―――抑も ち巻七段国には
中段国より 空手障
差正障成したる 五人五性
万人す 上の五ぞふ六府を
打ちみだす 切りみだす
おんみだれやそばか―――
遠くで声が聴こえる。
まるで歌のような、低く、落ち着いた声。
―――東坊朝日の天道 血花くづし
ちりまくさの大神様 行ひ下す
打つけん 飛ぶけん
なぐけん 切るけんと行ひ下す―――
頭が、重い。
けれど、ぼんやりと瞼の裏の視界が霞んでは徐々に光を感じる。先程までの暗闇とは、全く違う。
暗かった、兎に角真っ黒で、まるでコートで見た【アイツ】みたいな。
―――天ち要合 天地和合のこたかの印と
言車の矢ぐいの ひつ手に結んで
巻立 巻下す
生血と切りこむ 白血と切りこむ
青ちと切りこむ 黒ちと切りこむ
段国より 億々九億十万億の
其空に南無天道 血花くづしの大神様
あぁそうだ、あのコートにいたやつは何だったんだろう。血の気が引くあの感覚は、よく分からないけどあっ死んだなって思った。もしかしたら死んだのかもしれない。死ぬ時は突然って言うもんな。誰情報か知らないけど。
―――文部の屋方に行ひ下すは
七度の祓で祓ひ清て 屋掛三丈
杉が宗 高天原より
三尺一分の玉の御幣の宇豆の折目を
かんなき ひとへぎかいで
一時半時に行ひ正じ下す―――
…………それにしても、
「よくこんな長いの覚えられるなぁ……」
「自分余裕のよっちゃんやないかはよ起きろ」
「え?」
不意に歌では無く、聞き覚えのある声が耳元でして目を開く。あ、起きれた。視界に誰かの肩が見えて、これはもしかしなくとも抱きしめられてるのではと考える。
「何で、一氏に抱きしめられてんの、私」
「呪詛の大元が自分の背中に憑いとるから仕方なくや、俺かて小春を抱いてたいわ」
「そりゃどうもすみませんね、ってここ何処、」
「顔上げると死ぬぞど阿呆」
一氏の言葉の意味は、ほぼ同時くらいに分かった。
―――ナニカいる。
顔を上げきる前にぞわりと背中を這うような恐怖を、彼の肩越しに感じた。一氏の後ろに【アイツ】が、いる。呪詛、なんだろうか?でも一氏は私の後ろに憑いてると言ってた。じゃあ目の前の【アイツ】は一体何?冷や汗が全身を伝うのを感じながら視線を一氏へと移せば、いつだか見た呆れたような顔して眉を寄せていた。
「俺の傍におるから今は見つかってへん、けど目が合ったら話はちゃうけどな」
「アレが、呪詛……?」
「銀に聞いた話やと、呪詛に集まった霊の成れの果てらしいで。まぁ今となっちゃアレが呪詛みたいなもんか」
そんなもんが真後ろにいるっていうのに随分落ち着いてる、コイツの神経をちょっと疑う。慣れてんのかな、なんて考えて、ふと背中に添えられた手が僅かに力が入ってるのに気付く。横顔はさっきまでと変わらない余裕の表情なのに、私の背中に回された手が力強く、熱い。これもしかして、一氏に無理をさせてるんじゃないだろうか。私のせいで、我慢してるんじゃ。一氏、と少し体を引けば更に強い力で抱き寄せられた。
「阿呆、今離れんなや。銀がおるいうても呪詛返しが失敗したら意味無いんやぞ」
「え、この状況見られてんの?流石に恥ずかしすぎない?」
「そこで般若心経読むんに集中しとって俺らなんか気にしてへんわ」
「あ、なんか聞こえてたお経、石田くんの声か」
そこで、と目配せされた方は私からは見えない位置だったけど、銀って確かガタイのいいハゲの人だった気がする。確かにお経滅茶苦茶似合うもんな、戦う僧侶って感じする。うん、と一つ頷いてさっきより少しだけ冷静になった頭で一氏を見る。恐怖が消えた訳ではないけど、何となく大丈夫な気がしてきた。いやまぁ、素人の呪詛返しが成功するのなんか漫画でくらいしか知らないけど。そもそも幽霊はまだしも本当に呪いだとかあるとは思ってなかったし。ぼんやりと般若心経?を聞きながら、一氏、と名前を呼ぶとちらりと彼がこちらを見た。
