「先ずは一段落、やな」
ほうと息吐く銀さんに小さく頷く。
何でか準レギュラーの部室で作業していた一氏くんに呪術者である藤平くんの名前を伝えると、銀さんへの言伝と人払い……主に白石と跡部くんの引き留め役を頼まれ、ひと試合終わった後の銀さんにジャグを渡しながらこっそりとコートを離れ、事の次第を話せば先の返事が返ってきた。場所は聞いていないが恐らく準レギュラー部室でいいはずだし、日野くんがもし居ても当の理名ちゃんが上手いこと話してくれると思う。……多分。
「渡瀬はんならコート内のベンチにおったはずや。戻ってみよか」
「うん。そしたら私は白石達の足止め、頑張……れるかなぁ……」
「感が良い人やさかい、下手な嘘は逆効果かもしれへんな」
「そうなんだよぉ、跡部くんにも嘘が通じる気がしないんだよぉ」
頭を抱える私の肩を優しく叩く銀さんに大きな溜息を返す。最悪白石は呪いの件を知ってるからいいとして、問題は跡部くんだ。正直、私は呪詛返しがどんなものか想像がつかないし、成功した後に何事も無かったかのように作業に戻れるものなのかが分からない。そもそも本当に何も起こらないかも分からないのだ。それなのに「理名ちゃんちょっと借りるね!直ぐ戻ってくるから」とは安易に言えない訳で。かといって他に上手い言い方も浮かばず。だからこういうのは白石のが適任なんだってば。一氏くんの事を、白石は知らないから私が任されてるのは分かるんだけどね、分かるけど心の中でくらい文句言わせて下さい。もう一度大きな溜息を吐けば、銀さんが苦笑するのが見えた。
「あぁ九十九はん、渡瀬はんや」
そう声掛けられて顔を上げれば、滝くんと長身の銀髪さんと話している理名ちゃんが見えた。これから試合なのか、楽しそうに話してから銀髪さんの背中を叩いてコートに送り出す彼女の顔色はあまり良くないけど、本当に楽しそうに笑っていて。
「ほんまに、テニス部が好きなんやろなぁ」
「……そうだね」
銀さんの言葉に笑みを返して彼女の方へと歩いていく。その時だった。コートの端、ベンチの方へと戻ろうとしていた理名ちゃんが不意に立ち止まり、空を仰いだ。
────違う、見てるのは空じゃない。
ぞわりと背中を這うような悪寒がして息を飲む。隣で銀さんがあかんと一つ呟いて走り出す。次の瞬間、理名ちゃんの足元から黒く大きな【ナニカ】が現れて一瞬で彼女を丸呑みにしていった。
「っ、理名ちゃん!!」
反応が遅れて銀さんの後を追うように駆け出す。
嘘、まさか間に合わなかったの?呪術者も見つけたのに。焦る気持ちと裏腹に私の足は速く動かなくて、力が抜けたように倒れ込む理名ちゃんを地面に衝突する前に銀さんが抱きとめる。私が追いつくのとほぼ同時に近くにいた人達が反応して、理名ちゃんの名前を叫ぶ声が響く。
「銀、さっ」
「まだ大丈夫や!とにかく寝かせられるとこに」
銀さんが声を上げながら軽々と抱え上げる。力無く垂れる彼女の手足がその拍子に大きく揺れるが理名ちゃんは起きる気配がなく、どうしたらいいのか分からず私は胸元をきつく握り締めた。アレはきっと、最初に視た蛇だ。いつの間にあんなに大きくなっていた?いつから?何で、どうして、気付けなかったの。どうしてどうしてどうして。
跡部くんの声がして銀さんが理名ちゃんを抱えたまま走っていくのが、まるで画面の向こうで起こっている事のように思えて、呼吸が、止まってしまいそうで。
「九十九!!」
大きく肩を揺らされて名前を叫ばれ、ハッと我に返ると目の前にはいつの間にか白石が居て、白石、と呟けば目を合わせた白石がゆっくり息を吐いてさっきよりも落ち着いた声でもう一度私を呼ぶ。
「今此処に女子は自分しかおらへん。渡瀬さんとこ、一緒行くで」
分かったか、そう確認する声は優しくて、泣きそうな気持ちを堪えるように唇をキツく結んで大きく頷く。それを見て、よし、と頷いてから私の頭を一つ撫でてから白石が歩き出し、後を追うように駆け出した。腹立つけど、こういう時に白石の優しさに助けられる。
まだ大丈夫。銀さんはそう言っていた。だったら私は私のやることをやらないと。目の端に溜まった涙が零れるのを服の袖で拭って、駆け足の白石に着いていく。
校舎内へと入っていき暫く行くと樺地くんが立っているのが見えて、彼は私達に気が付くと直ぐ傍の扉を開き、跡部さん、と室内に声を掛けた。樺地くんの横を通り中へと入ればそこは保健室で、手前のベッドのカーテンが僅かに開かれており、ベッドの奥、理名ちゃんの横に跡部くんが立っていた。ベッドに横たわる彼女は蒼白いなんてものでは無いほどに血の気がない顔色で、微かに上下する胸元を見なければまるで死んでいるようで、隣の白石も辛そうに顔を歪めるのが見えた。
「来たか」
「跡部くん」
「明らかに様子がおかしい、これから救急隊を手配する」
「せやな、そしたら到着まで九十九に付き添いを、」
「待って!」
トントンと二人が話を進めるのを慌てて制止すれば、怪訝そうな跡部くんと目を丸くする白石が私を見つめる。理名ちゃんの横に腰掛ける銀さんと目を合わせてから、保健室の窓の外を見て、小さく息を吐く。
「銀さんは理名ちゃんをお願い。二人は、外で話があるの」
「それは今じゃないといけない事なのか」
私に殆ど被せるように発された一言。たった一言なのに、一瞬で空気が変わる。声で、目で、跡部くんが怒っているのが分かる。細められた瞳に息が詰まりそうだ。けどこれは理名ちゃんのために大事なことだから。早く、二人を保健室から出さないといけないから。
「―――理名ちゃんが倒れた原因の、話だから」
私を今だけ信じて。
振り絞るように出した言葉は思ったより掠れてしまって、それでも目を逸らしたらダメだと思ったから真っ直ぐと二人を見つめて。随分と長い間、実際はほんの数秒だったのかもしれないけれど、私にはとても長く感じるほどの沈黙が続いてから、跡部くんが目を逸らして息を吐いた。
「ったく、テメェのとこのマネージャーはどうなってやがる白石」
「臨時やねんけど、四天宝寺らしい癖の強さやろ?」
「あぁ、嫌いじゃない」
鼻で笑って私の横を通り過ぎていく跡部くんに、呆れたように肩を落とす白石が部屋を出てから此方を振り返る。少しあって二人の優しさに、ありがとう、とお礼を呟いて私も部屋を出ると、保健室の扉を閉めた。中から鍵がかかった音を聞いてから、ゆっくりと二人に向き合った。
ここから、どれだけ二人を引き留められるかが、私の仕事だ。
……―――。
かちりと音を立てて閉ざされた扉を見つめ、九十九はんに心で合掌してから踵を返し静かに窓を開くと、目的の人物の姿を視界に入れる。
「時間があらへん、早うせんとあかんかもしらんで―――一氏はん」
「分かっとるわ。こんなんとっとと終わらせるぞ師範」
儂を見上げた一氏はんがにやりと不敵な笑みを浮かべるのに、初めて行う呪詛返しだと云うのにどうにも頼もしい心持ちになるものだと、儂も同じように笑みを返した。
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