2018.10.04



跡部景吾(21)×日吉若(20)


「はあ…」

重苦しいため息を吐いて天井を見上げる。目に入るのは20年近く見上げ続けて見慣れた木目ではなく、未だに違和感のぬぐえない無機質な白い天井だ。
大学進学を機に一人暮らしを始めたわけだが、木の温かみを感じることのできない洋の空間に依然として馴染むことができないのはもはや性分なのかもしれない。

明日は元気に一限から講義があるからそろそろ寝てしまいたい、というのが本音ではあるのだ。
それでもベッドの上で落ち着きなく寝返りを繰り返すのは明日という日付が問題だからに他ならない。

10月4日。
ただの平日である。
学生にとって嬉しい祝日でも、ハッピーマンデーの日でもない。けれど、自分にとって大切な人の誕生日なのである。
一年のうちに一回しか訪れない、20年とすこし前に、彼がこの世に生まれたその日。


***


跡部景吾という男の恋人、なんて肩書きを手に入れてから、もう五年以上の月日が流れている。

意外かもしれないが告白したのは日吉の方からだった。中学卒業を機に、日本を離れ海外に飛びたつとの噂が実しやかに学園内に囁かれ、どうしようもなく荒んだ自分を省みて、"ああ、自分は跡部に対して、敬愛を飛び越えた恋慕を抱いていたのだ"、と思い知った。そんな自分に失望して、絶望して、そしてなぜだか一周回って、彼に対する思いをぶつけなければ気が済まなくなったのだ。

天候に恵まれ、どこか春を思わせる心地よい風に桜がはらはらと散っていく中、日吉は跡部に自分の思いを伝えた。
すこし自棄になっていたかもしれない。
跡部のテニスに惹かれて、そんな貴方を超えたいと思って自分もテニスを始めたこと。下剋上の機会を狙って盗めるところは盗んでしまおうと目で追っているうちに、いろんなことに気が付いたこと。圧倒的な努力の上に築き上げられたその絶対的な自信、見るものすべてを虜にしてしまうカリスマ性、意外と面倒見が良いところや周囲をよく見ていて細かいところにまで気が付くその性格。
そんな一つ一つの面を追いかけているうちに、好意を寄せるようになってしまったと、自分にしては珍しく饒舌に語る様をどこか他人事のように見ていた。

「そういうわけなので、どうかきっぱりと振ってくれませんかねえ」

声が震えないように気を付けた。出来るだけなんでもない風を装って、跡部からの最終宣告を待った。
結果、降ってきたものは、拒絶の言葉でも侮蔑の眼差しでもなく、人肌の抱擁だった。自分の背中に回った腕が少し震えていたのを覚えている。

「俺様も、日吉のことが好きだ。
──幸せにする、俺と付き合ってくれ」

ポンっと肩を押されて密着していた体が離れたかと思えば、両手で頬を包まれ今日この日の晴れ空のような青の瞳に真っ直ぐと射抜かれる。その瞳は見間違えようもないくらいに優しい色に溶けていて、脳の理解がようやく追いついて、奇跡的に想いが通じ合ったことを実感した。

「はい」と囁くような声量だった返事はこの距離では問題なく聞こえたようで、どちらかともなく目をつむってその唇の柔らかさを甘受した。顔が離れていく気配がして目を開ければ、随分と幸せそうに笑みを浮かべる跡部さんがそこにはいて、気恥ずかしくなって目を逸らした。わしゃわしゃと頭を撫でられながら、自分もまたその幸せを噛み締めたのだ。

ちなみに、高校進学先が海外という話は簡潔にいえばただの早とちりで、高等部に普通に進学するらしい、と聞いた時は穴を掘ってでも入りたいほど恥ずかしかった。


***


高校生活こそ日本ですごした跡部さんだが、大学はイギリスの名門大学に進学した。メッセージのやり取りや時たまの電話などはこまめにしていたが、日本とイギリスの時差は8時間。俺自身も大学に進学し、講義やバイトに追われていくと段々とそのやり取りも減っていき、つい一週間ほど前には連絡がなくなって3ヶ月が経とうとしていた。

きっと向こうで良い人でも見つかったのだと思う。家柄も器量も良くて、物腰の柔らかな美人でも捕まえていれば世話ないと思う。自分のように、可愛げも何も無い、世間に対して堂々とすることも出来ないような男同士で付き合うより、そちらの方が余程健全だ。

──健全だ、とは思うのだけれど。
枕カバーにぽたぽたと水滴が吸い込まれていく。だって、自分はどんなに頑張っても、もうあの人しか見えないのだ。好きだという気持ちが自分の中でぐるぐるととぐろを巻きながら居座って気持ち悪いくらいだ。

街中でふとした時に香る薔薇の甘やかな香りが、彼を思わせる暗めのブロンドの髪の通行人が、目線を上げれば広がる青空に彼の瞳が重なるのだ。あのコートで戦い抜いた日々、先輩としてから恋人として隣に立っていたあの人の温度、恋人になってから初めて見るようになった表情の数々をそのたびに思い出して、なぞって、そして忘れられなくなった。

カチリとアナログ時計の秒針の音がやけに響いて聞こえた。時刻はちょうど、0:00。
10月4日だ。

「おめでとー、ございます...、景吾さん」

恋人として、初めて誕生日を祝ったその時は、耳を真っ赤にして照れていたのを覚えている。わしゃりと頭を撫でられて、これが彼なりの照れ隠しなのだと気が付いた。 平然と人の顔にキスの雨を降らせるのに、そんなギャップはずるいんじゃないかと思ったりもした。

