07.リヒト・クリスマス・キャンベル

「やあ、ノワール! 久しぶりだね、元気だったかい?」

 片手を挙げて寄って来るリヒトは、何事もなかったかのように爽やかな笑みをノワールに向けた。バロック様式の花が金の糸で刺繍されたロングコートを翻しながら、皆が固まっている様子に一人、首を傾げている。

「元気だったかい?――じゃない!! リヒト殿下、何をどうしたら、ぬいぐるみの中から飛び出すんですか!?」
「驚いたかい? 早く君に会いたくてね。人間が馬車で来るより早いと思って、媒体であるぬいぐるみを先に送ったんだよ。それを使って、魔法で自分を転送させた。どうだい、面白いだろう!?」

 はっはっは、と高らかに笑う彼の言葉に、ノワールは後ろに引っくり返りそうなほど眩暈がした。
 リヒト・クリスマス・キャンベル。
 腰まである長い三つ編みの金髪。宝石のような碧眼は垂れ目。背もノワールより高く、顔面偏差値も高い。吐息を漏らせば学園の貴族女子はその気に当てられ、心臓発作を起こすほどの美しい容姿。”いかにも”王子様だ。
 しかしその反面、突拍子もないことが大好きで、嵐のように現れては周囲を振り回す台風のよう。

 学園で知り合ってからさんざん振り回されたノワールは知っていた。慣れていたとは思っていたが、思わぬ出現にノワールも面食らう。

「では、この方が、だ、第一王子の……?」
「まさしく、キャンベルの血を引く第一子、リヒトだ。急遽の来訪、許せ。ミッドヴォーザ家の支配人」

 ディーンが恐る恐る尋ねると、リヒトはかしこまったように礼をし目を細めた。王子の来訪に舞い上がったディーンやメイドたちは、先ほどの茶番も忘れてしまったように慌てふためいた。
 ノワールはメイドに紅茶を頼んだが、

「殿下に出すには、ど、どの茶葉がよろしいんでしょう!?」
「落ち着きなさい、私も手伝います!」

 メイドもディーンもそれどころではなかった。

「リヒト殿下……来る時は前もってご連絡くださいといつも言っているでしょう……」

 慌てているメイドたちの様子を見て愉快に笑う王子に、ノワールは額に手を当て大きなため息をついた。リヒトは不満げな表情を浮かべると、人差し指をびしりとノワールに向け、はっきりと言い放った。

「ノワールこそ、いつも言っているだろう! 私と話す時は”殿下”ではなく、リヒトと呼び捨てにしろと! あと、敬語もやめたまえ。せっかく友人と夏休みを楽しもうと来たというのに、それでは城にいる時と変わりないじゃないか」
「そういうわけにはいかないんだけどな……」
「のわーる」

 腕を組み、異を唱えるリヒトにノワールは根負けした。リヒトは一度言い出したら自分の意見を絶対に曲げない。

「わかり……わかったよ。リヒト」
「それでよい!」

 はあ、と短いため息をついたノワールを見て、リヒトは満足そうににっこりと笑った。


 ノワールは祖母の部屋の話をする前に、来賓用の客間にリヒトを案内した。
 客間は二人で話すには十二分の広さがあり、そこには祖父母が生前気に入っていた絵画や骨董品などが飾られている。

 部屋に通されたリヒトはそれらを眺め、「ほう」と時折感嘆の息を漏らしていた。ノワールにそういった”価値のあるもの”に対する知識はなかったが、彼曰く「ノワールのお祖父様、お祖母様は大変良い目をお持ちだ」とのことだった。

「お、……お茶をお持ちしました」

 しばらくして、メイドの一人が紅茶を運んできた。彼女の手は緊張のためかぶるぶると震えており、ノワールはいつ零さないかそれだけが心配だった。だが、杞憂で終わった。

「うん、いい香りだ」

 リヒトは紅茶に何個も角砂糖を入れると、一口二口飲んで微笑む。ノワールは半月目でそれを見つつ、やがて、自分も口にして息を吐いた。

「相変わらず、魔王の手先みたいな容姿をしているね、君は」
「それは褒めているのか?」
「褒めているとも!」

 リヒトはノワールの容姿を他と同じように軽蔑したり、馬鹿にすることはなかった。むしろ、珍獣を愛でるような顔で平気で褒めてくる。だが、ノワールは彼に褒められると、褒められた気があまりしない。悪意がないのも、困り者だ。

 二人が出会ったのは学園に入学した春。
 ノワールが外見と魔力から嫌われ、妬まれて、そしてリヒトが”王子”という肩書きに何人もの貴族が群がっていたころ。
 貴族の学生がリヒトの命を狙った。その企みをうっかり知ってしまったノワールと、幼馴染みのスピカの功績によって、リヒトの命は守られたのだ。

 それ以来、リヒトは素直で腕の立つノワールをすっかり気に入ってしまい、スピカも含め、事あるごとにつるむようになったのだった。

「さて? もうすぐハロウィンナイト家に新しい御子が生まれると聞いていたが……君はなぜミッドヴォーザ氏の屋敷にいるんだい?」

 紅茶を飲んでいたノワールの肩が震える。
 リヒトは調子がいいように見えて、鋭く、賢かった。それは、未来の王として頼もしいところだが、畏怖するところでもあった。
 お見通しか、とノワールはカップ越しにリヒトの双眸を見つめた。それがどこまでかはわからなかったが。

「私にできることはあるかい?」

 リヒトの目が細められる。それは親愛であり、友人を心配している優しい目だった。

「……ありがとう。全ては、僕の気持ち次第だって、理解しているんだ。でも、上手くいかないな……。もう少ししたら、ちゃんと君に話すよ」
「待っているよ」

 金髪の王子は、王子らしい、気品有る笑みでしっかりと頷いた。ノワールは胸に温かさを感じ、心の中で彼に感謝する。急かすわけでも、問いただすわけでもない。
 ノワールの気持ちを尊重し、それでいて自分にできることはあるかと聞いてくれる存在。

 待っていてくれる理解者がいることが、ノワールにとって何よりも心強かった。

「手紙も話も理解したよ。それで、不思議な鏡はどこにあるんだい?」

 好奇と期待に満ちた目で、リヒトは言う。退屈が嫌いな彼は、不思議なことや面白いことに目がない。

「今もお祖母様の部屋だよ」

 ノワールは初日に起こった出来事に加えて、昨日少女と話ができたことを伝えた。また、鏡が繋がるのは夜になってから。そう言うと、リヒトは顎に手を当ててなるほどと唸った。
 教養があり、様々な分野のことを知りうることもあって、ノワールは彼に相談をもちかけたのだ。

「で、あれば……鏡を調べるのは夜になってからの方がいいね。他に気になることはあるかい?」
「そうだな……って、リヒト。君、ここに泊まっていくつもりか?」
「無論!」

 ディーンやメイドたち、果てはコック長までが慌てる様子が目に見てとれる。滞在費用はもちろん私が出そう! と元気よく言い放つリヒトに、「何日居座るつもりだろう……」とノワールは息を吐いた。まあ、いいけど。

「部屋は別にどこでも良いよ。ああ、でも、夕食は魚を食べたいな。ミッドヴォーザのコック長はたしか、何年か前に港町で修行をしていたと聞いているよ」
「僕も知らないぞ、そんなこと! どこ情報なんだ……」
「ふふふっ、秘密さ!」

 震え上がるコック長の様子が浮かんで、ノワールは密かにお悔やみ申し上げた。

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