とてもとても無気力な声で呼ばれ、振り返るとつるっとした薄い顔が超近距離にあり、渡り廊下どころか校内にまで私の可愛げない叫び声が響いた。
「いやー、そないに反応いいと思わへんかったわ」
「先生でもホント次は殴ります」
コケシ片手にケラケラ笑う教師に対して眉間に皺を寄せる私は生徒の鏡ではないだろう。しかし、近距離にコケシが急にあれば怖いに決まってんだろ分かれよくそ教師、なんて暴言を寸でのところで飲み込んだ私は偉いと思う。本当に偉い。
「で、何の用ですか?渡邊先生」
「おー、せやったせやった。これ、やるわ」
そう差し出されたのは先程私を驚かせたコケシ。この先生がコケシを生徒に配ってるのは知っているが何故私。担任でも部活の顧問でも無かった気がするけど。ちなみに私は映画部とカバディ部の幽霊部員だ。何で文化部と運動部どっちも入らなきゃいけないんだよこの学校。と、それはともかく、渡邊先生だ。
首を傾げながら無理矢理握らされたコケシを見つめる。
「なんや、聞いた話やと悪霊やら何やらによぉ襲われるんやろ?このコケシはありがたーいコケシやさかい、そういったモンから身を守ってくれ、」
「ちょっと待ってください先生、どこで仕入れたんですか」
「そら言えへんわ。ありがたーいコケシ様やで?」
「そっちじゃなくて、私が悪霊に襲われてるって情報の方」
「んー?おー、白石達やでー」
あんにゃろ、本気で一度とっちめてやろうか。
あんまり人に知れ渡ると面白半分でからかわれたり、気持ち悪がられるからそういう事を言い触らすなと何度も何度も何度も、言ってきたというのに…!ちなみに数少ない女友達は私に霊感がある事を知らない。ただの怖がりだと思ってる。間違ってはないけど。
そんな事よりも今はこの目の前の教師だ。白石達に聞いたであろう、私の幽霊遭遇体験をいつものやる気のない感じで上げていく。あの逸見先生も助けたんやろー?ほんま頑張っとるなぁ、と私の頭をポンポンしてくれた。おい、どこまで話したんだよエクスタ野郎。とりあえず、否定してコケシを返さねば、渡邊先生から更に話が広がっていくなんて事も有り得る。
「あの、先生。白石達が何言ったか知りませんが、私、そんな悩みは持って無いのでコレ受け取れま、」
「まぁ、俺は見てへんから信じとらんかったんやけどなぁ?小石川にまで言われたら信じひん訳いかんしなぁ」
「うわぁぁあん小石川くんありがとぉぉお有り難くいただきますぅぅう!!」
一度先生に差し出したコケシを抱え込み土下座する。ちくしょう、小石川くんの優しさを使うなんて白石マジ許すまじ。
目の前の先生はちょっと驚いてから、ニッと笑みを浮かべて土下座している私に視線を合わせるためにしゃがみ込む。
「ほな、何か起こったら『コケシさんコケシさんこの愚かな豚をどうかお助け下さい』ってちゃーんとお願いするんやで?」
「え、コケシさんドS?ドSなんです?」
「そりゃあありがたーいコケシ様やからなぁ」
どないやねん。
そんな私の心の声を知る由もなく、渡邊先生は嵐のように去っていった。
────
「そげん事あったんねぇ」
「まぁ、九十九もこれで安心やな」
「ふざけんな、白石殴るぞ」
放課後、部活がミーティングのみで早く終わった王子とバッタリ出くわし、一緒に帰る事になってどぎまぎしていた私の下に、これまたバッタリ出くわした白石が何故か一緒に帰る事になり私の気分は急降下です。後半のバッタリいらないよ神様。
ついでなので昼間の渡邊先生とのやり取りを話したが、エクスタ野郎は反省を全くしません。ほんとムカつく。
「ばってん、コケシ様ってなんね?オサムちゃんから聞いた事なかよ」
「せやなぁ。コケシのそんな話、俺も初めて聞いたわ」
「うーん、じゃあやっぱり渡邊先生の作り話かなぁ……」
首を傾げると横の2人が小さく頷く。渡邊先生信用ねぇな。ちらりとカバンの中を覗くと教科書や筆箱が散乱する中にコケシが佇んでいた。よく考えなくても奇妙な光景である。
「……なぁ、九十九」
「ん?何、白石」
「なんか、聞こえへん?」
なんか。なんかってなんだ。眉間に皺を寄せて白石を見るが真面目な表情をしてどこかに神経を集中させている横顔にドキッとする。イケメンなんだよなくっそ、喋らなきゃイケメンなんだよコイツ。
そこで不意におかしな音が聞こえる事に気付く。私達の歩くペースに合わせるように、びちゃ、びちゃ、とまるでびしょ濡れで歩いているような音。一気に背筋が寒くなるのを感じた。
「そういえば、其処の川で溺れて亡くなっち人が、助けてもらえん事ば怨んで出るってクラスの女子が言っとった」
千歳くん、その情報遅いよ。
あっけらかんと手を叩いてそう言ってから、すまんったい、と照れたように笑った王子は可愛かったので許す!いや嘘、やっぱ怖いから許せない!
