その人の隣は俺の場所
放課後の教室。人の少ない教室は外気の影響と相まって、暖房がついていてもどこか寒く感じる。壁にかかった時計が示す時間は約束までは少しだけ早かったから、手元の本をまた一枚捲って文章に目を通した。
カツンとリノリウムの床が鳴ったかと思えば、本の上に影がおちて顔を上げた。そこに居たのは同じクラスの報道委員会所属の女子で、見つめあったまま話を切り出さないのに焦れて、なんだ、と話題を催促した。
「日吉くんってさ、跡部先輩と仲いいよね…?」
振られた内容は予想もつかなかった話で、けれど頬がどことなく赤かったから、その質問の真意も分かった気がした。
「…先輩と後輩だし、そういう距離感ではねぇけどな」
当たり障りのない返答をすれば、そっかと少しだけ消沈したような声が上がる。話は終わったという意味を込めて、本をとじて机にかけていた通学鞄を肩にかける。そのまま帰ろうとしたのに、ねえ、とちょっとだけ大きい声を上げるから足を踏み出し損ねて、思わず眉根を寄せて顔を向けた。
「せ、先輩の好みとか、分かんない、かな…?ほら、男子ってよくそういう話で盛り上がったりとかするでしょ、先輩後輩でも、そういう話しないかなー、なんて」
林檎みたく顔を赤くして、恥ずかしさを誤魔化すように目線を逸らす。その言動が示唆する意味がなんとも分かりやすくて、手に取ったマフラーを巻きながら隠れるように笑いを零した。
彼女のことは意外と好きだった。恋愛感情のような意味ではなく、やたらときゃぴきゃぴもしていなかったし、挨拶はしっかりとしていて、記事に紡がれる言葉が綺麗で。そんなところを見ては好ましいと感じていた。
教室の扉へと向けていた足先を彼女へと戻して、人一人分の距離まで詰め寄る。
「あの人趣味悪ぃから、アンタには振り向かねえと思うぜ」
目を細めて、口元だけで笑って。また明日な、と声をかけて踵を返した。ぽかんと呆けたような彼女を残して扉を開ければ、ガラガラとやけに大きく音を立てた気がした。
コツコツとローファーを鳴らしながら廊下を歩けば、こちらに向かってくる姿が見えた。驚いた、と言わんばかりに青の瞳が開かれる。
「せっかく教室まで迎えにいってやろうと思ったのによ」
「すいませんね、早く会いたくなっちゃったんですよ」
はーん、と白々しいとでも言いたげな目線が寄越される。口先だけの言葉では喜んでくれないみたいだ。人気のない放課後の廊下。昇降口に近づくにつれて冬の冷え込みを感じて、コートを着込んでいても時折身体がぶるりと震える。
ひっそりと内ポケットに跡部さんの手が侵入してきて、寒さで白くなってきた俺の手を包んだ。ちょっとずつ体温が移ってきて、指先までほんのりと温かくなる。人目を気にする学園の外では絶対に出来ない。学園内の、殆どの人が帰宅し終えたこの放課後の時間に、少しだけこういうことが出来るのだ。
開いてしまった身長差を感じながらもちょっと高くを見上げれば。それに応えるみたいに目元を柔らかくして顔をのぞき込まれる。言葉の代わりにきゅっと指先を握り返して再び前へと向き直ったけど、多分口元は緩んでいた。
――チラリと後方に視線をれば、信じられないようなものを見る目でこちらを見つめる女子生徒と目が合う。ニヤリと口角を上げて見せつけるみたいに日吉との距離を近付けた。