メルティーキッスの季節



 コンコンと扉が叩かれる音がして、書類から目を上げることなく入れと声をあげて入室を促した。失礼します、と聞こえた癖のある声には聞き覚えがあって、入ってきたのはやはり日吉だった。
 きょろきょろと見渡して部屋に俺しかいないことを悟れば、コツコツと歩み寄ってきて透明なファイルに入れられた紙を渡される。
 聞けば今月分の校内新聞の草稿のようで、取り出してペラペラとめくり、特段おかしな点がないことを確認して日吉の手の中に戻した。――いや、戻しかけた。
「お前、そのクマどうした。寝れてねぇのか?」
 机の向こう側にたつ日吉の顔はいつもより色が白くて、切れ長の瞳を縁どるようにクマが出来ていた。思わず心配が口をついたように出て、日吉がぐっと言葉を詰まらせた。言葉を探すように瞳が動いて、諦めたようなため息が口から零れた。
「…部長ってやばいッスね、精神的にも肉体的にも、結構、来ます」
ポツポツと呟かれるのは、日吉にしては珍しい弱気な言葉で、だからその分、本当に参ってるのだと伝わった。日吉、と短く名前だけを呼んで、ポンポンと自分の膝を叩いた。顔色を変えないまま、机の向こうから回り込んだ日吉が言葉もなく膝の上にぽすんと座った。机へと伸ばしていた俺の右腕を、ちょうど背もたれにする形だ。

 八月の全国大会から、既に四か月経っているが、三年間同じ人間のもとで部活をしてたのだから、それが変わるのは想像よりもきっと難しい。下手に手助けをするのも、きっと日吉の意思にそぐわないだろうし、出来ることといえば日吉が弱っていることを直ぐに察知するように気を付ける、ぐらいなものだ。
 もたれかかることもなく、背筋をピンと伸ばしたまますとんと座り込んでいるのがなんとも日吉らしいと思った。視線を机へと滑らせれば、ちょっとした箱が目に入る。そういえば、副会長が差し入れと評して置いていった奴だったか。丁度いいと思って、箱を手繰り寄せて左手でパッケージを開けた。
「お前、チョコ嫌いじゃねえよな」
「…普通、ですね」
「疲れた時には甘いもの、っていうよな」
 日吉の背中に回している右手も使って白の包装を破いた。日吉の口の中に放り込めば、もぐもぐと咀嚼してキラキラと瞳が輝いた。
 なるほど、かわいいじゃねーの。
「もう一個ください」
「え、そんなに美味しいのか」
 自分の分を開けてぱくんと口にいれれば、うん、確かに美味しい。そして手が汚れないから事務処理のお供に丁度いい。後でミカエルに頼もう、と決心していると、日吉がむっすりとした顔でこちらをじっと見つめてくる。取られたのが気に食わなかったのだろうか。いつもより感情の出が極端で、でもきっと、恋人という立場こその特権なのだ。
 もう一つを手に取りそっと食んで、押し付けるみたいにして唇を重ねた。舌で日吉の咥内にチョコを突き出して、そのままともすれば甘ったるい中を荒らしまわった。角度を変えながら何度も重ね合わせれば、僅かに開いた口から甘く息が零れる。掴ま れたシャツにこもる力が強まって唇を離せば、赤く染まった目元と視線がかち合った。
「今日はちゃんと眠れそうか?」
「…逆効果ですよ」
「そりゃ悪かったな」
 さらさらと指の間を流れていく髪に手を差し込んで顔を寄せた。シャツを掴んでいた手が解かれて、首後ろへと腕が回される。濡れて光る琥珀の瞳が瞼にしまわれて、キスの雨を降らせようとした矢先。コンコンと扉が叩かれて、外から自分の名前が呼ばれた。
「生徒会室へのノック、義務化しといて良かったぜ…」
「本当ですね」
 仕方ねえ、と用件だったファイルを日吉の手元に戻して、生徒会長としてのキリリと した表情に戻る。その間に箱からもう一個チョコが貰われていった。 よし、とりあえず二〇箱ぐらい買っておくか。買い占めると日吉に注意されるしな。
 入れ替わりに入ってきたのはくだんの副会長で、感謝すればいいのか少し恨めばいい のか。なんとも言えない顔でいつもの椅子に座るのを見届けていると、その視線に気付いたのか首を傾げられ、なんでもないと手を振り返した。