「呪詛返し、ってさ、成功するの?」
「失敗はせぇへん、素人の呪いに負けてたまるかっちゅーねん」
「素人って」
「その辺の奴よりは、詳しいつもりやで」
「そんな感じはするけどさ……いっ!!」
私の背にある一氏の手が僅かに離れて何かをしているのを感じながら呟けば、バンッと急に背中を叩かれて思わず声を上げる。テメェ、呪い解けたら覚悟しとけよ。そう思いを込めて睨めば、全く違う場所を見つめる一氏が小さく溜息を吐いた。
「ま、俺はホンマモンのプロやないから解呪の方法はほぼゴリ押しやけどな」
「ゴリ押し?」
「言葉っちゅーのは祝いにも呪いにもなる、ってのが呪術の基本みたいなもんで…………あー、自分に分かりやすく言うんやったら、俺の言霊で押し返す」
「ざっ……つだな……!」
「ホンマは呪詛を色々知らんといかんねんけど、今回のは俺でも理解出来るもんやし、返すだけなら俺の霊力でどうにかなるやろ。言っとくけどな、言葉の力舐めたらアカンで、用法用量を守って正しくお使い下さいってやつや」
「なんだっけそれ……第二製薬?」
「ピンポーン!って注意文ちゃうわ!」
「CMでよく聞く音だったなぁ今の」
いや壱加ちゃんいる時も思ったんだけど何で私コイツとコントしてんだ?違うな、四天宝寺の人と喋るとテンポいいんだよな。特にレギュラーの人は本当にテンポいい、笑える。そういや忍足と喋るのも楽だし楽しいもんな。今日は……大して話してないけど。
(そうだ、私皆と今日、大した会話してないや)
ここ数日ずっとしんどくて、今日は特に酷くて、テニスしたりして気を紛らわしてた時くらいしか、まともに会話して、ない。最後に声掛けたのはちょただった。多分私、近くで倒れちゃったんだよな。心配、させてるよな。急に申し訳無さで泣きたくなって一氏に項垂れれば、息を吸う音がして、背中に回された腕に力が籠る。
「―――ええ加減、続けんと気付きそうやな」
そう、ぽつりと呟くと、一つ呼吸を置いてから、またあの歌みたいな声が部屋に響く。
―――東方天道 血花くづしの大神
ちりまくさの王子と行ひ下す
天道血花くづしの法もつて 悪する悪魔
邪魔する外法 法障 まなちときりこむ
五式五色の血花がおちこめ ちりこめ
悪まのたいわ 七ツにかきわり 八ツにけわり
玉水魂魄 みじんに切つて放つ―――
落ち着く声が響く中、微動だにしなかった目の前の【アイツ】が何か唸っているようで、急にガンガンと頭が割れそうに痛くなってくる。喉の奥から何かせり上がってくるような不快感に、今度は本当に泣きそうだと一氏の肩に頭を押し付けて息を止める。
―――抑も ち巻七段国には
中段国より 空手障
差正障成したる 五人五性
万人す 上の五ぞふ六府を
打ちみだす 切りみだす
おんみだれやそばか
東坊朝日の天道 血花くづし
ちりまくさの大神様 行ひ下す
打つけん 飛ぶけん
なぐけん 切るけんと行ひ下す―――
次の瞬間、バンッと、まるで部屋中の窓が一気に割れるような、何かが爆発したような、そんな音が響き渡り、それと同時に頭を大きく揺さぶられたように目が回る。
ぐわんぐわんと、焦点が定まらない、貧血を起こした時のような、感覚に堕ちる。
一氏の手の力が緩まったのと同時に、自力で立っていられずに膝から崩れ落ちて座り込む。渡瀬はん、と石田くんの声と共に足音が幾つか聞こえてきて、顔を上げると涙で視界がぼやける私の正面に居た男は、頭を抱えながらフラフラと何処かへと歩き出していた。
「すまん銀、後よろしく頼む、わ。流石に……きた、わコレ……」
