「ありがとう」



登校前に、2人と掃除したお地蔵様にお供えしてから、手を合わせて立ち上がる。毎日、とまでいかないけれどそんな習慣がついてしまった。忍足くんと白石くんが部活であまり来れない、と肩を落としていたからかもしれない。時計を確認して、鞄を持ち直す。そろそろ行かないと遅刻しちゃう。踵を返して歩き出す。そういえばこの先に商店街があると母さんが言ってたな、なんて思いつつ道を曲がる。交差点を通り過ぎて横切った公園で、視線を感じて振り返る。
朝なのにどこか薄暗く感じるその場所で、女の子達が手を繋いで一列になって並んでいた。何を言うでもなく、只此方を見つめてくる彼女達の目に光はなく、その異様な光景にゾクリと鳥肌が立つ。『アレ』は近付いたらダメだと、本能が言っていた。公園から出ずにジッと見つめてくる少女達から目を逸らして駆け出す。きっとあの公園が彼女達の領域なんだ。彼処から、一歩も出てこなかったから。グッと鞄の紐を握り締める。彼処から出れないなら、公園に入らなければ大丈夫。大丈夫。そう自分に言い聞かせて学校まで走る。


「お早うさん!」


教室に着いて息つくと突然背中を叩かれ、勢い良く振り返れば忍足くんが立っていた。ほっとして、お早う、と返せば彼は不思議そうに首を傾げる。


「九十九さん顔色良ぅないけど具合悪いん?」


当たり前のように額に手が伸びてきて、思わず顔が赤くなる。忍足くんはパーソナルスペースが狭いと思うの。勘違いする女の子いるよ絶対。


「おっ、お地蔵様にお供えしてたら遅刻しそうになって、走ったから、かも!」
「今日も行ってくれたん!?ありがとぉ!」


俯いてそう言えば、パッと忍足くんが笑った。大阪来てから思ったのだけど、コッチの人はよく「ありがとう」と言う気がする。まぁそもそも向こうじゃ私がお礼を言われる事なんて、

(あぁ、一回だけあった、な)

小学5年の、まだあの事件が起きるより前。
クラスで孤立してた頃に、私に話し掛けてくれた男の子。少しだけ忍足くんに似ていた彼は、私の言葉を信じてお礼を言ってくれた。
飼っていた犬が亡くなって、それ以来、夜中になると走り回る音や鳴き声がすると彼は教室で話していて、その話を聞きながら彼の横で大人しく座っているゴールデンレトリバーをちらりと見ていた。とても彼に懐いているのだろうというのは、見ていて分かった。そして、恐らく彼を心配しているのだろうとも。幽霊が視えると知られているからこそ、それを伝えるのは只でさえ居場所が無くなっている私には避けたい事だった。また、視えるんだろ、とからかわれるのが嫌だった。それでも彼の後ろを付いて回り、時には危ない事をしようとする彼の服の裾を咥えている姿を見ていたら、教えてあげるべきだと思った。


「あの、ワンちゃん、きっと心配なんだよ。だから『もう自分は大丈夫だよ』って、ちゃんと伝えてあげて」


廊下で1人になった彼に早口で伝える。目を丸くする彼をワンちゃんは心配そうに見上げていて、私は沈黙に耐えられなくてその場から直ぐに逃げ出した。
次の日、登校していつものように静かに席に座ると、誰かが目の前に立って、顔を上げると彼が立っていて。


「あの後、ちぃの墓の前でさ、『俺もう泣かないから大丈夫だよ』って言ってきた。そしたら家ん中静かになったよ」


少し赤くなった目で、彼は真っ直ぐ私を見ていた。視線を彼の横へと向ければ、そこにあのゴールデンレトリバーの姿はなくて、成仏したんだと思った。そして、たぶん彼は泣いたんだろうとも。静かになった家で、もう居なくなったのだとそう理解したから。


「九十九のお陰だよ、ありがとな」


そう言って笑う彼に、思わず私も笑みが零れた。それから彼は、ちぃちゃんの話や成仏したのかな、とか些細な事だけど話し掛けてくれるようになった。お早う、と皆が私を見ない振りする中、彼だけは挨拶してくれるようになった。他の男の子達みたいに怖い話をしてこなかったし、何より幽霊視えると知っても普通に接してくれる事が嬉しかったし、ちぃちゃんが本当に大好きだったんだなと伝わってきたから、私も普通に話すようになっていた。
けど、それも長くは続かなかった。


「お前、コイツに騙されてんだよ」


ちぃちゃんが人間みたいな寝方をするんだ、なんて話をする私達の所に数人の男の子達がやってきてそう言ったのは、確か昼休みの事だった気がする。呆然と見上げる私を、冷たく見下ろす彼等は彼の腕を掴んで私から引き離すように立ち上がらせた。


「なんだよ急に」


それに驚いたのか手を振り払い眉を寄せる彼に、あのなぁ、と声を荒らげた。


「ユーレイ視えるって嘘だよ、コイツ友達いねぇから一人でしゃべってるさみしい奴なの!」
「適当言ってお前の事騙したんだよ!」
「ちっ、ちがっ」
「じゃあユーレイいるって証拠見せろよ!」
「それ、は」


視えない人に視えるように、なんて私には出来ないし、何より私は幽霊怖いもん、近付きたくないし関わりたくない。グッと唇を噛み締めればどこからか女の子達の笑い声と、ほらな、と吐き捨てるような声がして、私は彼を見た。彼は困った顔をしていて、私と男の子達を見比べていた。その時の私は、どこか期待していて。彼は私の味方でいてくれるんだと、そう、どこかで信じていて。


「…分かったよ」


私から目を逸らす彼に傷付く方が間違っているのだと、分かっていたはずなのに。私は一時の幸せに淡い期待を抱いてしまった。信じてくれるって。友達になれるって。


(そんな事、ないのに)
「九十九さん、やっぱ保健室行った方がえぇんちゃう?」


不意に目の前に現れた忍足くんの顔に、ハッと我に返る。最近、どうも楽しい事ばかりで辛かった事を思い出してしまう。まるで「お前は幸せになれないんだ」という戒めみたいに。
大丈夫、と笑ってから自分の席に着く。
大丈夫、大丈夫。此処にはもう「幽霊が視える九十九壱加」を知る人はいないんだから。
キツク手を握り締めると、忍足くんは私の顔を覗き込むように私の机の前にしゃがみ込んだ。机に頬を載せて無言で見上げてくる彼に、私は反応に困ってとりあえず首を傾げる。


「……九十九さん、放課後ヒマか?」
「えっ、あ、うん」


ポツリと零す問い掛けに頷くと、忍足くんはニパッと満面の笑みを浮かべた。


「ほなゴッツうまいたこ焼き屋教えたるわ!白石にも教えたるー言うて今日行こって話やねん!」


生地が最高でなタコがめっちゃ大きくカットされとんねん、と熱く語る忍足くんに笑みを零す。きっと気を使ってくれたんだろうと、その優しさが伝わってきて、自然に笑えるようになっている自分が、分かるから。


「楽しみに、してるね」


へらりと笑えば、彼は目を丸くしてから、おう、と元気に返事してくれた。

(大丈夫、今は笑えるよ)

まだ大丈夫だから。そう自分に言い聞かせて、たこ焼きを語る忍足くんの話を聞きながら授業の準備を始めた。

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