扉を閉めてもう少しだけ保健室から離れようと歩き出せば、横を通り過ぎるか否かという所で跡部くんに肩を掴まれる。唇をキツく結んでから、跡部くんに向き直って口を開こうとする。
『全部お前のせいだ!』
なのに、どうして思い出してしまうんだろう。跡部くんは、あの時の彼等じゃないのに。
ヒュッと息が詰まり胸が苦しい。どうしよう、どうしようどうしよう。こんなにも苛立っている跡部くんが、呪詛返しが終わるまでここで待っていてくれるんだろうか。そもそも信じてくれないんじゃないか。引き止めないといけないのに、言葉が、出ない。怖い、今怖がってなんていられないのに、早く言わないと、跡部くんが。
「キューピッドさんが、関係しとるんやない?」
視界が霞んで泣き出しそうな私に白石の声が降ってくる。僅かに顔を上げて見れば、そうなんやろ?と私の顔を覗き込むようにして肩に手をかけ問い掛けてきた。思わず零れそうになった涙を慌てて腕で拭ってから頷けば、それを見た跡部くんが私達から目を逸らし大きく息を吐くと、悪かった、と呟く。
「一刻を争う事態だと、気が焦っていた。取り敢えず結論から頼む。理由や事情は必要だと思えば聞く」
額に手を当て目を伏せる跡部くんに目を丸くする。どうして謝ってくれるんだろう。呆然とする私に促すみたいに白石がぽんと肩を叩いてきて戸惑いながらも言葉を選ぶ。
「その、理名ちゃんは銀さんが居れば大丈夫、だよ」
「……理由は」
「倒れたのは、―――幽霊、が、関係してるから」
「……幽霊……?」
ぽつりと零したのは白石で私はそれに頷く。隣の跡部くんは想像してた通り眉をひそめて、白石は戸惑っているのか口を開こうとしては閉じて、仕舞いには口元に手を当てて考え込んでいるようだ。白石は私が呪いについて調べてるのを知ってるから戸惑うよね。話が違うやん、とか言ってこなくて助かった。多分、私がこんな状況で理由なく嘘つかない、って思ってくれてるからなんだろうけど。さっきも私を気遣ってくれて、本当にズルいコイツ。
呪詛だという事を話すなと亮に口止めをされたのは藤平くんと話した後のことで、元々聞かれない限り話すつもりはなかったし、話しても信じて貰えないと思ってた私は二つ返事で了承した。亮曰く「理名にも他の奴らにも、今まで通り接して欲しいんだよ」らしい。やっぱり亮は丸くなった気がする。亮だって藤平くんがした事にあんなに怒ってたのに、藤平くんの事を考えて、何より理名ちゃんの事を考えてるもん。
ともかくそんな訳で白石には悪いけど、今は幽霊のせいで倒れた事にさせて頂こう。半分は正解だしね!よし、もう大丈夫ともう一度流れそうだった涙を拭って、気合いを入れてから跡部くんに向き直る。
「跡部くんは、私と日吉くんがキューピッドさんについて調べてた事は知ってるよね?」
「あぁ。理由は知らないがジローまで聞き回ってた事までは知ってる。それと、日野が妙な事をやってるのもな」
アイツは元々真面目に参加する気もないだろうが、と付け足しながら跡部くんが息を付く。日野くんのサボりは跡部くん公認なのか。それが許されるってどうなんだろう。それがどうした、と促されて慌てて口を開く。
「えと、キューピッドさん……狐狗狸様って実際にお狐様が呼ばれる事は殆ど無くて、大体が僅かに動く筋肉の動きに意識が向いてしまって動き出す……えっと何だっけ……潜在意識と不覚……」
「不覚筋動の事か?」
「それ!それのせいって言われてて、」
「九十九、話多分ズレとるで」
「ああぁえぇっと、狐狗狸様で神様は呼べなくてその辺の浮遊霊を引き寄せたりその引き寄せられた霊が悪戯して動かしたりするくらいなんだけど、」
「九十九ちゃん、一旦深呼吸しろ。結局要点がどれか分からないだろうが」
「せやな、ほら九十九、ヒッヒッフー」
「ヒッヒッフーってそれラマーズ法!」
「ナイスノリツッコミやな」
「少しは落ち着いたか?アーン?」
呆れたように鼻で笑う跡部くんに苦笑する。こんな下らない(とか言ったらいけないんだろうけど)やり取りに怒らないでくれる跡部くんやっぱり優しいよね、何で理名ちゃん顔面グーパンする程嫌いなんだろう。と、それよりも要点要点、とこめかみに指を当てて考える。
