2018.12.05
コンコンとドアが叩かれて、一番近くにいた切原が扉を開けた。
少し言葉を交わしたのちに「日吉!」と名前を呼ばれたから、手元の本から視線を外して、小首を傾げ要件を尋ねた。
「跡部さんが呼んでるぜ」
「…ああ、分かった」
机に置いてある共有のメモ帳をぴりりとちぎって本に挟み込んで目印にする。ドアを開ければ見慣れないパーカーを着込んだ跡部さんが立っていて、行くぞ、と短く声をかけられて移動する跡部さんの後ろをついて行った。
*
たどり着いた場所は玄関前の共有スペースで、空いている机の椅子をひいて向かい合わせになるように座る。向き合う跡部さんはとても真剣な表情で、思わず体を固くする。ふう、と息を吐いた跡部さんが話を切り出した。
「誕生日おめでとう、若」
「...ありがとう、ございます」
面と向かって改めて言われると、どうしてもむず痒い気持ちになる。今日は朝からたくさんの人に祝ってもらえたけれど、跡部さんに言われるのはやっぱり少し特別だ。照れくささをいなすように手持ち無沙汰に前髪をいじった。
「これを、渡したくてな」
そう言って机の上に置かれ、ずいと俺の方へ押し出されたのは茶色の小さめの紙袋だ。手に何か持っている、とは思っていたが、まさか自分に渡されるものだとは。有難く受け取り、中を見てもいいですか、と確認をとる。コクリと頷かれてから、袋の中から同じ色合いの包装が現れて、そこから丁寧に中身を取り出す。
「...これは」
透明の袋に包まれたそれは、文庫本サイズのブックカバーと赤い花の描かれたしおりだった。どちらも激しい主張はなくて品がよく、しおりの質感は不思議とすぐに手に馴染むものだった。
「跡部さんのことだからもっとやばいものでも渡されるのかと」
「テメェは俺様のことをなんだと思ってやがる」
拗ねたような跡部さんの口調に思わず笑い声が漏れた。それに反応して今度は唇まで尖らせ始めたので、すいません、と素直に謝れば、目元を柔らかく緩ませた笑みが返ってくる。恋人という立場になってから、初めて見るようになった跡部さんの笑顔だ。笑顔もプレゼントも、俺だけの、という接頭語がつくことへの嬉しさと相まって、心がどんどん満たされていくようだった。
「ありがとうございます、...大切にします」
ああ、と打たれる相槌の声が優しくて、自然と眦が下がる。ぽん、と頭を優しく撫でられて、払われた前髪の隙間をくぐってキスが落とされる。今日は本当に、幸せの過剰摂取だ。
*
合宿所内の見回りの担当だとかで、跡部さんが先に席を立った。その姿を見送ったあと、俺はもう少しだけ跡部さんからの贈り物の余韻に浸っていたくて、その場にとどまっていた。
自分が好むジャンルだとハードカバーの本が多かったから、ブックカバーをここに持ってくることは無かったのだ。しかし、ここの図書館は氷帝のものとはまた違った豊富な品揃えで、文庫本のタイプのものが非常に多かった。
そのことに少しだけ頭を悩ませはしたものの、そこまで問題視することはないか、と思って放っておいたのだ。
本当に、いろんなことに気が付く人だと、その観察眼の鋭さに感服するしかない。
そしてこの栞も。本を読む前にあの人のことを思い出して内容が入らなそうだ、と自嘲気味に笑いを零しながらデザインを見やる。あまりこういうことには詳しくなくて、赤い花、と言われれば薔薇しか思い出せないのだが流石に違うことがわかる。明日にでも跡部さんに聞こうか、と思っていると頭上から聞きなれた声が降ってきた。
「ゼラニウムだね」
「幸村さん」
ジャージの代わりにカーディガンを肩掛けしていて、温和な笑みを浮かべた立海の部長がそこには立っていた。
「跡部からのプレゼントかい?」
「――、よく分かりましたね」
「超能力だよ」
大真面目に返す幸村さんに思わずぽかんとしながら見返せば、肩を震わせて、嘘だよ、と訂正の言葉が入る。
「部長たちが買い出しに行ったときにね、だいぶ悩んで買ってたのを見てたんだよ」
「そう、だったんですか」
あの人が俺の事を考えながら頭を悩ませて選んでくれたのかと思うと、改めてプレゼントに愛おしさが湧いてくる。本当に大切にしなければ、と再度決心していると、幸村さんからさらに言葉が重ねられた。
「跡部ってさ、意外と素直だよね」
「え?」
「赤のゼラニウム、ちょっと調べてみるといいんじゃないかな」
そう言って、カーディガンの袖をはためかしながら、ひらひらと手を振りつつ幸村さんは部屋へと戻っていた。
幸村さんの言葉の真意が気になって、ちょうど近くだし、と思い立って図書室へと足を向けた。
お目当ての本は意外とすぐに見つかって、索引ページを上から指でなぞり、お目当ての花を見つけ出す。
花言葉あるあるらしいが、色によっても意味が違うのがややこしい。
白、黄色、そして赤。指の先で文字を確認して、バンッと音を立てて、思いっきり両手で本を閉じた。
幸い周りに人がいなかったのだけが救いだ。バクバクとうるさくなる心臓を押さえつける。
もっと歯が浮くような言葉だと思ったんだ。永遠の愛だとか、そういうキザな花言葉とかに意味を込めたに違いないと。
『跡部ってさ、意外と素直だよね』
向けられた言葉も感情も真っ直ぐで、どうしたって照れずにはいられない。
今日の跡部さんが少しだけ言葉数が少なめだったのは、あの人なりに気恥しさがあったんだろうか。思いを馳せながら、プレゼントの入った茶色の袋を手にした。
柱にかかっている大時計がまだ就寝時間を指し示していないかと確認して、なるだけ早歩きで210号室を目指す。
なんて言おうかなんてまるで決まっていないけれど。でも、とにかく会いたいと思った。
『赤のゼラニウム 花言葉 ────君ありて幸福』
跡部さん、跡部さん。俺もわりと、あなたとおんなじ気持ちなんですよ。