視界の端に僅かに捉えた石田くんが、任せとき、と答えるのと同時に勢い良く扉が開く音がして、音の方を見れば、跡部に樺地、壱加ちゃんに四天の部長さんがいて、一度瞬きをしてぼんやりと見上げる。ハハッ、あんな必死な顔の跡部久々に見た、試合でも滅多にしないじゃん。なんて思って、ぐるぐると、まだ目が回っているような感覚と、さっきまでの喉―――というか背中の不快感が残ってるのか、頭を上げてるのもしんどくて俯く。
「おい、何があった」
直ぐに私の視線に合わせてしゃがみ込む跡部が問い掛けてくるのに、気持ち悪さも相まってイラっとする。
「知るか、こっちは今起きたんだよ……」
「……そうか。石田」
「渡瀬はんは、取り敢えず大丈夫や」
石田くんが答えるのに、跡部がもう一度、そうか、と答えるのを聞いて、コイツに本気で心配かけるくらい私の状態は最悪だったんだなと思う。イライラして悪かった、ホントに悪かった。頭を抱えて大きく息を吐けば、壱加ちゃんが大丈夫?と背中をさすってくれた。本当に優しいよね壱加ちゃん、モテるんだろうなぁ。
落ち着いて周りを見れるようになって、ようやく一氏の姿がどこにもない事に気付く。呪い返ししてたとか言えないし、色々めんどいから今さっき起きた事にして一氏と石田くんに説明丸投げするつもりだったんだけど、やっぱり無理させてたんじゃないかな。石田くんに視線を送れば、少し困ったように眉を下げて微笑んでから、私の後ろに目を向けた。……多分、ベッドにいるんだな一氏。そっちにはベッドしかなかったはず。石田くんは既に跡部や部長さん達を見ていて、取り敢えず皆に一氏の事を敢えて話したくはないのかな、なんて考える。だったらとっとと保健室から出た方がいいだろう。フラフラと立ち上がれば、近くにいた壱加ちゃんと駆け寄ってきた部長さんが体を支えてくれた。
「横になって寝てた方がええんちゃう?」
「いや、コートの方、いく」
「いやいやいや、自分倒れたんやで?無理したらあかんて!」
「どうせ跡部が車回してくれんでしょ?だったら、帰る前に皆に大丈夫、って自分で伝えたい」
だろ、と跡部を見れば舌打ちが返ってきた。隣では戸惑う壱加ちゃんと、せやけどと眉を下げる部長さんが見えて、申し訳無いと思いつつも扉の方―――もとい樺地の方へと歩き始める。
「樺地、迎えを手配しろ。俺は監督に状況の説明をしてくる」
「ウス」
「ぁ?ちょっ、それじゃ誰が私をテニスコートまで運ぶんだよ」
「テメェが勝手に行くって言ったんだろうが、動けねぇなら此処で大人しく寝てればいい。そうだろ?」
アーン、と続いた言葉に今度は私が舌打ちをする。樺地に連れてって貰おうと思ってたのに、先に樺地に指示したなコイツ。ムカつく、ぜってーコート行ってやる。そう固く心に決めて歩き出せば、慌てて部長さんが声を上げる。
「あー、せやったら俺が連れてくから!なっ?」
はい、と目の前におぶされと言わんばかりにしゃがんだ背中が現れて、一瞬戸惑ったけど正直歩くのしんどいので部長さんの好意に甘える事にした。私を此処で寝かせておきたかっただろう跡部が物凄い深い溜息を吐くのが見えてざまぁみろと心の中で毒づく。
「ほな、ワシは此処の様子を見てからコート戻るさかい。九十九はん、手伝ってもろてもええか?」
「え?あ、う、うん!」
「ほな二人とも終わったらテニスコートに戻ってくるんやで?跡部くん行こか」
「あぁ……」
部長さん、良い人なんだろうけど多分今の跡部、少し空気読めって思ってるよ。なんて思いつつ、残る石田くんと壱加ちゃんを振り返って小さく笑った。
呪詛返しの真言はどこかの本で見たものなので正式なものとは違っているかもです
←