「えぇっとぉ…………り、銀さん曰く、理名ちゃんは霊を引き寄せやすい体質らしくて」
亮って言うとこだった、危ない危ない。なんて思いながらどう話を続けようかと思っていたら、成程、と白石が手を打った。
「キューピッドさんで集まった霊が渡瀬さんに憑いとる、っちゅー事やな」
「だったら石田がアイツに会った時に出来ただろう。何で今まで放っておいた」
「ほっといてた訳じゃないの、祓ってたんだけど、その、あまりに数が多すぎて……」
「……氷帝学園の生徒の殆どがやってるからか」
「うん。それに、その集まった幽霊同士で共喰いして大きくなってるらしくて、日吉くんが言うには蠱毒って言う呪法に近い物になってるんじゃないかって」
「呪い、か」
納得がいった、というように息を吐く白石に戸惑いつつ頷く。ほんとは、ちょっと違うけど。でも、これで『呪術者なんて存在は居なくて、偶然が重なって理名ちゃんが倒れた』って事になるはず。それで、白石は銀さんが除霊出来る事は知ってるから跡部くんに一緒に説明してくれるはず。憶測ばっかなの、本当にどうにかしたいな。ちらりと見れば跡部くんの後ろから樺地くんの姿が見えて、そういえばさっきから姿が無かったと気付く。
「跡部さん、コートの方には、説明してきました」
「そうか、悪かったな樺地」
「ウス。……理名さんは」
「取り敢えず様子見だ、各位連絡は出来るようにしておけ」
「ウス」
頷く樺地くんと何度目かの溜息をつく跡部くんを交互に見る。跡部くん、今の話信じてくれる、のか。絶対すんなり信じてくれないと思ってた。視えないものを信じるって難しい事だから。じっと見つめていたら不意に目が合った跡部くんがふっと笑った。
「今だけ私を信じて」
「えっ?」
「そう言ったのは九十九ちゃんだろ?」
なんて顔してんだ、と笑う跡部様は最高でした、まる。こんなん惚れるじゃん、イケメンずるい。何で理名ちゃん顔面グーパン以下略。ぐおお、とイケメンの輝きでやられた目を覆ってしゃがみ込んでたら白石に何アホしとるん、と呆れられた。いやだって、と反論しようと顔を上げたら樺地くんが手を差し出してくれていた。優しい、彼凄い優しい。ありがとう、と手を取れば口癖らしいウスが返ってきた。
とりあえず待っててくれるみたいだけど、中は今どうなってるんだろうかと保健室の扉を見つめる。窓の外に、一氏くんぽい人見えたから大丈夫だと、思うけど。
「石田に任せれば、今後こんな事は無いのか?」
「え?」
「引き寄せるのもキューピッドさんが広まるのも、簡単に止められるものじゃないだろ」
視線を跡部くんに移せば、彼も保健室の方を見つめていて、本当に理名ちゃんを心配してるんだと感じる。あんな風に喧嘩してるのに、やっぱり大切なんだ。だからこそ、ちゃんと答えたいと思う。
「霊に気付かれにくくする方法はあるらしいから、ここまで酷くなる事は無いと、思う。キューピッドさんは皆が飽きるまでは続くと思う、人って神頼みとか好きだし」
「そうだな。しばらくは様子を見るか……九十九ちゃん」
「ん、何?」
「九十九ちゃんは幽霊を信じてるのか?」
視えてます、とは言いたくない。
ピタリと固まった私を見て、跡部くんは訝しげにもう一度私の名前を呼んで、隣の白石は跡部くんに見えないように笑いを堪えている。お前、ちょっと後で覚えとけよ。樺地くんも不思議そうに私を見つめていて、言葉に詰まる。
「いる、と、思って、る……かな?」
テヘッ、と首を傾げて答えれば、更に跡部くんが眉を顰めた。あれこれデジャブ。これどうしよう、なんて愛想笑いを浮かべたところで、突然背中をぞわりとした恐怖が襲ってくる。
全身の毛が逆立つような、言い様の無い恐怖。
咄嗟に保健室の方を振り返る私に、白石がどないしたんと声をかけてくるけど答えられずに自分の腕を抱えるように握り締める。
次の瞬間、バンッと大きな破裂音が廊下中に響き渡った。
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