感傷的な気分を晴らそうと顔でも洗おうとベッドを立った。サイドボードに置いてある眼鏡をかけて、暗闇の中を洗面台まで歩く。顔を洗ってタオルでふいて、いい加減寝てしまおうと思った矢先、玄関口からピンポンと音が鳴った。

こんな夜中に訪問するなんて非常識極まりない。放っておけば帰るだろうと思った思考を読んだのか、今度は連打された。これ以上玄関先に居座られては確実に近所迷惑になる。
一体全体なんなんだ、と不機嫌さを隠そうともしない顔で玄関の扉を開ければ、そこに居たのは先程まで俺の思考を占拠していた、跡部景吾その人であった。





上品なチャコールグレーのスーツを無駄なく着こなし、手には薔薇の花束を携えている。その姿に呆気にとられていると、素早くドアの内側に入り込まれ後ろ手でカチャリと鍵を施錠した音がした。
状況がつかめず再びポカンとしていると、花束が差し出された。条件反射で両手で受け取れば左手をそっと外され、薬指にキスを落とされる。


「なっ、はあ!?」
「若、結婚しよう」
「はああああ!?」

この人は宇宙人かなんかじゃないのか。
心の底からそう思った。





「まずはお前に謝らなくちゃならねえ、三ヵ月もの間連絡すらいれなくてすまなかった。家の方の都合で、どうしても事業を成功させないといけなくて、お前に事情を説明する時間も取れなかった。けどもう心配いらねえ、お前を迎えに来たぜ、若」

立て板に水のごとくべらべらと喋る景吾さんの話を頑張って咀嚼しようとは思うものの、全く理解が追い付かない。というか迎えに来た?…俺は捨てられたんじゃないのか?家の都合で連絡が取れなかった?一体何が何だかさっぱり分からない。

俺が話の流れを呑み込めていないことが景吾さんにも伝わったのか、「座って話をしてもいいか?」と言われた。そういえば二人して間抜けにも玄関に立ちっぱなしで、花束を抱えながら一本道の廊下の先にあるリビングへと案内した。

電気をつけて、ソファに座り込んだ景吾さんの手前にあるローテーブルにお茶を入れたカップを置く。さて、自分はどこに座ろうか、と悩んだけれど無言でソファの空いた空間をポンポンと叩かれたので、大人しくそちらへと座る。

「それで、あの、さっきの話、もう一回最初から説明してもらっていいですか?」
「ああ」

景吾さんの話はちょっとだけ長くて、話終わるころにはすっかり目が冴えていた。
つまりはこういうことだ。

もともと俺と添い遂げる覚悟を景吾さんはご両親に話していたらしい。「景吾が決めた道なら」と、意外とあっさりと受け入れられたものの、それを許さないのが周りの環境だったらしい。一人っ子の景吾さんが子供を作らなければ、跡部家の優秀な遺伝子が絶たれる。是非にも自分の子女を景吾さんと結納させ、跡部家とのつながりを得たくて必死な周りがそれを許さなかったらしい。

それらすべてを黙らせるために、今年の七月に無事イギリスの大学をストレートで卒業した景吾さんは、新規の事業へと手をつけていたそうだ。もともとの才覚も手伝って、文句なしに事業を成功させた景吾さんはその資金で、やいのやいのとうるさかった外野の会社の株式を買い占め、「自分が隣に居てほしいと望むのは日吉だけで、金と地位が目当てのお前らには靡かない。それ以上なにか言うつもりなら、わかっているだろう?」と恐ろしい捨て台詞を吐いて、見事鎮静化に成功したらしい。スケールが違いすぎてやっぱりちょっと分からない。

とにかくそのことにかかずらっていたら、こちらに連絡する機会が取れなかった、と。そして全てが片付いた今日この日に、サプライズでもって俺の目の前に現れた、そういうことらしい。


「やっぱり景吾さんは変わらないですね」
「アーン?いつだって俺は俺のままだぜ」
「あー、そうですね」

さっきまでの鬱々とした思いはどこへ行ったのか。我ながら現金というか、順応が早くて驚きだ。

聞きたいことならいっぱいある。
それでもやっぱり連絡する時間は捻出できたんじゃないのかとか、俺が既に景吾さんから心が離れていることは考えなかったのか、とか。

言いたいことも同じくらいいっぱいあるのに。


「なあ若、返事を聞かせてくれないか。
――幸せにする、俺と結婚してくれ」

けど嬉しさで涙が止まらない自分には何一つうまく返すことが出来なくて、眼鏡をはずして乱暴に目元を拭う。

「喜んで」

震えた小さな声は二人しかいない真夜中の室内では問題なく届いたようで、温かい景吾さんの体温に包まれて、俺はまたタガが外れたように泣き出してしまうのだ。







「若、言いたいことあんだろ、あーん?」
「アンタのその謎の洞察力はどこから来るんですか」

はあ、とこれみよがしにため息をつく若だが、その声色はどこかウキウキとしている。

「お誕生日おめでとうございます、景吾さん」
「ありがとう、若」

くしゃくしゃと頭を撫でれば、いつも長い前髪で遮られている目元が良く見えて──ああ、ほら、やっぱり。

普段突き刺すような視線を痛いほどに向けてくるこの恋人が、こういう時は目尻を下げて柔らかく笑うのだ。
その姿が見たくて戯れのように髪をいじるのだけど、高確率で機嫌が悪くなるのが欠点ではある。ならば、と顕になったおでこにキスを落とせばショートしたように固まりつつ耳まで真っ赤にするから、可愛くて唇も奪ってしまった。

口から抑えた笑い声が漏れる。
ああ、今日はなんて幸せなバースデーなんだろうか。