恋することすら躊躇われる




レギュラージャージに着替えて更衣室を後にする。
外は風が強くて、腕を通している だけだった上のジャージのファスナーを急いで引きあげた。
昼時と比べて随分と弱まった日差しが照らす向こう側のコートでは、女テニがスコー トを揺らしながらラリーの練習に励んでいるのが見えた。

「女子はいいなぁ」

何の気なしにつぶやいたその言葉は、いつの間にか近くにいたらしい向日さんに届い てしまったようだ。

「なんだ日吉〜、思春期かあ?」
「うるさいですよ、向日さん」

厄介な人に拾われてしまった。と思いながらもすげなく返せば、どうやら機嫌が良か ったのか、突っかかられることもなくケラケラと笑い声が上がった。

「そりゃ、まあな!むさい野郎と可憐な乙女だったら、誰だって後者を選ぶだろ?」
「...そう、ですょね」

どうやら、俺の言葉に返答したのは気まぐれだったようで。ラケットのグリップをギ ュッと握りしめて、向日さんに目線を戻せばとうにそこに姿はなかった。


自分もコートに向かおうと足を踏み出しながらも、頭の中ではさっきの言葉がリフレ インする。

『むさい野郎と可憐な乙女だったら、誰だって後者を選ぶだろ?』

べつに傷ついた訳では、ない。 向日さんは世間で正しいとされる一般論を述べただけで、多数決・民主主義のこの世 界では、俺の方がおかしいに決まってる。

女子はいいよな。

視線の先にのびやかにプレーする氷の帝王を捉えながらそっと胸中でごちる。
跡部さんを好きでいることも、思いを伝えてしまうことだって自由だ。 たとえ選ばれなくたって、あの人はきっと困ったような表情を浮かべながらも、 「ありがとう」と笑顔で言葉を返すのだ。 一人の一人の気持ちを尊重して、真摯に向き合う人だから。 校舎裏でその様子を見るのは、もう何回目だっただろうか。

(不毛だ、この想いも、俺も。)

それでもこの想いを捨てきれないのは、あの人の虜になってしまったから。 「よくやった」と向けられる笑顔がとても綺麗なことに気付いてしまったから。 あの人が俺の名前を呼ぶ声を、心底愛おしいと感じてしまうから。
――諦めることさえ許してくれないなんて、俺にだけは本当に酷い人だ。

そう自嘲気味にこぼせば、貴方を好きになってしまった罪悪感も少しは消えてくれな いだろうか。