澄み切った朝を踏みにじる
「……帰ってきちゃった……」
県を跨いで自宅がある東京に戻ってきた。別にこれはいつものことで、普段ならばそう落ち込むものでもないのだ。そう、普段ならば。
結局あの言葉を聞いたあと、"黄瀬にそんな風に思ってもらう資格なんかない"と口走って、手を振り払って逃げてきてしまった。私の言葉の意味が当然ながらわからなかったのであろう黄瀬は呆然としていて、逃げてくることなんて造作もなかった。落としたジュースもそのままにしちゃったし、またひとつ黄瀬に謝らなければならないことができてしまった。
「……ま、しょうがないか」
元々謝るつもりではいる。だからその時に全部話せばいい。どうせ明日には黄瀬が言葉の真意を訊いてくるだろうから、どう説明するかだけ考えておけばいい。
ふぅと溜め息を吐きながら帰路を歩いていると、角の向こうから声が聞こえてきた。普通の日常会話といった雰囲気ではなくて、気になってそちらへ曲がってみる。
「いや、だからオレら金なんて持ってないし……!」
「はぁ? しらばっくれてねぇで金出せよ」
これはあれか、俗にいうカツアゲとかいうやつだろうか。
「ちょ……、どうしよう黒子ー」
「……困りましたね」
しかも被害者は知っている人間と来た。誠凛バスケ部の人だ。黒子くんと、確か小金井さん。見てしまった以上素通りというか、引き返すのも嫌だ。相手は三人で分が悪いけど……、仕方がない、割り込むか。
「黒子くん! 黒子くんだよね?」
「え?」
意を決して名前を呼びながら駆け寄り、相手が呆気にとられているのを目だけ確認して、黒子くんに向き直る。
「えーっと、覚えてくれてない? 海常バスケ部のマネージャー、如月なんだけど」
「いえ、覚えていますよ。……ところで今はちょっと」
「え? あぁごめんね、もしかして知り合いの人?」
あくまで無知を装って、カツアゲの加害者を見上げる。
「知り合いじゃねぇよ。こいつら金寄越せっつってんのに一銭もださねぇの。そうだ、あんたはねぇのか?」
「え……、そんなのないです。学生のお小遣いなんて高が知れてますから」
「だからそのなけなしの小遣い寄越せっつってんの。私立の制服着てるから金持ちなのはわかるんだぜ? とっとと出さねぇと痛い目見るぞ」
相手がとうとう実力行使に出る気がして思わず身構えると、黒子くんに腕を引かれた。そのまま背に庇われる。
「あの……困ります。こちらの方は関係ないので勘弁してもらえませんか」
口論になり、これはチャンスと思い制服のポケットに入っている携帯電話を引っ張り出す。本当に110番なんかにかけると迷惑なので、117、とボタンを押して音量を最小に。スピーカーフォンになっていないかも確認して、電話を耳に当てた。
「もしもし、警察の方ですか? 助けてくださいっ! お金出さないと殴るって言われて、だから早くっ。場所は……」
「警察……!? やべぇっ、行くぞ!」
"警察"という単語を口にした瞬間、血相を変えて帰っていくカツアゲさんたち。小金井さんはぽかんとしてその流れを見ていた。
私の耳にはぴっ、ぴっ、と時を刻む電子音が聞こえていて、何時何分をお知らせしますという女の人の声が定期的にそれを割る。カツアゲさんたちの足音が聞こえなくなると、黒子くんがこちらを振り返って口を開いた。
「あの、如月さん。それ、時報です」
「うん、知ってるよ。本当に警察にかけたら迷惑じゃない」
これ以上は電話代の無駄なので、終話ボタンを押して携帯を仕舞う。
「とりあえずは助けてくださってありがとうございます。でも危ないので二度とやってはいけませんよ」
「そ、そーだよ! えーと如月さん……だっけ? 今日は良かったけど、もっとヤバい相手だったら怪我してたかもしれないし……!」
「うん、そうする。結構怖いわこれ」
小金井さんの慌てように逆に私が落ち着いてしまって、素直に返すと黒子くんは呆れたような声色になった。
「でしょうね……。如月さん、ちょっと小金井先輩の家まで付き合ってください。それからボクが如月さんを送っていきますから。この辺は物騒でしょうし」
「え? でも黒子くんは?」
「ボクは誰にも気づかれないので大丈夫です」
「あ、そっか」
ミスディレクションなんて使わなくても元々彼は影が薄いのだ、すれ違っても気づかれずに済む。
「うん、わかった」
始終びくびくしている小金井先輩を宥めながら送り、今度は私の番。互いのバスケ部のことを話して歩いていたのだけれど、ふと会話が途切れた。どうしようかな、次は何を振ろうと迷っていたら、先に黒子くんが口を開いた。
「如月さんは黄瀬君と仲が良いんですか?」
「え? ……まぁ、仲が良いといえば良いんだろうけど……。今日、ちょっとね……」
「時々会うんですが、如月っちが如月っちがって、うるさいんですよ。中学の時のマネージャー以外に"っち"とつけているのも意外でしたし」
