恋愛感情未満のプロセス
「日吉?」
昇降口に見間違えようもない特徴的なフォルムの髪型を見かけて声をかけた。振り向いたのは俺の予想通り一個下の後輩の日吉若で、ぺこりと会釈だけをしてまたすぐに外へと視線を移した。
「無視とはいい度胸じゃねぇの、アーン?」
「会釈ならしました、無視はしてません」
「そういうのを減らず口って言うんだぜ」
つくづく口が達者すぎる後輩だな、と思う。同級生にいたらめんどくさいことこの上ないだろうが、幸か不幸か、一個下の後輩である。自分の中の後輩というフィルターは随分と厚かったらしく、日吉の憎まれ口もだんだん可愛く思えてくるものである。
「...雨降るなんて言ってたか」
「天気予報は降水確率10%でしたよ、裏切られましたね」
夏も近いというのにやけに廊下が暗かったのはこのせいか、と納得する。外はしっかり雨が降っていて、軒先からぽたぽたと雫がたれている。そして雨で見えにくい外へとよく目をこらすと、いつも登下校に使っている黒のリムジンが見えた。門を通ってこちら側に止めるのは無理だったようで、結局はめんどくさい手筈を踏まなければならない。
準備がいいというのか、はたまたズボラというのか、降水確率などいちいち気にするのもめんどくさいので通学カバンの中に折り畳み傘は入れっぱなしにしているのだ。ごそごそと黒の袋に包まれたこれまた黒の折り畳み傘を取り出す。
「...日吉?誰か待ってんのか?」
「いえ、別に」
「ならなんで帰らねぇ」
うっ、と日吉が言葉をつまらせて、しばらくの間沈黙が漂う。
「...傘、忘れたんですよ」
渋々といった口調でため息とともに吐かれたセリフになるほど、と得心する。右にかけていたカバンを左肩にかけ直して、日吉の腕を掴んで予め開いておいた折り畳み傘の内側に引き込む。うわっ、と間抜けな声を出しながらも日吉も無事傘の中に収まったことを確認してからズンズンと黒塗りリムジンの元へと向かう。
コンコン、と窓ガラスを叩くとすぐに窓ガラスが開けられた。
「俺は日吉と帰るから、先に帰っていいぞ」
用件を手短に伝えれば、お坊ちゃんのワガママには付き合いなれているのか、丁寧に日吉にも会釈をよこしながら手早くハンドルを切ってその場をあとにした。
「...あの、もしかしてこの状態で帰るつもりですか」
「当たり前だな」
何か問題でも?と言うように挑発気味に日吉を見つめれば、すっかりその強引さにも慣れてしまったらしい日吉は、ひとつため息をついて大人しく傘の中に納まった。
「こういうのを相合傘って言うんだろ?」
「それは好きになった人にでも言ってください」
「...だから、言ってるだろう?」
はあ!?と日吉にしては珍しくお腹の底から声を上げたのが面白くて、思わず吹き出してしまうとからかわれたのだと思ったらしい日吉にポカポカと腕を殴られる。どうどう、と宥めてやれば、どうやら火に油だったようで、もはやうっすらと瞳に膜まで張っている。そんな反応が面白くてついつい構ってしまうのが悪い癖だと、分かっていても止められないのが目下の悩みだ。
「俺の事好きなら......」
「ん?悪い、雨の音が大きくて聞こえにくい」
「...、俺の事好きなら、...とりあえず、雨が上がったら、試合して下さい」
そうやってちょっとだけ頬を赤く染めて見上げる日吉の姿にやたらと鼓動が早まったのには気付かないふりをした。その思いをかき消すようにわしゃわしゃと頭を撫でて、声色で動揺を悟られないように、努めて平静に"いくらでも"と返した。声には出さずとも、そっと喜びの形に握られた拳を見て、とうとう自分の中の気付きたくなかった想いを、肯定せざるを得なかった。
──だってそんなの、可愛すぎるじゃねーの。