先輩だけが引き出せる長谷先輩の特別な表情なのだ。先程見た水上先輩の表情も早いうちに忘れよう。
「そういえば隠岐君は見たことあるの?長谷先輩のそういう、やさしい顔」
「んー、何回かあるかなあ。やっぱり水上先輩と話しとる時とか」
「早く忘れて!水上先輩のも!難しいだろうけど!」
「おお、どうしたん急に」


「あの表情は、二人だけのものだろうから」



狭間