「そういえばそれ、なんなの? 黄瀬には仲良くなった証、とか言われたんだけど」
「黄瀬君がそういうあだ名で呼ぶのは認めた人だけなんですよ。だからキセキの世代は皆黄瀬君にそう呼ばれていますし、この間負けてしまったからか火神君にもつけています」
「ふぅん。そっか……」
仲良くなった証、という黄瀬の説明とは、少し食い違っている。認めた相手にとは言うけれど、それは要するに相手が自分より上だと思っているということだ。やっぱり、黄瀬の"好き"は"憧れ"と混同しているだけじゃないか。
不思議そうに首を傾げてこちらを見る黒子くん。彼になら話しても大丈夫だろうか。
「黒子くん、話を聞いてもらってもいい?」
「えぇ、ボクで良ければ。黄瀬君のことでしょう?」
「うん。今日、黄瀬に告白されてね。でもそれって、"憧れ"との混同だと思うの。それに私は私で、黄瀬のこと利用してて謝らなきゃいけなくて……」
「利用、ですか」
自分からあまり良いイメージでない言葉を使ってしまったけれど。彼は黄瀬と同じ中学だからか、マネージャーが一人しかいないから、と言うと納得してくれた。
「つまり黄瀬君から寄ってきているんだとアピールして、他の人たちに納得してもらおうとした、と」
「そうそう。ね、立派な利用でしょ」
仕方なく折れている風を装っているけれど、本当は気にかけてもらえるのが嬉しいのだ。だけど黄瀬をそんな風に見たことがないからそれがどういう"嬉しい"なのかはよくわからないし、利用している以上こちらには負い目がある。何より黄瀬からの想いがただの憧れとの混同だと知ってしまった今、受け入れるわけにはいかない。
「確かに利用と言えばそうかもしれないですけど……。黄瀬君はそれに気づかないほどバカじゃないです。中学でもいろいろ困っていたようでしたし。だから、分かった上でそう言っているんだと思います」
まぁ、あの歪んだ性格ならそう疑るかもしれないけれど。だからといって私に利用されていると気づいたうえで、そうほいほいと乗ってくれるものだろうか。結局黄瀬も私の演技に惹かれたと言っていたようなものだった。分かっていてそんな告白の仕方をするだろうか。騙された振りをしてくれていたという可能性も否めないけど。
「あとは如月さんの心の問題です。自分はどうしたいのか、黄瀬君とどうなりたいのか、きちんと考えて答えを出すべきです」
「……うん」
考えれば考えるほど、黄瀬のことはわからなくなる一方なのだけれど。それでも、黒子くんは考えるための材料をくれた。
「ありがとう。ほとんど初対面なのに、重たい話してごめんね」
「いえ。このまま黄瀬君が悩むとボクが害を被るので、早めに解決してくれたらそれでいいです」
「うん、そうする。私の家、角を曲がってすぐそこだから、ここまででいいよ。ありがとう」
「どういたしまして。おやすみなさい」
「おやすみ、黒子くん」
手を振ると、黒子くんは一度微笑んで、背を向けて歩いて行った。
私もカツアゲ現場を目撃したばかりでやはり怖いので、速足で家まで帰った。家の中に入っても中は暗く、今日は両親がいないことを思い出した。
お風呂に入り、洗濯機を回してと、やることをやりつつも頭の中は黄瀬のことでいっぱいだった。
部屋に戻って携帯を開くと、何通かメールが入っていた。それはすべて黄瀬からのもので、いきなり変なことを言ってごめん、明日も一緒にお昼を食べて欲しいなどと、一文ずつ書かれていた。私のメールの返信が速いことを知っている彼には、いつもの間隔で返信が来ないのが不安でならなかったのだろうか。最後に来たメールには、返事が欲しい、そう書かれていて。
黄瀬は私に利用されていることに気づいていなくて、憧れと混同しているのかもしれない。黒子くんのいうとおり彼は賢明で、私に利用されていることを分かった上で好きだと言ってくれているのかもしれない。どちらにしても、悲しいのに変わりはない。
「……悲しい、んだ。私」
携帯を持つ手の上に、ぱたりと滴が落ちた。
私は、泣くほど悲しんでいるのか。女子にどんなに恨み言を吐かれても、無意識に涙が零れるなんてことはなかったのに。
いつも私のことを気にかけてくれて、傍にいようとしてくれた。黄瀬に負けず劣らず性格が悪いのに、嫌な顔もせず受け入れてくれた。恋愛対象として見ようとしなかっただけで、本当はそれだけ思う要素があったんじゃないの。
"明日、答えを出すから待ってて"
最後に来たメールの返信に、そう書いて送った。もうとっくに答えは出ているけれど、あとは黄瀬に謝って確認するだけなのだけれど。どうせ言うなら、メールじゃなくて面と向かってがいい。メールが送られたことを確認して、ベッドに沈み目を瞑る。
返信は、朝になっても来なかった。
(澄み切った朝を踏みにじる)
多分私の方がもっとずっと
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