キューピッドさん9(渡瀬視点)



(視線が怖いだなんて久し振りだ)

先程の試合の録画データがあるのを確認して、一度電源を切る。次の試合は1年の実力を見るためでその撮影は水野くんがやるって言ってたっけ。新しいテープに交換しておこう。
―――何かしてないと落ち着かない。『お前なんかいらない』『そんな事も出来ないのかよ』そう、言われてる気がするから。胃がムカムカする。頭痛い。気持ち悪い。あぁ、そうだ。さっき跡部に準レギュラーのスコアブックまとめとけって言われてた。それを確認してからもう一度試合に出すとか言ってた気がする。

(……気持ち悪い)

でもビデオをチェックしてからじゃないとこっちを忘れそう。

(気持ち悪い)

それにジャグも作らないと。さっき今井くんが作ってくれてたし。あぁクソ、いつもは無くなる前に作っとくのに気付かなかった。

(気持ち悪い気持ち悪い気持ちワルイキもちワるイキモチわるイきもチわルイきモちワ)
「おい理名」


ハッと我に返って顔を上げれば跡部が立っていた。


「……何」
「ビデオは後でいい。さっきまでの試合から準レギュラーの弱点や対策をまとめておけって言っただろうが。只の一つもやってねぇじゃねぇか」


―――うるさい。


「……今からやる」
「お前のデータは信頼するに足るから頼んでる。優先順位くらい考えろ」


うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさい。


「ったく、自分の許容範囲くらい把握出来なくてどうする。明らかにキャパオーバーしてんじゃねぇか。出来ない事や他の奴が出来る事まで引き受けるな。お前が倒れたら手が回らなくなるんだよ。いつもやる気無いお前らしくもねぇ」


私らしいって何だよ。お前に何が分かるんだ。気持ち悪い、気持ち悪いうるさい
も う な に も 聞 き た く な い


「おい、聞いてんの、」
「う、っせぇな!全部やるっつってんだろ!!」


腹の底から溢れるドロドロした感情と一緒に怒鳴り散らす。しんとその場が静まり返って、肩で呼吸しながら少しだけ冷静になった頭で地面を見つめる。


「……悪かった。今のは言い過ぎた」


俯く私の肩を叩いて去って行く跡部に顔を歪める。気を、遣われた。何でだよ。いつもなら「だったらとっととやれ」とか言ってくるじゃん。だって今のは私が悪いんだから。さっきだって私を気遣ってアイツなりに『無理するな』って言ってただけなんだ。信頼出来るって言ってくれてたのに、それなのに、私が勝手に喚き散らしただけなのに。


「―――っくそ」


一つ舌打ちしてコートを出る。
跡部は分かってるんだ。私が調子悪いのを。だから責めなかった。悔しい、それが分かるから嫌になる。自分がどんだけ嫌な奴で使えない奴で卑屈な奴か思い知らされる。もう嫌だ、気持ち悪い。また一つ舌打ちをする。ほら、もうダメだ。上手くいかない。立ち止まって、手にしていたビデオカメラを抱えるようにしてしゃがみ込む。死んじゃいたい。

(―――背中が、重い)

バンッ
そう思うと同時に突然背中を思い切り叩かれて、ビックリして顔を上げる。こんな時に誰だよ。2発目が入って、本気でキレるぞ、なんて視線を送れば泣きそうな顔の壱加ちゃんが必死に私の背中を叩いてて、そういえば宍戸くんも最初は加減を知らなかったっけ、なんて間抜けな事を考える。変なの、背中はじんじんと痛むのに、さっきまでの苦しさや重たさはどんどん無くなっていて、ただ呆然と壱加ちゃんを見つめていた。
しばらくして、ようやく壱加ちゃんの手が止まり深く息を吐くその様子は、さっきまでみたいに泣きそうなんかじゃなくて安心したものだったから不思議だななんて他人事のように見る。不意に目が合って、私が口を開くより先にサッと青ざめてわたわたと壱加ちゃんが話し出した。


「あああああ、あのっ、背中が汚っ、汚れててっ!その、つい白石や謙也とかと同じノリで、あっ謙也って言うのは侑士くんの従兄弟で浪速のスピードスターや!とかアホな事騒いでる奴でね!じゃなぁぁい!!」


1人でノリツッコミをやってからうーんとえーととオロオロしてる壱加ちゃんに、1年の時の宍戸くんも言い訳色々考えてたな、なんて小さく笑う。


「……イトコだからかね?」
「え、謙也と侑士くん?」
「宍戸くんも、たまにやるんだよね。ソレ」
「え…」
「何となくダルいなとか調子悪いと背中叩いてくんだよね。今じゃ無言だったりするけど、最初は壱加ちゃんみたいに、汚れてたから、とか言ってた」


膝を抱えて、懐かしいなぁ、なんて笑う。やっぱりそうだ。笑えるくらい、気持ちが落ち着いてる。さっきまで『死んじゃいたい』なんて思ってたのに。


「ごめんね、痛かったよね」


私の背中をさすって謝る壱加ちゃんをちらりと見れば、彼女が小さく首を傾げた。…彼女が来なかったら、私は死のうとしたんだろうか。


「何か、元気出た。ごめんね壱加ちゃん」


へらりと笑って立ち上がる。もう大丈夫、そう自分に心の中で言いながら。


「あっ」
「うん?」
「そういえば、どうかしたの?」


壱加ちゃんに向き直って問い掛ける。きっと何か用事があったから声を掛けてきたんだと思うし……背中が汚れてたからって理由だけだったらどうしよう。私、自意識過剰かな。


「あ、うん。仕事、何か手伝うよ!」


握り拳で笑う壱加ちゃんに目を見開く。やっぱり、見られてたのか。じゃなきゃこんなにタイミング良い訳ないよな。ごめん、とだけ呟いてビデオカメラを持ち直して歩き出す。後から何も言わずに着いてきてくれる壱加ちゃんを横目に見て口を開く。


「私スコアブックまとめないといけなくて、ただそっちのとウチの連中のジャグが無くなったみたいなんだけどお願いしてもいい…?」
「もちろん!アレ作るの楽しかった!」


パッと笑う彼女が何だか眩しくて、卑屈な自分が更に浮き彫りになる気がする、なんて気分がまた落ちていく。こういう時は何考えても嫌になるものだと分かっててもどうにもならないんだよね。


「さっきよりちょっと多めに作らないとかな。今日は随分と減りが早いから…手伝わないのにほんとごめん」
「……ねぇ理名ちゃん」
「ん?」
「『ごめん』じゃなくて『ありがとう』でいいよ」
「っ……」


振り返れば、少し困った顔で微笑む壱加ちゃんが真っ直ぐ私を見つめていて、涙が溢れ出そうになる。
どうして、そんなに優しいの…?
小さく零した「ありがとう」は彼女に聞こえただろうか。だけどその顔を上げる事は出来なかった。

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