引きつった顔で白石とゆっくり振り返る。
『なんで、』
数メートル先には明るめの茶髪でショートボブの女の子が立っていた。年は5、6歳くらいで、花柄のワンピースも髪の毛も全身びしょ濡れで、靴は片方しか履いていなかった。
「っ」
『なんで助けてくれへんかったのぉぉお!!』
息を飲むと同時に少女は叫びながらこっちへと走ってきた。
「あっかん、走るで九十九!って何しとん!」
「いや、待って!私はいいから行ってとは怖いから言えないけど逃げんのちょい待った!」
「はぁ!?何言うとんのや!」
「九十九、えすいっと?震えとる」
「怖いよ怖い!だから王子ちょっとだけ側にいて!」
お願い、と小さく呟けば千歳くんは私の手を見てから、よかよ、とそっと握り締めてくれた。横で、俺はえぇんかい、と白石が突っ込んでる気がするがスルーだ。私今超幸せだから。走ってくる少女に向き直り、大きく息を吸い込む。あと少しで捕まる、というところで千歳くんが私を彼女から遠ざけようとする手をすり抜け、私は少女を抱き締めた。
「……は?」
『え』
「助けてあげられなくてごめんね。怖かったよね」
濡れた髪の毛を撫でながら抱き締める力を少し強くする。私もこの子くらいの時に溺れて怖い思いをしたことがあるんだよね。あの時は本当に怖くてずっと泣いてたな、なんて思い出しちゃって、ちょっと慣れない事してます。まじ幽霊怖いっす。
「ごめんね。ほんとに、ごめん」
『……ほな、お姉ちゃん一緒に行ってくれる?』
「………何処、に?」
何となく嫌な予感がしながらも尋ねると、少女はゆっくりと川を指差した。つまり、私に共に行こうよ、と。
『一緒に、いこ?』
「そ、れは無理ぃぃい!!!!」
「九十九!」
全力で少女から離れようとしたが腕を掴まれ、絶対少女の力ではないだろう馬鹿力で川の方へと引っ張られる。後ろから白石と千歳くんが助けようとしてくれるが、徐々に川に近づいていくのが分かる。あぁ、もう!慣れないことしちゃダメだね全く!!
必死に踏ん張っていると視界の端に薄い顔が見えて、不意に渡邊先生の言葉を思い出す。何故このタイミングで思い出した自分。しかし、もう迷ってられない。なんせ、足が川に浸かりました。
「っ、コケシさんコケシさんこの愚かな豚をどうかお助け下さいぃぃい!!」
「「は?」」
後ろの2人が間抜けな声を上げるのとほぼ同時にコケシは光り輝き、その眩しさに目を閉じる。腕を掴んでいた感覚がない事に気付いてゆっくりと目を開くと、光に包まれた少女がふわりと微笑んで、そして光の中へと消えていった。
……成仏、した?
「こ、コケシ様すげぇぇえ!!」
「こげん事も出来るとねぇ」
「部室のも効力あるんやろか」
渡邊先生やばいです、何これほんとコケシ様々ですね!川の中でコケシ様を高らかに抱え上げ小躍りしてたら、千歳くんが危ないからと川から引き上げてくれた。もう、王子は優しいわっ!
「白石、今回はグッジョブよ!でも、もう他人に私が幽霊視えるって話すなよ!」
「……それなんやけどなぁ、」
ビシッと指差して白石に釘を打つと、考え込むような仕草で口を開く。
「俺、オサムちゃんにそないな話、した事ないで。九十九が困ってる、とか言うたことあらへんし」
「……え、や、だって渡邊先生が白石達が言ってて、小石川くんにもお願いされたって……」
「小石川なら尚更や。人の秘密簡単に話すような奴やないで」
じゃあ、渡邊先生は何で知ってるのか。目の前で首を傾げる白石と千歳くんを見つめながら、徐々に浮かんでくる疑問に若干血の気が引いていく。何度も心の中でコケシ様に問いかけても、私の手の中のコケシ様は変わらず薄い顔で微笑むだけで答えてくれる事はなかった。
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